06. changeling
「おっすおふたりさん、そろってご登校かー?」
「あ・・・、えっと、アボ、おはよう」
屋上のエアポートから校舎への階段を下りていくと、下の階から上がってきたアボがふたりを見つけ手を上げた。だいたいいつも一緒にいるアボという赤い巻き毛のクラスメイト、と聞いていたからトランクスはすぐに分かった。
「トランクス、今日の体育どーする?久しぶりに野球いかね?」
「ああ、うん、いいよ」
「こないだの試合で俺けっきょくベンチでさー、次もベンチならチーム外されんだよ。やっばー」
「じゃあうまくならないと」
「ん?ああ、そーだな。なんだよ、なんかキモチわりーな」
「えっ?」
あまり丁寧に話すとおかしいと言われたから敬語は伏せているけど、言い回しがうまくないのかどうも違和感を持たれてしまう。隣では少し笑っているし、トランクスは頭の中で普通に普通に・・・とくり返した。
「も来いよ、前に1回来たときキャッチボールうまかったじゃん」
「けっこうよ」
「さんは何を?」
「おいおいトランクス、お前どんだけシリに敷かれてんだよ」
アボはケラケラ笑ってくるけど、トランクスは何がおかしいのか分からなかった。すると隣からがコソリと「さん付けはおかしいかも・・・」と教えてくれた。思い返してみればもう一人の自分は確かにさんとは呼んでいなかった。それも気をつけなければ・・・。
教室へと歩いて行く中で、トランクスは物珍しそうにあたりを見回した。
こんな大きな建物なのに、それでも溢れるくらいたくさんの人がいる。
いろんな人がいて、だけどその誰もが自分と同じ年くらいの若者。
みんな明るくおはようと言い合って、笑ったりふざけ合ったり楽しそう。
街が壊滅し人口が激減したトランクスの世界ではなかなかない光景だった。
「おはよう、きのうはありがとう」
歩いていく先で、数人の女の子が集まっている中にいた金髪の男がに声をかけてきた。
「あのあと電車の事故があったって聞いたけど、巻き込まれなかった?」
「ああ、うん」
「よかった、心配してたんだよ。やっぱり送って行けばよかったな。きのうのお礼もしたいし、どう?今日の夜・・」
友だちの名前はアボしか聞いておらず、トランクスにはそれが誰なのか分からなかった。それよりもトランクスは、話しかけられ足を止めてるから少しずつ離れていくことのほうが不安に感じる。
「きのうって?」
「え?」
「いまキュール、きのうはありがとうって言ったじゃん。きのうなんかあったの?」
「え・・・と、いや・・・」
「お前・・・、最近といー感じだからって浮かれてるとかっさらわれるぞ。キュールはすんなりあきらめてくれるほどやさしくねーからな」
「えっ・・・?」
肩に腕をまわしてくるアボが小声で叱咤してくる。
親しく話してるからには友だちなんだろうと思っていたトランクスだけど、アボの言い方を聞くとあれはもしかして友だちいうより、恋敵のよう。たしかにあのふたりを覗き見ると、のほうは少し遠慮がちに見える。
は、この世界の自分の大事な人。
「」
トランクスの声は朝の廊下をすんと澄み渡るように抜けて、まで届く。
はキュールの肩越しにトランクスを見て、キュールも、廊下を歩く他の多くの生徒もその声に振り返って、わずかに静止した空気の中、はキュールにごめんなさいと断りを入れると歩き出し、待っているトランクスの元まで来るとそのまま一緒に歩いていった。
「ははっ、見たかよキュールのあの顔」
「怒らせたかな」
「いーんじゃねー?てゆーか今のはちょっとキュンときちゃったんじゃないのー」
「さっきから思ってたけど、アナタボタンかけ違えてるわよ」
「え?・・・ゲッ!!」
「あ、そういうオシャレかと思ってた」
「んなわけあるか!言えよ!」
シャツのボタンをはずしながら憤慨するアボに笑って、トランクスとは教室に入っていった。
「さん」
「はい?」
「学校って楽しいですね」
の隣に座るトランクスは、が準備するテキストと同じテキストをカバンから探して、そんなことのひとつが楽しそう。
「まだ授業も始まってませんよ」
「はい、楽しみです」
授業はなにを言ってるのかよく分からなかったし、体育の授業は力を抜くことがむずかしくボールを場外まで打ち飛ばしてしまったり取れないはずのボールまでキャッチしてしまったりしたけど、そのどれもが初めてのトランクスには全部がおもしろく、楽しかった。
そうしてだんだん太陽が高く昇り、時計が午後に切り替わったころ。
トランクスは大きなあくびとともにやっと目を覚ました。
「おばーちゃん、おなかすいたー」
「あ、やっと起きてきた」
「あれ、母さんいたの」
トランクスがリビングルームに行くと、まだ仕事の昼休みには少し早い時間なのにそこにはもうブルマがいた。キッチンでランチの用意をするパンチーが「もうちょっと待ってね」とコーヒーを差し出してくれて、受け取るトランクスはブルマがいるダイニングテーブルの向かいのイスに重く腰かける。
「アンタね、起きれないなら遅くまで起きてるんじゃないわよ」
「きのうは特別じゃん」
「特別じゃないわよ、ちゃんはちゃんと起きて学校行ったじゃない。アンタ、留年したらタダじゃおかないわよ」
「しないよ。出なきゃいけないのなんて昼の実験だけだし、それには間に合うように起きたじゃん」
まだ眠気の抜けないトランクスはぼんやりした目と口調で、ふわりと飛び出た髪を撫ぜながら何度もあくびをくり返す。
「あ、でもアンタ、今日学校行っちゃダメよ」
「は?なんで?」
「あっちのトランクスがアンタの代わりに行ってるのよ」
「・・・は?」
「だから、あのトランクスがいま学校に行ってるの。アンタが行ったらたいへんなことになるでしょ」
「なにそれ、なんでそんなことになってんの?」
「学校行ったことないっていうから行かせたのよ」
「言い出したのぜったい母さんだろ」
「ホホホ。ヘーキよ、他人じゃ違いなんてわかんないだろうし。ちゃんも一緒だし」
「・・・」
もうひとりの自分が学校に・・・。
と一緒・・・?
「なんだ、じゃー起きなけりゃよかった。もっかい寝よ」
「アンタ他にすることないわけ?」
カップのコーヒーを全部飲み干すとテーブルに料理が運ばれてきて、トランクスはからっぽの腹に詰め込んだ。
もうひとりの自分がいるというのはなかなかおもしろいものだ。行きたくないときは代わりに行ってくれるんだから。学校に行かなくてよくなって、自室に戻ったトランクスはぐちゃぐちゃのベッドにまた寝転がった。
そのままもう一度寝てやろうとするけど、一度起きてしまった頭はいまいちうまく寝つけない。ふとんをかぶっても寝がえりを打っても、どうも意識が沈んでいかない。
「うーん・・・」
そろそろ学校は昼休みのころだ。
いざ行っちゃいけないとなると、そんなことが気になった。
体育の授業が終わるとランチの時間になり、トランクスはアボやクラスメートたちと一緒に食堂へ向かった。やっぱり同じ野球を選ばなかったとは体育の時間中ずっと離れていたから、食堂に入って行くトランクスは大勢の生徒であふれている中を見渡しを探す。
「どーした?」
「・・が、どこにいるのかなって」
「ならもーすませたんじゃねー?アイツ昼の食堂キライだからな」
トランクスは「なんで?」と聞きかけたけど、それを自分が知らないのもおかしいかと思い飲み込んだ。そのままアボたちと一緒にランチを済ませ食堂を出ていくと、途中で通りかかった中庭の奥のベンチにを見つけ、トランクスはみんなと分かれ中庭を歩いていった。
「またタイムマシン関係の本ですか?」
影になっているベンチで本を読んでいたは、傍らにも本を2・3冊積み上げて、そのどれもが時空移動に関する本ばかり。
「体育どうでした?」
「楽しかったです。でもけっこうむずかしくて、あんな大人数でやったのも初めてでしたし」
笑い返すに、トランクスは隣いいですかと座った。
が見ている本は細かい文字や数字がびっしりと詰まっていて、トランクスが見ても何が何やらまったくわからない。きのうのタイムマシンへの関心といい、ほんとにそういうものが好きなんだなと思わせる。
「俺の母さんに会ったら話はずみそうですね」
「ほんとお会いしたいです。やっぱりブルマさんが真剣に研究に取り組まないと、タイムマシンなんて遠い話だと思います」
「母さんも、ひとつの研究にこれほど時間をかけたのは初めてだって言ってました」
「それだけ必要性を迫られたんでしょうね」
「・・・」
ページをめくるがぽつりとこぼす。
本来なら生まれるべきではない、行きすぎた科学力。
「母さんは、すべてが終わったらタイムマシンは封印するつもりです。やっぱり、あるべきものではないですから・・・。だから俺、どうしても見ておきたかったんです。平和になった世界の、その先を・・・」
話しだすトランクスの言葉を聞いて、は本から隣へ目線を移した。
「今朝、母さんに聞いたんですけど、さんセルとの闘いのときに家族を亡くしてるって・・・」
「そうらしいですね」
「でもセルとの闘いで死んだ人は、みんなドラゴンボールで生き返ったはずだと思うんですけど・・・。実は俺も、セルに殺されてるんです。でも俺は生き返ったし・・・」
「ドラゴンボールで生き返ることができるのは一度だけ。私の両親は前に一度生き返ったことがあるからその時はムリだったって、彼が言ってました」
「彼・・・、俺ですか?」
「ええ。それに私もそのとき一緒に死んでたそうですよ」
「え?」
「人が生き返っちゃうなんて、タイムマシンより信じられない話ですよね」
は言葉の端を揺らして、その口調のどこにも悲壮を感じさせない。
まるで本に書いてある物語を読むようなおだやかさ。
「俺、それ聞いて少しショックだったんです。この世界は平和になって、みんな幸せになったと思ってたから・・・」
「平和だと思いますよ。幸せかどうかは個人によるでしょうけど」
「さんは、どうですか?」
「私は、自分の親がどうして死んだかなんて関心がなかったんです。分かったところでどうなるものでもないでしょう?もういない人のことなんて。だからアナタ方が経験した闘いで左右されることはないです」
「・・・どうして気にならないんですか?俺も、生まれてすぐ父さんが死んだから・・・、最初にタイムマシンで過去に行ったときにいちばん楽しみだったのは、父さんに会えることでした」
「それはアナタにはお母さんがいたからじゃないですか?母親がいれば父親のことも気になる。お父さんの話も聞いてたでしょうし、想像がふくらんで期待もする」
「それは・・・」
「私には私だけだった。何も考えたくなかったから、何もなくていいと思ってました。特に私が育ったところは親のいない子ばかりでしたから、親を求めること自体悪いことのようにも感じてましたし」
「・・・」
「・・・それをね、崩すんですよ、彼は。ずかずかと」
「え?」
また、の言葉が揺れる。
横顔のは、今度ははっきりと笑っていた。
「頼んでもないのに親のこと調べて、いらないって言ってるのに私の親の写真なんか大事にしちゃって、きっと私より彼のほうが私の親のこと知ってるんじゃないかな」
「・・・」
「やっぱり知りたいとは今でも思わないけど、知ってよかったとは、思うかな」
そう言うは、まるで笑うことが悪いことのように、とても遠慮がちに笑っていた。
「あなたは?」
「え・・・?」
「”幸せ”?」
「もちろんです。人造人間も倒せたし、これからどんどん町も復旧してこの世界のように・・・」
「状況とか、人のことを考えてではなく・・・」
「・・・」
の問いかける言葉の真意が、まっすぐ心の奥まで透き通る。
何もかぶせないで、隠さないで、埋もれた中から見つけ出す。
・・・いつでもそばに母さんがいた。
闘いを教えてくれた悟飯さんがいた。
過去に来て、仲間ができて、父さんに会えて・・・知れて・・・
「はい・・・、そう思ってます」
「そうですか」
が笑う。
足りなかった言葉の奥まで、すくいとるように。
・・・もう一人の自分の、隣にいたこの人を、きれいな人だと思ってはいた。
事故の電車の中でも、ケガをした人に手を貸して、いちばん最後に出て。
でも今は、きれいとは、また違ったように見える。
幸せと言い切るには、あまりに曖昧な微笑。
だけどその背は、羽が生えて悠々と空を飛び立てそうなくらい軽く。
この平和な知らない世界の、もう一人の自分の、となりにいた人。