11. forgiveness

家族で囲む夕食が進む中、は席をはずしトランクスの部屋に向かった。
ごはん食べないの?下りてきたら?
ドアの外から声をかけるけど、返ってくる答えはなかった。

相変わらず気持ち冷めやらないブルマは「頭冷やさせなさい!」と怒るのだけど、は笑い返すだけで、しばらくするとまたいなくなっていた。食事の後、お風呂に行く前、ブラを寝かしつけた後にと何度か部屋を訪れて、だけど返ってくる言葉はなかった。

手当てされた右手にもう痛みは響いていないというのに。
しょうがないとドアの前でひとつ息を吐いて、は部屋から離れた。


さん」

自室の階まで下りてきたを、薄明かりの廊下でトランクスが呼んだ。
その姿はやっぱり瓜二つではあるけど、様相で違うとわかる。

「何か、言ってましたか?」
「彼ですか?いいえ、もう寝てるのかも」
「・・・どうして、そんなに気にかけるんですか?」

トランクスには、手を痛めながらも歩み寄ろうとするの行動がわからなかった。

「明日、帰ってしまうんですよね」
「あ、はい、長居しすぎたので・・・」
「せっかく来たのにちゃんと彼と話せなくて、ごめんなさい」
「なぜ、アナタが謝るんですか?」

元の世界でもここで過ごした分だけの時間が過ぎているから、明日の朝には帰ることを決めた。
ささいな興味心から知らない未来にやってきた3日は、いままでのいつより早かった。

「アナタが私に謝ってしまうのと、同じかな」
「・・・」

白く浮かび上がるようなの右手。
ふとは、薄明かりの中ではわからないくらいにそっと笑む。
そのままはおやすみなさいと言い置いて、廊下を先へ歩いていった。









ほのかな明かりがもれる廊下。
ヒビが入った壁は修繕され、もうその跡はわからないほどになっている。
壊れたドアは取り外され部屋と廊下は筒抜けのまま、廊下に過剰な明かりを漏らさないよう部屋の明かりはつけず、はポツリと机上を照らしている明かりの中で本を開いていた。

時計の表示は、今日一日で蓄えたカウントをゼロに戻そうとしている。
毎日同じサイクルで繰り返す、狂うことも知らないデジタル時計。
目を離していればいつの間にか通り過ぎる1分も、こうしてずっと見つめていると、何よりも確実にその長さを思い知る。目を閉じて心の中で1秒を積み重ね、そっと目を開けてみると、数えた時間よりも秒数は先を行っていた。

生まれて死ぬまで、人は毎日同じ速さの時間に乗っているのに。
時計のようにうまくは刻めず、簡単にずれていく。

「・・・」

暗くて静かな今。
ふと小さな足音を耳にしたはうしろを振り向いた。
部屋も廊下も明かりのついていない、開いたままの暗いドア口にたたずむ人影。
微弱な机のライトがやっと捉える色、形。

・・・」

まるで暗闇を怖がるような、遠慮がちな小声。
は立ち上がり、小さなライトを背に浴びながら静かに歩み寄った。

「うん?」
「・・・」

いつもの見上げる高さ。いつもの輪郭、目の形。微弱に照らされる髪色。
違うのは、うまく合わない目線と、詰まる声。

トランクスは揺れる瞳を相対しているの右手にあてた。
手当てされたそこにそっと手を伸ばし、ほんの指先で触れる。

「痛い?」
「ううん」
「ごめん」
「大丈夫よ」
「・・・」

いまだ合わさらない目を、トランクスはチクリと刺されたように小さく歪める。

「なんで、怒らないの?」
「何を怒るの?」
「ケガさせて・・・、なんで俺を許せるの?」
「・・・許されたくないの?」
「・・・」
「責めたほうが、ラク?」

少しでも非があるなら、いっそすべてを被ったほうが。

「でもアナタは悪くないから」
「・・・」

やっと、上げられなかった視線がの腕から、その目に合わさる。
一寸の非も感じさせない瞳はすべてを理解しているような。受け止めているような。

く、と息が詰まって、トランクスはに腕を伸ばし、そっと抱き包んだ。
肌の柔らかさが手と腕に響く。体の形を感じ取る。髪のにおいが鼻を通る。
力のない柔らかな腕で。抱くというより、寄り添うような。

「・・・」

鼓動だけが聞こえてきそうな、暗くて静かな空間。
ほんの少しだけキュと力を込めたトランクスは、そっと離れ、間近でまたを見下ろす。
見上げているの目はまっすぐ自分に伸びている。
まるで当たり前なその居場所を、嫌がる様子も抗う様子もない。
しっかりと自分を映してくれるその瞳に吸い込まれていくように、重力にも逆らわず、トランクスは静かに距離をなくしていった。

髪先が触れて、視線が合わなくなって、静かにまぶたを伏せていく。
その瞳が閉ざされ、口唇が合わさる・・・寸前に・・・
は手をトランクスの胸に当て口を引き、合わさるのを止めた。

小さな力に制止されたトランクスは目を開け、目前のを見た。
もまたトランクスをジッと見つめ、だけどその目はつい今までのような柔らかさではなくて。

「アナタ、もしかして・・・」
「・・・」

のつぶやく声が、ふたつの体を離させる。


「・・・すいません・・・」


声にもならない大きさで、苦味を噛むようにトランクスがつぶやく。
その言葉と表情で、が抱いた小さな疑心がたしかになった。

シンと、耳鳴りがしそうなくらい静かな部屋。
ほのかな明かりは、余計に飲み込まれてしまいそうで。

「俺、どうしても、わからなかったんです」

少しの間何もできなかったトランクスが、の前でようやくポトリと言葉を漏らす。

「母さんも、さんも、もうひとりの俺のことをどうして許せてしまうのか・・・。俺なら、自分の機嫌で物にあたったりしない。自分の力で人に危害を加えるなんて、考えられない・・・」
「・・・」

自分の生きてきた世界で、物を壊すことは忌むべき非道だった。
人を傷つけることは、許せない悪だった。
潔癖なほどに、悪事は悪事と染み付いていた。

なのに、この世界ではそれが当たり前のようにされる。
そんなことをする自分がいて、そんな自分が許され受け止められている。
平和になった世界の、行く末の世界で、それが。

どうして?
物も、人も、壊れてしまったら終わりなのに。

「この世界は平和で、この世界の俺は幸せそうで、なんでも持ってて、みんないて・・・、うらましくないとは、言えない」

それらがあればどんなに幸せだったか。

「でも、俺は・・・」

そんなことを、思いたいわけじゃない。
うらやみたいわけじゃない。手に入れたいわけじゃない。まさか奪いたいわけじゃない。

ただ、ただ・・・

「わかるよ・・・」

聞き落しそうなほど、小さな言葉。
暗い中で見えるの表情は、溶けそうなくらいに静かで、でも確かに、悲しくて。

「そういう感情に呑まれたくはない」

心の内から内から浸食してくるものを、無理やり押さえつけてでも、そんな自分になりたくはない。
傍若無人にすべてをさらけ出し、ほしいものに貪欲に、心の中に灰をためて生きたくはない。
本当にほしかったのは、求めていたものは、そういうものの、もっともっと奥にある、ただただ純粋な、

「ただ、当たり前にあるものが、あればよかった・・・」
「・・・」

欠けた部分を、何かで埋めたかった。

ふと、トランクスの脳裏によみがえる。
きのうが問いかけた言葉。

状況とか、人のことを考えてではなく、

あなたは”幸せ”?

「私も自分には思えないけど、アナタには、言える」
「・・・」
「アナタは許せないかもしれないけど、うらやむことは、そんなに悪いことじゃないよ」

がにじむ瞳で見上げる。

自分では許せない。
だから、誰かに許してもらいたかった。

「俺が、もっと強ければ」

ぐと、息が込み上がる。

「もっと早く過去に行ってれば、もっと早くいろんなことに気付けていれば、せめて・・・、悟飯さんくらいは救えたのに・・・」
「・・・」
「俺がもっと、強かったら、母さんだってもう少しは・・・っ」

ボロボロ、ボロボロ、はがれるようにこぼれくる。
そんなこと、あってはならないと胸の奥に隠しておいたもの。
でもそれは、夜になると強い力で扉を叩き、ひとりになると、飲み込まれそうになって・・・
まさか、怖いなんて。自分が。未来が。平和が・・・。

「それでもブルマさんにはアナタがいる」
「・・・」

崩れていくかけらを、救い取るように、・・・の手が熱い頬を拭った。

「過去を変えてもアナタの未来が変わらないなら、アナタの世界を救ったのはぜったいにアナタだから、アナタは悪くない」
「・・・・・・」
「アナタは悪くない」

ポトリ、透明な雫が落ちていく。
すぐに溶けて見えなくなってく、闇色の一滴。

また一度伸ばした腕で、目の前の人をぎゅと抱きしめた。
怖がるよりも、守るよりも、思い切り抱きしめたかった。
自分の存在を確かめるように、強く。

そうして、ひとつ、わかった。

・・・」

思いやれないくらい、力もセーブできないくらい。
受け止めてほしい感情。吐き出したい想い。感じたい温度。

「一度だけ・・・、キスしてもいいですか・・・」
「・・・」

自分の中にそんな感情があったことを、そんな言葉があることを、驚いた。
力の抜けない手をぐと握って、惜しむように少しだけ、離れる。
細かく荒立った息を胸の奥に押し込んで、手に温度を感じたまま。
負けそうな感情を目の奥に抑え込んで、まっすぐその人を見下ろして。
見失わないよう、弱い掌を頬にあて。

今だけそっと、時空のはざまで。
もう二度と、重ならないから。

どうか、許して。