Edge
うちの学校は結構でかいから、同じ学校といっても校内でを見ることはそうそうない。それでも休み時間に廊下の窓から見下ろせる昇降口で見かけたり、昼に購買の近くで見かけたり偶然廊下ですれ違ったりはたまにある。そんな時、だけなら別に声もかけずにそのまま通り過ぎるところを、の隣には結構な確率で神さんがいるから、おかげで素通りが出来ない。(先輩だから、当たり前)
学校内でそれなりに噂になっているふたりは未だ見慣れなくて違和感を感じる。神さんはバスケしているときには絶対に見せない今にも溶けそうな顔をしてるし、も、そのへんの女と同じように可愛く笑って神さんの隣にいる。そのふたりを包む雰囲気は、もう誰が見ても付き合ってるふたりみたいな距離感で、どちらも個人として俺と相対している時とはまるで違うから、今まで俺が見てきたものはまさか偽物だったのか、という気にすら、なってしまうのだ。
「・・・」
「あれ、ノブ、今日部活ねーの?」
「おー。バレー部が明日試合だからって体育館取られたんだよ」
「へー、よくバレー部がバスケ部から体育館取れたな」
「所詮部活だからなー。平等平等」
「じゃあ帰んの?マック一緒に行くか?」
「んーいいや。帰ってメシ食って寝る」
「お、じゃーな」
「おー」
昇降口横の自転車置き場にいた友達と別れ、チャリにまたがり校門を出て行った。まだ空はにわかに明るい夕方、多くの生徒が流れていく方向に添って自転車をこいで、赤信号で止まり、青信号で踏み込み、いつもの角を曲がり、坂道をノーブレーキで流れていく。
「・・・」
何故だろう。俺は気持ちを落としていた。 最近、こんなことが多い。友達と遊んだりフザけて笑ってたりするときは変わらず楽しいのに、たとえば誰も遊ぶ相手がいない休み時間とか、今みたく部活のない放課後とかになるとどうしてか、すっと気持ちが静まる。笑っててもすぐにやめることが出来る。笑ってない時間がすごくラクに感じる。それはなぜだか分からなくて、でも実は分かる気もして、ふぅ、と息が毀れてしまう。
ふぅ。
家が近づき自転車を降りて、まだ帰ってないんだろうなぁと思う。俺が学校を出るより前にふたりで門を出て行くところを廊下の窓から見たんだから、まだ明るいこんな時間に帰ってるはずがない。そう思ってまた無意識にはぁと息をつくと、家の門の前に、見知らぬ人が立っているのに気づいた。
門の前でうちを見上げ、佇んでいる女の人。うちに用があるのか、でもインターホンも鳴らさずにずっと家の玄関を見上げていた。俺はゆっくりと家に近づいていき、そんな俺に気づいたその女の人は俺に振り向き、目を留めた。
「あの、うちになんか用ですか」
「・・・」
目的はありながら訪ねる風ではないその人に、俺はたどたどしく声をかけた。その人は戸惑いながら「ええ」と答え、しばらく俺を見つめて、何か、自分の中で納得していくように、大きく開いていた目を柔らかくしていった。
「母さんに用っすか?たぶん家にいますけど」
「いえ、いいんです。またにします」
「はあ」
そっと笑って頭を下げるその人は、そのまま俺に背を向け歩いていった。なんだったんだろうと思うけど、まぁいいかと流して門を開け中に入った。
ただいまぁと声を上げると奥から母さんがおかえりと返す声が聞こえてきた。靴を脱ぎながら玄関にないの靴を確認してやっぱりねとまた無意識に息を吐く。今頃神さんと仲良く2ケツでもしながらどこにでもいるカップルのように楽しんでいるんだろう。にこにこ笑顔を振りまいてるんだろうを思うとあまりにも気持ち悪くて、ウゲとすぐに想像をかき消した。
なんだか気持ちが沈むどころか苛立ちすら感じてきて、母さんと顔を合わす気にもならずにそのまま廊下を進んでいくと、母さんがドアを開けて「お弁当出しなさいよ」といつも通りなことを言うものだから、戻ってカバンから弁当箱を取り出しテーブルの上に投げた。
「何イライラしてるのよ」
「うっさいな、俺にだっていろいろあんの」
「いろいろあるのは結構ですけど、人前でそんな態度取らないでね」
「なんでイラついてる時にまでヘラヘラ笑ってなきゃなんねーんだよ」
「子供みたいなこと言わないの」
「ガキでわるぅございましたね!」
フンと思い切りドアを閉めると、ドアの向こうでまた母さんがコラ!と怒る。でもこんなときに何を言われても聞く耳なんてもてなくて、母さんの小言は俺の苛立ちを増長させるばかりだし、ここぞとばかりに膨らんできた苛立ちを押さえることなく階段を上がって部屋のドアもバン!と思い切り閉めた。
とにかく大きな音を立ててしまう俺は、まるで気づいて欲しい子供みたいで、確かにガキくさいと思うんだけど、まさかそれに気づいたからといってすぐに熱を冷ませるほど大人でもなくて、胸に詰まった意味のない憤慨を枕に叩き付けた。
一体何にこんなにもイラついてるのか。とにかくこの高ぶりを発散したくて堪らず、音楽を大音量でかけて床に散らばるマンガやCDを蹴散らし机を蹴り壁を殴り手当たり次第にあたりまくった。破壊音にも似た音を聞きつけまた母さんが下から「いい加減にしなさい」と怒鳴るんだけど、勝手に耳を塞いで今の俺を邪魔するものは全部に排除した。
「ああー、なんなんだよもおっ!」
ベッドに体を倒して、意味の分からぬ猛りを押さえつけるように顔を押さえつけた。家に着くまではあんなに沈んでた気分が一体どこから噴火してしまったのか、自分が何にこんなに苛立っているのか分からなくて、分からないことにまた苛立って、腹の奥がズキズキ痛むほどに苛立ちが体内を食らうから何度も枕を打ちつけた。
自分の体が何かに乗っ取られたみたいだ。頭も体も誰のものか分からないくらいに勝手に苛立って、どうすれば沈むのかも分からない。それが何なのかも、何故なのかも分からない。ただただ噴き出た感情が流れるままに身を任せるしかなかった。
ノブ
「・・・」
ノブ
「・・・ん」
何もない場所に突然溢れ出た水のように、俺を呼んでる声がした。
しっかりとしているようで頼りないような、先にあるようで懐かしいような。
「・・・なに」
「制服のままで寝ないの、皺になるよ」
「・・・」
「ごはんは?食べてないんでしょ?」
「・・・うん」
声は聞こえるけど、言葉は上手く頭に入ってこなくて、理解はしてなかったと思う。ただその声に導かれるように意識はだんだんと冴えて、暗かった視界に明かりが差した。
「・・・」
「ごはん。食べないの?」
「・・・食べる」
鈍く目を開けると、ただの天井の電気が眩しくて目を閉じた。でもその一瞬の合間に見えたのはだということは確かに分かった。
音量でかすぎんのよ。近所迷惑でしょ。
とか何とか言いながら、が大音量で音楽を流しているデッキの電源を切った。そういえばつけっぱなしで、しかもどうやら寝てしまったようだ。さっきまでの大音量が耳鳴りのように残りながら静かになった部屋の中で俺はまた目を開けて、制服でもないが濡れた髪を肩からかけてるタオルで拭きながら床に散らばってるCDを手にとった様子を見た。
「いま、何時?」
「9時半」
「・・・うわ、3時間も寝た」
「アンタ部活以外することないの?」
「・・・るさいな」
勝手にイラついて、気がつけば寝てしまったなんて、ガキもいいとこだなと自分でちょっと情けない。その上睡眠のおかげで気分はすっきりと冷めていったらしく、気だるく重い体は気分最悪だけど、頭の中は冴えていた。
「ねぇコレ貸して」
「んー」
「さっきこの人出てたよ」
「・・・あ、そーだった。ビデオ撮った?」
「撮った」
「ナイス」
眠気残る体はいつまでもベッドから離れなくて、するとさっきまでは公害としかいえなかったデッキから静かに別の音楽が流れてきた。その前にガチャガチャとデッキをいじる音がしてたから、きっとが見ていたCDを入れたんだろう。
「これさ、何曲目がいいと思う?神は8曲目がいいって言うの」
「・・・」
「あたしは1曲目が一番いいと思うんだけどなぁ」
「・・・ハラ減った」
「下にごはんあるよ」
「ん」
重い体をベッドから剥がし、音楽を聴いてるを残して部屋から出て行った。いつも学校の行き帰りに聴いてるのは1曲目ばかりなことはなんとなく言わなかった。
離れてく部屋から1曲目が聴こえてくる。やっぱ1曲目が一番だよなと心の中で小さく思いながら、その音楽をいつまでも聴くように静かに階段を下りていった。
「今日?うちに?」
「そうよ、それもあの子達が帰ってくる時間によ?」
階段を下りきったところで、音楽とは反対の方から母さんと父さんの声が聞こえた。父さんも帰ってるんだと思いながらも、二人の話が、話し方が、なんだかいつもとは違った感じがして、リビングに入るのを躊躇った。
「もううちには来ないように言ったのに、」
「ああ」
「最近電話も多いし、もしが出たらどうするよの」
「明日ちゃんと言っとくから、には気をつけてろよ。ノブにも」
「当たり前よ。今更引き取りたいなんて調子いいにも程があるわよ。信じられない・・、絶対には渡しませんからね。を引き取ったときにそう決めたじゃない・・」
・・・電気もついてない廊下に、ドアから漏れるリビングの明かりの筋だけが一本延びていた。その細い光が照らしている部分がやけに白く見えた。
そのときのその会話を、そのときの俺は、全てを飲み込めたわけじゃない。ただふたりの声があまりにいつもと違った声だったから、俺はここにいることを気づかれないように、身動き一つ取れなかった。
頭の中でその会話の意味を、必死に探った。
言葉のひとつひとつの意味を、辞書でも引くように確かめながら、とき解いていった。
でも何度考えてみても、最後の肝心なところでブツリと思考は途切れた。
そこから先はいってはいけない
無意識のうちにそう、頭が拒否しているようだった。