「爆豪、帰んのか」
「残ってる意味ねーだろ」
パタパタと爆豪の足音が静かな教室を横切り廊下の奥へ消えていった。
が教室から出ていった後も生徒たちはなかなか帰れないでいた。
それぞれに事件のことを話し合ったりネットを見たりした。
その事件は約10年前、1-Aの生徒たちが小学校に入学した年に起こった。
全国で13人の子どもが一斉に誘拐され、ヒーローの手により9人が救出されたが、あとの4人はそのまま連れ去られ行方不明となった。その後、犯人からの要求もなく警察の捜査は難航し公開捜査となったが、4人の子どもはついに発見されることはなかった。
警察の捜査により誘拐された子どもたちは海外に連れ去られたことが判明。その犯行はある国の敵組織による可能性が高いとし、日本警察は該当国での捜査を依頼するも一切を拒否され、渡航も拒絶された。該当国では長い間、紛争状態にあり、以前から強い超常の力を持った子どもが戦争に使われていることが国際的な問題となっており、また今回誘拐された13人の子どもの超常の力も特質的なものであったことから、この事件は「個性」目的の国際的な拉致事件であるとされた。
その後、日本政府による長きに渡る交渉により該当国は拉致を認めたが、それは国ではなく一部の過激敵組織によるものとし、被害者返還への協力を約束させるも、該当国は調査の結果、日本からの拉致被害者は全員死亡したと報告をした。
しかし拉致から8年後、突然拉致被害者の一人が日本国内で発見された。当該者は警察に保護され家族の元へと還された。一人が生存していたことから他の拉致被害者も生存の可能性ありとして今も日本政府による交渉は続いている。
「俺この事件覚えてるよ。その時住んでた県でもこの誘拐事件あってさ、これがあった時から夏休み明けくらいまで学校休みだったんだよ。入学したてで学校楽しかったから、行けなくなってつまんなかったの覚えてる。こんなでかい事件だったなんて知らなかったけど」
「俺はテレビとか新聞でこの拉致事件って名前だけ知ってるくらいだわ。ニュースで見てもまたやってんなくらいにしか思ってなかった」
拉致事件の内容についてはネットでも見ることが出来た。しかし2年前に発見された拉致被害者については名前も性別も一切触れられてはいない。しかし公式でないネットの深層ではあらゆる憶測や個人情報の漏えいが多くあり、拉致された子どもは兵士として戦争に加担している、日本へのスパイとして育てられている、洗脳されている、などまことしやかな噂が羅列していた。
情報が規制されているはずの泪も、幼少時の写真や動画が少し検索すれば出てくる。中には体育祭の時の観覧席にいるを遠くから撮影した写真も流れており、雄英に入ったことが暗に漏えいしていた。
「さん、このために体育祭、予選落ちしたんかなぁ」
「そうだろう。本戦に残れば人数も少なくなり顔と名前がハッキリと映るようになる。本戦に出ていたら今頃こんなものではなかっただろう」
「ウチ……、最低だ。マジメにやらないで何なのとか思っちゃって」
「耳郎さん……」
「しょうがねぇよ、誰もこんなの知らなかったんだし」
深く俯く耳郎の肩を八百万が抱きとめる。
「なんか、ヒーロー叩きすげぇな。拉致被害者がヒーロー目指してるなんて美談作っといて、暗に事件があった地区で活動してるヒーロー吊るし上げてら。写真まで出してよ」
「国際問題である以上、ヒーローが手出し出来ないのは仕方のないことだ。あくまでヒーローは日本国内に於ける個人事務所なんだからな」
「結局どの記事見ても、なんでが日本で発見されたのかっていうところが書かれてないな。あいつ、どんな生活送ってたんだろうな」
「そもそもなんで雄英にいんだよ? アイツあんまヒーローになりたいって感じしねーし、助けたのもヒーローじゃないとか言ってたしよ」
「詮索するのはよしましょ。これじゃあこんな個人的な記事でちゃんをネタにしている人たちと変わりないわ」
「ちげーだろ、オイラたちはクラスメイトなんだぜ?」
「だとしてもよ。一番大切なのはちゃんの心なんだもの」
掘り出せば掘り出すほど、ネットの世界はいくらでも関連記事が出てくる。今はヒーロー殺しの動画やニュースが大々的に世間の注目を浴びているが、これが冷めたらいつ飛び火するか分からないほど。
「学校で撮られた写真も出てるぜ、ほら」
「ほんとだ。誰だよ、絶対生徒じゃん」
「さっきの経営科のヤツも詳しく調べてるっぽかったし、他のクラスじゃ結構広まってんのかもな」
「あいつすごくハラたった! 調子いいこと言って、自分の手柄にしたいだけ!」
「僕は、少し考えさせられた。兄さんのことを忘れず、これを糧に立派なヒーローにって僕も思ったはずなのに、彼の口から言われると、無性に腹が立ってしまった」
「当然だよ、ついこの間のことなんだし……」
「ヒーロー活動にはいろんな面でサポートは必要だ。けどそういうものは全部、信頼関係の上に成り立つもんじゃねーか」
「とりあえず次またあいつが来たら私ブッとばす!」
「ほどほどにね」
「とにかく、がもし困るようなことがあったら助けてやろーぜ。学校に保護されてるなら余所からどうこうされるってことはないだろーしよ」
「マスコミも気を付けろよ。俺前に記者からあいつのことを聞かれたことがある。マスコミも狙ってんぞ」
「うええ! マジか、どーなってんだよ報道規制」
「相澤先生も言ってたしな、気を付けよーぜ」
うん。生徒たちが頷き合うと、端の方でずっと腕を組み考え込んでいた常闇が口を開いた。
「は、これまでどういう気持ちで俺たちの中にいたんだろうな」
「どういうって?」
「前にと話した時、は俺の個性を”良い力だな”と言ったんだ。その時はどういう意味か分からなかったが……。ここにはいろんな超常の力を持った同じ年の人間が大勢いる。戦闘向きだったり索敵向きだったり。もしかしたらは思ったかもしれん。こんなにいろんな力を持った人間が他にもいるのに、何故自分だったのかと」
「……」
「あまり、過剰にあいつに気を使わない方がいいのかもしれんな」
常闇の話を聞いて轟もまた思い出した。
対人戦闘訓練の時、は轟にも言った。良い力だ。戦闘向きだと。
あの時はてっきり、敵わないと思ってそう言ったのかと思った。
「だって、じゃあ、どうやって……」
「ケロ……難しい問題ね」
あの時の言葉にそんな意味があったのだろうか。
轟は、あの頃の事をよく思い出せないでいた。
常闇はそんな些細なことを覚えていたのに、自分は言われるまで気が付かなかった。あの時の自分が、これまでの自分が、周りの何も見ずに、気も留めずに、如何に世界を狭め、その中で自分だけを膨らませていたのか。
「僕は、そんなことないと思う……」
「デクくん……?」
みんながまた気持ちを俯けてしまった時、緑谷が口を開いた。
「さっき、さんに、どうしてヒーロー目指してるのって聞いた時……、さん何も言わなかったけど、一瞬……なんていうか、柔らかくなった」
「柔らかくって?」
「ヒーローは来なかった……って言った時は、確かに、思い詰めたものがある感じだった。でもあの時は……さん、優しい顔をした。僕らはさんのことを何も知らない。さっき轟くんが言ったみたいに、信頼……が大事なんじゃないかな。さんのことを心配するなら、僕らはもっとさんと話をしなきゃいけないんだ。もちろん、聞きだすばかりじゃなく、友だちとして、普通の話を、たくさん」
緑谷の言葉に麗日が頷く。飯田もそうだなと頷き、みんなが頷いた。
「そーだな、普通のことだ。クラスメイトなんだ、友だちになろーぜ」
「あいつ気難しそーだけどな」
「そうか? けっこう普通だぜ」
「ちゃんはやさしーよ、私大好き」
「そーいや葉隠とはけっこー仲良くやってるよな」
「俺とりあえず明日、今日の救助レースのアレなんだったのか聞こ」
「あ、俺も気になる」
そうだ。何も難しいことはなく、それだけのことだった。
長い迷路の果てに出口を見つけ、スタートに戻っただけのような気もするけど、それだけのことだったんだ。
「お、もうこんな時間か、帰ろうぜ」
「あ! 僕オールマイトの所に行かなきゃ、忘れてた……!」
「急ぎたまえ、これ以上待たせては失礼だぞ!」
クラスに活気が戻り、教室の外で話を聞いていた相澤は、生徒たちが出てくるより先にその場を去った。
A組生徒たちがそれぞれ帰宅したのと同様に家路についた轟は、いつも通りのメニューを消化した後風呂に入り、髪を拭きながら居間へ向かった。台所では食事を作ってくれるお手伝いさんと仕事から帰宅した姉が夕食の準備をしており、今さら姉に「お帰り」と言われながら食卓に着座した。
「個性拉致事件? そりゃあ知ってるよ、あの事件以来、毎年入学式からしばらくはどこの学校も警備厳重にしてるんだから」
姉が差し出した手に目の前の茶碗を渡すと、雑穀米の混ざった白米が盛られ返ってくる。兄たちはまだ仕事と学校から帰ってきておらず、姉と二人だけの食卓。父は言わずもがな。
「俺あまり記憶にないんだけど」
「そりゃそうだよ、私お母さんに病院で焦凍には言わないでおいてって言われたもん」
「なんでだよ」
「心配だったのよ、被害者の子はみんな焦凍と同じ年の子ばかりだったし。お母さんが焦凍についててあげることもできなかったし。今でもそういう親御さんけっこう多いよ、学校でもあの事件のことは子どもには言わないでくださいって言われるもん。子どもにどんな影響あるか分からないからね」
小学校で教師をしている姉は自分よりずっと事件について詳しかった。
クラスでも八百万のようにこの事件を覚えている者は少なからずいて、それは自分たちと同じ年の子どもが被害者だったのだから当然といえば当然なのだけど、自分にはさほど記憶になかったものだから、今さらそういうことだったのかと分かった。
「あの時お父さん、焦凍に事務所の若い人警護につけたりしてたよ、覚えてない?」
「……覚えてない」
「まぁ警護っていってもただ遊んでもらってただけだったから、警護とは思ってなかったのかもね」
小学校に上がる頃ならもう母は病院に入っていた。
そんな状態でも母は自分を案じ、よもや父にまで守られていた。理由はさておき。
「あれ、最初は全国同時多発誘拐事件って言われてたのが、いつからか個性拉致って言われるようになってさ、小学校上がる時の個性カウンセリングの情報が漏えいしたんじゃないかって疑われて、関係者の人も学校の先生まで結構広く取り調べ受けたらしいよ。私が教員試験受けた時も面接じゃその話ばかりだったよ。まぁ私はお父さんの名前ですぐパスされちゃったけど。一緒に試験受けてた他の子たちはみんな尋問みたいだったって言ってたよ。親族にヒーローがいる子が優遇されたりして、それがまた問題になったりしてさ」
「個性カウンセリングの情報取ったスパイか流した内通者がいたってことか」
「結局そんな人はいなかったみたいだからそれが原因かは分からないけど、当時ヒーローはかなりバッシングされたんだよね、助けられなかった子の地区のヒーローは特に。けど10何人か浚われた内ほとんどは助け出したから、時間が経つと世間的にはもう”取り戻した”っていう認識だけ残って、その後の進展もないしで、あまり報道もされなくなっちゃったんだよね。日々のいろんなニュースにどうしても呑まれちゃうしね。被害者のご家族からしたらずっと苦しんでるんだろうけど」
煮魚に箸をつけながら、そういえばの家族はどうなってるんだろうと轟は思った。ネット記事ではは家族の元へ還されたとあったが、今は雄英にいる。結局家族とは離れたままだ。
「2年前に拉致被害者の生き残りの子が助けられたってニュースが出た時はかなり大きく報道されたけど、その子の今後のことを考えたら名前も公表しない方がいいし、規制されたせいかわりとすぐ治まった感じだったね。無事戻ってこれたのは本当に良かったけど、どんな生活してたんだろうね。6歳から14歳までの時間を取られたんだもん、大事な時期なのに、本当哀しいよ」
「……、戦争や諜報活動の為に浚われたって記事もあるよな」
「そんなの個人の推測記事でしょ? ああいうのは勝手な思想とか創作が混ざるから信じられないよ。今も紛争が続いてる国だし、実際に子どもが戦争で戦ってる写真が世界ニュースに取り上げられたこともあるからそう推測するのも分かるけど……。2年前に被害者の子が救助されてからこの件に関する正式な情報は厳しく統制されてるからね。本当にそんな風に扱われてたんだとしたらとんでもないことだけど、知らないで通されちゃったら実際口出しできないのが現状だし。歴史も文化も人権の捉え方も国が違えばまるで変わってくるしね……」
いつも同じ教室にいたはずのは、どんな人間だっただろう。
関わったのは訓練の時に少しと、体育祭の時に父がと接していたところを見たくらいで、その頃の自分は、無関係な他人のことなどさして気に留めはしなかったから、あまり記憶になかった。一番覚えていることといえば職場体験の前に少し話した時だが、その時もこれと言って大きな何かを抱いたわけではなかった。見過ごしてしまうほど周囲に溶け込んでいた人間ではないが、違和感を感じる程の存在ではなかった。
「で、なんで急にその話なの? 雄英ってそういうことも勉強するの? そりゃそうか、大きな事件だもんね」
「ああ、まぁ」
止まっていた箸を動かし轟は漬物を口に入れる。
そういえば、メシはどうしているのだろう。
広大なようで狭小な学校の中で、毎日何を想っているのだろう。
込み上げた欠伸を、轟はスマホを持った手で抑え口の中で噛み殺す。夜通し拉致事件に関する記事を根こそぎ掘り起こし閲覧していたせいで今さら眠気が襲ってきた。寝直すにもヘンな時間で、少し外を走って朝メシを食べ、いつもより早い時間に家を出て学校へ向かう。
ネットの情報は奥深くへ沈めば沈むほどウソ臭くキナ臭い内容が羅列していた。もう何が真実で何が偽りで何が現実で何が虚構なのか、だんだん判断もつかなくなってきて、それもそのはず、これのどこにも実際に体験してきた者などいないのだからと一番簡単な答えに行き着き、その中で、一番繰り返し見た動画を轟はまた再生した。
拉致被害者……の幼少期の動画が挙げられていた。
周囲はモザイクばかりだけど幼稚園のお遊戯会のような模様で、幼い子どもたちがたくさんいる中、一人の女の子にだけモザイクがかかっていない動画。これを撮ったのは他の子どもを撮っていたのだろう、が中心の動画ではなかったが、が映っている所だけ編集され、時折が大きく映る瞬間だけ制止したりしていた。
動画の中ではただの子どもそのものだった。音楽に合わせて体を揺らし、二つに結った髪を弾ませ無邪気に笑っている。これを見ていれば、この後に起きた出来事すべて嘘だったんじゃないかと言いたくなるくらい、ありふれた子どもの笑顔の記録だった。
ただひとつ気になった。この動画は3・4歳くらいだろうか。の子どもの頃の写真はいくつか流れているが、小学校入学時の集合写真の中のは動画のような無邪気さや笑顔もない、暗い瞳をした女の子になっていた。
ネットを見ながら気がつけば校門前まで来ていた。
気にしすぎだなとポケットにしまい再び欠伸を噛んだ。
「ヤヤ! 君は轟焦凍くん!」
向かいから歩いてきていた自転車を引いた青年が轟に駆け寄ってきた。
短髪に眼鏡をかけた、生徒とも先生とも違う風貌。
「体育祭見てたよ、さすが強いな、カッコいいなー君は!」
「ありがとうございます」
「瀬呂くんとやった時の氷のでかさも凄かったけど、緑谷くんとやった時は白熱したな! もう今すぐヒーローとして活躍出来ちゃうな! この先が楽しみだよほんと」
「はぁ……」
「がんばってくれよな、期待してるよ!」
ブンブンと手を振ると、その人は自転車に乗り学校を出ていった。
名前まで丁寧に、やけに詳しいが、何者だ?
記者という雰囲気ではないし、そもそも学校関係者でなければ校門より中に入れない。
誰だったんだ? そう思いつつ轟は昇降口へ入っていった。
そこで下駄箱の前に立つを見つけた。
制服も着ていないが一人で立っている。
「おはよう」
声をかけるとは伏せていた目を轟に向け、おはようと呟き引き返していった。
きのうから事件のニュースを見ている中で、ずっとの顔を思い出そうとしていたが、どんなだったか思い出せずにいた。今こうして面と向かい、こんなだったかと思いながら、けど轟は何故かふと、きのうの緑谷が言ったことを思い出した。
”優しい顔をした”
今もそんな顔をしていたような気がした。
字が多い……