09. Dark clouds
ランチの時間だと言うのに、晴れきらない曇り空のせいでうす暗い食堂。
窓辺のカウンターテーブルで本を開いているは、次のページをめくることも忘れてそんな空を見上げていた。
「どうしたの?」
天気が悪かろうと若い声が騒々しい中、ふとかけられた声に振り返ると、すぐそばに立っていたキュールがニコリと笑いかけた。
「なにか悩みごと?」
「いいえ、なにも」
「それ、なんの本?」
隣の席に座りながら、キュールはの目の前で開かれている本を差す。
は差された本を見下ろし、その表紙を見た。
「自分の読んでる本も分からないほど、なに考え込んでるの?」
「・・・」
何を考えているか。も思い出そうとした。
灰色の空を見上げ、何を考えていたのだっけ。
「あ、いた!ー!」
そううしろから声を上げ駆け寄ってきたアボが、悪いなとキュールとの間に割りこんでくる。
「なんなんだよアイツ!」
「なにが?」
「トランクスだよ!朝からずっとダークでさ、どーしたんだって聞いても答えないし、さっきの経営学の授業なんてディスカッションに参加しないもんだから他のヤツとケンカしそーになったんだぜ!?」
「・・・そう」
「とケンカでもしたかって言ったらキレてどっか行っちゃったからさ、そーなんだろうと思って。もーなんなんだよアイツ、きのうはやけに機嫌よかったクセしてさぁー」
は今朝トランクスが起きてくるより先に家を出て、トランクスは授業開始ギリギリにやってきてうしろのほうに座っていたから、一度も顔を合わせていなかった。普段からよく一緒にいるアボでさえその態度にこれほど憤慨しているとなると、トランクスは一夜明けた今でもまだきのうの不機嫌さを引きずっているようだった。
「ふーん、そんなことがあったの」
アボが背を向けている向こう側で、キュールがそう笑みを含みながらつぶやく。
「、この間の続き教えてほしいんだけど、今日の放課後どうかな?」
「今日はちょっと・・・」
「そう、じゃあ明日にしよう。空けておいてね」
「でも私・・」
キュールはそう言い置くと、の言葉も聞かずにふたりから離れていった。
「この間の続きって?」
「グループ研究よ」
「あ、もしかしてきのう言ってた、きのうはありがとうってヤツ?」
「うん」
「、それトランクスに言ってないだろ。アイツがキレてんのはソレかぁー」
「どうして?」
「そりゃにとっては勉強の一環かもだけどさ、キュールはどー見たってそれだけじゃないんだから、そりゃ心配するって。しかもふたりきりだった日にはお前・・・」
「そうじゃなくて、予定とか、その日あったこととか、ぜんぶ話さなきゃいけないの?」
「いけないっていうか・・・、フツーの会話だろ?」
「だから、聞かれてたら話してたわよ。そんな話しなかったから話さなかったんじゃない。それがそんなに怒ること?」
「うーん、まぁ内容によるけど、やっぱキュールとはふたりきりでいられたら心配だろ、彼氏としては」
「彼氏・・・?」
「・・・。え、違うの?」
「・・・」
”彼氏”・・・?
「え?だってさ、お前ら最近ずーっと一緒にいるよな?」
「ずっとじゃ、ないけど」
「だけどさ、アイツがのこと好きだってのは知ってるよな?ていうか言われたことないの?」
「・・・」
キュールがいなくなった席に腰かけるアボは、小声でに聞き寄った。
”俺が好きなんだよ”
あれは、聞き落としてしまいそうなくらい、あまりに自然な吐露だった。
「じゃあたとえばさ、アイツってやっぱモテんじゃん。顔アレだしスポーツもアレだしオマケに家もアレだし」
「アレが多いたとえね」
「いーんだよレポートじゃないんだから!でさ、そんなだからいっつも女の子にワーキャー言われてるわけだ。体育のときとか見ててわかるだろ?それをお前はどー思う?」
「どうって、キュールも同じじゃない」
「・・・うん、じゃあな、ある日ひとりの女の子がトランクスにスキです!と告白してきたとする。その子がまた押しの強い子で、あまりに必死だからトランクスは断りきれないでいる。アイツ押しに弱いとこあるからな。それどう思う?」
「情けない」
「・・・・・・うん。じゃあ、トランクスがその女の子と付き合うことになったらどーする?なんか、あんなに必死になってくれて、カワイイなって思えてきちゃってさ。は・・・オレのことなんて好きじゃないみたいだし・・・、あの子と付き合うことにしたよー。とか言い出したらどうする?」
「・・・」
それまで間もなく答えていたの返答が少し止まって、アボは「お」と口を丸くする。
「それは、その女の子と彼との間に生じる問題で、私が介入することじゃ」
「それは結論だろ?そこに行きつくまでの話だよ」
「それとあの人がいま機嫌を悪くしてることと、どこが関係あるの?」
「わかんないなら言ってやろーか?」
「なによ」
「結局、お前はアイツのこと好きなの?」
ビクリ、の口が止まる。
「まー俺はキミとずっと一緒にいるのちょーっとツライけど、アイツはずーっと一緒にいたいんだよ。お前のこと好きだからさぁ」
「・・・」
「の話ならなんでも聞きたいし、のためなら何でもしてやりたいし、自分のことにももっと介入してきてほしいーんだよ。なぜって、アイツはお前のことが好きだからさ」
クルクル、クルクル。
目を合わさなくなったの隣で、アボはイスを回しながら言う。
”のこと分かりたい”
そう言って、閉ざす扉も押しのけて、歩み寄ってきた。
”俺のことも知ってほしい”
そう言って、誰にも言わずにきたことを、怖さも押し隠して話した。
「・・・」
なぜって、アイツはお前のことが
「あとさ、これは俺の興味半分なんだけど、俺てっきりお前たちってもうキスくらいしてると思ってたんだけど?」
「・・・」
ビタリとイスを止めたアボの質問に、は一度はっきりと瞬きをして口を引きつぐんだ。
そのあまりに純な反応を見て、騒々しい食堂に「アホかぁー!」とアボのひときわ大きな叫び声が上がった。
トーランクスー。
ぼんやりした曇り空に放つようにアボの声が屋上の、そのまた上に響き渡る。
屋上のドアの上にある水槽タンクの上に、トランクスらしい髪色がサラサラと見えていた。
「昼メシ食わないの?休み時間終わるよ」
「うん」
「授業でないなら帰れば?」
「出るよ」
「あ、出るんだ。いるのに。ケンカしてても離れたくねーんだ、かっわいーねー」
はしごを登って、頭の上からひょっこり顔を出したアボにその名前を出され、タンクの上で寝転がるトランクスは正面の空に向いていた目線をさらに上げてアボにあてた。
「ていうか、っておもしれーよなぁ」
「・・・なにが?」
「もしこの世にレンアイの授業があるなら、アイツは確実に赤点を取る。俺さっきスゲーおもしろかったもん。俺でもアイツに勝てるとこあった!って思ったね」
「なに話したんだよ」
ぶくくと笑うアボの話が気になって、トランクスは体を起こす。
「はさ、頭ん中ぜんぶ方程式でできてんだな。数字並べて解決できることは得意だけど、答えのない問題は頭っから考える気がないんだよ。だからアイツもいま闘ってるとこなんだって、アイツなりに」
「・・・何が言いたいんだよ」
「ちゃんと話せば簡単にオチがつくんだよ、お前たちの問題は」
「・・・分かってるよそんなの。のことだけじゃないんだよ、俺がいま考えてんのは」
「他に何があんの?」
「あるんだよ、いろいろ」
「いろいろねぇ」
気分を発散できずにトランクスはガシガシと頭をかく。
「お前はほんとオボッチャンだよなぁ」
「はぁ?」
「だいたいなんでもできて、ほしいものもほとんど手に入って、なんでも思い通りになるのが当たり前になってんだよ。だからちょっとうまくいかないだけでそんな堂々とキレられんだよ」
「そんなこと思ってねぇよ」
「だってきのうはあんなにご機嫌だったのに、たった1日でコロっと変わっちゃってさ。きのうのお前はかわいかったぞー?気味悪いくらい素直でハイテンションで、きのうこそ何があったんだよ。いつになくにもベッタリだったしさ」
「・・・きのうのは、俺じゃないし」
ぼそりと小さく出た言葉にアボは「は?」と返す。
説明するわけにもいかず、なんでもないと答えた。
「とにかくなぁ、お前がそーやってに背中向けてる間にも、キュールはちゃっかりのことかっさらう気だぞ。きのうみたいにちゃんとは俺のだってとこ見せないと」
「きのう?」
「あ、そういやお前、きのう下級生の女の子に恋人宣言したらしーな!下で大騒ぎらしーぜ、そーいや食堂でもけっこー騒いでたかも」
「・・・」
きのうの自分が何をしたか、もちろん知らないが、気分のいいものではなかった。
普段の学校で、トランクスはそういつもと一緒にいるわけじゃない。
まったく関わりのなかったときに比べれば断然会話はあるけど、どこから見ても恋人同士、なんていわれるほどいつも一緒にいることはなかった。
なのに・・・
「キュールが明日デートしよーて誘ってたぞ。いーのかほっといて」
「がいいなら、いいんじゃない」
「あらら」
夏の湿気た風が気持ち悪く素肌を撫ぜる。
こんな高いところにいても空は晴れず、気分も晴れない。
「じゃーお前ら終わりだな」
やけに呆気なく言うアボに、うつむいていたトランクスは思わず視線を流す。
「俺、キュールってスゲーと思うんだよな。アイツはが自分にぜんぜん興味ないの分かってるよ。あのキュールがだぜ?どんだけプライド傷つけたかわかんないよ。それでもぜんぜんめげないんだから、スゲーよな」
「・・・」
「お前もそーだと思ってたけど違ったんだな。ま、他にもっと素直でかわいー子なんて山ほどいるんだから、なにもジュニアが二人して同じ女取り合うことねーよ。お前が下りるなら今度はキュールが楽しめばいーさ、おつかれさん」
ポン、とはしごから飛び降りて、アボは校舎の中へと消えていった。
校舎のてっぺんでさらに強く巻き上げる風が髪を煽って、べたりと頬に張り付く。
「・・・違わねーよ」
べつに、想いが欠けたわけではない。
前よりも強く、大きくなってるくらいだ。
けど、どうしたって欲は出てきてしまうんだ。
好きになったらなっただけ、返してほしいと。
「あー、クソ・・・」
ガシガシ、頭をかきむしっても気分は空にさえ溶けない。
だからといってタンクに穴を空けるわけにも、校舎にぶつけるわけにもいかない。
体中に渦巻く形ないモヤをどこに流せばいいかわからず、ストレスになるばかりだった。
それでも時間は変わらず流れ続ける。
学校中に午後の授業が始まるチャイムが鳴り響いて、騒々しかった学校が静かになっていく。
苦い思いを噛み潰したまま屋上から下りていくトランクスは、言われてみれば少し視線が集まってるような廊下をひとり歩いていって、教室に行きつく。ドアの窓から中を見ると先に帰っていったアボが友だちと笑ってる顔が見え、机の前のほうにはの小さな頭も見える。その隣に席をとってるキュールも。
なんだか、自分が立っているところとこのドアの向こうが、離れているような気がして。別の空間な気がして。
ドアに手を伸ばせないトランクスは、踵を返し教室から離れていった。