ガラパゴス創世論




せっかく構想を練った次号のネームを、雄二郎の伝達ミスにより描き直すエイジは相変わらずハイペースに白い紙を埋めていく。
通常、ネームは先週号の順位や読者の反応を踏まえつつ担当と今後の展開を話し合い描きだすのだが、エイジは思いついた瞬間に描きとめていくのがクセとなっているため、担当を待たずして描き上げてしまう。今まですぐ原稿に起こしていたエイジは、やっとネームを描くことを覚えたけど、考えて描くタイプではないエイジにとってはこの発想と瞬発力が何よりもまず大事なものだった。

「ええー?あたしエージの彼女なんかじゃないよー」
「あれ、そうなの・・・?」

ヘッドホンを頭に、エイジが腕を大きく振り叫びながらネームを仕上げていく間に、あの開きっぱなしだったエイジの寝室からが、またあのギリギリのワンピース姿で出てきた。雄二郎は、福田や中井が言っていた「あのカッコウ」とはこのことか、と思いながら、はじめましてーと声をかける。

「エージに彼女なんてできるわけないよ。マンガばっかり描いてるんだから」
「まぁそれは分かってるんだけど・・・。じゃあちゃんは新妻くんとはどういう関係なの?」
「関係?うーん・・・、親戚、同級生、友だち・・・?」
「あ、親戚なの?」

先程のエイジの驚愕な発言から、これはもう関係性に間違いなしと思った福田と中井だったけど、洗面所で顔を洗って出てきたの答えは意外なものだった。はまだぜんぜん乾いていない自分の服をハンガーにかけながら、指折り思いついた単語を口にしていく。

「イナカだもん、近所に住んでる人は遠いか近いかの違いだけでみんなだいたい親戚だよ。あたしのお父さんのほうのおじいちゃんのお兄ちゃんの娘の子どもがエージのお父さん」
「へぇー!って、よくわかんないけど・・・」
「5こ上とか10こ下にはいっぱい同世代の子いるけど、あたしたちは中途半端な時に生まれたからあたしとエージだけで。あとあたし小さいときからピアノやってて、うちあんまり大きくないからエージの家にピアノ置かせてもらってたの。それでほぼ毎日通ってたから兄弟みたいなものかなぁ」
「新妻くんの音楽聴きながらマンガ描くルーツはそこにあったんだな」
「あ、なるほどー」

少しずつ明らかになっていく二人の関係を、福田たちはまるでテレビドラマでも見ているような感覚でとき解いていく。でも二人が遠いとはいえ親戚と聞くと、さらに先程のエイジの発言を疑問視してしまうのだけど、小さな手鏡を覗きながら長い髪をといているには、イマイチ突っ込みづらい。

「ねぇーそれよりさ、ここから渋谷ってどう行くの?」
「渋谷行くの?こんな時間に?」
「だってせっかく東京来てるのにずっとここにいるんじゃ来た意味ないじゃん」
「明日になれば服も乾くだろーしガマンしろよ」
「もーどこか行きたいのにぃ!バカエージ」

カツン、と持っていたクシをエイジの背中に投げつけると、大音量の中で楽しくネームを描いていたエイジが振り返った。でもはそんなエイジからプイと顔をそむけて手鏡を覗いている。

「みなさんもう帰りますか?」
「ああ、終わったしそろそろ。なんかある?」
「ごはん買ってきてほしいです」
「いーけど。何がいい?」

「あたしは外に出たいの!」
「危ないからダメ」

背を向け続きを描きだすエイジに、口唇をとがらせるは今度は手鏡を振りかぶったものだから雄二郎は慌ててその手を止めた。
きっとエイジは今が起きてきていたことに気づいてまた何か食べさせようと考えたんだろうけど、食べ物を与えることしか思いつかないあたりエイジの幼さというかキャパの少なさを感じ、福田は少し残念そうに思った。

「じゃコンビニでも行ってくるか」
「コンビニ!あたしも行く!」
「そのカッコで?」
「あそっか・・・」
「新妻くんの借りれば?」
「ええーぜったいヤダあんなの!」
「夜のコンビニなら誰も気にしねーよ。もっとひどいカッコのヤツいっぱいいるし」

はやっぱり嫌そうな顔をしたけど、外に出たい願望には勝てず渋々エイジの黒いスウェットを着て、下だけ少し乾いているプリーツのスカートをはいてきた。一緒に持ってきた化粧ポーチからビューラーを取り出すを見ていると、おそらく出かけられるのは数十分先だなと悟って福田はイスに座る。

ちゃんも高校出たら東京くるの?」
「うん、ぜったいくる!信じられる?イナカってスカートはいてるだけでオシャレしてるってイヤ〜な目で見てくるんだよ。東京はいいよね、オシャレでさ」
「じゃあ新妻くんも安心だね、ちゃんがそばにいたら」
「エージは関係ないの、ぜったい一緒に住まないし」
「でも東京は高いよー?」
「新妻くんが家買ってくれんだとさ」
「うわ、なにそれ!」
「エージはあたしのためなら何でもするんだよー」

ふふーと笑って、は洗面所へとかけていった。
なんだか聞けば聞くほどこの二人の関係は不可解でちっとも理解できず、雄二郎はエイジの机に寄っていきヘッドホンを下げさせた。時間的に余裕があるとはいえ、担当がマンガ家のネーム作りをジャマしてどーする、とうしろで福田が小さくつっこむ。

「新妻くん、いーの?そんなんで!」
「なにがです?」
「女の子にお金かけたって好きになってくれるとは限んないんだよ?あんまりいい顔ばっかりしてると、いいように使われた挙句に捨てられちゃうよ!まぁキミたちは親戚だから逃げられるということはないにしても、ちょっと甘い顔しすぎだよ!」
「なんだよ雄二郎さん、逃げられた経験でもあるよーな言い方だな」
「そ、そんなことはないけど!どー見てもちゃんの気持ちは新妻くんにはない感じだよ。押してダメなら引いてみろってやつでさ、少し突き放してみたほうがいいよ!」
にそんなことしたくないです」
「それでもしなきゃいけない時があるんだよ!好きなんだろ?ちゃんのこと!」
「はい、結婚するですから」
「け、ケッコンっ?」

また飛び出たエイジの爆弾発言に雄二郎は飛びのいて驚き、福田も中井も目を丸くした。
まさか17やそこらの、しかもこのエイジからそんな言葉が発されるなんて。

「結婚って・・・、でもキミたち親戚なんだろ?」
「直結じゃないですし、イナカじゃそうめずらしいことじゃないです」
「え、それっていわゆる・・・、いいなずけ的な・・・?」
「そんなんじゃないですけど、小さいころ約束はしました」
「それこそマンガの世界だな・・・」

「バッカみたい」

3人が窓辺のエイジに目を取られていると、うしろからやけに冷めた声が飛んできた。
振り返り見ると、仕事部屋のドア口にいるのはもちろんでしかないのだけど、今までコロコロ笑い明るく話していたからは想像つかないようなトーンだったから少し疑った。

「なに少女漫画みたいなこと言ってんの。ていうかそんな約束した覚えもない、勝手なこと言わないで」
「したです、11歳のの誕生日」
「覚えてない。する気もない」

そうは部屋に入ってくるとカバンを持って、福田に「行こう」と元の明るい笑顔を乗せて腕を引っ張り部屋を出ていった。

「新妻くん・・・キミもむくわれないね・・・」
「なにがです?」

あわれむように言葉をかける雄二郎だけど、エイジはサラリといつも通りで、ヘッドホンを装着しなおしてネーム作りに戻っていった。


一方コンビニへと出かけていった福田は、東京の空気を吸いながら夜道を歩いていくのうしろ姿を見ながら歩いていた。なんでもない道なのにの足取りは軽く、楽しそう。いま一瞬だけ見せた表情なんてまるでなかったかのようだ。

「あーなんかステキ!やっぱり東京ってだけでコンビニも違うよー」
「一緒だろ、コンビニなんて全国どこでも。地方のほうが面白いくらいじゃねぇ?ご当地商品とかあるじゃん」
「ナマハゲラーメンとか?」
「なんだそれ、そんなんあんの?」

夜の中に明るさを保つコンビニに入ると、はいよいよテンション高く店中を歩き回って福田の持つカゴにポンポンと、清算はエイジ持ちなことをいいことに自分の好きなものをためらいなく投げ入れる。

「新妻師匠は何にするかな」
「エージはカラアゲでいーよカラアゲで」
「そーいや弁当買うときはいっつもカラアゲ弁当だな」
「ていうか福田さん、エージのこと師匠なんて呼んでんの?ヘンなのー、エージのほうが年下でしょ?」
「年なんてかんけーねーよ。俺はマンガ家志望だし新妻くんはなんだかんだで尊敬に値するからな」
「どこが?」
「どこもなにも、マンガに関しては天才だよ、本気で」
「フーン」

大きな袋ふたつ分も買いこんで、ふたりはコンビニを出ていく。
ガサガサと両手に袋を持つ福田の前を、相変わらずは跳ねるように笑って歩いた。

「あのなぁ、今や世界のジャンプで高校生にして連載して、順位も上位ばっかで学校行きながら1回も落とさずやって、それってスゲーことなんだぞ?」
「だってやりたくてやってんでしょ?」
「まぁ、そーだがなぁ・・・。フツーできないんだぞそんなこと」

あ、あんなとこにコインランドリーあるー。
つぶやきながら、は福田の話には適当は相槌しかよこさない。
きっとはエイジがいまどれだけのことをこなしているか知らないからこんなにも無関心なのだろう。そこのところを知ればきっと見方も変わるだろうにと福田は思った。

「そもそもお前は東京来てどうするんだよ」
「やりたいことやるもん」
「なんだよやりたいことって」
「ナーイショ」
「イナカが嫌で東京出てくるヤツなんて結局何もできなくてイナカ帰んのがオチだよ。みんな夢見て東京来るけどそんなやさしーとこじゃねーからな東京は」
「分かってるよ」
「イヤぜったい分かってないだろ。ダメならエージが助けてくれるしーとか思ってんだろ」
「あ、それは思うかも。エージなら」
「勝手なヤツだな」

まるで子どものように純粋な思いを向けてくるエイジを、まるで便利屋のようにしか見てない風なの態度に福田はため息と憐れみしか出なかった。
どうしてエイジはこんな女がいいのだろう?
いったいこの女のどこに執着するところがあるのだろう?

「福田さんも一緒だね」
「あ?」

そよぐ夜風に乗っての声が前から届く。
跳ねるように歩く仕草は変わらないのに、その声は少し落ち着いて。

「エージってヘンだから、最初はみんな理解しないの。ヘンなヤツって。でもそのうちね、みんなだんだん認めてくるの。エージってホントはスゴイヤツなんじゃないって。エージのマンガがジャンプに載りだしたらもうヒドイったらないよ」
「だから、そんくらいスゲーんだって新妻くんは」
「分かってるよ、そんなの」

の長い髪はサラサラと風になびくけど、の足はもう跳ねなくなった。
電灯の明かりと明かりの間で、そのままいなくなりそうなくらい静かに歩いた。

「ほら、よく女の子が言うじゃない?夢もってがんばってる人ってステキだよねとか、好きなことに熱中してる人ってカッコいいよねとか」
「ああ」
「あたし、アレ大っきらいなの。みんなわかってないんだよ、本当のところ」
「本当のとこって?」
「夢もって好きなことに熱中して、そのためならそれ以外のものなんて、簡単に置いてくよね」
「・・・」

半分だけの月が電灯のもっと奥のほうに浮かんで、夜を半端に照らしていた。
髪を揺らし振り返るはそんな月みたく、静かで、白くて、半分だけみたいで。

「エージってあたしのためにはなんでもするよ。他の誰よりあたしのことすごく好きだよ、きっと。けど、マンガ描く手止めてまで、あたしのことほしがらないよ」
「・・・」
「そういうとこがね、エージのことスゴイって思ってる人にはわかんないの。マンガ以外のものにエージがどれだけヒドイかなんて」

まっすぐ見てくるの目は、淀みなく静かなもの。
哀しそうでも、寂しそうでもない。普通の目で、・・・だけど落とす。

「誰もわかってくれない」

ポトリ、頬に落とす。
こんな夜じゃすぐに見えなくなる、ただ一滴だけ。

あの「新妻エイジ」が想いを寄せる女の子がいて、その上あんなにも純粋に懸命で。
それは福田だけでなく、いつでも心の真ん中に色あせない夢と少年の心を持っている人なら誰もが羨むような、応援したくなるような、まるでマンガの世界みたいな、恋心だと思った。

けど、分かった。
悲しみに呑まれるわけでもないのに不意に涙を落とすこの子はきっと。
そんなエイジを、きっとエイジの何倍も想っている。

好きで。嫌いで。
どうしようもないくらい。





ガラパゴス創世論

さーて、着地点が行方不明だぞっと。