Seesaw



まだ梅雨に入るには少し早いらしいけど、この頃あまり天気が良くない。
空が厚い雲に覆われてると、教室の中は昼間でも薄暗く、白い蛍光灯が広がりきらない光を落とす。


「なぁノブ、お前結局サキさんどーすんの?」
「お前、何いつまでも引っ張ってんだよ、何さまだ!」
「うるせーなぁー」


あの衝撃の告白から2日。俺はまだ答えが出来ずにいた。
どれだけ考えても何も纏まらない。しばらくすると何を考えていたのかもよく分からなくなってくる。こんな時ばかりは、何も考えなくて良かった小学生くらいに戻りたくなってくる。簡単にぎゃんぎゃん傍から騒いでるだけのお前らがうらやましいよ、俺は・・・。

そしてさらに俺の頭を悩ませているのが、じきにやってくる中間テストだ。
俺の高校生活はバスケ一色。・・・ならいいのだけど、この数カ月で俺には恐ろしいくらいたくさんの出来事が起こり、ただでさえ毎日くたくたになるまで走り回っているのにもう体が持たないほどだ。天才で期待のナンバーワンルーキーにはテスト免除とかないのかな。

どこへ行っても痛い視線が突き刺さる学校で、俺の安息の場所はあまりない。
廊下を歩けば男子の先輩の威圧の目が俺を脅し、ニュース好きな女子の目線が俺を旬の食材のように勝手に調理する。頼むから、ほっといてほしい。


「あ、いたいた!ノブー!」


日々疲れ果てて自分の机に頭を横たえる俺の元に、また何やら騒がしいヤツが駆けこんでくる。今度はなんの情報を持ってきたのか、頼むからほっといてほしい。


「まだ返事はしていません」
「は?何言ってんの?」
「お前こそなんだよ」
「そうそう、俺すっげービビッちゃった。さっきさぁ・・・」


てっきりまた先輩とのことを冷やかしにきたのかと思ったクラスのうるさいやつが、机の上から動かない俺の傍までやってきて耳に口を近づけてくる。


「神さんとさんのキスシーン、見ちゃった!」
「・・・」


うそぉー!
わっと湧き上がる俺の周りに、クラス中の視線が集まった。


「マジでマジで?なにそれ、どこでっ?」
「さっき渡り廊下通ったら、南校舎の入り口んとこにふたりでいてさ、ドアの向こうだったからはっきりは見えなかったけど、あれは絶対してたね!」
「うわー!学校で!キャー!」


なるべく周りに会話の内容がバレないように、なんとか内輪だけで会話をしてるらしいこいつらだけど、青い新一年生たちにそんなネタはテンションの高ぶりを抑えられないようで、俺の周り一帯は騒がしいままだった。

・・・てか、何をそんな、騒ぐことがあるんだ。
ガキじゃあるまいし。付き合ってんだぞ、あのふたりは。


「便所」


そう言って立ち上がるけど、みんなまだぎゃんぎゃん盛り上がって誰も俺に気を止めるやつなんていなかった。机に倒してたおかげでぺたんこになった左側の髪をがしがし掻いて、そうそうに掃き潰した上履きをペタペタ鳴らして、教室を出ていく。

廊下に出て、すぐそこのトイレのドアを開ける。
誰もいない、薄暗いトイレは電気をつけてもいまいち明かりが行き渡らない。
光度が低いせいか、鏡に移る俺の顔色の悪いこと。


「・・・うえ」


洗面台に手をついて、ごぼごぼ水が流れていく黒い小さな排水溝を見る。
別に吐き気なんてないけど、その体勢から動けなかった。動きたくなかった。

毎日くたくたになるほどバスケをして、疲れきっていても学校に来て。
頭に入ってこない授業を聞いて、みんなと笑って喋って。
疲れて、滅入って、へこんで、気持ち悪くて。


「・・・」


神さんとが?

気持ち悪ぃ。





ガン、とボールがゴール板に跳ね返ってあさっての方向へ飛んでいってしまう。
まるで入らない。スリーもフリースローも、ゴール下でさえも。


「清田」


練習前だから別にゴール外したって怒られやしないけど、練習前からこんな調子じゃ体育館から追い出されかねない。腹の底の不快さを抑え込んで、腕を回して屈伸を繰り返して気分を何とか盛り上げようとしてると、体育館に入ってきた牧さんが遠くから俺を呼んで、俺は急いで牧さんに走り寄っていった。


「はい、なんスか」
「今度の練習試合、ベンチスタートだからそのつもりで行けよ」
「・・・は、マジすか!」


毎日の鬼のような練習メニューにようやく慣れてきた頃。
そろそろ大会に向けて重点的な練習に切り替わろうとした矢先の朗報。
練習試合といえど、ベンチ入りなんて1年じゃまずいないだろう。ていうかスタメンの練習メニューについていけてる1年だってまだいない。ベンチ入りってことはチャンスがあれば試合にだって出れる、やった!


「監督も大会でのレギュラーを視野に入れてのことだ。これから先、一瞬たりとも気を抜くなよ」
「はい!」


やった、やった!
この海南でベンチ入り。あのユニフォームを着れる。試合に出れる。
よっしゃよっしゃよっしゃ!
他の多くの部員の手前あまりにも大げさに喜ぶことはできないけど、俺は抑えられない高揚で叫び出したい気持ちを、拳に込めて何とか堪えた。うおお、もう他のこと全部吹っ飛んで、空だって飛べそうだ。


「だりゃあー!」


いくらボールをついてても治まらないから、ジャンプしてボールをゴールに叩きつけると、ゴールは大きな音をたてて揺れ、周りからおおーと声が漏れた。投げて入らないなら叩きこんでやる!背が足らないならその分高く飛んでやる!

やったやったやった!!


その日の練習が終わって、練習中も冷めることのなかったテンションのまま日が暮れた外へ駆け出て、周りを見渡した。他の部員の人たちがそれぞれ帰っていく中、出口の花壇のところとか、電灯の下とかをキョロキョロ見渡す。

けど、探してたものはどこにもなかった。
俺はまた体育館の入口まで戻っていって、まだ明かりがついてる中を見る。
中ではいつも通り、神さんが居残ってシュート練習をしてた。
帰る様子はまだまだ、ない。

なんだ、今日は一緒じゃないのかとちょっと気分が落ち着いて、自転車にまたがりシャカシャカ漕いで家に帰った。今日も散々走り尽くしてあんまり足は上がらないけど(テンション上がりすぎて調子乗り過ぎた!)、それでも今できる全力疾走で家までを駆け抜けた。


「ただいま!」


くつをポンと脱ぎ捨ててリビングのドアを開ける。
軽く息が上がってるのは自転車を漕ぎ続けたからかテンションが高いせいか分からない。母さんは、俺が家の門をガシャン!と荒々しく閉めた音が聞こえていたみたいで、入ってくるなりテンションの高い俺にどうしたのと聞いてきた。

でも、そこにもいない。
俺は階段を駆け上がり、突き当たりの部屋をノックもせずにバーンと開けた。
部屋の中は真っ暗で、俺が開けたドアから入り込んだ光の中の、どこにもやっぱり、いない。


「母さん、姉ちゃんは?」
「まだ帰ってきてないわよ。神君と一緒じゃないの?」
「・・・いや、神さんまだ学校にいたけど、姉ちゃんはいなかった」
「あら、そうなの?ちょっとに電話して」
「ん・・」


の帰りが遅いと誰よりも心配するのは母さんなのに、母さんにとって神さんの株はかなり高いから、最近じゃちょっとくらい遅くなっても前ほど心配事を言わなくなっていた。神さんは毎回必ず家まで送ってきてくれるし、ちゃんと挨拶もするし、遅くなる時はにちゃんと連絡を入れさせるらしいから。

でも、何もが遊ぶ相手は神さんだけじゃない。ていうか、神さんと付き合う前はそれが当たり前だったし、神さんと付き合うことでちゃんと家に帰ってきてたほうが家族にとっての変化だったんだから。

俺の高ぶってた気分は急に冷却されて、サウナから冷水状態だ。
こんな時に…家にいろよとブツブツ文句言いながら家の電話での携帯にかけたけど、何回コール音が鳴ってもその音が切れることはなかった。わざとでないのか気づいてないのか知らないけど、俺はさらにイライラして電話をソファに投げ落としてトイレに入った。

出てきてまた電話を手に取りリダイヤルするけど、今度はコール音すらなることはなく、機械的な声で電源が入っていないためかかりませんと言われた。

それをそのまま母さんに伝えると、母さんの心配はさらに煽られてウロウロし出す。
俺は遅い晩メシにありつき、風呂に入って頭を乾かしながら部屋で音楽を鳴らし、12時を回ったところでふとんに入った。真っ暗な部屋の中で時計の針の音がやけにでかく聞こえて、時々家の前の道を走る車の音とか、鳥だか虫だかの声に自然と耳を澄ました。

うとうとと寝かけたときに、下から母さんの声が聞こえた。
怒ってるみたいで、が帰ってきたんだと分かった。
たぶん母さんの話の半分も聞かずに、の足音は階段を上がって俺の部屋の前を通り過ぎ、突き当たりの部屋へと入っていった。

すごく、言いたいことがあったんだけど。
言うことはなかった。