Moon right



練習が終って、体育館を埋め尽くしていた部員は干潮の如く引いていった。その後は居残りで走らされたり自主的に練習する人がぽつぽつといて、俺はいつも神さんが練習後シュート練習をしてるのを知ってたから、試合が近いことだし俺も一緒に何かしようと居残った。


「しっかし面白いくらいに入るっすよねー神さん」
「清田はもう少し高く投げてみたら?」
「高くっすか」


体育館を出た俺たちはもうすっかり日が暮れた道を駅に向かって歩く。一緒に歩く神さんの隣で、俺はいつもより高く投げる感じのシュートをイメージしながら腕を挙げ手首をくいくいと曲げた。毎日吐きそうな量の練習の後にさらに日課として黙々とシュートをし続ける神さんからしたらくっついてくる俺は邪魔かもしれないけど、神さんはそれでもにこにこと俺にアドバイスまでくれる。出来た人だ。

定期を見せながら駅の改札を通り抜けると、他の部活なんだろう同じ制服を着た生徒が何人かいて、その中で3・4人の男たちに囲まれてる女に目を留めた。見覚えのありすぎる女。でもこうして外で男に囲まれてるところを見ると違和感だらけだ。
しばらくすると男たちは礼を言ってるのか頭を下げながら去っていった。そこに残された女は奴らを見送ると何事もなかったかのようにカバンから携帯電話を取り出して開く。ボタンを押しどこかに電話をかけ出したそいつは、その中でふとこっちに目をやり俺に気づいたけど、別段笑いもせずに目を逸らした。


「ノド乾いた、ジュース買ってこ。神さんなんかいるっすか?」
「ん?いいよ」


俺もその女から目を逸らし、カバンから財布を探しながら後ろのジュースの自販機に振り返った。でもなんということか、財布の中が面白いくらいに何も入ってない。逆さにして振ってみても落ちてくるのは丸めたレシートだけ。そういえば今日は早弁をして昼には学校抜け出してコンビニで弁当やらおかしやらを買いまくったおかげで金がなくなったんだった。


「ジュースくらい買ってやるよ」
「いや、いーっす」


自分でノドが乾いたと言い出しておいて買ってもらうなんて、どれだけマヌケなんだ。神さんの温かい申し出を断り、俺はホームを奥へ歩いていってあの、まだ電話で話してる女に近づいていった。


ー」


煩い駅のホームで反対側の耳を押さえて電話をするそいつは、俺が呼ぶ声にまったく気づかず、わざわざ傍まで寄っていってやっと気づいた。


「100円ちょうだい。あ、やっぱ200円」
「は?」
「にーひゃーくーえーん!」


そいつは心底俺を鬱陶しがるように眉間にしわを寄せ、カバンから財布を取り出し俺の胸にべしっと押し付けた。電話口じゃその顔とは似ても似つかない高い声色でしゃべってるクセに、俺にはこの態度。俺は小さくむかりと血管を浮き立たせた。


「おい誰と電話してんだよー男じゃねーだろーなー」
「ちょっ、ノブ!」
「なー誰と電話してんのー?だれだれだれー」


ずいと顔を寄せてそいつの持ってる電話口でしゃべりたくってやると、そいつは俺を押し離しながら電話に向かって「なんでもないよ」と言い続けてた。よーしよーし、誰だか知らないがこの電話の相手との関係はこじれたと見た。それに満足して俺は財布を手の中でぽんぽん転がしながら自販機のほうへ戻っていった。


「神さん何がいいっすか」
「いや、俺はいいよ」
「なんか選んでくださいよ。うお、なんでコイツこんなに金持ってんだ。千円抜いてやれ」


ジュースがふたつ取り出し口にガコンと落ちてきて一個を神さんに差し出した。ようやく俺のノドは潤いを取り戻しぷはぁっと満足に吐き出すと、隣でまだジュースを開けてない神さんは俺越しに「あ」と小さく口を開く。そんな神さんに「どうかしたか」と口を開こうとした時、後ろから背中に衝撃が走って俺はその勢いに押されこけそうになってジュースの缶を手放してしまった。缶は転がりながら中身をぶちまけていく。


「あー!俺のジュース!何しやがんだよ!」


まだ半分も飲んでないのに!と振り返るけど、その途端にネクタイをぐいと引っ張り込まれ首が絞まって続きがいえなくなった。目の前でそれはそれはキレた様子のが目を据わらせて口でだけ笑ってる。ああヤバイ、この顔はヤバイね。


「何しやがんだじゃないわよ、アンタこそ何しやがんのよ」
「お、おちつけ、本気で首しまってっから」
「今度バカな真似したら本気で絞め殺すわよっ!」
「わかったわかった!死ぬ!死ぬって!ぐぇっ」


フン、と手を放しては俺の手から財布をひったくって歩いていった。きつく閉まったネクタイを急いで解こうとするけど、その結び目は見えないし硬いしでなかなか緩んでくれず、モタモタと苦しむ俺を見かねて神さんがネクタイを解いてくれた。
夜の空気が締まってた喉を通り抜け、俺の首にはまるで首吊り死体のような赤い跡が残る。離れてく背中に向かって「この暴力女!人殺し!」と罵声を吐くけど、は振り返りもせずにまた光る携帯電話を取り出し耳にあてていた。


「ったく、冗談の通じねーヤツだな。マジで殺す気か」
「いや、冗談だろさすがに」
「あいつはやりかねないんすよ本気で!キレたら手におえねーっすから」
「はは、仲いいな」


仲いい?あの光景をどう見たら仲よく見えるんですか。殺されかけたんだぞ俺は。


「仲いいも何もあれ俺の姉ちゃんっすよ」
「知ってるよ」
「え?」
「同じクラスだからな」
「あー」


仲いいな、というからにはあいつを俺の彼女か何かだと勘違いしているのかと思った。年がひとつしか違わないしパッと見で姉弟だと分かるほど似てもないから一緒に街を歩いてたりすると十中八九姉弟には見られない。(ふたりで街中歩くことなんてそうないけど)


「じゃあ最初っから知ってたんすか?俺があいつの弟って」
「ああ、弟がうちのバスケ部に入ってくるって言ってたの聞いたことあってな」
「神さんあいつと仲いいんすか?なんか似合わないなー」
「いや、ほとんどしゃべったことないよ。同じクラスになったのも今年が初めてだし」
「あれ、そーなんすか、なんだ」


もう中身がほとんど毀れ落ちた缶を拾って、ゴミ箱に投げたら外れてまた拾ってちゃんと入れた。神さんがまだ開けてないジュースを俺に差し出してくれたけど、そこまで飢えてるわけじゃないしもう家に帰るだけだし、そこは遠慮しておいた。

遠くではまだ電話で誰かとしゃべってて、電車が流れ込んでくると電話を切って乗り込む。もちろん同じ電車の俺もそれに乗り込んで、途中で神さんと別れ降りるとその前にも歩いていた。


ー」


暗い夜道。俺の声は広く響いて数メートル先のにまで届いた。は足を止め、やっぱりにこりともせずに振り返り、呼び止めておいて特に急ぎもしない俺を待った。


「お姉ちゃん」
「は?」
「名前で呼ばないで。そうでなくても姉弟に見られないんだから」
「メンドくせぇ、どーでもいいじゃん。それより神さんと同じクラスなんだってな」
「うん」
「それならそーって言えよ。俺神さんすげぇ好きなのに」
「意味わかんない」


通り過ぎる電柱の白い蛍光灯が夜の道に影を作った。長く黒く伸びる影ふたつはのほうが少し大きくて、でもそれはのほうが背が高いからじゃなく、が俺より少し前を歩いているからだ。まさか仲良く並んで歩きやしないから。

1年ぶりにまた同じ学校に通うようになって、でも中学の頃と違って家を出る時間も帰ってくる時間も違う。たまに学校でを見かけると、あまりにニコニコと楽しそうな顔をしてるコイツにお前誰だよと思う。そのくらい俺の前じゃ質素で、アイソなんて間違っても振りまかなくて、まぁそんなことされても気持ち悪いだけだけど。


「でな、そこで神さんがぽーんとスリー入れちまうんだよ。ありゃゲージュツだぞ」
「へー」
「時間迫っても全然焦らねーんだよなぁ。牧さんもすげぇけど、俺は神さんのほーが好きだなぁ」


ふーん。
聞こえるか聞こえないかくらいのの簡素な声が、俺のベラベラしゃべる合間に生まれては消える。静かな夜道で俺の笑い声だけが響いて、前を歩くは携帯片手に同じテンポで俺の前を歩く。

ずっとずっと俺の前を歩く。同じ方向に向かってるんだから当たり前だ。
明かりが漏れてる家の玄関を抜けて、ただいまーとそのときだけはふたつの声が重なった。