02. Down Down Down...
ぶすっとふてくされた顔で頬杖つくトランクスは、いやでも視界に入る目の前の光景を不機嫌満面で見つめていた。
「南のほうはまだ未開拓のところが多いからね。生物の種類も多いし、面白いよ」
「たしか、旧古生代の無脊椎動物の化石を発見されたのも南でしたね、チレート地方でしたっけ」
「そうなんだよ、でもアレは目的とは違ったからただラッキーだっただけなんだけどね」
「孫先生は主竜類あたりが専門ですもんね」
「先生はやめてくださいよ、悟飯でいいですから」
トランクスの前のシートにはブラを抱いているが座っている。
その右側のシートには悟飯と、パンを抱いているビーデル。
この大型飛行機に乗ってから、そのと悟飯の会話がまったく途切れない。
「トランクスくん、ボクこの人たちが何語話してるのかぜんぜんわかんない」
「・・・」
自分の隣に座ってる悟天が、前のふたりの会話を聞いてそんなことを言ってくる。トランクスでも前の会話に口をはさめるところは一分もなく、悟天と同じレベルなことに屈辱を感じるもしかたがない。トランクスはフンとかぶってたキャップを目深に下げ視界を閉ざすと、腕を組んでシートに背もたれた。
「もーさっきから何怒ってんの?」
「うっさい」
不機嫌な理由はいくつもあった。
母のブルマに、が水着を持ってないことを漏らして一緒に買いに行かせたまでは思惑通りだったけど、ブルマはそれだけにとどまらず次の休日にビーチに行こうとまで言いだしてしまった。が海を見たことがないと言うからにはトランクスは二人で行きたかったのに、の仕事を無理やり休みにまでした母の勢いに勝てるわけもなく、今日こうして海へ行くことになったのだ。
それでもトランクスは、母はブラにつきっきりだろうから二人でいる時間もあるだろうと踏んだ。なのに今日の朝早く、家に悟飯一家と悟天がそろってやってきて、気がつけばこんな大所帯。直前まで行きたいと駄々をこねたピスタはベジータが修行だと連れ去ったことがせめてもの救いだった。
いろいろ起きたが、とにかくを海に連れて行けるのだとトランクスは誤算に目をつぶり、悟飯一家と悟天をに紹介した。だけど、それがいけなかった。は悟飯という名前からその人が新進気鋭の生物学者であることに気づき、悟飯もまた、いくつもの研究施設が目を付けているらしいゴールデンバーナードの天才と噂高いのことを知っていて、ふたりは握手を交わして以来飛行機に乗り込んだ今も、まったく会話が途切れないのだ。
すぐ歩き回ろうとするブラをヒザの上に戻しながら、悟飯とまったく入り込めない話題に盛り上がる。その口数はいつになく多くかん高い。うしろにいる自分のことなど一切記憶にないようなその背中に、トランクスの不機嫌は止まらなかった。
「おにーちゃん、おなかいたいの?」
深くかぶったキャップの下でふてくされるトランクスの、ヒザの上にポンと置かれた小さな手。目を開けるとそこには幼い妹のブラが自分を見上げていて、なぜそう思ったかは分からないが心配そうな顔を覗かせていた。
「おなかいたいのおにいちゃん」
「なんでだよ、なんともないよ」
「トランクスくん元気ないからブラちゃん心配してるんだよ。ねーブラちゃん」
「どうしたトランクス、気分でも悪いのか」
「いや・・・、ちょっと、寝不足なだけ」
「もしかしてトランクスくん、きのうの夜楽しみで眠れなかったんじゃないのー?」
「ちがうわ」
「はは、パンと一緒だな」
「トランクス、気分悪いなら薬あるわよ。ちゃん、うしろの荷物に入ってるから出してあげて」
「はい」
運転してる母さんに頼まれがベルトをはずして立ち上がり、荷物のトランクから救急セットが入ったカバンを出し薬を探した。
「はい」
「あ、ありがと」
トランクスは別段気分が悪いわけでもどこが痛いわけでもなかったが、が薬と水が入ったボトルを差し出すから、受け取った。すると飛行機は少し右に曲がったせいで機体が揺れ、がバランスを崩しかけたからトランクスはその手をつかみ止めた。そのまま悟天を押しのけ奥に詰め隣にを座らせると、悟天は足元にいたブラを抱きあげ「そろそろ海見えるかなー?」と、広く景色が広がる正面の窓へかけていった。
「寝不足?」
「いや、そんなでもない」
「でしょうね。頬にシーツの跡ついてる」
「えっ、ウソ」
に右頬を指示されてトランクスは咄嗟に頬を覆い隠す。
「海、楽しみ?」
「まぁ・・・。アボはよかったの?」
「いちおう電話したけど、今日はクラブの試合があるんだってさ。また休みに入ったら行けばいーじゃん」
かぶっていたキャップを取り払って髪をざかざか整えるトランクスは、さっきまでの不機嫌はどこへやら、組んでいた足も解いて体ごとのほうに向く始末。
そんなトランクスのこぼれる笑顔を助手席シートから覗いた悟天は、「おにーちゃんたんじゅんだねー」とつぶやきながらブラを高い高いと抱き上げた。
夏が近づくビーチは陽の光を反射してまぶしく、深いエメラルドグリーンの水平線がまるい地球の形を象っていた。波が押しては引いて、続く砂浜が白く反射して、悠々と飛ぶカモメと風に揺られる木々が波音に負けじとさんざめく。
「トランクスくん、あそこの島まで競争しよーよー」
「ヤダよタルい」
「ほらふたりとも、先にコレ運んでくれよ」
「はーい」
腕や足を伸ばしてるふたりは、悟飯に言われパラソルとイスやテーブルを浜辺まで運んでいく。そんな3人の隣を、かわいいワンピースの水着を着たパンとブラがうみー!とさけびながらあっという間に走りぬけていった。
「ブラちゃん、ぼうしー」
そのあとを、ブラのぼうしを持って追いかけてきた。その姿を目に入れたトランクスはパラソルを砂に突き刺す手前で固まった。上着を着ていて完璧水着ではないにしろ、その下からのびている素足、いつも以上に見えている素肌。ブラのぼうしを持つはトランクスの近くまで来ると一度目を合わせ、そのまま波打ち際ではしゃぐふたりを追いかけていった。
「ほらーやっぱりマリンカラーかわいいでしょー?」
「ホント。肌の白さって罪ですよねー」
「まったく若い子が肌出すの恥ずかしがってどーすんのよねー。ちょっとトランクス、あの上着取っ払ってきてちょうだいよ」
歩いてきたブルマとビーデルが用意されたイスに座り日焼け止めクリームを手に取る。するとトランクスは持っていたパラソルを固定する前に手放し海へと走っていった。もちろんパラソルは倒れ、うしろからブルマの怒声が響いている。
波打ち際にしゃがんでブラにぼうしをかぶせているは、波が迫ってくると立ち上がってうしろに下がった。初めての海は五感すべてに感動と衝撃を与えたけど、壮大すぎてまだどこか怖くもある。・・・なのに、トランクスはそのをうしろから抱えると、そのまま海の中へ駆け込んでいった。
「ちょっと・・・、キャア!」
浅瀬から飛びこむと向かってくる波にぶつかり飲まれ、ふたりは簡単に水の中へ沈む。の体に腕をまわしたまま海の中で立ち上がるとは案の定むせて、その味も思い知った。
「っはは、だいじょーぶー?」
「しん・・信じらんな、げほっ」
「な、海ってしょっぱいだろ?」
鼻に水が入っての咳は止まらず、鼻を押さえながらトランクスの胸を叩き離れた。
「かかれー!ちゃんをたすけろー!」
そこへブラとパンを抱いた悟天が飛びかかってきて、水しぶきを上げながらトランクスもろとも沈んでいった。
「バカ悟天!そいつら抱いてくるやつがあるか!」
「大丈夫だいじょーぶ、こいつらだってサイヤ人のはしくれ!ちょっとやそっとじゃ死なない!」
「しななーい!」
「なーい!」
トランクスはすぐさま水の中のブラをつかまえ、泳いでるというよりもがいてる風のパンも引っ張り上げてまとめてにあずけると、とりあえず悟天を海の底に沈めた。
しかしこのふたりが沖で暴れればそれは大きな波となり、波打ち際は荒れ狂う。それは海の中のたちにも同じように襲いかかり、パンとブラを抱いたまま水圧に押されかけると悟飯に支え助けられ、トランクスと悟天はやめろ!とゲンコツで沈められた。
「母さん、知らない?」
「ちゃんなら部屋にタオル取りに行ったわよ」
みんなで泳いだり砂浜走ったりと遊びたくったあと、隣接するホテルで軽く食事をしているとパンとブラはラウンジのソファで眠りこけてしまった。ブルマとビーデルはアイスを食べながらおしゃべりが止まらず、悟飯と悟天はまた皿を持って料理のほうへかけていくのに、その中のどこにもが見当たらず、トランクスはそこを出て部屋へのエレベーターに乗った。
「ー?」
ドアを開け呼びかけながら入ると、奥の窓辺にいたが振り返った。
だけどトランクスは思わず固まるように足を止める。
「なに?」
「い・・・や、あ、ええっと・・・」
は何ごともなく問いかける。の頭の上には濡れてしまった上着がハンガーにかけられ風にはためいていて、つまりは今、ビーチですら見ることのなかった水着だけの姿で、トランクスは窓から差し込む逆光の中の背中すらまともに見れず目を移ろわせた。おまけに何の用があるわけでもなくただ探しに来ただけのトランクスに上手な返事もできなかった。
「な、なにしてんの?」
「上着乾かしてるのよ、濡れちゃったから」
「・・・ごめん」
見れば分かることを聞いたら当たり前の返事が飛んできた。
しかも濡らしてしまった張本人は自分。
だけどはすぐ乾くよと怒ってる風でもなかったから、トランクスは風を受け窓の外を見ているそのうしろ姿に近づいて行った。
最上階の部屋から見渡せる海は、少し陽が傾いて昼間見た景色とはまた少し違うきらめきを放っていた。太陽が少しやわらいで、空と海との境界線がおぼろに混ざる。
「海、どうだった?」
同じく窓から海を見渡し隣のに問いかけた。
まっすぐその肌を見ることはいまだできないけども。
「すごいね」
「感動?」
「うん」
初めて見る七色の青を瞳に映して、満たされたの表情がうれしかった。
「でも、空飛んだときのほうが衝撃的だったかも」
「え?ああ・・・、そう?」
「うん。世界観っていうか、今まで持ってたものを丸ごとひっくり返された感じ」
「そっか。俺は初めて飛んだときは周りの景色にっていうより、自分が飛べたことのほうがうれしかったからなぁ。あの時は父さんにホメられたくてしょうがなかったし」
そう言うと、はお父さんっ子なのねと笑った。なんだか照れくさくてそんなんじゃないと否定したけど、滅多にホメても遊んでもくれなかった父に懸命についていこうとしていたのも事実。
「ほんと、あなたといると世界が変わる」
「・・・」
次第に色を深くしていく青を見ながら、ぽつりとこぼしたの言葉に意識を奪われる。
出会って生まれた感情。変わっていった景色、価値観。
自分はこんな人間だったんだと思い知った、この数か月。
「俺も・・・」
最初はただ、目につく程度だったのに。
いつの間にか近づきたくて、そばにいたくて、役に立ちたくて。
風に揺れてる細い髪に触れると、は振り向きその手の先を見上げた。
海の青だった瞳が色を落として、自分だけを映し出す。
「・・・」
もっとそばへ。
いま触れたい、衝動。
それを止めてしまえるすべは、知らない。