LESSON11 - name

 体育祭の振り替え休日が明けた日。その日は朝から空を覆う雨雲が街をどんより沈ませ、しとしとと雨を降らせていた。
 傘を差す大勢の生徒と同じく水たまりを踏み登校する轟は、向かう先の校門前に殊更多くの傘が集中しているのを見た。生徒ではなくカメラやマイクを持ったマスコミたち。またかと思いながらも向かわないわけにはいかず、その傘の主たちもまた轟を見つけ集まってきた。

「轟くんおはよう! 体育祭準優勝おめでとう」
「どうも」
「決勝相手の爆豪くんとはクラスメイトでもあるよね、二人は普段どんな関係なの? やっぱりライバル?」
「お父さんのエンデヴァーも会場に見に来ていたけど、おうちで何か話したりしたのかな? 感想とかアドバイスとか」
「いえ、特に」
「普段もお父さんから指導受けたり組手教わったりしてるの?」
「二回戦ではエンデヴァーと同じ炎の個性も使っていたよね、やっぱりそっちが隠し技なのかな」
「すみません通して下さい」

 体育祭ですっかり時の人になってしまったといえど、その話題はやはり父親のエンデヴァーが絡んでくる。不快に思うも顔に出すわけにもいかず、言葉短く早くその場を去ろうとする轟だが、周りの傘が邪魔で進みづらい。他にも何人かA組の生徒が捕まっているけど、轟の登場でほとんどのマスコミは轟の周囲に集まりマイクを寄せてきた。こんな中に、さらに爆豪が現れたりしたらとんでもない騒ぎになってしまいそうだ。早く中に入りたい。

「オールマイトの授業はどう? 直接指導受けてるの?」
「他の子に聞くとやっぱり轟くんは別格だっていう意見が多いけど、轟くんは誰か注目してる人いる?」
さん、って同じクラスだよね」

 なんとか合間を縫って通り抜けようとすると、そんな質問が耳に入った。
 振り返ると目深に帽子を被った記者が「彼女はどう?」と尋ねてきた。
 何故、

「将来はやっぱりお父さんのようなヒーローを目指してるの?」
「やっぱり卒業後はサイドキックとしてお父さんと仕事をすることが目標なのかな」
「はい、そこまでにしてください」

 マスコミを押しのけ仲裁した相澤の手で轟は引っ張りだされ、正門をくぐるともうマスコミも追ってはこられなくなった。

「しばらくはまたうるさいだろうが、相手にしなくていいからな轟」
「はい。あの、先生」

 轟は先程聞かれたのことを相澤に言おうとしたが、門前にいたマスコミたちが今度は登校してきた爆豪に駆け寄っていったから、苛立った様子でそちらへ行ってしまい聞けずじまいだった。
 雫の落ちる傘をしまい下駄箱で靴を履き替え教室に向かう。雨の廊下は光が当たらずどこか薄暗く、休日明けにしてはどこか鬱蒼としていた。A組の教室までくると半分程が来ていたがはいない。

「おはようございます轟さん」
「おお」
「あんた校門前でマスコミに囲まれたでしょ。めっちゃ聞かれたもん、轟のこと」
「私もですわ」

 カバンを下ろすと隣の席の八百万と傍に立つ耳郎が言ってきた。
 おそらく二人は轟のことを聞かれても「別格」とは表現しないだろう。それはマスコミが誘導し言葉を作ったもの。「やっぱりちょっと他とは違うなって感じする?」という質問になんとなくでも頷けば、それはそう答えた者が「別格だ」と言ったように書かれるのだから。

「俺のこと以外で何か聞かれたか?」
「爆豪のことと、あとはオールマイトはどうだとか?」
「私は常闇さんのことも聞かれましたわ」
「ヤオモモは常闇と一回戦やったしね」

 他の者は聞かれていない。聞かれた者がいれば轟と同じく違和感を覚えただろう。秀でた活躍を見せたトーナメント出場者ならともかく、第一種目すら通過しなかったを、何故。
 予鈴近くになりほとんどの生徒が集まり同じ話題で盛り上がっている中、後方扉を開けが教室に入ってきた。いつも気がつけばいて気がつけばいないように感じていただけど、静かに席へと向かうに常闇がおはようと声をかければおはようと返しているあたり、これまであまりにひっそりとしていた存在が体育祭以降浮き彫りになったようだった。

「おはようございますさん」
「あんた、頭めっちゃ濡れてんじゃん。なんでそこまで濡れんの」
「雨だから」
「いや雨だけど、どうやったらそんなびしょ濡れになんの、風邪ひくよ」

 轟たちの近くを通ったはしっとりと髪を濡らしていて、けれども制服は濡れてはいない。指摘された髪をザリザリと掻きながら話に混ざることはなくそのまま自分の席についた。

「やっぱりテレビで中継されると違うね! 超声かけられたよ来る途中」
「俺も!」
「私もじろじろ見られて、なんか恥ずかしかったぁー」
「葉隠さんはいつもなんじゃ……」
「俺なんか小学生にいきなりドンマイコールされたぜ……」

 始業が近付くと全員が揃い教室内も活気づいていく。体育祭の日は早退した飯田も今朝は来ていた。日差しは差し込まず煌々と電灯がついているのだが、生徒たちの声が増えるにつれ明るさも増しているかのようだった。

 おはよう。と相澤が教室にやってくると騒いでいた生徒たちは急いで席につきおはようございます! と返す。教壇に立つ相澤は、体育祭まではUSJ事件のケガで顔や手足に包帯を巻いていたが、今日はそれが取れていた。

「相澤先生包帯取れたのね、よかったわ」
「ばーさんの処置が大げさなんだよ。んなもんより、今日のヒーロー情報学、ちょっと特別だぞ」

 ドキ! と生徒たちに緊張が走る。またテストか? ヒーロー関連の法律とか難しくて苦手なのに、と誰もが身を固くして相澤を見た。

「コードネーム。ヒーロー名の考案だ」

 想像したような受難ではなく生徒たちは立ち上がって興奮した。

「というのも、先日話したプロヒーローからのドラフト指名に関係してくる。指名が本格化するのは経験を積み即戦力として判断される2・3年から。つまり今回1年のおまえらに来た指名は、将来性に対する興味に近い。卒業までにその興味が削がれたら一方的にキャンセルなんてことはよくある」
「頂いた指名がそのまま自身へのハードルになるんですね」
「そう。で、その集計結果がこうだ」

 リモコンを操作し画面にA組指名件数が順に表示される。
 轟……4123件、爆豪……3556件。
 次いで常闇……360件、飯田……301件、上鳴……272件、と続いていく。当然最終種目まで残った生徒には多くの注目が集ったが、一位だった爆豪よりも二位の轟に指名は集中しており、最も満身創痍な戦いをした緑谷には一つも来なかった。他にもトーナメントを勝ち残った切島より一回戦で敗退した上鳴に多く集まったりと個性により増減する結果となり、改めて人から評価されるというリアルな数字に生徒たちは一喜一憂した。

「あ、あれ……、8って」
「え、なんで?」

 八百万……108件、切島……68件、麗日……20件、瀬呂……14件、と続く最下位に、……8件の数字が表示された。

「この結果を踏まえ指名の有無に関係なく、いわゆる職場体験ってのに行ってもらう」
「職場体験?」

 クラスに僅かな淀みが流れたが、相澤が続けた言葉に皆の視線は前に戻った。

「おまえらはUSJん時、一足先にヴィランとの戦闘を経験してしまったが、プロの活動を実際に体験してより実りある訓練をしようってことだ」
「それでヒーロー名か!」
「俄然楽しみになってきた!」
「まぁそのヒーロー名はまだ仮ではあるが、テキトーなもんは」

 つけたら地獄を見ちゃうよ!
 ガラッと開いた扉から登場したのはミッドナイト。先日の体育祭より目の前に現れたミッドナイトに男子たちは興奮した。

「学生時代につけたヒーロー名が世に認知され、そのままプロ名になってる人多いからね!」
「ま、そういうことだ。そのへんのセンスをミッドナイトさんに査定してもらう。俺はそういうの出来ん」

 相澤は雄英在校時代、同じようにこの課題に取り組んだが、メディアへの露出を酷く嫌い、名前にこだわりもなかったことから何も決めておらず、同じクラスだったプレゼントマイクに「イレイザーヘッド」とつけられそれに落ち着いただけだった。

「将来自分がどうなるのか、名をつけることでイメージが固まりそこに近付いていく。それが名は体を表すってことだ。オールマイト、とかな」

 これまで当たり前のように認知し呼んできたプロヒーローたちの名前。それを自分につけるとなると、より現実的に夢に近付いているような気がして生徒たちは目を輝かせた。

 全員にボードが配られそれぞれ書き込んでいく。すでに案があるのか、すぐに書き出す者もあれば悩む者もいる。しばし静かな時間が流れる中、寝袋に入る相澤は前から回ってきたボードを一枚取りうしろに回す泪を見て「苦労するだろうな」と思う。まさか考えてなどいないだろうし興味もないだろう。昔の自分と同じく。

 考えたヒーロー名は発表形式となり、教壇に立ってみんなの前で公開しなくてはならず全員に緊張が走った。それぞれに考えていたものがあっても、それを堂々とみんなの前で出すのは、なかなか勇気のいるもの。
 出来た者から順に登壇し発表していく。それぞれ個性を踏まえ特徴を捉えた名前を実際にみんなの前で口に出してみると、恥ずかしながらもぼんやりとしていたものがしっかりと形になっていくようで、だんだんと盛り上がっていく生徒たちは順調に発表を済ませていった。

「思ったよりずっと順調に進んでるじゃない。残ってるのは再考の爆豪くんと、飯田くん、緑谷くんと……」

 教室を見渡すミッドナイトは悩ましげに机に向かっている泪を見る。

、どう? できた?」

 指され、はボードに書き込み席を立つ。
 轟はミッドナイトが呼んだ「」という名に引っ掛かりを覚えた。
 そういえば前に相澤も、ではなくと呼んでいた。
 教壇に立ったは「」と書いたボードをコンと置きみんなに見せる。

「名前でいいの?」

 頷きはさっさと壇上から降り席に戻ってしまう。
 続いて席を立ったのは飯田。

「あなたも名前ね」

 天哉と書かれたボードを提示する飯田。
 しかしその名前には飯田らしくもなく、焦燥で不安定な心が文字に表れていた。

「緑谷くん、できた?」
「あ、はい」

 最後まで時間をかけた緑谷が前に立ちボードを見せる。
 悩み抜いた気配の漂う字で書かれた「デク」。

「緑谷……?」
「いいのか? 一生呼ばれ続けるかもしれねーんだぜ」
「うん……。この呼び名、今まで好きじゃなかった。けど、ある人に意味を変えられて、僕には結構な衝撃で、嬉しかったんだ」

 デク。爆豪が幼少時から呼ぶ緑谷の蔑称。
 けど、今は変わった。聞こえ方、在り方。

「これが、僕のヒーロー名です!」

 まるで弱々しい文字だけど。ちっとも強そうじゃないけど。
 いつまでもザコで出来そこないのデクじゃないぞ。がんばれって感じの”デク”だ。

「さて、全員のヒーロー名が決まったところで話を職場体験に戻す。期間は一週間。肝心の職場だが、指名のあった者は個別にリストを渡すから、その中から自分で選択しろ」

 指名のなかった者はあらかじめ雄英がオファーした全国の受け入れ可能な事務所からの選択となる。それぞれ活動地域や得意なジャンルが異なり、今の自分、これからの自分に必要だと思う事務所を選ぶ目、判断力も必要となってくる。

「俺は都市部での対凶悪犯罪!」
「私は水難に関わるところがいいわ、あるかしら」

 それぞれに配られたプリントを見て期待を膨らませる。
 雄英での授業も斬新だけど、こうして生の現場に触れられる機会などそうあるわけではない。

「今週末までに提出しろよ」
「あと二日しかねぇの!?」
「効率的に判断しろ、以上だ」

 相澤が締めくくると同時にチャイムが鳴り、ヒーロー情報学の授業は終わった。いくつもある事務所の中から、どこがどんな活動をしているのか調べなくてはならないのに、あと二日。相変わらず急かしてくるなと生徒たちは頭を抱えてプリントを見つめた。

「おい」

 授業が終わり窓の外を見ているに粗野に投げかけたのは、前の席の爆豪。

「見せろよ、それ」

 机上に無関心に置かれたプリントを指され、はそれを爆豪に渡す。
 のうしろの席で二人のやり取りに気付いた緑谷は、爆豪がこんな風に人に話しかけるなんて珍しいと思った。
 手渡されたのプリントを見て爆豪は開眼する。たった8社並んでいるだけのプリント。

「……どこに行くか決めてんのかよ」
「どこが何なのか知らなくて」
「はっ……笑わせんな」

 ポイとプリントを手放し、爆豪は席を立ち教室を出ていった。
 爆豪の机には3500社以上もの事務所名が載ったプリントが取り残されている。

「あの、さん、僕も見せてもらっていい……?」

 緑谷がうしろから何故かこっそりと小声で頼む。

「エエエ、エンデヴァー事務所!? これ轟くんのお父さんのところだよ、事件解決数史上最多の、オールマイトに次ぐナンバーツーヒーローだよ!?」

 緑谷の声は動揺しつつも小声であったが、「エンデヴァー」という単語だけは後方の席の轟の耳に届いた。

「エッジショット、ギャングオルカ、ベストジーニスト、他にも名だたる事務所ばかり……ひえぇええ! どうしてこんな……」

 パッと顔を上げた緑谷だが、そこにはいなかった。
 あれ……? 教室内を見渡してもどこにもいない。

「緑谷」
「え? あ、轟くん……」
ならさっき出ていったぞ。それ、の指名事務所リストか?」
「うん、そうだけど……」
「俺にも見せてくれ」
「え? けど、勝手に……いいのかな」
「おまえ今エンデヴァーって言ったよな」
「あ……」

 迷う緑谷の手から轟はプリントを取る。そこには確かに「エンデヴァー事務所」とあった。体育祭の時、スタジアムの廊下で父親とが一緒にいたところを思い出す。

「他も実力トップクラスばかりじゃねぇか」
「うん、なんでだろう、さん、体育祭じゃほとんどテレビにも映ってなかったのに」
「おまえはどう思ってる?」
「え?」
「あの相澤先生が、実力にしてもわざとにしても体育祭で予選落ちなんてした奴を、除籍せずに罰走で済ますなんてあると思うか?」
「……それは、僕も少し思ったけど」

 入学早々に体力テストで除籍を勧告されかけた緑谷は、あの時の相澤が決して奮い立たせるための虚偽であんな発言をしたわけではないことを分かっていた。相澤ならきっと、見込みが無いと思えば本気で除籍する。

「なんなんだろうな、あいつ」

 ポツポツとガラスを叩き雫を垂らす窓際の、空っぽのの席を見下ろす轟と緑谷。
 教室の中は湿気で淀みながらも、そこここで沸き起こる賑やかな声で均衡を保っていた。
 ただ一枚、無思慮に置いていかれた紙。
 何の感情も手垢も残らないプリントがまるでそのもののように感じた。
 








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