All night



眠れない夜は初めてだった。
暑くてとか、大きな試合前で緊張してとか、修学旅行で興奮してとかなら今まで何度かあったけど、こう、起き上がる力はないのに意識は遠のいてくれない、目を閉じてても不安に駆られてすぐに開けてしまうみたいな、こんな気持ちの悪い気だるい夜は初めてだった。

何度となく繰り返した寝返りをうち、ふとカーテンの向こうがもう薄陽が差しているのを見た。本当に何度も寝返りをうったおかげでふとんはぐしゃぐしゃ、髪もぐしゃぐしゃ。目は乾いて瞼がくっつくし梅雨前の湿気た空気で体がベタベタしてる。でもまだ5時前、起きるには早すぎる時間。いつもなら目を閉じて開けるまで一瞬なのに、永劫かと思うほどのろく時間が居座る間、頭の中に、ずっとこびりついて離れない同じ言葉が回りに回っていた。


―今更引き取りたいなんて


「・・・」


引き取りたいって、何だよ。
それじゃあまるで

母さんの言葉から、たったそこまでたどり着くのに一晩かかった。母さんのあの言葉を聞けばそう思うのは当たり前なのに、やっぱり頭のどこかが拒否して、そう思うのはなんだか悪い気がして、思い切れなかった。

でもまさか父さんと母さんが冗談でそんなこと言うわけがなくて、それに、きのう学校帰りに会った人のことも頭から離れず、もしかして、あの人がそうなのかなぁ、なんて・・・。

顔覚えてねぇよ、ちきしょ・・・

ぐしゃりと髪を抱いてまた寝返った。
すると壁の向こうからピピピピッ…と目覚まし時計の音がして、俺の心臓はビクッと飛び跳ねた。壁の時計を見上げたらいつの間にかもう7時で、もう外は明るくなって鳥が鳴いていた。

俺は目覚ましなんてなくても起きれる性質だから目覚ましなんてよっぽど早く出る日か遅刻したくない日しかかけないけど、の部屋では毎朝7時に目覚ましが鳴る。鳴ったところでその時間にがちゃんと起きたところなんて見たことがなく、案の定今日の目覚ましの音もしばらくなった後で止まり、でもその後が起きたような物音は聞こえてこない。
いつだったかに、起きないなら目覚ましをセットする意味がないだろと言ったら、起きるために鳴らすんじゃなく二度寝するために鳴らすんだとか何とか言ってた気がする。(分かるような分からないようなでもあいつらしい言い分)


「ふたりとも起きなさーい」


下から母さんの声が聞こえて、どちらの返事も聞こえてこないものだから母さんの声が響き続けた。はちっとも起きないようで、仕方なく俺が返事をした。

ベッドの上で腕を伸ばして体を起こすと、半端なく体が重かった。徹夜なんてしてしまったのは初めてだ。夜中起きてたことはあるけど朝には寝てたし。でも今日はこれから学校に行かなきゃいけないし、気持ち悪い体を引きずるようにしながら部屋を出た。


「おはようノブ」
「んー」


明るいリビングで母さんは朝からきびきびと朝飯を揃えていて、きのうの切羽詰った荒声なんて夢のようだった。やっぱりあれは絶対に俺たちには知られたくないことのようで、だから俺も、どんなに気になっていても、母さんにそのことを切り出せるわけがなかった。夜中ふと、思い切って聞いてみようかとも思ったけど、こんないつも通りの顔をされたら絶対に出来ない。

昨日の夜みたいに、母さんも父さんも思い悩むことが今までいっぱいあって、でも朝になれば俺たちにいつも通りの顔をしなきゃいけない。今まで少しの疑問も俺たちに抱かせなかった母さんは、どれだけすごいのかと思うけど、それと同じくらいに、引っかかることもあって。

俺らずっと、嘘つかれてたんだ、って・・・。


「ノブ?」


朝飯の前で立ち尽くしていた俺に、母さんが覗き込んで呼んだ。


「寝ぼけてるの?」
「・・・べつに」
起こしてきてちょうだいよ、あの子絶対起きてこないんだから」
「ん」


その前に顔洗いなさいと、曇った目の俺を笑う母さんは、まったくいつも通りだ。なのに俺はすぐに黙りこくってしまって、平静を装うことなんてまったく出来てなくて、なんとか朝だからという理由でぼうっとした感じを誤魔化せていた。でもこれ以上まともに顔を合わせていられなくて、リビングを出て階段を上がっていった。


階段を上がってつきあたりのドア。いつもならノックもそこそこにずかずか入っていくけど(起きてないのためにノックなんてムダ)、今は、ドアの前で足を止めてしまった。

・・・は、知ってんのかな。
きのうの母さんの言い方だと、知らないっぽいよな。

だとしたら、俺以上にショックなのは、のほうだよな。
だとしたら、俺は母さん以上に、平静を装わなきゃいけないんだ。


「・・・、起きろー」


ドアを開けて部屋に踏み込み、ベッドの脇までいっての頭を見下ろした。はやっぱりまだ寝ていて、うつ伏せて死人のようだ。
こいつもまるでいつも通り。いや、こいつはいつも通りで当たり前か。何度声をかけても反応しないのふとんをバサリとひっぺ返すと、少し目を覚ましたらしいは不機嫌な声を出しながら寝返ってまた寝てしまう。まったくもっていつも通りだ。

部屋は雑誌やCDや服で散らかりまくってて、まだ俺のほうが片付いてるだろというような部屋に、こいつは本当に女か?と呆れてきた。俺が一晩思い悩んでいた間もコイツは何も知らずにグースカ平和に寝てたのかと思うとだんだんムカついてくる。


「おい、いーかげん起きろっ!」


の頭の上で声をあげるとは枕を頭の上にして耳を塞いだ。まるで聞く気なしか。ほとほとコイツの寝起きの悪さには疲れる。
無理やり起こすしかないなとの腕を引っ張って体を起こすと、まるで力のないその体は重くて堪らず、起き上がらせたところでだらりと壁に寄り添う。それでもまだ目も開けないのだから、朝のこいつは本当に強敵だ。

乱れてる髪を分けて顔を出すと、真っ白な肌に睫の影が落ちた。この顔を確かに見ることなんてそうそうないから改めて思うけど、寝起きで二重三重による瞼の合間にびしりと並ぶ黒い睫は長くてたわわ。まぁたしかに、はっきりした顔立ちはしてる。

そんなことを思いながらついまじまじと見ていると、窓から差す朝日に照らされは一度ギュッと目を瞑り重い瞼を上げた。


「起きたか」
「・・・」
「早く起きろ、遅刻すんぞ」
「・・・」


目は開いていても反応を見せない、行動を起こさないはまだ覚めきらなくて、あーもー!と俺はまたその体を引っ張った。

そしたら、まだ力の入らないはぐらりと揺れて、ベッドから落ちそうになって、ヤベ!と咄嗟に力を込めるけど意識のない体はやっぱり重くて、そのままごと俺たちはベッドの下になだれのように落ちていってしまった。


「ぃってー・・・!」


俺のシリも痛かったが、支えきれなかったが床めがけて頭から落ちていったせいでゴンと痛々しい音がした。


「ヤベ、おい、だいじょーぶか」
「いたー・・・」
「だって・・、や、ゴメン」


寝ぼけながらもイタイイタイと繰り返してちゃっかり俺を殴る。それでもまたは頭を押さえたまま寝ようとする。どんな睡眠欲だよと呆れつつ、かなり重い音がした頭を少し心配して、またの体を起こした。


「ふぅ・・・」


今まで散々繰り返してきた朝の格闘。朝の眩しさも匂いも、汚い部屋も未だ眠り続けるも、まったくいつも通り。まるできのうの出来事のほうが全部ウソだったかのようだ。


「・・・」


でもって、こんなに小さかったっけ。
手も足も、体も、こんな細かったっけ。

俺のほうがずっと体も身長もでかいし体力だって力だってあるんだから、マジで取っ組み合いのケンカでもすりゃ絶対に俺が勝つ。なのに今までどうしたってコイツには敵わず、パシられたり殴られたりして、なんでだと文句を言いながらも勝てた日はなかった。

はもっとでかくて強い気がしてたのに。
無理に力を込めたら、こんな体簡単に壊してしまえそうだった。


「・・・」


当たり前だと思ってたけど、周りが言うようにこいつも、女なんだな・・・。









「待ってノブ」
「あー?」


やっとの思いでを起こし、着替えて学校の準備をして朝飯を食べていつも通りに母さんに見送られて家を出る。先に家を出た俺の後ろから、まんまとバスに乗り遅れたが乗せてけと自転車の後ろに乗ってきて、文句を言いつつもやっぱり、を乗せてこぐ羽目になる。


「ねぇ、なんかこのへんがズキズキするんだけど」


シャカシャカこぐ自転車の後ろで、風を切って聞き取りにくいの声がかすかに聞こえた。どうやら今朝ベッドから落ちたときに痛めた頭が響くようで、俺は平静を装って「どーしたんだろーねー・・・」と誤魔化した。まさか俺が落としたなんて言ったら確実に殴られる。


「ノブ、アンタ今いくら持ってる?」
「は?」
「お金ないの、貸して?」
「ヤダね。おまえいっつもありえんくらい持ってるだろ」
「こないだ服ドカ買いしちゃってないの」
「じゃあしばらく大人しくしてろ」
「あさって出かけるんだもん」
「・・・神さんと?」


あさってといえばちょうど部活がない日だから、風を切る音に紛れてそう小さく聞いた。後ろに座ってるはたった片手で自転車に掴まりながら携帯をいじってるようで、小さく質素にうんとだけ答えた。


「しらん!自分で遊ぶ金くらい自分でやりくりしろ!」
「あんたのそのへんな貯蓄癖は誰に似たんだろうね。昔っからあんたっておばあちゃんとかにお小遣い貰ってもすぐお母さんに渡してさ。あんた今いくら貯金あんの?」
「お前みたいに右から左へすぐ使っちまうよーな浪費癖よりマシだ。言っとくけど絶対に俺の金に手出すなよ」
「アンタの通帳の暗証番号くらい知ってんのよ」
「なにっ?なんで知ってんだよ!てめぇ絶対手出すなよっ」
「わっ、バカ!前見て運転しろ!」
「乗せてもらっといて文句ゆーな!タクシー代とるぞ!」


学校に近づくにつれ同じ制服を着た生徒たちが増えていき、その間をフラフラ蛇行する自転車は一種の危険車両と化していた。俺は後ろのを振り落としてやろうと猛スピードでこいでやり、は携帯片手に俺の背中に掴まりながらバシバシ殴る。朝っぱらからぎゃあぎゃあうるさい俺たちは道行く生徒たちの視線を受けながら校門をくぐっていった。


「アンタその髪ウザイ!切れ!」
「うるせー俺のファッションに口出しするなっ」
「今日寝てる間に切ってやる」
「はっ、お前最悪、てかマジやんなよ!?本気やりそーで怖いんだよお前は!」
「イヤなら起きてればぁ?」
「無理!そーでなくてもきのう一睡もしてないのに!」
「は?なんで?」
「だって、」


自転車を降りて歩いていくが振り返りながら聞く。自転車を止める俺はうっかり口走りそうになったけど、まさか言えるわけがなく、背を向けていたからなんとか動揺も悟られずにすんだ。


「べつに、いーだろなんでも」
「まぁどーでもいいけど」
「・・・」


さっきまですっかり忘れてたことが急に戻ってきて、また胸の中でもやっと重いものが広がる。胃の中で朝飯がどんより渦巻いてるようで、気持ち悪さまで感じてきた。


「ノブ」


前を歩くがまた振り返る。


「どうしたの」
「なにが?」


気持ち悪い?とが小さく聞いてきた。知らず知らずのうちに制服の腹の辺りをぎゅっと押さえていて、はそれに気づいたみたいだった。


「なんでもない」
「あんたすぐ体調崩すから、ちゃんと寝な」
「そんな軟弱じゃねー」
「どーだか。幼稚園のときなんてしょっちゅう病院行ってたんだよあんた。あんたが病院行くたびお母さん付き添って家に帰ってこなくてさー」


幼稚園・・・。
俺にはあんまり記憶がないけど、俺が幼稚園行ってるときには、はちゃんとうちにいたらしい。


ちゃん」


ぐるぐる鳴ってる腹を押さえながら昇降口を入っていくと、正面からを呼ぶ声がして、が突然丁寧に「はい」と答えたものだから、誰かと思って正面に目をやった。その声の主を見た途端俺は「あ」と口を開いてしまい、一瞬その人と目が合った。

ミス海南だった。


「今日ミーティングあるから忘れないでね」
「はい、行きます」


こんな日常を切り取ったような毎日の景色の中に、今学校中の話題の海南のナンバー1とナンバー3が居合わせて、心なしか視線が集まってるような気がした。とミス海南(ヤベ名前忘れた)が知り合いだったとはまったく知らなくて、その様子を何気なく見ていたらふと俺を見たミス海南とまた目が合ってしまい、俺はなんとなく頭を下げた。


「彼氏?」
「え?ああ、いえ、弟です」
「ああ、そうなんだ。そうだよね、苗字が同じ」


かわいらしく柔らかく笑うミス海南はさすがはナンバー1と言った感じの清楚な微笑を向ける。いつかは校庭に並んでいた桜のように小さくて繊細な感じのする、誰もが納得のかわいさ。その隣に並んでしまってはいくらナンバー3といえどなんて雑草のようなものだろう。

ミス海南が去っていき、その残り香すら華やいで見える存在にボーっとしていると目の前からがぼすんと腹を殴ってきて途端に夢をかき消された。


「いってぇな、何すんだよ」
「何見とれてんの、やめてよ恥ずかしい」
「いやーやっぱナンバー1は違うなぁと思って」
「いつの話題よそれ」
「ぷぷっ、おまえちょう引き立て役」


ドカ!と今度は容赦ない蹴りが俺の大事な脚を襲い、また昇降口にいってぇ!と声を上げるけどはまったく無視して先を歩いていった。

ほんと、あの清楚さを少しは分けてあげて欲しい!


「ノブ」
「ああんっ?」


下駄箱で靴を履き替えたが廊下を歩いていく途中でまだ痛がってる俺を呼んだ。


「1時間目終わってもまだ気分悪かったら保健室行きな」
「・・・」


今は胃の重さより、お前に蹴られた脚のほうが重症だ。


「あー」


くそー、バカ。

また思い出しちゃったじゃねーかちきしょー。