LESSON12 - Experience

 職場体験。生徒たちが一週間、プロのヒーロー事務所で日々の仕事を体験する今度の課題は、本物の現場を体感できること、各々が目指すヒーロー像を確立するための足がかりとなることを目的とした実習である。
 体育祭でその存在を公のものとし、成績を修めた者、個性を認められた者はプロヒーロー事務所から直々のオファーを受け、指名のなかった生徒は受け入れを任された事務所の中から選択し訪問する。

「ねぇねぇー、みんなどのプロ事務所に行くか決めたー?」
「オイラはマウントレディー!」
「峰田ちゃん、やらしいこと考えてるわね」
「違うし!」

 昼休み。朝は体育祭での世間からの反応の話題で持ちきりだったA組は、職場体験が発表されてからはその話題一色となっていた。自分の将来に沿った体験先を決めた者、ジャンルに捉われず糧となるよう決めた者、憧れのヒーローの元への派遣を決めた者、それぞれだ。

「失礼します!」

 昼食をとり終えた生徒たちが教室に戻り、再び職場体験の話で盛り上がっているところへ、A組の教室内へハキハキとした声を響かせた一人の男子生徒。小柄で眼鏡をかけた男子生徒だが、A組の生徒たちは誰も見覚えがなく何事かとみんな視線を集めた。男子生徒はキョロキョロと大きく首を振り教室内を見渡している。

さんはいらっしゃらないでしょうか!」
?」

 近くにいた砂藤がの席を見やるが、その辺りは芦戸や麗日たちが集まっていての姿は見えず、のうしろの席で緑谷がいないよと首を振って見せた。

「いないみたいだぞ」
「どちらにいらっしゃるのでしょうか!」
「いやしらねーよ、まだメシじゃねーの」
「なるほど、大食堂ですね、ありがとうございました!」

 パッと腰を折り頭を下げ男子生徒はしゃきしゃきと去っていく。
 なんだありゃ? と全員が首を傾げた。

 その頃、は職員室前で相澤に体験希望先の用紙を渡していた。
 第一希望から第三希望まで書き込めるようになっているが、の紙は名前以外白紙で相澤は再三のため息を吐く。

「ちょっとは調べるなり人に聞くなりしろよ」
「どこでもいい」
「丸投げかよ。緑谷に聞け、あいつならこの辺のヒーローは全部網羅してるだろ」
「……」
「職場体験よりそっちの方がおまえにはハードル高ぇな。ほら」

 相澤から用紙を返され、は不服顔で受け取るとクシャッと折り畳みポケットに入れ廊下を歩いていった。昼休みで騒々しい広い廊下はたくさんの生徒が行き交っている。今日の部活さぁ……、ヒーロー殺しのニュース見た?……、雨やまねーなー……。生徒たちの何でもない会話が周囲に溢れ、それらすべてが他人事のように歩いた。朝から雨がしとしとと止まないせいか、湿気が気だるさを煽り、人の声がベタベタと肌に貼り付き気持ちが悪い。



 すぐ傍で自分にかけられた声を聞き、は閉じていた目を開き廊下の硬い床を見た。自分の足の傍にもうひとつ、上履きを履いた制服ズボン。その先を辿るとそこに轟が立っていた。

「体験先の希望、出したのか?」

 この廊下の先は職員室くらいしかなく、希望の用紙を持った轟がに尋ねた。

「いや」
「……悪いとは思ったが、緑谷が見てたおまえの指名の紙、俺も見させてもらった」
「悪いと思ったが?」

 ふと笑い、は歩きだす。

「エンデヴァーの事務所から指名が来てたな。他の事務所も実力じゃトップクラスばかりだった。体育祭でも目立たなかったおまえになんでそんなところからのオファーが集まったんだ?」
「オファーした方に聞けよ」
「今朝、門の前にいたマスコミの人間にもおまえのことを聞かれた」

 轟の横を通り過ぎようとしたが足を止める。

「おまえ、なんなんだ?」

 長めの前髪が下りる轟のまっすぐな二つの目がを見る。
 少し前ならもっと冷え切った、目の奥にだけ淀んだ熱が渦巻いていた轟の目。
 けど今は曇りが晴れた二つの目。

「その答えが、おまえに要るか?」
「……」
「お父さんのところには行かないから気にするなよ」
「そんなことを、気にしてんじゃねーよ」

 離れていくに投げかけるも、もう過ぎたことのように去っていく。
 轟はどこか感触の悪さを感じた。先程の轟の言葉をなぞり笑った時も、今も、妙に人のことを見え透いているような物言いをする。確かに轟はプリントを勝手に見たことに悪いとは微塵も思っていなかった。

「そうだ」

 数歩離れたところでが再び振り向く。

「おまえ、名前は?」
「名前……? 轟だ」
「そっちじゃなくて」
「焦凍だ」
「そう。ありがとう」

 それがなんだよ、と問いかけるも、もう離れていく足が止まることはなかった。なんなんだ。明らかに距離を取ってくると思えば、妙な印象を残して、その癖人が変わったかのように普通に名前を聞いたり。丁寧に礼を言ったり。
 本当に、なんなんだ、あいつ。

 妙な不快感を植え付けられながらも轟は目的だった職員室へと向かった。失礼しますと入ると、奥に相澤を見つけ寄っていき希望用紙を差し出す。

「エンデヴァー事務所を選ぶとは思わなかったよ」
「あれでも、実績だけはありますから」
「まぁ何が”あれ”なのかは知らねぇが、実りあるものにしてこい」
「はい」

 轟は第一希望にだけ「エンデヴァーヒーロー事務所」と記入した。
 前までなら絶対にこんな選択はしなかっただろう。自らあの父親に歩み寄るなど。けど、体育祭で緑谷から受けたものを、考えて考えて、ようやく、今さら、清算して、そしたら、不思議なほど視界が開けた。歩いている廊下さえこんなに広かったかなと思うほど。

「先生、指名っていうのは複数出来るんですか」
「あ? プロ側がってことか? 指名は二人まで可能だ」
「そうなんですか」

 父親が自分を指名してきたことは大体想像がつく。今でも何の疑問も抱かずに息子に自分流の指導をしてオールマイトをも越すナンバーワンヒーローに仕上げることばかり考えているんだろう。
 じゃあ、は?

 轟は相澤にのことを聞こうとしたが、その途端に先程に言われたことを思い出し、口を閉じた。失礼しますと頭を下げ職員室を後にし、予鈴が鳴っている廊下を教室へ急いだ。

 階段を上って教室がある方へ曲がろうとした時、反対側のひと気のない廊下で壁にもたれ立っているを見つけた。耳に電話を当てて話している。もまた前髪が長く、さらに俯いて話しているせいでその表情はほとんど見えないが、時折その口が笑っていることは見てとれた。それも先程轟に見せた皮肉った笑みではない、ごく普通な、どこにも偏りのない笑みで、そんな笑い方もするんだなと轟は思った。

「お、、さっきおまえのこと尋ねて男が来てたぞ」

 チャイムが鳴る直前、すでに全員が揃っている教室へが入ると、ドアにほど近い席の砂藤がそう伝えてきた。普段なら授業ギリギリに教室へ来ると真っ先に「ヒーローたるもの10分前行動を!」と寄ってくるのは飯田なのだが、今日は机に座ったまま。

「まじで? 男が訪ねてくるたぁ穏やかじゃねーな」
「見たことない顔だったな、ヒーロー科の奴じゃないと思うぞ。眼鏡かけてちっさくて、ひ弱そうだった」
「そりゃ砂藤に比べたら大体の奴はひ弱そうだわ」

 砂藤の周辺はにわかに盛り上がるも、は話を聞き入れただけで砂藤と轟の席の間を抜けていく。その顔は見知らぬ来訪者にもクラスメイトにもまるで関心のない顔をしていて、さっきの顔がウソのようだった。

さん、指名の紙、机の中に入れておいたよ、ありがとう」
「ああ」
「あと、轟くんにも見せちゃったんだ、勝手にごめん」
「いや」

 席に着くなりうしろの緑谷が丁寧に謝ってくる。
 は机の中に入れられていたプリントを手に取り、少し考えて、緑谷に振り向いた。

「緑谷ならどこ選ぶ?」
「え、僕? そうだなぁ……、正直どこも凄過ぎて……。エンデヴァー事務所は実績ナンバーワンというだけあってプロの仕事を直に体験出来るのはすごく勉強になると思うし、ベストジーニストも5本の指に入る人気ヒーローだからきっと依頼での仕事も多いだろうし人気稼業であるヒーローとしてはそのPR法も学べるんじゃないかな……けどちょっとオシャレな感じだから僕にはハードルが高いっていうか、あ、それに引き換えギャングオルカは見た目がちょっと怖くてヴィランっぽい見た目ヒーローランキングの3位に挙げられたりしてて、けど実力は確かなんだよね、個人的に凄く惹かれるのはやっぱりエッジショットかな、仕事はヴィラン退治っていうより護衛が主であまりメディアに取り上げられない仕事をしてるから気になるといえば気になるし、あとは」
「ブツブツうるせぇぞクソデク死ねッ!」
「ひっ!」

 前の方から爆豪に怒鳴られ頭を伏せる緑谷はにもごめんねと謝りビクビクと身を小さくする。その後すぐにチャイムが鳴り午後の授業が始まったから緑谷からそれ以上の情報は得られなかった。

 放課後。再び職員室前廊下。

「何でここなんだ?」
「緑谷に聞いた」
「聞いたのか」
「聞けって言っただろ」
「おまえのことだからクラスの奴よりジョーを頼るかと思ったがな」
「……ジョーもおまえと同じこと言ったんだよ」
「頼ってんじゃねーか。まぁいい、受理しとく」

 相澤が希望用紙を受け取ると、はさっさと踵を返し去っていく。

、ここんとこ騒がしさが増してる、体験先でも気をつけろよ」

 了解し職員室を出ていくは、雨が上がり雲間からの薄日が差している廊下を歩いた。
 下駄箱が近付くにつれ人の数が増えて、若い声がそこかしこで反響している夕暮れ時。

「知らないよ、もう帰ったんじゃないかな」
「ずっとここで見てましたがまだ通ってませんし、何よりまだ靴があります」
「え、下駄箱開けたの?」
「あなたもさっき人の下駄箱を覗いてたじゃないですか」
「僕は……、まぁそうだけど」
「飯田くんは友だちだもん、それとこれとは違うよ」

 地面を濡らす下駄箱に傘を持った緑谷と麗日、そして背の小さい眼鏡の男子生徒がいて、午後の授業前に砂藤が言っていたのはこれかとすぐに分かった。

「緑谷くんはさんと出席番号が近いですよね、関わることも多いんじゃないですか? 普段はどんなことを話すんですか?」
「なんでそんなこと聞くの?」
「知りたいんです、未来のヒーローたちのことじゃないですか!」
さんは、そんなにおしゃべりな人じゃないからよく話すわけじゃないし」
「些細なことでもいいんですよ、たとえば雄英に入る前の話とか。一緒に写真撮ったりしたことないんですか? 体育祭の後にみんなで集合写真とか!」
「ないよそんなの」
「デクくん、もう行こう」
「うん」

 じゃあ、と昇降口を出ていった緑谷と麗日。
 そこに残された男子生徒はパッとこちらに振り向き、その視界に収まる前には廊下を通り過ぎていった。

 翌週、1年ヒーロー科の生徒たちの職場体験の日。
 今日から一週間、生徒たちはそれぞれ希望したプロヒーロー事務所へ泊まり込みでヒーロー活動の体験を行う。ヒーロー事務所は犯罪件数の多さから都市部に事務所を構えることが多いが、それでも全国に散らばる体験先、中には新幹線に乗って遠出する者もおり生徒たちは駅に集合していた。

「全員コスチューム持ったな。本来なら公共の場じゃ着用禁止の身だ、落としたりするなよ」

 超常の力の発動を法律で禁じている日本では、ヒーローコスチュームの着用についての規制も厳しく定められており、生徒たちはこの職場体験中、監督するプロヒーローの指導の元でのみ公共の場での着用が出来、全員が所持していた。

「くれぐれも体験先のヒーローに失礼のないように。じゃあ行け」

 相澤の号令でA組生徒たちは荷物の入ったカバンとコスチュームを担ぎ、それぞれの目的地へ向かう電車のホームへ向かう。

「飯田くん」

 解散する生徒たちの中で、いつも通り機敏に移動を開始した飯田の元へ駆け寄る緑谷と麗日。

「本当にどうしようもなくなったら言ってね、友達だろ」

 心配する緑谷の隣で麗日も頷く。
 体育祭後の振り替え休日中、テレビで流れた「インゲニウム再起不能」のニュース。体育祭のトーナメント中、実家から「兄がヴィランにやられ負傷した」という連絡が入った為に飯田は早退をし駆けつけた。緑谷と麗日はその時、飯田からその旨を聞いていたが、ニュースでは「再起不能」となっていた。

「ああ」

 飯田は静かに笑って見せる。
 でもその顔は堅く、緑谷と麗日をより不安にさせるものだったが、本人が何も言わない以上踏み込めない領域だとも思った。

 飯田の体験先は東京都保須市、ノーマルヒーロー事務所。
 保須市は飯田の兄、インゲニウムが敵に深手を負わされた街。
 ここ数年多発する「ヒーロー殺し」の犯人、敵名「ステイン」はオールマイトが現れてからのこの数年中、最も多い殺人数を持つ凶悪指名手配犯だった。

 体育祭でベスト4まで勝ち残った飯田には300件ものプロヒーローからの指名があり、中には今回飯田が選んだ体験先よりもっと大きな事務所からの誘いもあった。しかし飯田が選んだのは保須市に拠点を構えるヒーロー事務所。ここ数日の飯田の不穏さも合わさって、緑谷にはもしかしたら飯田が良からぬことを考えてしまっているのかもしれないと過ぎった。飯田がどれだけ兄を尊敬し、インゲニウムのようになりたいと目を輝かせていたかを緑谷たちは知っている。だがそれだけに、信じたい気持ちもあった。

 プロヒーローの活動は多岐に渡るが、その見返りとなる給料は基本歩合制で国から支払われる。ヒーロー活動の基本は犯罪の取り締まり。多くのプロヒーローは街をパトロールし犯罪を抑制し、事件発生時には警察から地区ごとに一括で応援要請が来る。逮捕協力や人命救助などの貢献度を役所に申告し、専門機関の調査を経て給料が振り込まれる仕組みだ。実績、人気、貢献度を踏まえヒーローは格付けされ、上位ランカーともなれば高額納税者ランキングにもその名を連ねる程の財と権威、栄誉を得ることが出来る。

 超常パワーの発現から時代は大きく変わり、今となっては最も花形、人気の高い職業であるヒーロー。その中でトップの事件解決数を誇り、ヒーロー飽和社会と言われる現代でも格別な存在感を放っているのが、大都市に巨大な事務所を構える燃焼ヒーロー・エンデヴァー。

「待っていたぞ焦凍、ようやく覇道を進む気になったか」

 エンデヴァーヒーロー事務所内、エンデヴァーの応接室。
 体験先にエンデヴァーの事務所を選んだ轟は、これまでなら顔を見ることも嫌悪していた父親の前に立っていた。

「あんたが作った道を進む気はねぇ。俺は俺の道を進む」
「まぁいい。おまえも準備しろ、出かけるぞ」
「どこへ?」
「前例通りなら保須に再びヒーロー殺しが現れる。しばし保須に出張し活動する。すぐに着替えろ、おまえにヒーローというものを見せてやる」

 エンデヴァーは部屋を出るとサイドキックたちに保須市への遠征を伝えた。
 ヒーロー殺しは一度現れると毎回4人以上のヒーローを殺傷していることが分かっている。しかし今回はまだインゲニウム一人。まだ事件は起こると予測してのこと。下衆な父親だが、この判断力、事件に対する勘はやはり……。

「おい、今回の職場体験、俺のほかにもう一人指名しただろ」
「ん? のことか」

 炎を纏うエンデヴァーの大きな背中が振り返る。
 エンデヴァーが「ヒーロー」というものを見せてやろうとした、もう一人。

「なんであいつを指名した。どこであいつを知ったんだ」

 を指名した名だたるヒーロー事務所。何故。
 体育祭でもまるで活躍のなかったを、どこで。

「なんだ、知らんのか」
「……? 何を」

 意外そうなエンデヴァーの表情。
 知らない? 何をだ。あいつに何か、知ってて当たり前なことが?

「あの子どもは、全ヒーローの脛傷だ」
「エンデヴァー、保須市より支援受諾きました!」
「よし、早く着替えろ焦凍、すぐ出発だ」

 くるりと背を向け歩いていくエンデヴァー。
 脛傷? 疑問を返したかったが、しかし今から事件の現場へ向かおうとする場にいながらこれ以上遅れを取るわけにも。轟はすぐにコスチュームへ着替えエンデヴァーの保須市出張に同行した。









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