Unknown
学校中の生徒が下駄箱へと向かっていく放課後。
人の間を縫って階段を下りていく俺はケータイを握りしめながら、1階まで下りてきたところで探していた目的のものを発見し、和気あいあいとした生徒たちの頭の上から叫んだ。
「コラ待てー!」
その場にいた大勢の生徒が振り返る。これから部活だったり、遊びに行くヤツだったり、それぞれだ。なんとわがバスケ部も今日は部活休み!といってもあさってには全国大会のレギュラー決定へ向けて他校と練習試合があるから、休みらしい休みはこれが最後だ。
「でかい声で呼ばないで」
「ああ?ムシするお前が悪いんだろ!」
「ほんとバカまるだし」
「知るか!で、誰とどこに行くんだよ!」
は横を通り過ぎていく生徒たちの目が集まってくるのが嫌で嫌でしょうがないような表情をする。けど俺にはそんなもの関係なく、手の中の携帯電話に表示されているメールの本文をに見せながら問い詰めた。
俺は今日の昼に廊下で神さんと会い、神さんがせっかく部活のない今日という日なのに委員会なんぞがあると言っていたのを聞いた。ただでさえハードなバスケ部、しかもレギュラーの位置にいながらご丁寧に委員会までやってるなんて、なんと出来た人だろうか。
とかそんなことを思いながら、てっきり練習がないならとどっか行くんだろうと思っていた俺は、にメールで「まっすぐ家に帰るんだろーな」と聞いた。そしたら「友だちと出かける」と絵文字も色気もない質素なメールが返ってきたからどこに行くんだとさらに聞いた。それから一切返事がこなかった。
「アンタ・・・、ほんっといい加減にしてよ。なんでいちいちアンタに報告しなきゃいけないの」
「うるさい!誰とどこに、何時に帰ってくるんだ!言えんなら外出は許さん!」
「べつに場所なんて決めてないよ、テキトーにそのへんブラついてるから」
「誰とだよ」
「あーもー、神だよ神」
「ウソをつけ!神さんが今日委員会なのは調査済みなんだよ!」
「ウッザ・・・」
心底鬱陶しそうな目をよこしてくるが、そんなものは関係ない。
世の中、こんな女でも襲ってしまえるもの好きがいるのだから安心できない。
あの時は俺様の天性の勘で事なきを得たが、あんなことが毎度続くわけではないのだ。
案の定答えられないは証拠不十分により外出不許可・強制帰宅と決議し、カバンごとを引っ張っていった。
「アンタのその無駄なくらいの心配性は何なの」
「言っとくけどな、俺なんてまだかわいーもんだぞ。こないだのことがかーさんに知れたらこんなもんじゃないぞ、たぶん毎日車で迎えに来るぞ」
「アンタだって似たよーなもんじゃない」
文句たらたらなを自転車置き場まで引っ張ってきて、チャリを引っ張り出しを乗せて走りだす。まぁたしかに車かチャリかの違いで強制連行には変わりないかもしれない。
帰っていく大勢の生徒たちが歩いている中をを乗せてこいでいくと、通り過ぎる生徒のほとんどが俺たちに振り返る。と一緒に帰ることが多い昨今、中には俺たちが姉弟であることを知らないヤツがいて、付き合ってるのかとか、ひどいときには神さんから彼女とったのかとかいう噂が流れているようだ。最初は姉だと言い返していたが、3回目くらいからメンドくさくなって無視してる。
「ハラ減った、マックいこーぜマック」
「おごらないよ」
「お前な、毎日毎日俺をアシのように使っておきながら」
「アンタが乗ってくださいお姉さまって頼むんでしょ」
誰がそんなこと言うか!と文句を言うと、前見ろ!とうしろから殴られる。
まったく、神さんの前じゃ寒気が走るくらいおとなしいというのに、この違いは何なんだ。
「そーいや神さん、待ってなくて良かったのかよ」
「いーよ、どうせ明日も会うし」
「明日?明日は練習あるぞ」
「昼からでしょ、それまでには帰ってくるし」
「お前な、地獄の練習の前に朝っぱらから連れ回すなよ」
「どうせ朝から走ってるからいいんだって」
「あ、そ・・・」
ずっとケータイをいじってたはパチンと閉じ、俺は青になった信号を確認してペダルを踏み込んだ。
この前ののキレようを見たらさすがの神さんも引いたかなと思ったけど、ふたりはまだ付き合ってる。神さんてたぶんが初彼女っぽいし、ちょっと盲目的になってるんじゃないだろうか。その上あの辛抱強さというか、やさしすぎ・面倒見よすぎなところが相まって、やめるにやめられない、みたいな。
「ノブ、コンビニ寄って」
「あー?もっと早く言えよ、しょうがねーな・・・」
じゃなきゃ、こんな横暴で人使いの荒いヤツと付き合ってられない。
早く目がさめればいいのにと思う。神さんのために。
翌朝は、必要もないのに朝早くに目が覚めた。
学校に行くより早い時間から、隣の部屋ではバタバタ物音が響いている。
こんな日は早く起きる現金なに軽く腹が立つ。
「なに、早いね。どうしたの」
目が覚めてしまって下へおりていくと、はテレビの前のソファに座ってコーヒーを飲んでいた。ボーっとした俺は答える元気もなくの向かいのソファに寝転がり、俺にもコーヒー入れてと頼むとはキッチンに入っていった。
「母さんは?」
「お父さんと買い物いった」
「こんな時間から?」
「朝市なんだって」
「元気な夫婦・・・」
コトンとが大きなカップをテーブルに置く。
ミルクたっぷりの、コーヒーというよりカフェオレのような甘い湯気がカップから湧き立った。
その奥には、の爪と同じ色した小さなマニキュアが目に入る。
薄紅の、もうとっくに過ぎ去ったさくらのような色。
「寝るなら起きてこなきゃいいのに、なんで起きてきたの」
「んー・・・」
ソファにうつぶせたまま湯気の立つカップにすら手を伸ばさない俺を、手鏡を覗きながらマスカラを重ねるが横目で見やる。素足をさらけ出したスカート、小さく光るピンキーリング、まっすぐに整えられたカフェオレ色の髪。どんどん伸びてくまつ毛、ほんのり色の乗った頬、覚えのない甘い香水。
誰だこれ、て感じ。
「出てくまでにお母さんたち帰ってこなかったらちゃんとカギ閉めてくんだよ」
「あー・・・」
「ごはんキッチンにあるから」
「・・・いらねぇ」
「なんで」
「・・・」
「ノブ?」
まつ毛の前でマスカラを持つ手を止めて、がうつぶせたままの俺を呼ぶ。
てかてかに光った口で、俺を呼ぶ。
それでも俺が返事しないものだから、は立ち上がり寄ってきて、俺の頭に手を置いた。
「なによ、気持ち悪いの?」
「んー・・・」
「また遅くまで起きてたんじゃないの」
「・・・」
「ノブ?ひどいの?」
「ん・・・」
「だったら部屋で寝なよ。練習行けるの?」
「いく・・・」
まともに答えない、そこから動かない俺を見かねて、がどこからか毛布を持ってくる。俺の乱れた髪をかき分け額に手を当てて、ちょっと熱いかなとつぶやきながら今度は体温計を取りに行った。
昔、まだ小さいとき、学校行きたくないなと思っていると、不思議とだんだん熱っぽくなっていったものだけど、ピピッと音を立てた体温計はわずかに高い数字を表示した。それを見ては「おなか出して寝てたんじゃないでしょうね」と俺の頭の上のほうでぼやくけど、一応飲んでおけと風邪薬を持ってきた。
「あ、待って、食後だコレ。ちょっとでも食べれる?」
「なに?」
「チャーハン」
「うげ・・・」
「違うのなら食べれそう?」
うんと答えると、はキッチンに入っていき冷蔵庫を開けた。
戻ってきて、うどんなら食べれる?と聞いてきたから、またうんと答えた。
はなんだか、そういうところがあった。普段は力の限り横着者だけど、俺が病気になったときだけは、こんな風にとてもやさしくなる。俺は小さいころよく熱を出す子どもで、今でも年に一度くらいは高熱で寝込むことがあるけど、そういう時はいつも、俺の世話を焼いた。
「なぁ」
「うん?」
「時間、いーの」
「うん。アンタ、そんなとこで寝ないで部屋で寝たら?」
が作ったメシを少し食べて薬を飲むと、どこかに行ってたがリビングに戻ってきてカバンの中に携帯電話を入れた。
「練習行くの?」
「行くよ、せっかくレギュラー獲れたのに休めるかよ」
「じゃあちゃんと治しな」
そうは、バサリとふとんを俺にかぶせ寝かせる。
さっきまではずっとチラチラ時計を見てたけど、ソファに座って新聞を広げるはもうちっとも時間なんて気にかけなかった。
時計の秒針がぐるぐる回る。
朝の情報番組の左上に表示されてる数字がどんどんその数を増やしていく。
「・・・なぁ」
「うん?」
「いーよ、行けよ」
「もう断ったよ」
「・・・」
髪も、服も、化粧も。まとってる空気すらすべて、誰かのために。
ここにはちっとも、必要のないものばかり。
全部、無駄になってしまって。
「神さんに、俺のこと言った?」
「無理するなよってさ」
「・・・」
いつだったか、熱にうなされ寝れないとき、部屋に来て一緒に寝てくれた記憶があった。
が中学のとき、家族と口をきくのも顔を合わすのも嫌そうだったのに、熱を出した夜だけは今みたいに、俺の額に手をあてた。
だから俺は時々、ウソをついた。
帰ってきてほしくて、昔のままでいてほしくて、傍にいてほしくて。
熱くグルグル歪む景色の中でだけは、やさしかったから。
そのたび俺は、小さくドキドキ痛む胸をふとんと一緒に押さえながら、喜んでいた。
こんな風に、小さく喜んでいた。
やっぱり俺はどうしても、姉ちゃんが好きだった。
「・・・」
姉ちゃんが?
が?
その身に流れている血は、俺とは違うもの。
そう分かってずっと悩んで苦しかった。
あの嫌悪にも似た吐き気は、哀しかったから?
拭いきれなかった違和感は、少しずつ、どこへ消えた?