ヒーロー養成所と言われる雄英にはヒーロー科生徒の訓練の為の演習場がいくつもある。再現された街並み、複雑なビル群や工場地帯、広大な森林や岸壁、迷路のような地下街。将来、晴れてプロヒーローとなる生徒たちが自然災害や敵の脅威から人々を守る力を養うための模擬訓練を可能にしている。それだけの面積・設備を有しながらもセキュリティーは万全に敷かれているそれは俗に「雄英バリアー」と呼ばれている。
パラ……、欠けた岸壁の破片が遥か下方の地面に向かって落ちていく。自然の岸壁は見誤ると脆く崩れ落ちる。岩の丸みに手を添え僅かなくぼみに中指の先を乗せ、足を岩肌に滑らせ少しでも支えになりそうなへこみを探す。バランスを取り体重をかけられそうな強度を確認して昇り、自重を支えひとつ段階を上がる。その繰り返し。時間をかければ手が汗をかく。腕も痺れだす。最短のルートを探し、最短の力で上がる。見誤れば落ちた岸壁の破片よろしく、下方へ吸い込まれる。
ようやく頂に指をかけ踏ん張り昇りきる。緊張がほどけるのと同時に呼吸が踊り、崖下に足を提げ座ると足元に広がる森林の奥にガラス張りの雄英本校舎が朝陽を反射し光っているのが見えた。地上より風が強い岸壁の天辺、流れる汗が風に浚われていくが流動する血液と熱を持つ筋肉が寒さを感じさせずは静かに息が落ち着くのを待った。
「こーら、またロープも着けずにこんなこと」
の肩にパサッとタオルが乗り頭の上から女の声が降ってくる。振り返らずともその姿は岸壁を昇っている時から向かう先に見えていて、話すのもこれが初めてではないから誰かは知っていた。有事の際は服を着ているんだかいないんだかな格好をしているが、今はカジュアルな服に身を落ちつけているプロヒーロー・ミッドナイト。
「学校生活はどう? 友達はできた? 今年はなかなか粒ぞろいじゃない」
「粒?」
「よさげな子が多いってこと。A組だっけ、ほら、入試1位だった活きのいい子とか。あとあのエンデヴァーの息子とか」
「エンデヴァー?」
「オールマイトに次ぐ実力派ヒーローのエンデヴァーよ。名前は轟……、何くんだっけ」
「ああ」
「なに? 何か話した?」
ううん。は首を振りながら袖でぐいと額の汗を拭う。
持ってきてあげたんだからタオル使いなさいよとミッドナイトはの顔中をぐいぐいと拭いた。甘い花のようなかぐわしさがする。
「まぁまだ3日目だしね、これからか。あんまり暗い顔ばっかしてると友だちできないぞ! あなたくらいの年の子はもっとはしゃいでるもんよ。箸が転がっても面白い年頃っていうじゃない」
「箸?」
「あー、もういいわ。それよりちゃんと寝てるの? なんだか目が眠そうよ」
「アレがうるさい」
「あーアレね、わかるわー」
はそう遠くの光っている校舎を指差す。徐々に生徒が登校し始めている門前に生徒とは別の人だかり。登校してくる生徒たちにマイクを向けるマスコミ。この春から”平和の象徴”オールマイトが教員として雄英に勤めることになったというニュースは連日報道され、世間の注目度と同時に連日多くのマスコミが詰め寄せていた。
「そんな寝不足状態でこんな落ちたら終わりなトレーニングしないの! そもそも睡眠不足は乙女の大敵! お肌が荒れるわよ。ちゃんとケアしてる? 顔洗った後は化粧水と保湿クリームと」
ミッドナイトはそうの顔をぐいとこちらに向かせるけど、肌荒れなど知らない15歳の白く透き通る肌は入念な手入れをしている30代の肌よりも瑞々しく、「若いっていいわねぇぇええ」と両手で押し潰した。はその手を撥ね退け立ち上がりタオルも放り返した。
「いいわよ、あげる」
「この匂いヤダ」
「失礼ね!」
ぐしぐしと鼻を擦り、泪はまた岸壁に手をかけると地上へと降りていく。登るよりも遥かに視界が悪く筋力を酷使する下降。
「、今日も眠れないなら私のところに来なさい」
そう声を下ろすも、は一度こちらを見ただけで、その頭はどんどん小さくなっていった。
女の子のすることじゃないわね。頬杖ついて泪の頭を見下ろすミッドナイトはポツリ、声を零した。
オールマイトに一言コメントを! 授業が始まってもマスコミの騒ぎが冷めやらぬ朝、その日のホームルームではA組のクラス委員長を決めることとなった。通常なら雑務係のようでなかなか決まらないものだが、ヒーロー科では集団をけん引する統率力を養うというトップヒーローの素地を鍛える役割として希望者が殺到した。
前方で他のクラスメイト同様に爆豪が息まいて手を挙げているうしろの席で緑谷もまた控えめだが名乗りを上げていた最中、緑谷は自分のひとつ前に座るがまるで主張していないことに気がついた。いつも目の前にあるのうしろ姿だけど誰かと話しているところを見たことが無い。ただいつもネクタイをしてこないものだから毎朝飯田に捕まってはネクタイをつけられている人、という感じ。そもそも緑谷にとってはのもうひとつ前にいる爆豪の存在の方が常に大きい為、見逃しがちだった。
こんなにクラス中が我こそはと激しく自分をアピールしているというのに、クラスの雰囲気などお構いなしに窓の外を見ている始末。ヒーローを目指しているというのに、関心が無いんだろうか。そもそも何を見ているんだろう? 緑谷は窓の外をチラッと見てみるけどいつも通りの窓からの風景がそこにあるだけだった。
委員長とは周囲から信頼あってこそ! という飯田の意見から決定は投票形式となった。教室中カリカリとペンが走る音で一瞬静まる間、はいまだ外を見ている。気がつけばいつも余所見をしているだけど、普段は内への関心の薄さから外を見ているようだったのが、今は外の”何か”に強く関心を惹かれているような顔つきだった。
「僕、四票ー!?」
結果、大半の生徒は自分へ投票し各自1票がずらりと並んだが、緑谷と八百万百が複数票を獲り、結果4票の緑谷が委員長、2票の八百万が副委員長となった。
「0票……、分かってはいた! さすがに聖職といったところか……!!」
「他に入れたのね……」
「おまえもやりたがってたのに、何がしたいんだ飯田……」
委員長が決定しホームルームを終えると相澤は起き上がり寝袋から出て1時間目の準備をしろと出ていった。その途中を視界に入れたが、は外こそ見てはいなかったものの普段の気のない無表情ではなかった。
その日の昼休み、ちょっとした事件が起こった。多くの生徒が食堂で昼食をとっている最中、学校内にけたたましい警報が鳴り響き生徒たちは何事かと騒然とした。さすがヒーローを志す生徒たち、状況を把握しようと全生徒が出入り口にいち早く駆けつけ、それが仇となり食堂は人波で身動きが取れない程に騒然とした。警報の原因は正門前に殺到していたマスコミが、あまりに情報を得られない為に校舎内部にまで踏み込み押し寄せてきたことによる警報だったことが分かり、その状況を食堂内の誰よりも早く察知した飯田による素早い機転で生徒たちは落ちつきを取り戻し騒ぎは収まった。
サイレンを鳴らしたパトカーが雄英高校前に数台駆けつけ、警察の指導によりマスコミは撤退していった。
侵入者を感知し即座にシャットアウトした厳重な正門のガードは、粉々に崩壊していた。
こんな事がマスコミの人間に出来るのか?
鉄壁のセキュリティだったはずの雄英にもたらされた不穏に、プロヒーローの教師たちは明らかな悪意を感じ取った。
「……」
落ち着きを取り戻し午後の授業の予鈴を鳴らす雄英。
正門の崩壊から終息までの一部始終を、は本校舎の屋上から見ていた。
数日後の午後、ヒーロー基礎学の時間。
「今日のヒーロー基礎学だが、俺とオールマイト、そしてもう一人の3人体制で見ることになった」
「ハーイ! 何するんですかー?」
「今日は災害水難なんでもござれ、人命救助のレスキュー訓練だ」
ヒーローの活動は敵を鎮圧する事だけにとどまらない。むしろ大災害や大事故でこそプロヒーローたちの強靭な力は人々の為に活躍する。
「レスキュー……、今回も大変そうだな」
「バカおめー、これこそヒーローの本分だぜ!?」
「訓練場は少し離れた場所にあるからバスに乗っていく。以上、準備開始」
教室のコスチューム保管庫が開かれ、生徒たちは更衣室へ移動する。今回は戦闘ではないためコスチュームの着用は任意と相澤は言ったが、大半の生徒は個性を発揮しやすいコスチュームを着用した。
「ちゃん! 今回も同じグループになれるといーね」
「……はぁ」
着替えて外に出たところで駆け寄ってきた葉隠は今回もグローブとブーツだけが浮いて見える。けどそれ以上にはその呼び名が気になった。
「あれ、ちゃん前こんなの持ってたっけ」
は前回同様、首から脚先まで強い布素材で作られているだけの一件には体操服と変わらないような軽装コスチュームだったが、前回対人戦闘訓練で一緒だった時は持っていなかった警棒のような武器に葉隠は目を留めた。対人戦闘訓練があった日の放課後、相澤に呼び出され内容を叱責された時に渡されたもの。
「さん、こういう棒術も得意なの?」
だけなら辺りに周知はされなかっただろうが明るい葉隠の声は周囲にも届き、前を歩いていた大きな尾を携えた男子生徒が振り返った。
「俺、尾白。この間の戦闘訓練さ、あれすごかったなってずっと思ってたんだ。砂藤たちとやった時のさ」
「だよねだよね、かっこよかったよね、私も驚いちゃった!」
「無駄な動きがまったくなくてさ、本当すごかったよ。何か武道やってたの?」
尾白のコスチュームは道着で、武道をやっているのだろうと分からせた。
体つきも身のこなしもそれに準じた者が持つ軸の強さがあった。
「スポーツは何も」
「あ……そう」
「そこの3人! 遅れているぞ、早く並ぼう!」
移動用バスの前でピピーッと笛を吹き3人を手招くのは飯田。
どういうわけか緑谷に決まったはずのクラス委員長がその日のうちに飯田に変わった。委員長に任命され普段以上にやる気に溢れている飯田の指示で生徒たちは2列に並ばされ、順にバスに乗り込んでいく。がバスの最後部のシートに座ると当然のように葉隠と尾白も隣に着席した。
バスは演習場に向かって出発し生徒たちの賑やかな声が充満した。入学以来連日のハードな訓練でも少しずつ足並みが揃ってきたA組。特に先の戦闘訓練で組んだペアは互いの個性も共有し合ったことでより懇意になっているように感じられた。
「あ、何これ伸びる!」
「3段階か、2メートルくらいある?」
「ながっ、扱うの難しそう!」
「葉隠さん、危ないよ、轟くんにあたる」
「あ、ごめんね轟くん」
「いや、当たってねぇ」
葉隠が面白がってどんどん伸ばした棒の先が、ひとつ前のシートに座る轟の頭にあたりそうになり尾白が咄嗟に止めた。振り返った轟は葉隠が持つそれに目を留め、真後ろにが座っていたことにも気付いた。
「これ、アンタのか?」
葉隠がこんな武器を持っていては透明になれる利点がなくなる。
尾白は成りから見ても武闘派だと察し、に問いかけた。
「ちゃんのだよ。新しく作ったんだって」
「なんでだ?」
「なんで……?」
「あの戦闘訓練で必要と思ったから作ったんだろ? その理由だよ」
「えーと……?」
への質問さえも答えてくれる葉隠に便利さを感じていただけど、今回は葉隠も変わりに答えられず、轟の目もに向いていた。
「……補強?」
「なんだそれ」
まるで今考えた、みたいな答えに、轟は眉間にしわを寄せた。
「それがあれば俺ともやってたのか?」
には轟が言っていることの意味が分からなかった。
「や、轟くんとの回は一瞬過ぎて、誰も対応できなかったよきっと」
「そうそう、ごわーって一瞬!」
尾白と葉隠がフォローに入り、はようやく轟の言いたいことが分かった。
轟はが動ける状態にありながら応戦してこなかったことを言っている。その後の砂藤・口田戦ではちゃんと動いていたのに。
えーと……と答えを考えているうちに、バスは演習場へと到着し前方から飯田の号令が飛んだ。前の方から生徒たちがバスを降り、答えないから目を離した轟も席を立ちバスを下りた。
「なんか轟くんって迫力あるよね」
「うん、あの顔で睨まれるとなんか、ね」
「あ、ちゃんごめん、コレ返すね」
ドキドキしたーと声を合わせながら尾白と葉隠もバスを降り、もそれに続いた。
校舎から3キロ程離れた演習場は、中に入ると広いエントランスがあり、そこから大階段を下りた先に水難事故、土砂災害、火事などの現場を模したエリアが広がっており、それはまるで大きなアトラクションがいっぱいの遊園地のようだった。
「あらゆる事故や災害を想定し僕が作った演習場です。その名も……”ウソ(U)の災害(S)や事故(J)ルーム”!」
「スペースヒーロー、13号だ! 災害救助で目覚ましい活躍をしている紳士的なヒーロー!」
「わー私好きなの13号!」
宇宙服のようなコスチュームに身を包んだプロヒーロー、13号の登場に緑谷や麗日を始めとする生徒たちは歓声を上げた。13号はまだ若く相澤の後輩であるが震災や災害、事故など迅速な人命救助が必要とされる現場に真っ先に駆けつける雄姿からメディアにも度々取り上げられ、人気・実力共に広く世間に認知されたレスキューに特化したヒーロー。授業開始時の相澤の話ではオールマイトを含めた3人が今回の講師という話だったが、オールマイトがいない。何か変更があったのか。けど授業は開始されるようだった。
「えー、始める前にお小言を一つ二つ……三つ……四つ……。皆さんご存じだとは思いますが、僕の個性は”ブラックホール”。どんなものでも吸い込んでチリにしてしまいます」
「その個性でどんな災害からも人を救い上げるんですよね」
「ええ……、しかし簡単に人を殺せる力です。みんなの中にもそういう個性がいるでしょう」
雄英の教師は皆プロのヒーロー。授業の度に新たな憧れのプロヒーローが登場し、ヒーローを目指す生徒たちにとってこんなに興奮することはない。
しかし13号が発した「人を殺せる」というワードに、盛り上がっていた生徒たちの意識がひたと止まった。
「超人社会は個性の使用を資格制にし厳しく規制することで一見成り立っているようには見えます。しかし一歩間違えれば容易に人を殺せる”いきすぎた個性”を個々が持っていることを忘れないでください。相澤さんの体力テストで自身の力が秘めている可能性を知り、オールマイトの対人戦闘でそれを人に向ける危うさを体験したかと思います」
13号の真摯な言葉を生徒たちはまっすぐに受け止め、聞き入った。
誰の顔もまっすぐに13号へと向いているのがその証だった。
相澤はそんな生徒たちの様子を確かめる。
けどその生徒たちの最も奥に立つの目だけが13号に向いてはいなかった。あいつは……と睨み据える相澤だが、いつもなら授業中余所事を考えているは空を見ていることが多いけど、今のは視線を落としている。渡した武器も携帯しているようだし、目を見返せないだけで13号の話に少なからず思うところがあるのだろうか。そう考えの様子を伺った。
「この授業では心機一転! 人命の為に個性をどう活用するかを学んでいきましょう。君たちの力は人を傷つけるためにあるのではない、救う為にあるのだと心得て帰って下さいな」
以上! ご静聴ありがとうございました。
13号がそう締めくくると生徒たちからは歓声と共に拍手が起こり、13号が伝えたかったまっすぐな思いは生徒たちに十分伝わったようだった。
しかし盛り上がる生徒たちの奥で、やはりだけが無反応。相澤がジッとそんなを伺っていると、俯いていたは不意に顔を上げ相澤に振り向いた。いや、相澤を見たのではない。その目はもっと後方へ向いている。
そして相澤も感じた。が凝視する先の、淀んだ気配。
相澤はバッと大階段下の広場を見下ろし、そこに現れた黒い渦のようなものを見た。次第に広がるその中から”手”が現れ、顔を覗かせた、何か。
「一かたまりになって動くな!!」
「え?」
「13号、生徒を守れ!」
歓声を上げる生徒たちは突然叫び出した相澤の指示を誰も理解できなかった。相澤はを探したが、ぽかんとする生徒たちの中のどこにもいない。しかし今はそれに気を取られている場合では無く再度広場を見下ろす。黒い渦から最初に顔を出した黒い服の男が地に足をつけ、その後を続々と多数の敵がぞろぞろと”USJ”に現れた。
「なんだアリャ!? また入試ん時みたいなもう始まってんぞパターン?」
「動くな! あれはヴィランだ!」
広場にぞろぞろと出てくる輩を生徒たちはなんだなんだ? と見下ろす。
相澤はすぐにゴーグルを装着し戦闘態勢を取った。
「13号に……イレイザーヘッドですか……。先日頂いた教師側のカリキュラムではオールマイトがここにいるはずなのですが……」
続々と敵を排出する黒い渦が言葉を話す。
やはり先日のはクソ共の仕業だったか。相澤は数日前に正門のセキュリティが粉々に粉砕された件を、予想通り”悪意”を持った者がマスコミを煽り侵入させたのだと確信した。
「どこだよ……せっかくこんなに大衆引きつれてきたのにさ……、オールマイト……、平和の象徴……、いないなんて……」
黒い渦の得体の知れなさ。取り巻く禍々しいまでの不穏。
いくつもの切り取られた手首のようなものに顔・首・腕・身体を掴まれている異形の男が細い声を醸し出す。
「子どもを殺せば来るのかなぁ……」
捕縛武器を構え戦闘に立つ相澤。生徒たちにもようやく伝わる危機、緊迫、畏怖。
それは奇しくも命を救える訓練時間に彼らの前に現れた。
平和の象徴を殺せ。
原作では3票の緑谷票が増えているのはもちろん主人公の持ち票です。
とか言ってる局面じゃなくなってた。