12. Back home

ふとんをただし脱いだ服をたたみ、ブルーの上着に袖を通す。
ケースに入ったカプセルを確認すると、胸ポケットに入れて外に出た。
チュンチュンと鳥が鳴く。澄み渡った朝の匂いはどの世界でも同じだ。

「トランクス、これ持ってって」
「なんですか?」
「服とかアクセサリーとか買いこんじゃってさぁ。平和になったんだからオシャレしたいじゃない。アンタのもいろいろ入ってるから」
「はい、分かりました。ありがとうございます」

ブルマからホイポイカプセルを受け取って、トランクスはポケットに入れる。
ベジータは今日も夜が明ける前からピスタの修行にかかりっきりでこの見送りの場には顔を見せていない。でもトランクスもさっきまで一緒にそれに加わっていたから、帰りの挨拶は済ませていた。

さん、いろいろお世話になりました」
「いいえ」

トランクスはブルマのうしろにいるに目を移し、手を差し出す。
手を重ねるはわずかな笑みを携えて見上げ、トランクスは穏やかにその目を見つめた。

「ちょっとちょっと、目で会話するなんてアンタたち、さては何かあったわね?」
「はは」
「アラ、否定しないわね」

ブルマがからかうように軽口をたたくと、トランクスはもう二度と触れ合うことのない手を惜しむことなく離した。

「あーあ、けっきょく最後までアイツはあのままか。見送りにも来ないなんて」

ゴメンねと申し訳ない顔をするブルマは、庭先から家の一番高い位置にある窓を見上げる。

「母さん、最後にお願いしたいことがあるんですけど」
「なに?」

そうトランクスは、ブルマが見上げた窓と同じところに目を上げる。
まだ昇りきらない太陽が光る、白くかすんだ朝の空。




コンコンとノックして、ドアの開閉ボタンを押す。
スライドするドアの向こうに広がる広い部屋の、奥のベッド脇で服を着替えているトランクスが静かにこっちに振り返った。

「俺、今から帰るんだ。いろいろありがとう」
「べつに、俺は何もしてないし」

ふいと目線を逸らすけど、はっきりしたその目は起きたばかりでもなさそう。
トランクスは部屋に一歩踏み入って、窓辺の机で学校の準備をしだすトランクスのそばまで歩み寄った。

「ひとつだけ頼みたいことがあるんだ」
「なんだよ」
を連れて行きたいんだ」

カバンに教科書をそろえていくトランクスは振り返りもしなかったけど、の名前を出すとその手をピタリ止め、ゆっくり振り返った。

「何言ってんだ」
がいいって言うならキミに止める権利はないだろ」
がそんなこと言うかよ」
「そうかな」
「ねーよ、あるわけないだろ」
「きのうとキスした」

ピクリ、トランクスは見据えていた目を丸くする。

は嫌がらなかったよ」
「お前・・」
「もちろんちゃんと俺だってわかっててしたよ。それって俺でもいいってことだよな」

目の前のものが分からない。
まるで鏡を見てるみたいな、でも今の自分じゃあり得ないほど穏やかに笑ってる、自分。

いつからかまったく静まらなくなった胸の内が、瞬時に圧縮されたみたいに凝固して。
気がつけばトランクスは沸騰した怒りを拳に込めて、思い切り殴りかかっていた。

「!」

けどその拳はパシンと簡単に止められた。

「俺はこの世界も、この世界のキミも羨ましいと思うよ。でもキミになりたいとは思わない」
「・・・」
「弱くはなりたくないからな」

滲み笑う目の前の自分に、ブツリ、頭の中で何かが切れた。
怒りで気を爆発させ2発目を振りかざしたトランクスだけど、それより早くに拳を突き返され咄嗟に両腕でガードする。けど想像以上に衝撃は大きすぎて、部屋の壁ごと外へ吹き飛んだ。
強すぎるパンチを押さえきれなかったトランクスは空中で何とか勢いを止めるけど、すぐさま目の前に現れたトランクスに握り合わせた両手を頭上から叩きつけられ、庭の地面に真っすぐ叩き落された。

「もう!庭は許すって言ったけど家まで壊していいとは言ってないわよまったく!」

ガラガラと家の上部の壁や窓ガラスが庭に崩れ落ちて、巻き起こる砂埃でゴホゴホむせるブルマが叫んだ。

地面に叩きつけられたトランクスは穴から飛び出て、空にいるトランクスにまた襲いかかる。最初よりずっと強くなったそれを避けるトランクスもまた攻撃を応酬する。その衝撃は大気を揺らし地面を揺らし、ビリビリと電気のようにあたりに撒き散らす。

だけどやっぱり、その生涯を闘いに注いできたトランクスに、力も技も及ばない。
同じ自分なのに、まるで効かない。まるで届かない。

「分かるだろ、自分がどれだけ弱いか」
「うるせぇっ!」
「弱いことがどれだけ悔しいか、分かるだろ」
「黙れっ!!」

散々畳みかけるも、どれだけでも受け止められる。流される。
なのに移動するスピードを追いかけきれない。最大にまで気を引き上げても押し返される。
普段父と組み手をしているときにどれだけ自分が手を抜かれているのかを思い知る。

勝てない。敵わない。届かない。守れない。
それがどんな結果を生むのかー。

「大事なものは死ぬ気で守らないとなくなるんだよっ」

受け止めきれない強い拳が顔面に入り、トランクスは大きく体勢を崩す。

「ぁああああっ!!・・・」

ついに沸点を超えた潜在意識が許された境界線を飛び越えて、ドンと大きく膨れ上がった気が金色の大気を弾いて飛び散る。その拳は目にもガードにも止まる前にかすりもしなかったトランクスの左頬に痛烈に当たり、トランクスは勢いのまま地面に叩きつけられた。

たかぶり過ぎた心が目に集まって流れ落ちそうになる。
荒い呼吸が止まらないトランクスは地面に降り立って、衝撃の穴の中で口に滲む血を拭うトランクスを見下ろした。

「なれるんだ、超サイヤ人」

突然発された言葉があまりに普通で、トランクスはつり上げていた目の力を抜く。
立ち上がって砂埃を払うトランクスは同じ地面に飛びあがって、また口元を拭った。

「ここまでやってもならないからなれないのかと思った」
「・・・?」
「ストレスたまるよな、本気だしたくても出来ないんだから」

もう目の前のもう一人の自分に闘う気はまるで感じず、トランクスは超サイヤ人をとき解いた。

「俺も、今の世界じゃ俺ひとりだから、思い切りやれたの久しぶりだな」
「・・・お前、何がしたかったんだよ?」
「この世界のことを知りたかっただけだよ。俺の世界もこれからどんどんこんな風になっていくんだろうし」
「・・・?」
「今までどれだけ死ぬ気で闘っても勝てない敵とやりあってきて、やっとの思いでそいつらを倒して、願ってた平和になれたのに」

まさか、誰にも言えなかった心の奥の、そのまた向こう。

「本当言うと、退屈だった」
「・・・」
「闘いが終わって、もう俺も必要じゃないみたいに思えた。空っぽだった」

まさかそんなこと絶対に思っちゃいけないことだと分かっているけど。
闘いのない世界はどう生きればいいかわからず。
何もない穏やかな時間は退屈で。

だから、平和になったあとの世界はどうなるのかなって。
その世界で、俺はどんな風に生きてるのかなって。

「だからこの世界でも父さんや悟空さんが修行続けてるの見てすごく励まされた。俺も修行続けていこうと思えた」
「お前は、サイヤ人なんだな」
「え?」

汗のにじむ額をぬぐい、トランクスは口の中にたまった血をペッと吐きだした。

「俺は父さんたちみたいにはなれない。それじゃやっていけない。人の中で生きてくのにこんな力なんの役にも立たない。こんな力ある分余計に厄介だ。ただ誰よりも強ければ勝てるってわけじゃない、この世界は強いだけじゃ守れないものがある」

それはを助けようと走り回ったときに、嫌というほど思い知った。
生きていく世界で、強くならなければ。大きくならなければ。

「悟飯さんや、・・・アイツみたいに、自分の道を見つけなきゃならない。まだ何も見つからないけどさ」

闘いが終わったと見て遠くからブルマと、が近づいてくる。

「自分の道か・・・」

どんな時代に生まれたか、どんな世界を生きてきたか。
そうじゃなく、これからどう生きていくかと考えなければ。
どの時代も。どんな世界も。

「あとひとつ聞きたいことがあったんだけど」
「なに?」
「学校で、キミとのことみんな知らないみたいだったけど、なんで隠してるの?」
「・・・べつに隠してるわけじゃないけど、みんながそーゆーこと知らないほうが、アイツが生きやすいんだよ」
「・・・」

のため、か。

「・・・そーいやお前、アレウソなんだろーな」
「アレ?」
にキスしたってヤツ」
「ああ、ハハ」
「ハハじゃねーよ、どーなんだよオイ!」
「いいじゃん、俺はキミなんだから」
「よくねーよ!」

性格も考え方も、環境もスタイルもまるで違う。仲間とも家族とも友達とも違う。
でもこうしてるとやっぱり鏡を見ているようで。

「トランクス!あーあ、アンタばっかり傷だらけね」
「うるさいな」
「ほらトランクス、帰る前に手当してあげるわ」
「大丈夫ですよ」

間違えることはおろか、迷うことさえ一度もなかった、この人の息子で。
それがどんなにすごいことか、どんなにうれしいことかも知らずに。

「じゃあ俺は帰ります。本当に、お世話になりました」
「元気でね」
「はい」

トランクスは胸ポケットから取り出したホイポイカプセルを投げる。
ボンと煙の中から現れる、たまご型のタイムマシン。少しかすれた「希望」の一文字。
もう二度と見ることのない。もう二度と会うことのない。

乗り込んだ機械は空に上がって、ブンと光をまとう。
手を振る母と、傷だらけの自分と

「さよなら」

静かに見上げているに、小さくつぶやく。
高い空から目を合わせていると、締め付けられるように、胸の奥が鳴いた。

初めて聞いた音。


光が景色を飲み込むと、時空が揺らぎ開かれた隙間へと吸い込まれていく。
ほんの一瞬のうちに存在ごと跡形もなく消えた。

こことは違う、別の世界へ。
母さんのいる世界へ。

さよなら。