LESSON18 - KnockOut

 鏡張りの雄英校舎に、流れていく夏雲が映る。
 しかしそれと反してどんより重い空気が渦を巻くA組教室の一部分。

「皆……土産話っひぐ、楽しみに……うう、してるっ……がら!」

 込み上げる涙を抑えられない芦戸。高校初の夏休みに光を失った上鳴。
 絶望を背負い俯く切島。何も考えられず空を仰ぐ砂藤。
 4人は期末テストの演習試験で確保も脱出も適わずクリアできなかった。

「まっ、まだわかんないよ、どんでん返しがあるかもしれないよ……!」
「緑谷、それ口にしたらなくなるパターンだ……」
「試験で赤点取ったら林間合宿行けずに補習地獄! そして俺らは実技クリアならず! これでまだわからんのなら貴様らの偏差値は猿以下だー!」
「落ちつけよ、長ぇ。わかんねぇのは俺もさ。峰田のおかげでクリアはしたけど寝てただけだ」

 瀬呂の演習試験での監督官はミッドナイト。彼女は体から発する「眠り香」で嗅いだものを眠らせてしまう。開始早々ペアの峰田を庇った瀬呂はまんまと香を嗅いでしまい行動不能。その後峰田の奮起のおかげでテストはクリアしたものの、自分は何も功績を残していなかった。

 慰めも同情ももう何も耳に入らない4人に残っているのは補習地獄だけ。
 そんな暗い空気の蔓延しつつあるA組の前方扉がカァン! と勢いよく開き「予鈴が鳴ったら席につけ」と相澤が姿を見せた。

「おはよう。今回の期末テストだが、残念ながら赤点が出た」

 分かってはいたが、どこかほんの僅かに希望を捨てきれないでいた赤点候補者たちが「したがって……」と続ける相澤の言葉に胸を締め付けていく。

「林間合宿は全員で行きます」

 どんでんがえしだあああ!!!
 もう駄目だと首をもたげかけた4人に訪れた奇跡。
 大騒ぎする教室の中心に相反し、窓際でチッと舌を打ったの小さな音を聞き取ったのは前の席の爆豪だけだった。

「筆記で。実技で切島、上鳴、芦戸、砂藤、あと瀬呂が赤点だ」
「ぐあっ……、確かにクリアしたら合格とは言ってなかったもんな……」
「行っていいんスか俺らあ!」

 演習試験をクリアできなかった4人は喜びを爆発させたが、案の定クリアしても赤点だった瀬呂はそれだけに恥ずかしさが増した。

「今回の試験、我々ヴィラン側は生徒に勝ち筋を残しつつどう課題と向き合うかを見るよう動いた。裁量は個々人によるが。でなければ課題云々の前に詰む奴ばかりだったろうからな」
「本気で叩き潰すと仰っていたのは……」
「追い込むためさ。そもそも林間合宿は強化合宿だ。赤点取った奴こそここで力をつけてもらわなきゃならん。合理的虚偽ってやつさ」

 また出た! 合理的虚偽!
 何にせよと大喜びの赤点組。

「またしてやられた……、さすがだ雄英! しかし! 二度も虚偽を重ねられると信頼に揺るぎが生じるかと!」
「わあ、水差す飯田くん」
「確かにな、省みるよ。ただ全部嘘ってわけじゃない。赤点は赤点だ、おまえらには別途補習時間を設けてる。ぶっちゃけ学校に残っての補習よりキツイからな」
「!!」
「じゃあ合宿のしおりを配るからうしろに回してけ」

 皆と行けるのは嬉しいけど、ですよねと赤点組はやっぱり蒼白した。

「まぁなにはともあれ、全員で行けてよかったね」
「一週間の強化合宿か!」
「けっこうな大荷物になるね」

 放課後になってもしおりを手に生徒たちはやはり楽しみな夏休みの訪れ、林間合宿に胸を躍らせる。普段の訓練以上に大変なんだろうけど、いつもと違う環境はやはりわくわくするもの。

「おい、おまえ勉強駄目組だったのか、言えよな!」
「そーだよー、一緒にヤオモモんち行けばよかったのにー」

 窓辺のの周りに切島や芦戸たち赤点組が駆けつける。
 前の席では爆豪が「アホだったか」とせせら笑った。

「ちょっとみんな、そんな言い方は……」
「よせよ緑谷、無理な慰めは余計に人を傷つけるってもんだぜ」
「そーだそーだ、の気持ちは俺たちのほうがよーっくわかる! 授業聞いてりゃ分かるだろなんて奴らに俺たちの気持ちはわかんねーのさ! でもな、勉強ってのは一人で抱え込んでも進まねーもんだぜ!」
「そうそう! 仲間仲間! 一緒に補習がんばろう!」
「あの、そうじゃなくて、さんは……、ほら、僕たちみたいに……、小・中と日本の勉強、してないんだし……」

 おろおろとの様子を窺う緑谷の言葉に、ガキン! と全員が凍りつく。
 分かっていないのは自分たちの方だった。

「すすすすすすまねぇ、……」
「べつに」
「じゃあおまえに必要なのは数学じゃなくて算数ドリルだな」

 バシッと峰田の頬に蛙吹の舌が飛んだ。

「俺水着とか持ってねーや、色々買わねぇとなあ」
「あ、じゃあさ! 明日休みだしテスト明けだし……ってことで、A組みんなで買い物行こうよ!」
「おお、何気にそういうの初じゃね!?」

 パンと手を叩いた葉隠の提案にクラス中からみんなが集まってくる。
 入学からこれまであらゆる訓練や困難を乗り越えてきたA組の生徒たちだけど、慌ただしい行事続きで高校生らしい感覚を忘れつつあった。入学早々に放課後マックでなんて言ってたのが懐かしい。

「一緒行こーね、ちゃん!」
「買う物ない」
「おい爆豪、おまえも来い!」
「行ってたまるか、かったりィ」
「轟くんも行かない?」
「休日は見舞だ」
「ノリが悪いよ空気読めやKY共ォ!」

 席を立ち出ていってしまう3人を余所に、みんなは明日の集合時間を相談し合った。しおりの持ち物欄を開きながら旅行カバン、靴、水着と必要なものを抽出し、それらすべて揃うショッピングモールへ行こうと決めた。



 昇降口まで下りてくると、はネクタイを外しながら下駄箱を通り過ぎ更衣室の方へ向かっていったから轟が呼び止めた。何やら言葉を交わしている二人。それを背後から見て爆豪はフンと下駄箱へ進んでいった。

 翌日、林間合宿の準備のため1-Aの生徒たちは、県内最多店舗数を誇る木椰区ショッピングモールへ集まっていた。それぞれに必要なものを調達すべく各所へ離散していく生徒たち。その中で行動の早いみんなから遅れを取りひとりになってしまった緑谷のもとへ、現れた一人の男。黒いフードを被った男の顔は、緑谷には忘れるはずもない。オールマイト殺しを目論む敵連合の主犯格、死柄木弔。
 休日の大型ショッピングモールという大勢の人が賑わい集まる場所に白昼堂々現れた死柄木は緑谷と言葉を交わした後に人ごみの中へと姿を消した。緑谷の元へ戻ってきた麗日の通報でショッピングモールは警察が駆けつけ一時閉鎖となったが、その後警察やヒーローの捜索でも敵は見つからず、唯一接触した緑谷は警察へ連れて行かれ聴取を受けた。

 オールマイトに酷く固執する敵連合。その中心人物である死柄木は、以前雄英に襲撃した際に”オールマイトに似たパワー”を持つ少年、緑谷出久を認識した。保須市で起きたヒーロー殺しの際にはステインの力を利用しようとしたが緑谷たち、引いてはヒーローの手によりステインは投獄された。
 今では世間に周知され、一部ではその信念に感銘を受けた者たちからアンチヒーローと祀られ支持されているステイン。そしてそのヒーロー殺しは先に雄英襲撃を犯した敵連合と通じていたという報道も相まって、この因果は世間に広まり、根強く、また根深く浸透していった。それは暗い暗い地下深くに潜んでいた小さな悪種たちを発芽させる栄養素となっていった。

「とまぁ、そんなことがあってヴィランの動きを警戒し、例年使わせていただいてる合宿先を急遽キャンセル。行き先は当日まで明かさない運びとなった」

 ビリィと林間合宿のしおりは相澤の手でまっぷたつに破られた。

「もう親に言っちゃってるよ」
「故にですわね……、話が誰にどう伝わっているか学校が把握できませんもの」
「合宿自体をキャンセルしないの英断すぎんだろ!」

 雄英の敷地内へ襲撃した敵連合。ヒーロー社会に於いて世間から注目され続ける生徒たち。そして今回緑谷に接触した死柄木弔。

「てめェ、骨折してでも殺しとけよ」
「ちょっと爆豪! 緑谷がどんな状況だったか聞いてなかった!? そもそも公共の場で個性は原則禁止だし」
「知るか。とりあえず骨が折れろ」
「かっちゃん……」
「静かにしろ。筆記テストの結果返すぞ」

 雄英は生徒の育成を念頭に置きながらも彼らの身を守らなければならない。敵連合の目的がオールマイトの殺害とされている今、彼らと敵連合の因縁はもはや解けない糸となっていた。

 それから授業は筆記テストの答え合わせや演習テストで垣間見えた問題点の指摘、個別の面談などが行われ、夏休みまでの残り僅かな日数を消化していった。その間、A組生徒たちは小さな変化を見ていた。午後のヒーロー基礎学の時間になるとよく一緒にいるところを見かけるようになった轟との存在だ。

「珍しいな、あの轟くんが」
さんも」

 ペアを組んでの訓練があった時、互いの個性や戦略を話し合うことで親しくなり行動を共にすることは他の生徒でもよくあることだったが、普段からあまり他の力を要しない二人だけにその姿はクラスメイトたちの目を引いた。
 これまで所持していながらあまり使っているところを見たことのない武器を持っていると、何やら綿密に言葉を交わしている轟。そこで交わされている会話は聞こえずとも、その身ぶりや互いの雰囲気から傍から見ても戦略についての話し合いのようではあったが、その見慣れない姿に緑谷は強く関心を寄せた。

 演習テストでまた大きなケガを負いリカバリーガールの元へ運ばれた緑谷は、モニタールームにもなっているそこで他の試験演習場の様子を見ていた。幼少時から将来の為に書き溜めてきた個性の観察は今となっては勉強であると同時にクセとなっていた緑谷だったが、轟とのペアだけは自分たちより先に終わってしまっていたがために見ることが出来なかった。ある意味最も興味を引くペアだったのに。

「ごちゃごちゃ考えるよりやってみればいいだろ」
「そうだな、やってみよう」

 生徒たちが各々基礎トレーニングに励んでいる中、話し終えた轟とは離れたところへ移動した。距離を取って向かい合う轟とは手にしていた武器を振って手首の感覚を確かめる。それを遠くから見る緑谷は気になってつい棒立ちしてしまうと相澤に集中しろと叱られた。

 いくぞ、というの顔は普段通りやる気無く見えたが轟はしっかりと身構える。
 が地面を蹴ると同時に轟は右手に力を込め地面に触れながら振り上げ地を這う氷壁を放った。すと右へ移動してかわし向かっていく。当然初撃で足を止めるではないだろうと轟も更に攻撃を重ね、が氷壁を避け飛び上がったところに今度は左手で炎を放った。
 派手な轟の攻撃に他の生徒たちも振り返り見る。体育祭では緑谷戦でのみ使用した右の炎。それ以来見ることのなかった轟の炎が、この短期間でもうすでに戦闘用として使いこなされている。

「ただでさえ最強だったのが拍車かけた感じだな」
「ああ、だが」

 氷と炎。二つの強大な個性が共存する才能。
 それに日々の鍛錬が今の轟を形成している。
 隙など見えない轟の攻撃。
 しかしその派手な力と相反し、静かに確実にダメージを蓄積させていくのも、轟。

「なんだ、あの動き……」

 見ている生徒たちには不思議な光景に見えた。
 圧倒的に押しているのも攻めているのも轟なのに追い付けめられているのもまた轟。ガードが間に合わず攻撃をくらい、次の手を振るう間に体勢を崩され、考えている間に畳みかけられ、目で追う間もなく倒される。まるで空気を相手にしているような。大災害の前の空に広がる大気の威圧のような、静かな圧迫を感じた。

「くっ……!」

 来る、と感じた瞬間に腕に氷を纏い構えたが、その上から叩きつけられ地に伏せた。

「咄嗟のこととなるとおまえは氷しか選択肢がない」

 肩にトンと武器を下ろし見下げてくる
 轟は荒れた呼吸で見上げるも、ひとつも乱れていないの息。

「もう一回だ」
「次ヒザ着いたら終わりな」

 膝を立て立ち上がる轟から離れていく
 相澤と戦っていた時はあんなにやりにくそうに見えたのに。簡単にいなされ、ガードされ、弾き飛ばされてばかりだったのに。まるでこの数日で使いこなしてしまったように見える。そもそもは元より武器を使わない。通常武器というのは自分の力量を増幅させるために所持するもの。でもは逆だ。この武器での攻撃さえ抑えられないようでは絶対に勝てない。くそ、と嘆を発しを見据える轟は今度はの初動を見る前に攻撃をしかけた。

「緑谷くん、あれは……」
「うん……、ヒーロー殺しの時のことを、轟くんは克服しようとしてるんだ」

 二人の攻防を見ながら緑谷と飯田はヒーロー殺しとの戦闘を思い出していた。あの時も轟は炎を使っていたが、ヒーロー殺しにはまったく効かなかったのを二人は見ていた。あの時は轟の個性には戦いにくい狭い路地裏ではあったが、それでも二人は轟の力を体育祭で身を持って知っていただけに、それでも敵わないのかと絶望にすら感じた。

「でも……あのさんの動きは……」

 まるで、ヒーロー殺しと同等のような……。

 ド、……と圧され背後に体を持っていかれる轟。
 息も止まるような苦しさと痛みに襲われながら、轟は地に倒れる前に氷壁を立て倒れるのを回避した。

「終わり」
「まだヒザ、着いてねぇぞ」
「そりゃおまえイチャモンってゆーんだよ」

 戦闘時も気迫や殺気はまったく発さないだけど、カンと武器の先を地面に突き立て武器を収めるはもう何を言ってもやってはくれないだろうことが分かった。何より、こんなに息も絶え絶えな状態で何度やっても勝機どころか隙すら見えないことは明白だった。炎の力を使うと決めてから練習も調整もしてきたのに、戦闘となるとこんなにも加減が難しくなるのか。

「炎のタイミング、そんなに分かりやすいか」
「分かりやすいし抵抗を感じるな。おまえまだ踏ん切り着いてないんじゃないか」
「……そんなことまで分かるのか」

 二人が実戦をやめ、再び言葉を交わし出したのを見計らって緑谷は轟たちの方へ近づいていこうとした。けれどもその緑谷を押しのけ、轟たちの方へつかつかと歩いていったのは、爆豪だった。

「おい」

 氷の名残が空気を冷やす中、低い爆豪の声に轟は振り向く。
 元より轟とも向かい合わずあさっての方を向いていたは振り返りもしない。

「なんだ」
「てめェじゃねーよ舐めプ野郎。よォ、ずっとコソコソしてやがったクセしてなんだ急に、随分見せつけてくれんじゃねーかよ」

 コソコソ? 轟は爆豪が睨み続けているを見る。
 爆豪から当てられる視線を頬に感じぼりぼりと掻きながらもは返答しなかった。

「俺ともやれや。その白けたツラぶっとばしてやるからよォ」

 口端を上げる爆豪はボンッと拳と掌を合わせ挑発する。

「おい爆豪、分かるけど授業中だって、相澤先生睨んでんぜ」
「うるせェ」

 駆け寄ってきた切島の手も撥ね退け、爆豪のを睨む目は外れない。
 まるで体育祭の騎馬戦の時のようだと切島は思った。爆豪はこうなったらもう標的から一切目を離さない。


「嫌だ。何の為にやるんだ」
「てめェ負かす為だよ」

 轟が促すとは面倒くさそうに答えた。
 は轟が組もうと言った時も最初は拒否した。爆豪が自分で定めた標的を一切逃がさないように、にはの行動する理由が無ければまるで動かない人間だと轟は認識している。轟には相澤に勝つことと武器の練習の二つが当てはまっただけ。

 じゃあおまえの勝ちでいいよ。まるで関心なさげには歩き出す。
 すると爆豪は隣を通り過ぎようとしたに向かって右手を振りドンと爆破を浴びせた。

「!? !」
「爆豪! おまえな!」

 ふらつき、立ちこめる煙の中で左耳を押さえるに轟が駆け寄る。
 爆豪の手は不意打ちではあったが避けられない程ではないと思った轟は驚いた。切島に掴み上げられている爆豪もそんな顔をしている。

「おいおまえら、いい加減にしておけよ、授業中だぞ」

 見かねた相澤がやってくる。
 に謝れよ! 責め立てる切島の手を爆豪はまた振り払った。

「舐めてんじゃねーぞ、轟といいてめェといい……!」

 ブツブツと脳内で細かく弾ける音がする。
 苛立ちを募らせる爆豪はブルブルと手を震わせ今にも爆発しそうだった。
 体育祭の決勝戦で爆豪と戦った時の轟は、何のけじめもつけないまま自分だけ解放されて良いのか迷い、結局炎を使えなかった。圧倒的一位にこだわっていた爆豪が、そんな状態で自分の前に立つ轟に苛立ち突っかかるのは合点がいった。けど今、何故爆豪はにこうも拘っているのか。は爆豪の前に立ってはいないのに。轟には分からなかった。

、相手しろ」
「先生!?」
「その代わり金輪際もめ事起こすんじゃねーぞ、爆豪」
「ああ……さすが分かってんじゃねーか先生ェ……!」

 晴れて許可が降り拳に力をみなぎらせる爆豪は、周囲から距離を取り肩をぐんと回す。

「大丈夫か?」
「聞こえん」
「なんで避けねぇんだ」

 爆破の衝撃が耳の中でわんわんと反響し周囲の音もぼやけて聞こえる。

「だから、やる理由ないだろ」

 轟の傍から歩き出し、ギラギラと睨んでいる爆豪の前に立つ
 まだ耳を気にしている泪を案じ本当に大丈夫かよと漏らす切島の周囲に、緑谷や飯田、障子や常闇といった他の生徒たちも集まってきた。

「今度はさっきみてぇな生ぬるい爆破じゃねーからな、舐めた真似すんじゃねーぞ」

 基礎訓練はコスチュームではなく体操服で行うため爆破の威力も基礎的なもの。しかし炎天下のトレーニング中、十分に汗をかき体の温まっている今、軽く手を打つだけで十分な威力を持つ爆豪の爆破。
 爆豪が両手を構えると、ようやく耳から手を離しては正面を見た。
 じり、と足を動かす爆豪が両手に力を込めながら距離を測る。
 特に身構える様子もないはただ爆豪を待っているようだった。

 周囲が戦況を見守ろうとしている中、緑谷は爆豪に違和感を抱いた。戦闘に於いて爆豪は荒々しい覇気を纏うけどその頭の中は驚くほど冷静だ。相手を注視しながらあらゆる可能性を多角的に考慮している。攻撃を乱発しているようで相手の弱点を見定めている。そんな爆豪は常に闘いの中でセンスを光らせ成長してきた。全ては自ら動き切り開いてきた。けど今の爆豪は、動くことを躊躇っているように見える。

「行った!」

 にじり寄っていた爆豪がついに踏み込み突進していく。
 右手に爆破を構え、それを避けようがいなそうが受けようが見切ってやる。
 目を正面の標的一点に定めつつ、視野を広く、全ての動きに備え、確実に仕留めてやると。

「―!!」

 その場にいる全員が目を見張り驚愕した。
 一瞬にして爆豪が地を這い吹き飛んだ。
 砂埃を巻き上げる大地をぬるい風が撫ぜていく。
 高く上げていた脚をはスッと下ろした。

「終了。全員さっさとトレーニングに戻れ」
「は、はい……」

 相澤の声で口を開けたまま動けないでいた生徒たちはハッと意識を取り戻す。
 見えたか? いや……
 囁き合い引き返していく生徒たちのうしろで、その場に居残る轟だけがこうなることを予想していた。まさか一発で決するとは思わなかったが。

「耳、戻ったか?」
「ん……」
「そうか」

 轟はまた耳を気にするに歩み寄る。やっぱりその顔はやる気ない。

 皆の足音が遠ざかっていくのをグラウンドの土を通じて聞き取る。
 胸を痛いほど叩いていた心臓の圧迫がようやく少しずつ収まっていくのを空の青を見ながら感じていた。

「どうだった?」

 弾き飛ばされたまま動かないでいた爆豪に影を下ろす相澤。

「何だった……?」
「上段の後ろ廻し蹴りだ。おまえの右の前に入った」
「……動けねぇ……」
「綺麗に顎に入ったからな。気絶してもおかしくねぇ威力だった」
「……」

 気が付くと空だった。
 頭のどこかで骨が砕けるような音がして、ずっと遅れて痛みが走った。
 骨がある場所全部に痛みが響いてどこに当たったのかも定かじゃない。
 ただ立てない。空を見ているのに、大地に寝ているのに、上下が分からない。

「ぐっ……!」

 指先に力を込め体を起こすとぐらっと頭の中が回った。
 臓腑が圧迫されて吐き気が込み上げるけど食いしばって耐える爆豪。

「無理に立つな、吐くぞ」
「気持ち悪かった……」
「うん?」
「あいつの……、何か、はっきりしねぇ感じが、ずっと気持ち悪かった」
「……」
「戦闘訓練の時に、オールマイトがあいつを止めた時から……、いや、体力テストん時から……ずっと」

 最初に気付いたのは爆豪だった。
 誰よりも早く、敏感に感じ取っていた。
 何か得体のしれない、だけども見過ごせない何か。

「ハッキリしたわ……、あー、すっきりした……」

 秒殺で倒され、また緑谷や轟の時みたく逆上するかと思っていたが、無理やりにでも立ち上がろうとする爆豪に恨み辛みの気はないように見えた。

「ブッ倒す奴がまた出来た」

 土を握り締めながらも、その顔は笑っていた。

「そうか。だが今はもう少し休んどけ」

 言い残し、相澤は生徒たちの方へ戻っていく。
 轟も、爆豪も、学ぶことに素直になってきた。
 それぞれが張り合い、共鳴し合い、奮立ち、刺激し合って、伸びていく。
 こいつらはまだまだ強くなる。

 という異物がこのクラスにどんな影響を及ぼすのか。
 そしてこのクラスがに与える影響もまた。

「見ものだな」

 これまでこんなに高揚させるクラスがあっただろうか。
 相澤はトレーニングに励む生徒たち一人ひとりを眺め、夏の熱気を肌に感じた。









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