10. Oppression

昼の空を飛んでいくとエアカーとすれ違いぶつかりそうになる。
人々は何だあれ?と都の空を横切り消えていく飛行物体を見上げた。

「トランクス?なによ、早いじゃない」

大きな敷地を有するカプセルコーポレーションまで飛んでくると、トランクスは力を抜き広い庭に降り立った。隣接する研究所の外で大きな飛行船の組み立てを見ていたブルマは降りてきたトランクスに気付き声をかけたが、他の研究員たちは突然空から降ってきたトランクスに目を丸くして、ブルマは新しい発明のためしよと誤魔化した。

「アンタ学校は?」
「フケた」
「またぁー?だったらあっちのトランクスに行かせてあげればよかったのに」

タバコをふかすブルマの前を通り過ぎ家の中に入ろうとしたけど、その言葉を聞いてトランクスはふと足を止める。

「アンタさぁ、ちゃんをそばに置いておこうとするけど、それってアンタのワガママでしょ?前ならそれがちゃんのためになったけど、もうそうじゃないんだから分かってあげなさいよ」

ワガママ?
トランクスはその言葉に眉をひそめる。

「あっちのトランクスが呆れてたわよ。どうしておんなじ子でこうも違うのかしらね」
「そういうのやめてよ」
「なにが?」
「違って当たり前だろ、俺とアイツは別人なんだから、一緒にすんなよ。ほんと何しに来たんだよアイツ、遊び半分で人の世界かき乱して楽しいかよ」
「アンタ、どーしてそんな風に考えちゃうの?あの子はそんな子じゃないの」
「知らないよそんなこと」
「あの子はずっと苦しい生活をしてきたのよ。この世界がこんなに平和なのもあの子のおかげなの。アンタにも話したでしょ?あの子の時代にはもうみんないないんだから会いに来たっていいじゃない。なんでそれが分からないのよ」
「わかんないよ、俺はアイツの時代生きてないんだから!」

湧き立つ気持ちが、出口を見つけて飛んでいく。

「そんなにアイツがよけりゃアイツ息子にしろよ」

吐き捨てて、トランクスは家の中へ入っていく。
それを見届けて、ブルマはヤレヤレと煙を吹き出した。




日が少し傾き、強い西日が街を照らす時間にはカプセルコーポレーションの前に降り立った。バイクをカプセルに戻し、広い庭の研究所のほうを見ると、あまりの大きさに建物の外で整備している飛行船と多くの研究員たちが見える。

「おかえりちゃん、今日仕事だっけ?」
「はい、すぐ行きます。あの・・・、彼、帰ってますか?」
「あーあの子?昼ごろ帰ってきたわよ、部屋にいると思うわ。ぜんっぜん機嫌直ってないみたいだから、ちょっとご機嫌取ってあげてよ」

作業着の腰に手を当てるブルマにうなづき返し、は家の中へ入ろうとした。
だけど、背を向けたブルマの「あら、トランクス」という声を聞いて振り返り、ブルマと同じく空を見上げると、その先からトランクスが降りてきてふたりの前に降り立った。

「早かったじゃない、てっきり夜まで帰ってこないと思ったのに。もういいの?」
「はい、クリリンさんも一緒に悟飯さんの家に行ってたくさん話できたし、悟天くんやパンちゃんにも会えたし、悟空さんに組み手もしてもらいました」
「まったく、孫くんはそればっかりね。じゃあ晩ごはんはバーベキューでもしよっかな」
「あ、さん、これ悟飯さんからあずかってきました」

そうトランクスが差し出したのは1冊の分厚い本。受け取るは、最初のページに挟まれていた紹介状を見た。本は今朝、悟飯が電話で紹介したいと言っていた教授の著書で、はトランクスにありがとうと返した。

「大きいですね、飛行船ですか?」
「そーよ、もう完成するわ」
「すごいな、こんな大きなもの、朝にはなかったのに」
「中でパーツごとに作ってたからね。試運転が終われば明日には出せるわ。見てく?」
「はい!」
「あ、ちゃん、バーベキューするから準備手伝えってあの子に言っておいて」
「はい」

ブルマについてトランクスが飛行船のほうへと歩いて行くと、は家の中へ入っていった。
一瞬でどちらのトランクスかを見分けられるブルマをさすがだなと思った。
そのまま最上階までエレベーターを上がり長い廊下を歩いて、目的の場所に行きつく。

なんと声をかけようか、少し考えた。
そうしていると目の前のドアが開いて、目を上げると向かいからトランクスが静かな目で見下した。
その表情はきのうより幾分か落ち着いて、怒っているようにも見えない。
だけどトランクスは目を合わせているばかりで口を開かない。今までこうして相対したとき、いつでもトランクスが真っ先に口を開くから会話ができていたんだとわかる。

「これ、電磁気学のプリント。次の授業までに提出だから」

はカバンから一枚プリントを取りだし、トランクスに差し出す。
トランクスはそれに目線を落として、うんとつぶやき受け取った。

「それ、なに?」
「これ?地質学の教授の本。悟飯さんの大学の」
「なんで悟飯さん?」
「今朝、悟飯さんがこの教授に会ってみないかって言ってくださって」
「・・・それでアイツが持ってきたんだ」

つぶやくように言うトランクスは部屋の中へ戻っていって、庭が見下ろせる窓辺の机の上にプリントをペラリと手放した。

「あと、バーベキューするから手伝えって、ブルマさんが」
「アイツがいればじゅうぶんじゃない」
「アイツ?」

トランクスの広い部屋の、入り口と窓辺とで離れてるふたりの距離は近くはない。
は部屋の中に足を踏み入れ、トランクスのそばまで行くと同じように窓の外を見下ろし、飛行船の近くにいるブルマとトランクスを見た。

「どう思う?」
「何が?」
「アイツ。何しに来たんだよ」
「・・・平和になった世界の、その先が見たかったって言ってたけど」
「そんな話したの?」
「きのう」
「・・・きのうはずっと一緒だったんだもんな」

窓から目を離し机に腰かけるトランクスがまた少し不機嫌そうに言う。

「アイツが来てから父さんも母さんも普通に迎え入れててさ、当たり前に家にいて、メシ食ってて、学校にまで行って、それを誰も疑わないよな。母さんなんて特に」
「疑うって、何を?」
「自分ソックリの人間が自分の生活に入ってくるんだよ。それって気持ち悪いよ、普通」
「でも、ずっといるわけじゃないんだし」
「どうだか。アイツが俺のフリして学校行ってたって誰も気付かないんだよ。父さんも母さんも完ぺきアイツのこと信じ切ってんだし、俺がアイツに代わってたって誰も気付かないんじゃない」
「代わるって・・・、そんなこと思ってないと思うけど・・・」
「・・・」

には、トランクスが何にそんなにも機嫌を損ねているのかわからない。
苛立つトランクスの奥に隠れる小さな恐怖もわからなかった。

「なんであるわけないの?まで、アイツのなにをわかってんの?」

立ち上がり、を見下ろし詰め寄るトランクスは口調を強めて、昨夜のような不穏さをかもし出す。
は言葉に詰まり一瞬離れると、その手をトランクスがつかみ止め、の手から持っていた本がどさりと落ちた。

「母さんたちがアイツのことを信じるのも、俺の知らない昔のことをアイツが知ってんのもわかってるよ」
「ちょっと・・」
「けど俺は知らないんだよ、母さんたちと同じようにアイツのこと理解しろって言われたって、わかんないんだよ!俺とアイツは同じじゃないんだよ!いちいちアイツと比べられたくないんだよ!」
「っ・・・」

体内をめぐり詰まっていた感情がボロボロとこぼれ出る。
ぎしり、トランクスの握る手が一層の手を強く締め付けた。

「い、たい・・・」

あまりの圧迫に思わず声が漏れると、トランクスはハと気づいて手を放す。
の押さえてる腕と、そっと見上げてくる目が、いたたまれず、だけど何も弁解できず、トランクスはから離れ部屋の奥で背を向けた。

「出てって」

額を押さえ、苦し紛れにこぼす声はさっきの力などウソにさせるほど弱い。
は一度息を呑んで、床に落ちた本に手を伸ばし、けどつかまれた手は痺れていて本を取ることができず、別の手で拾ってその部屋を後にした。
扉が閉じる音を聞いて、トランクスは額を押さえつけたまま膝を崩し、ベッドに苛立ちと自責と嫌悪とをなすりつけた。


扉が取り外され開いたままの自室に戻ってきたは、カバンと本を机の上に下ろし、掌で口を覆いドクドクと逸る心音を鎮めようとした。振動しているのはつかまれた右手か、落ち着こうと左手で覆っている口か、その奥の心臓か。
コクリと息をのみ、口にあてた掌を胸に下ろし、気持ちをなだめる。
早く、研究所に行かなくてはいけなかった。


ちゃん、今日はもう仕事いいからこっち手伝ってくれる?」

エレベーターを降り玄関を出て研究所に向かう途中で、家のテラスから庭を見下ろすブルマに呼び止められる。飛行船を見ていたブルマとトランクスももう家に戻りバーベキューの準備に取り掛かっていた。

「あの子どうだった?」
「やっぱり、まだ・・・」
ちゃんでもムリだったか。しょーがない、おなか空いたらいい加減下りてくるでしょ」

しばらくほっときましょ、とブルマがバーベキューのセットを組み立てる。
家の中では食材を切っているパンチーが見え、トランクスが炭の入った箱を持ってテラスに出てきた。

「母さん、これでいいですか?」
「うん、じゃちゃんそれ入れて火つけてくれる?」
「はい」
「俺がやりますよ」
「アンタはあっちのテーブルも運んでくるの」
「あ、はい」

ブルマの指示を素直に聞いて、トランクスはじゃあとにマッチ箱を差し出す。
トランクスが差し出すマッチ箱には手を伸ばすけど、それを受け取った途端、つかめずに手からこぼれカシャンと落ちた。は咄嗟にそれを拾おうとして、・・・そのとき初めて気がついた。

まだつかまれた感触の残る右腕が、熱を持ち赤く腫れていた。
外面には指の痕まで残り、マッチ箱ひとつつかむ力もないほどまだピリピリと痺れていた。

「どうしたんですか、それ・・・」
「あ、いえ」

同じくマッチ箱を拾おうとしゃがんだトランクスもそれに気付き、は咄嗟に手を引くけど、そのトランクスの声を聞いてブルマまでもがこっちに振り返ってしまった。

「うわ、どーしたのよソレ!ぜんぜん気付かなかった」
「大したことないですから」
「何言ってんの、どうやったらこんな、・・・・・・もしかして、トランクス?」

の右手を取り突然真面目になるブルマの言葉に、はうまく返せなかった。
それが自然と肯定となってしまい、ブルマはすっくと立ち上がると、家の中に入っていく。

「ブルマさん、本当に大丈夫ですから、」
「そういう問題じゃないの、これだけはぜったいに許せないの」
「お願いします、今はもう少し、待ってください」

は急ぎ追いかけ、いきり立つブルマの足をなんとか止めさせる。
憤り冷めやらないブルマだけど、お願いしますとくり返すに免じて気を静め、代わりに救急箱を取りに行った。

「あの、さん・・・」
「はい」
「腕、見せてもらえますか」
「本当に大したことじゃ・・」
「診るだけですから」

トランクスはそうの右手を取って、まだ熱く痺れを残す腕を痛みのない程度に触れた。
闘いを強いられた毎日で、ケガの処置の知識だけは十分にあったから。

「痛みますか?」
「いいえ」
「骨まではいってないみたいですね」

トランクスは様子を見に来たパンチーに氷水を頼んだ。

「本当に、これを、あの・・・」
「・・・」
「すみません・・・」
「アナタが謝る必要は、どこにも」

右手に触れ、神妙な顔をするトランクスはそれでもまたくり返す。
トランクスに謝る道理などなく、は笑い返した。

家の中から氷水の入った袋と救急箱を持ったブルマが戻ってきて、の右手を冷やし手当てをする。
ブルマはいつまでも怒りのオーラを巻き上げていたけど、は大したことないと言い続けた。
事実、腕の赤みはすぐに引いていった。食事の準備も手伝えた。

少しでも、なんでもないことにしたかった。
平気でいたかった。