Fogdog
ガシャンと自転車を手放して、冷たい夜の風に耳を澄ました。
隣を煩い車が走っていくからあの小さな声はすぐにかき消されて、それでも必死にあたりを見渡しながら夜道を走った。
かすかな声が途切れ途切れに聞こえる。悲鳴にも似た声・・
「おい、どこだよっ、冗談じゃねぇぞっ!」
「こっちだ!」
赤の横断歩道を二人で突っ切って、真っ暗な道を全力で走っていく。
ぽつぽつとしか電灯のない小さな公園の中を入っていって、声を辿って真っ暗な奥のほうへと走っていくと、闇の中でもみ合う人影を見つけた。
「・・・何してんだよっ!!」
俺が叫ぶと、もみ合ってた影のひとつが立ち上がって、慌てて逃げていく。
「っ!」
そこに残された影に駆け寄っていく神さんが掴んだのは、確かにで、身を固くして怯えるみたいなは神さんの声を聞いてやっと俺たちに気づいた。
「大丈夫?・・・」
「神・・・」
問いかける神さんに答える余裕もなく、は神さんにぎゅとしがみついて頭を寄せた。泣いてるのか、怖がってるを神さんは思いつめた様子で、けど精一杯やさしく抱きとめ「もう大丈夫」と繰り返した。
の靴が遠いところに転がって、スカートから脚まで泥にまみれて・・・、俺は、腹の底から煮えくりかえるみたいな、こみ上げる怒りが簡単に心と脳を凌駕した。
なんだよ、ふざけんな、冗談じゃねぇ!
「清田!」
俺は走り出して、逃げていったヤツを追いかけようとフェンスを掴んだ。
けど、うしろからにダメだと呼び止められた。
「んでだよっ」
「ダメ、ナイフ持ってたもん、行っちゃだめっ」
「なおさらじゃねーかよ、ザケンなっ!」
「ノブ!」
「ぜってぇ許さねぇぞクソがッ!!・・・」
ガサガサと草むらの中を消えていく足音は、すぐに聞こえなくなった。
血の上る頭を掻き毟って、怒りのやりどころのなさにフェンスを思い切り蹴りつけ、夜闇にガシャン!と大きな音が響いて、それでも抑えきれなくて何度も金網を殴りながら叫びたくった。
どす黒いもので脳みそを食い散らかされそうだった。今までこんな怒りを感じたことなんてなかった。全身が痙攣するみたいに震えてやまず、思いきり頭を押さえつけ当たり散らしたい感情を力ずくで抑え込んだ。
「ノブ、大丈夫だから、何もされなかったから」
「ッ・・・」
何も、されなかったじゃねぇよ、バカヤロッ・・・
「ノブ」
いつの間にかすぐうしろにいた、の声。
まだビビってるみたいな声なのに、俺を安心させようと落ち着けたような。
が俺を呼べば呼ぶほど、今度は悔しさが込み上げた。
痛いくらい全身を押さえ込む俺は、重い体と感情を支え切れなくなって、ずるずる膝を崩してうずくまる。押さえつけてる頭があまりに熱くて、全身にたぎる熱が瞼に集まって、握りしめる手にじわりと水分がにじんだ。
「ふざけんな、あのヤロ・・、絶対殺してやるっ・・・」
「・・・」
こぼす俺のそばに、を感じた。においと言うか。空気と言うか。
は冷え切った俺の髪にそっと手を伸ばして、俺をなぐさめるみたいにそっとなぜる。それでも俺の涙は止まらず、もう今の自分にあるものが怒りなのか悔しさなのか、恐怖なのか、分からず、俺はうしろに感じるに手を伸ばして、抑えの利かない腕で抱きつかんだ。
いつの間にか、こんなにも小さかった。
だけどいつだって俺の中じゃ、一番大きかった。
いつも見上げていたかった。
いつも見下げててほしかった。
・・・問題っていうのはまぁ、畳みかけるように起こるもんで。
いや、べつに問題ってわけじゃないんだけど。
きのうの騒動も一晩経ってようやく俺の中で静まってった翌日の放課後、それは起きた。
「・・・」
「でね、そろそろ、返事が欲しいんだけど・・・」
「・・・・・・ア、ハイ」
今日1日の授業が終わり、体育館に向かってた俺を渡り廊下で呼び止めた人。
ミス海南。(ヤベぇ、名前が・・・)
「やっぱり私じゃ、ダメなのかなぁ?」
「やー・・・、えー、そのぉー・・」
どうしよう。すっかり忘れてた。なんも考えてなかった。
「・・・ごっ、めんなさい、付き合えません・・・」
「え、どうして?」
「どーしてって、言われると、えっとぉー・・・」
「何がダメだった?」
「いや、ダメってゆーか」
「他に好きな人がいるとか」
「や、そういうわけでも・・・」
なんだ・・・、ワケもなく人をフルってゆーのは、相当困ったもんだな。
そもそも俺はなんで断ってんだ。そもそものそもそも、俺はなんで告られたんだ。
「信長くん、前の、人気投票でさ、私に入れてくれたって、言ってたじゃない?」
「え?」
「あれは、ただちょっといいなって思って入れてくれただけだったの?」
「え・・・?」
人気投票で、俺が、この人に?
「え、なんで、俺が、あなたに入れたと?」
「・・・前に、信長くんがそう言ってるの、ここで聞いたから」
え?俺、そんなこと言ったか?
「いや、俺、あれは、違うやつに・・・」
「うそぉ、だってあの時私に入れたって言ってたじゃない」
「それ、俺全然覚えてないんすけど」
「だって・・・、じゃあ誰に入れたのっ?」
「だ、誰って・・・」
「だれっ?」
「それはー、そのー・・・」
あれは・・・
「あれは、俺、にっ・・・」
「・・・は?」
・・・あ、ヤベ。
「・・ちょっと、冗談言ってる?私本気なんだけど!」
「いや!ぜんぜんっ・・」
「意味わかんない、ちゃんってお姉ちゃんでしょ?バカにしてんのっ?」
「いや、そのー・・・」
あーもー、メンドくせー!
そう思った瞬間、どこか近くだけど見えないところから、わっと大勢の笑い声が俺たちを囲んだ。突然何事かと俺と、この目の前の人(名前・・・)があたりを見回すと、俺たちが立つ渡り廊下の両脇から、いつからか俺たちを覗き見していたらしいバスケ部の人たちがげっらげっらと手を叩きながら笑い転げたのだった。
「あー!ちょ、みんなしてなにしてんスかー!」
「だっははは!おま、信じらんね・・・、ねーちゃんに入れたって!」
「ひーっ、おま、ちょーウケる!ナンバーワン差し置いて、ねーちゃんって!」
「う、うっさいっすよ!俺の勝手でしょ!!」
この人たちは、俺たちの気まずさもお構いなしに吹っ飛ばして笑い転げ、完璧に怒ってしまったあのミス海南の人は、走ってどっかに行ってしまった。
「清田、お前ってやつは、ものすごーくかわいーやつだったんだな!」
「なんスかそれ!ていうかいい加減笑いすぎっすよ!」
「あーあ、ミス海南のプライドズタズタだよアレはー、恨まれちゃうぜー」
「ナンバーワンが姉弟愛に負けちゃあなぁ・・・ぶふっ」
「だっからそれは、ただ断るために言っただけっすから!」
俺はそのまま部員の人たちに肩を組まれ体育館へ入っていき、思ったとおりその話はそのまま部員全員へと知れ渡って笑われまくった。こんだけバスケ部に浸透してしまえば明日から学校でどんだけ膨れ上がってしまうのかと、想像しただけでも怖いものがあるが、俺としては、あれにどう決着つければいいのかまったく困ってしまっていたので、結果的にはナイスなオチがついたと思っていた。
「あっ、おい!」
着替えて体育館に向かおうとした途中で、神さんと一緒にいるを見つけた。
これから部活の神さんと別れて今から帰っていきそうな様子。
「なによ」
「お前は帰るな、そこにいろ」
「は?」
はきのうはずっと落ち着かない様子だったけど、今じゃだいぶ平気そうだ。
こんなやつでもいちおー女なんだと思い知った出来事だった。二度とゴメンだけど。
「なんでよ、あんたいい年してお姉ちゃんと一緒に帰りたいの?」
「もう二度とひとりでフラつくことは許さん。終わるまでそこで見てろ」
「バスケ部が終わるまで待ってろってゆーの?」
「うるせー!俺様が毎日どんだけ血の吐く思いをしてるのかとくと見てやがれ!」
嫌。と一刀両断して、は俺の言うことなんて聞きやしない。
まったくこの女には、がんばってる弟をねぎらう気が一切ない。
すると隣で神さんが、清田レギュラーに選ばれたんだよ、と助言してくれた。
「うそ、ほんとに?」
「そんなウソつくか!」
「えーやるじゃん、よくやったねー」
「頭をなでるなっ」
知った途端に機嫌良くなりやがって、現金なやつめ。
でもはここ最近見せなかった顔で、上出来、さすが私の弟!と俺の頭を執拗に撫でた。
ここ数日の不機嫌さなんてすっかり忘れ去って。
隣で神さんも笑ってるし。
体育館のほうじゃ先輩たちもなんかゲラゲラ笑ってくるし。
「だぁあもう!髪をぐちゃぐちゃにすんなー!」
なんか、梅雨晴れみたいな。
ひさびさに覗いた晴れの空。
・・・?