07. crossing

ー、うちのグループ入ってくれよぉー。キミがリーダーしてくれるとすごく助かるんだ」
「リーダーって、私まだ2年ですよ」
「かまわないよ!キミがやってくれるなら誰も文句言わないから!」
「でも遺伝子学は専門外ですし」
「そんなことないよ、この前助言してくれたレポートもすごく評価よかったんだ!頼むよ、俺たち卒業がかかってんだよぉー」
「そう言われましても」

懇願してくる上級生の話を聞きながらも、は実験から目を離さず沸騰するフラスコから出る気体の量を調整する。奥のテーブルには授業ではない他の研究グループも多くいて、今後の進路が左右される最上級生にとってこの時期の成績は大きく響くから頼む声も必死だ。

実験の授業が進みながらも朝に提出したレポートがそれぞれに返されていた。今日の朝が起きないトランクスからあずかってきたレポートを提出したトランクスだけど、返ってきたそのレポートにつけられた評価がいいのかどうかもわからない。

「トランクスー、レポートの評価なんだった?」
「えーと、B?」
「マジで。俺Cに落ちちゃった・・・なんでだろ・・・。なー、コレどこ直せばいーと思う?」

アボは評価の下がったレポートをめくりながら、実験の経過を書き留めているに寄っていって差し出した。ペンを持つ手を止めるはそれを受け取り目を通す。

「ヤッベーよなぁ、夏休みどころじゃないよ。どーしたらいいの?オレ」
「成績下がって、クラブはチーム外されそうで、アナタもたいへんね」
「お前は痛いところをズケズケと・・・」
「これを自分で改善の余地がないと思ったならその評価に満足したらいいのよ。十分練習してもうまくならないなら向いてないんじゃない?本当にこれをどうすればいいかわからないの?」
「いやー・・・」
「することがあるならしたら?私が何か言う以前の話だわ」

そうレポートを閉じてアボに返すと、は実験に目を戻した。
軽い気持ちだったアボは打ちのめされて、トランクスのところまで戻ってくると肩にもたれかかってズーンと重い影を背負おう。

「いや、ほら、もアボのためを思って・・・」
「お前はすげーよな・・・、あのと渡り歩いてさ・・・。オレ、ムリ」
「あ、はは・・・」
「さっき先生に聞いたんだけどさ、あいつこのレポートで評価トリプルAだったらしーぞ」
「そうなんだ、すごいな」
「すごいじゃねーよ、評価なんてフツー最高でもAAだぞ?なんだよAみっつって、ありえねーよ」
「へぇ・・・」

アボは突き刺さった言葉が胸から抜けず、テーブルにうなだれる。
そんなアボの様子をまったく気に留めずは実験から目を離さない。
その間でトランクスは、ハハと苦く笑いをこぼした。



実験が終わって、その日すべての授業が終わるとトランクスの初めての学校も終わった。
実験室から出ようとするとは教授に呼び止められ、先に戻っててと言われトランクスはアボと教室に戻っていった。クラスメイトたちが放課後を楽しんで和気あいあいと出ていく中、トランクスもアボや他の友達に遊びに行くかと誘われるけど、断って教室でを待った。

「あの、トランクスさん!」

次々と人が出ていき静かになった教室で、甲高い声で名を呼んできたひとりの女の子。同じクラスでは見かけなかった顔で少し焦ったけど、”さん”と呼んでくるからにはそう近しくもないんだろうと、駆けよってくる女の子を見ながらトランクスは思った。

「あの、トランクスさんは、やっぱりさんとお付き合いしてるんですかっ?」
「・・・え?」

目の前に来るなり、覗き込むようなにらみあげるような必死な瞳を向けられて、トランクスは少したじろいだ。

「いや・・・、そういうことは、俺の口からは・・・」
「今日ずっと一緒にいましたよね!いつも、そうなのかなーって思ってもそんなに一緒にいないから違うと思ってたのに、今日は何なんですかっ?」
「え?いや・・・、今日はちょっと特別で・・・」
「トクベツってなんですか?やっぱり付き合ってるんですか!?」
「あー・・・」

あまりの勢いに後ずさってしまう。トランクスにはその子が何なのか、何がしたいのかもさっぱりわからない。
だけど、きのうからトランクスが見てきたは自然に家にも家族にもなじんでいて、この世界の自分とも当たり前に隣り合っていて、それは聞いた通り恋人同士に見えていたのに、クラスメイトたちはそれをまるで知らないようだった。いちばん仲がいいんだろうアボでさえ、二人のことを「いい感じ」と言い表していた。なぜかはわからないけど、それだけにヘタなことは言えない気がしていた。

「アタシ、さんはトランクスさんには合わないと思います!それにさんにはキュールさんがいるじゃないですか!」
「え?」
「アタシ見ちゃったんです・・・、さんとキュールさん、きのう夜までずっと一緒にいましたよ、ふたりで!」
「え・・・」

その時トランクスは、そういえば朝キュールがに「きのうはありがとう」と言っていたのを思い出した。

さんはキュールさんとトランクスさんとどっちにもいい顔してるんじゃないですかっ?」
さ・・・、は、そんな人じゃないよ」
「でも実際に!」
「自分がだれを好きになるかは自分で決めることだよ。人にどうこう言われることじゃない」
「だ、だけど!」
は大事な人なんだ。悪く言われると、気分悪い」
「そんな・・・」

大きな瞳に涙をためて、怒った顔で女の子はプイと顔をそむけ走っていった。パタパタ遠ざかっていく足音がやがて消えるとトランクスはふぅと息をついて、何事もなかったことに安心する。
そしてそのままトランクスは教室の出口へ向かい、ドアの向こうを覗き込んだ。するとそこにはドアを背に立っているがいて、顔を出したトランクスと目を合わせた。

「隠れてないで助けてくださいよ」
「私が出ていくと余計にややこしくなるかと思って」
「何なんですか?さっきの人」
「アナタのファンじゃないですか?」
「”オレ”って人気あるんですね。あー焦った・・・」

ふふと笑って、が教室に置いたままだったカバンを取ってくるとふたりは教室を出ていった。

「私すこし図書館に寄っていくので、先に帰ってます?」
「図書館って、またタイムマシンのことですか?オレも行きますよ」
「でもこれから悟飯さんのところに行くんでしょ?」
「ああ・・・、でも、今日じゃなくてもいいし。それにオレ、母さんにちゃんとさんを連れて帰ってこいって言われてますから」
「そんなこと・・・。でもきっと遅くなるから、時間がもったいないですよ」

トランクスは平気ですよと笑って、一緒に図書館へ歩いていった。
はなるべく早くすませると言ったけど、選んできた本を積み上げて机に向かうと、まだ日没前だった外はあっという間に暗くなっていった。

さまざまな本がそろっている大きな図書館で、トランクスも目についた本をとって時間を過ごす。日が沈むにつれ人がいなくなっていくそこにある音は、天井で動いている大きな空調と時計の針の音だけ。トランクスは本を一冊読み終えるたびに窓辺の机でノートにペンを走らせてるに目をやるけど、もうその意識のどこにも入りこむ隙間はなさそうで、また新しい本を手に取った。



空はどっぷりと暗くなり、街はまぶしい明かりでぼんやり光る。
夜の明かりが広がる窓の前で頬杖つくトランクスは、何の変化もない景色を見続けて数時間が経つ。まだかまだかとボヤいていたのも通り越して、睨み上げるように眉をひそめていた。

「・・・遅い!」

学校が終わる時間はとっくに過ぎ、だけど夕食の時間になっても、それが終わってもが帰ってこない。昼からずっと時間を持て余していたトランクスは待ちくたびれて、1分1秒がいつもよりずっと長く感じた。

「トランクス、先にオフロ入っちゃいなさい」
「あとでいーよ」
ちゃんならまだ帰ってこないわよ、さっき電話あったから」
「え、なんて?」
「電話してきたのはトランクスのほうだけど、ちゃんが図書館にこもっちゃったから遅くなるって」
「また?絶対タイムマシンだよアイツ・・・」

きのうからの様子を見るからに確実にそうなるだろうことは予想していたトランクスは、はーあと重くため息つきながら立ち上がって部屋を出ていこうとした。

「どこ行くのよ」
迎えに行ってくる。あいつバイクないんだろ?」
「あっちのトランクスが一緒だからいいわよ」
「え?あっちは悟飯さんのとこ行ったんじゃないの?」
ちゃんと一緒に図書館にいるみたいよ。悟飯くんちは明日にするから連絡しといてくれって電話してきたから」
「なんだそれ・・・」

せっかくこの世界に来ておいて、会いたい人にも会いにいかずに付き合って学校にこもってる。いよいよ意味がわからない。

「けっきょくアイツは何しに来たの?」
「なにって、そりゃあの子なりに思うことがあるんじゃないの?」
「・・・アイツ、ここに住む気だったりして」
「なにバカ言ってんのよ」
「だってアイツの世界は人造人間にボロボロにされたんだろ?こっちの世界のほうがなんでもそろってるし、苦労ないし楽しいし」

どう見たってこっちのほうがいいに決まってんじゃん。
窓辺のソファに戻ってトランクスはどさりと座りながら言う。

「・・・それもそうねぇ、こっちのほうが年の近い子もたくさんいるだろうし、案外あの子、恋人探しに来たのかもねぇー」
「はは、ここで見つけてどうするんだよ。未来連れて帰るの?」
「だってあっちじゃほとんどの人が殺されちゃったっていうじゃない?学校に行きたいって言ったのもそれが目当てだったのかも。だとしたら今日いちばん一緒にいたのはちゃんよねぇ。あの子とちゃんてなんとなく似たとこあるし、分かりあえるんじゃないかなー」
「は?」
「図書館なんていうのも口実で、今頃ふたりでどこか行っちゃってるかもねぇ。アンタなんでも持ってるんだからちゃんはゆずってあげなさいよ」
「何言ってんの、そんなのあるわけないじゃん」
「アラ、どうして?」
「どーしてって・・・」

だって、あのだよ?あるわけないじゃん。
はそんな、きのう今日会ったようなやつと仲良くなるほど・・・
あ、でもアイツは一応オレでもあるし・・・
でもだからって、そもそもは今の俺でさえそう簡単になびいてくれるようなヤツじゃ・・・。(いや、それもどうなんだ・・・)

ブルマに何を言い返す前にトランクスは自分の思いの渦に巻き込まれていく。そんなトランクスを見下ろすブルマは口を隠してホントにバカねとつぶやいた。

「あ、帰ってきたみたい。意外と早かったわね」

ブルマが窓の外を見ながらそう言うと、トランクスも立ち上がり同じように外を見下ろした。ライトを灯しているエアカーが家の前で止まりそこからふたつの影が出てきて、妙な不安にかられているトランクスは闇の中のそれを思い切り凝視した。

「おかえり、学校どーだった?」
「はい、楽しかったです」

しばらくして、積み上げた本を持つトランクスとがリビングルームに入ってくる。
一日経ったいま見ても、同じ姿のもうひとりの自分にはまだ違和感を感じる。自分なら学校に行ったくらいであんなにうれしそうな顔はしないけど、と入ってきたふたりを頬杖ついた顔で覗きながらトランクスは思った。・・・けど、自分の服を着て自分のカバンを背負っていれば、絶対に誰も気づきはしないだろうなとも思った。

「カバンありがとう。出したレポートB判定だったよ」
「あ、そ・・・」
さんはトリプルAだって」
「ト、トリプル!?」

トランクスは驚いてを見るけど、はトランクスが運んでくれた本を受け取ると自分の部屋に歩いていった。その時がありがとうと言ったのがあまりに自然で目に付いた。

「やっぱりすごいことなんだ、アボも驚いてた」
「ああ、アボな・・・。そりゃすげーよ、トリプルなんて普通ありえねーもん。やっぱおかしーよアイツ・・・」
さんはスゴイ人だよな。今日一緒にいただけでもよく分かった」
「まー、そうだけど・・・」

自分と同じ顔をして、そう素直にはスゴイなんて言われると、さらに違和感が増す。聞いてるこっちが気恥しくなってしまうような。

「トランクスごはん食べるでしょ?ちょっと待ってね、もっと遅くなるかと思ってたからまだ準備してないの」
「たぶん俺に気遣って早く終わらせてくれたんだと思います」
「だからあんなに本持って帰ってきたのか・・・。頭ん中タイムマシンのことばっかなんだろーなぁ」
「休み時間は時空移動の本も読んでたけど、図書館ではずっと古代史?の勉強してたよ。遅れてる分を勉強しとかなきゃいけないからって」
「遅れてるって・・・、は古代史なんて勉強してないよ」
「でも夏が明けたらコース変わるんだろ?夏休みはほとんどその勉強で終わるって言ってたし」
「は?」
「え・・・?」

夏が明けたらコースを変える?考古学の勉強・・・?
聞いたこともないその話が、トランクスは何のことか分からなかった。

「ああ、それなら私が勧めたのよ。ちゃんはそっちのほうが好きそうだったから、好きなこと勉強したらって」
「なにそれ、聞いてないよそんなの」
「決まったら言うつもりだったんじゃないの?」
「決まったらって、それじゃ遅いだろ」

立ち上がり歩いていくトランクスをブルマは呼びとめたけど、トランクスは制止を聞かずに部屋を出ていってしまった。

「あーらら、アレじゃケンカになるわね」
「え?俺、止めてきます」
「いいのよ、アンタのせいじゃないから。ちょっと突っつきすぎたかしら・・・、でもあの子があんまり分かってないこと言うからさー」
「え?」
「ま、ちゃんのことはいずれ噴火することだったのよ。ヘタに間に入ると飛び火してくるわよ。ほんっとコドモよね、育て方間違ったかな・・・」
「・・・」

ヤレヤレと腰に手をあてため息を吐くブルマは、そのままキッチンに入っていった。

そんなブルマの予想通り、トランクスの足は真っすぐの部屋へ進んでいく。閉まっているドアの開閉ボタンに手を伸ばすと、ボタンに触れるより先に扉が開いて中から出てこようとしたが姿を見せた。は突然前にいたトランクスに驚いて足を止め、だけど驚きの声を出すのは何とか押し止める。

、あのさ、」
「・・・ビックリした、なに?」

気が迫っているようなトランクスの口調。
けどはそれでこのトランクスがどちらのトランクスか分かり、ようやく声を出せた。

、考古学の勉強してるって・・」
「うん?」
「後期になったらコース変えるの?」
「うん」
「・・・うんって、」

が少しでもためらったなら、いつ言おうか迷っていたとでも言おうものなら、反応の仕方があった。話の進め方があった。けど素直にまっすぐ見上げてくるの目にはまるで陰りがない。

「なんでそういうこと、俺に言ってくれないの」
「・・・そういう話、してないでしょ?」
「そういうことじゃないよ、普通言うよ、決めた後じゃなくてさ、そうしようと思ってるときに一言くらい」
「そう?」
「・・・」

が、自分のことを人にこぼさないことなんて、前からあったことだ。
今まで何度も、ぜんぜん気を許してくれない、頼ってくれないと思ってきた。

だけど、今でも?

「なんでそうやって全部ひとりで決めちゃうんだよ」
「私のことじゃない」
「そうだけど、」
「コースが変わるだけよ、学校が変わるわけでもないじゃない」
「コースが変わったら今までとぜんぜん違うじゃん」
「今までと同じじゃなきゃいけないの?いつも一緒にいないとダメなの?」
「・・・」

しだいに問い返すの言葉が静かに強くなっていく。
素直に見上げていた目はだんだんと呆れてるような表情になる。

違う。そういうことを言いたいんじゃない。
そんなことを言ってほしいんじゃない。そんな言葉が聞きたいんじゃない。

ただ、

「アイツは知ってたじゃん」
「え?」
「なんであんな当たり前みたいに言われなきゃなんないんだよ」
「なに?」
「・・・」

ゆらり、胸の中でくすぶっていたものが微動する。
何を見ればいいかわからなくて、何がしたいかわからなくて。
空気しかつかむものがなかった拳がみしりと骨を締め付ける。
その拳をドア口に叩きつけると、その音にが身をすくめた。

「ちょっと・・・」

変形し壊れたドア口から壁にかけて深くヒビが走り、はまたトランクスに目を上げるけど、髪の切っ先がふわり揺れるトランクスは静まらないまま向きを変え、ゆるやかにカーブしている廊下を奥へ歩いていった。

「・・・」

ピリピリと肌がささくれていた。
気を落ちつけようとしても内から内からこぼれくる。
体から力が抜けなくて、息がうまく喉を通らなくて、胸がつかえて。

握りしめたいのは自分の拳じゃないのに。
ただずっと空気しかつかむもののなかったこの手で、やっと触れたかっただけなのに。