ザァーと食器や調理道具が洗われていく日没頃。
片づけの時間も生徒たちはこの後に控えているイベントにワクワク心躍らせていた。
「この焦げ取れない」
「しばらく水浸けとけば?」
「もう洗う皿ないかー?」
どんな驚かし方してくるかな。どう驚かしてやろうか。
クラス対抗である肝試しのことばかり考えながら、食器を洗い終え道具を元の場所へ戻し片付け終えた生徒から続々広場の方へと集まっていく。足取り軽く欠けていく芦戸や切島たち、怖いのヤダァ……と渋々歩いていく耳郎や麗日たち。
「」
移動を始めた生徒たちに倣い長イスから立ち上がるに寄っていく轟。
「メシの前、何で飯田とああなったんだ?」
「あいつが聞いてきたからだろ」
「おまえいつもそういうの嫌がるだろ」
「ネクタイの礼だよ」
ちゃーん! 暗がりの広場から葉隠の声が届きは歩き出す。
轟は入学時にが飯田にネクタイの結び方を教えられていたことを思い出した。
「あれは礼というより完全に脅しだったぞ」
「そうか?」
これでも親切心のつもりなのだから。轟はふぅと息を吐いた。
「おまえ、爆豪のこと認めてんだな」
「は?」
飯田との話の中で突然の口から現れた爆豪。
それは合宿所に向かう森の中でが常闇を指名した時にも抱いた感触だった。
「べつに爆豪がどうという話じゃないが。まぁ飯田には無駄な話だったな。あいつはトップに立ちたいわけじゃないだろうし。ただ単純な強さを手に入れたけりゃトップを目指すべきだし、トップになりたけりゃエゴがいるって話だよ。おまえにはいい見本がいるだろ」
見本……? 反復して、轟は父を頭に過ぎらせた。
「親父のこと言ってんのか……? あいつはトップに立ててないだろ」
「事件解決数トップなんだろ」
「あいつのやり方を認めんのか?」
「いちいちイラつくなよ。だからおまえは半分なんだよ」
「……!」
傍に来た葉隠が荒立った様子の轟に驚き何事かと聞いてきたが、は知らんと二人で歩いていった。
半分……? それはよく知っているものでありながら、その時の轟には掴みきれずにいた。
「さて! 腹もふくれた、皿も洗った!」
「肝を試す時間だー!」
初日から訓練続きの強化合宿、3日目にしてようやくやってきたイベントに生徒たちは拳を突き上げ喜びを爆発させた。丁度良く夜も更けてきた頃合い、鬱蒼と広場を囲んでいる森、木々の中に息づく生き物の気配、どこまでも続く闇深さが怖がる生徒、楽しむ生徒たちを包んでいた。
「その前に大変心苦しいが」
テンション高くウキウキの止まらない芦戸や上鳴たちの前に、鬱蒼とした相澤が立ちはだかる。
「補習連中はこれから俺と補習授業だ」
「ウソだろ!!!」
「すまんな、日中の訓練が思ったより疎かになってたのでこっちを削る」
「うわああ! 堪忍してくれえ、試させてくれええ!!」
「せめてはやらせてやってくれえ! 初体験なんだああ!!」
「べつにいらんよ」
しゅるっと相澤の捕縛武器に捕縛され、逃げようとした補習組はズルズルと宿舎へ引きずられていった。肝試しの雰囲気が大よそ分かったは特に関心なく、そのあとをついて歩いた。
「あうう……私たちも肝試ししたかったぁ……」
「アメとムチっつったじゃん、アメは!?」
「サルミアッキでもいい……アメをください先生……」
「サルミアッキ旨いだろ」
他の生徒たちが肝試しのコースとなっている森の奥へ移動していくのを恨みがましく見ながら芦戸と上鳴、切島と砂藤、瀬呂は宿舎内へと連行されていく。
「、どーしたー?」
芦戸たちとは相反し惜しむこともなくついてきていたがロビーに入ったところで足を止めており、気付いた切島が呼ぶと相澤もの背を見た。
「葉隠の声がした」
「はあああ、もう始まったのかぁ、いいなぁ……!」
「今さら惜しんだって遅いんだからな」
「肝試しぃい……」
肝試しの声なのか。悲鳴のような、荒立った声だったが。
は外を気にするも相澤に呼ばれ皆と一緒に学習室へと向かった。
「今回の補習では非常時での立ち廻り方を叩きこむ。周りから遅れをとったっつう自覚を持たねえとどんどん差ァ開いてくぞ。広義の意味じゃこれもアメだ、ハッカ味の」
「ハッカは旨いですよ……」
捕縛を解かれてももう向かう先は学習室しかなくトボトボと入っていく切島たち。すると中にはすでにB組のブラドキングが物間と補習を始めていた。あれぇ、おっかしいなァ! 優秀はハズのA組に赤点が6人も? B組は一人だけだったのにおっかしいなァ! 合宿前にも同じ煽りでせせら笑った物間がまったく同じ調子で笑い倒した。自分も同じクセして一体どんな心境で言っているのか、理解できずにA組補習組は空いたイスに着席した。
「おい、早く入れ」
「……」
ドア口で待つ相澤の前を通り中へ入るの外を気にする神妙な顔が止まない。
「ブラド、今回は演習を入れたいんだが」
「俺も思ってたぜ、言われるまでもなく!」
”皆!!”
学習室に入った全員の頭の中に女の声が響いた。
「マンダレイのテレパスだ」
「これスキー、ビクってする」
「交信できるわけじゃないからちょい困るよな」
プッシーキャッツ・マンダレイの個性、テレパスは脳内に直接声を届けることが出来る。今頃他の生徒たちと共に肝試しをやっているはずのマンダレイの声が届くなど、緊急性の高い報告であることが伺え、相澤は「静かに」と切島たちの雑談を止めた。
”ヴィラン二名襲来!! 他にも複数いる可能性アリ! 動ける者は直ちに施設へ! 会敵しても決して交戦せず撤退を!!”
ガタンッ! 即座に席を立ったは机を飛び越え窓へ駆け出した。
「待て!」
相澤の制止も聞かず姿を消したは窓をすり抜け森へ走っていった。
「は……!? なんでヴィランが」
「ブラド、ここを頼んだ、俺は生徒の保護に出る」
バレないんじゃなかった!?
生徒たちの愕然とした不安を置き去りにし相澤は廊下を駆け出ていく。
雄英への敵襲撃以来、警護態勢を強化し活性化する敵への対応策を練ってきた。
特に今回の合宿は直前に行き先を変え、その内容はごくわずかな教師たちにしか知らされていない保全対策を施したにも関わらず、この敵の襲撃。
考えたくないな……!
相澤は不穏を押しこめながら宿舎を駆け出ると、門前の森がごおごおと燃え盛っている惨事を見た。
「……マズいな」
もう広場にの姿はない。森へ行ってしまったか。
「心配が先に立ったか、イレイザーヘッド」
待ち構えていたかのように、相澤に手を差し向ける一人の男。
ブラド! 敵が迫っていると叫ぼうとした相澤に男はドッ!! と爆裂な青い炎を放った。
「邪魔はよしてくれよプロヒーロー、用があるのはおまえらじゃない」
灰まで燃やし尽くす異様な青い炎。
森に広がりゆく炎と同じ色をしていた。
宿舎を飛び出したは空気を伝い、A組・B組の生徒たちが散り散りになっている状況に舌を打った。右手奥、肝試しのスタート地点となっている広場にまだスタートしていなかったA組生徒が5名とプロヒーロー3名、そこに誰か分からない形が二つ。マンダレイがテレパスで伝えた敵二名だろう。
宿舎の方にも一つ現れたがあそこには教師二人がいる。
それよりも森の中に敵らしき得体のしれない気配が1・2・3・4・5……
森から左に離れた場所に一人、それの傍に小さい形……あの子どもか。あっちが先か? いや……
「緑谷!」
森の中を行く途中、正面を横切ろうとした形には同化を解き足を止めた。
「さん!?」
「あの子どもの所か? 明確な場所分かるのか?」
「え? あ、うん!」
「急げ、ヴィランが近づいてるぞ」
「ヴィラン!? 分かった、さんは!?」
「早く行け、殺されるぞ!」
「!!」
二人は交錯して駆けだし、はまた森を奥へ走った。
やはりあの籠っているガスの中が優先だ。森の中に散っているB組生徒がほぼ全員ガスにやられている。そしてその中に……いる。
肝試しルート中に濃い有毒ガス、その背後に炎と煙の大海。逃げ道を失くし散らばっている生徒たちにそれぞれ敵が配置されている。この期を狙った計画的犯行、つまり、敵連合。USJの時のような大群での襲撃ではない。その分、戦闘に長けた人間のはず。
「葉隠……!」
は再び同化し森の中を視る。
スタート地点より奥に爆豪と轟……交戦中か? 防戦一方だ。このガスが邪魔してうまく戦えてないのか。ヘタに爆破を放てばガスに引火してそれこそ全員を巻き込む惨事だ。
それよりも、なんだこれ……
障子と……敵か? でかい。なんだこれ。障子一人じゃ手に負えない。このままじゃ……
「っ……」
ダメだ、何に於いてもまず葉隠だ。傍に耳郎もいる。二人とも倒れている。
は渦巻くガスの中に入っていく。同化していれば有毒だろうと問題ないが、人に触れるには実体化しなくてはいけない。
ガサッ! 草木を飛び越えルートに出たは倒れている葉隠と耳郎を見つけた。駆け寄ると二人ともガスマスクをつけている。何故ガスマスク? ……八百万か、この濃霧の中をB組が集まっている方へ向かっている。流石は”万能”。
は同化を解き葉隠を掴み背に担ぐと、耳郎を抱き抱え息を吹き出した。
肺に詰まった全ての息を抜きぐと止めて走る。流石に二人抱えて素早くは走れないが、まずこのガスから出られれば問題ない。走りにくいが、ルートを外れて森の中に入る。ルートの先には麗日と蛙吹……、その傍に敵が近づいている。悪いが……今は構っていられない。体内のガスはマスクである程度中和されているとしても、ガスは皮膚からも入る。ここから遠ざかるのが先決。
ガスを抜けようやく息が出来る。
おかしなガスの溜まりだった。敵の個性だったか。
「!……」
広場まで戻ってくると宿舎前から相澤が走ってきた。
傍へ駆けより葉隠と耳郎の様態を見る。
「奥にガスが充満してる。B組もこれでほとんどやられてるぞ」
「……」
が地面に下ろす二人と共に膝を着くと、避難しここまで戻ってきたんだろう、入口前にいた飯田と尾白、口田と峰田が駆け寄ってきた。
「俺が行く。おまえら、葉隠と耳郎を中に運べ」
「はい!」
「おまえも中に戻れ、もう勝手な行動は許さん」
「勝手? このガスにやられてる奴が何十人いると思ってる、おまえひとりで何人担げるんだ。せめて飯田を連れていくべきだ」
「先生、僕行きます!」
「駄目だ! 中に戻れ!」
行け! と怒鳴られ、意識のない葉隠と耳郎を背負う尾白と口田が宿舎へ走り、歯を噛む飯田と怯える峰田も引き返していく。そのうしろで相澤は睨んでいるの肩を掴み傍に寄った。
「ここにもヴィランが来る。顔や腕に火傷痕のある若い男だ。青い炎を放つ奴だったが、ダメージを負うと途中で消えた。そいつの力かべつの奴の力かは分からんが、おそらく実体じゃない。そいつが中にまで侵入したら躊躇わず倒せ」
「中にはブラドキングがいるだろ」
「さっきのヴィランの言い草じゃ今回の狙いは生徒だ。いいか、おまえもここから離れるな。あいつらと一緒にいろ。おまえも雄英の生徒だと自覚しろ」
の肩から手を離し、相澤は森の奥へ走りだす。
「相澤」
炎が夜空を赤く染めている森の中、相澤が足を止める。
「また勝手に私を生かして一人でやられたら、今度こそおまえ殺すぞ」
「……ヒーローらしいこと言うようになったじゃないか。言い方はまるでなっちゃいねぇが。あと、先生を付けろ」
フン。翻しが宿舎へ戻っていくと相澤も先を急いだ。
見たか、と相澤は思った。に疑心を抱く全員に言いたかった。
敵に通じてなどいない。あいつは雄英の生徒だ。世界中に言ってやりたかった。
「くんはケガはないのか? ガスの影響は?」
「ない」
「何故くんが葉隠くんたちのところにいたんだ、君は宿舎に戻ったはずだろ」
「いいから中入ってろ」
宿舎へ入る飯田と峰田と分かれは森の方を見る。ここまで戻ってくる途中、大きなパワーのぶつかりによる地鳴りのような音がした。方角的に緑谷が向かった方だった。は状況を探ろうと右手を胸につけようとした―その瞬間。
「!?」
突然傍に現れた黒い霧の中からドッと炎が放たれた。
「くん!!」
「あ……あれって……さっき相澤先生が倒した……!」
空へと巻き上がる青い炎が広場の僅かな芝を燃やし尽くす。
炎の後にの姿がなく飯田は広場へ駆け出た。
「くん!? くん!!」
「バカ、下がってろ」
飯田の目の前にふと現れドンとエントランスへ押し戻す。
ー! 峰田が歓喜に叫ぶ。
「顔や腕に火傷痕、青い炎……相澤が言ってた奴だな」
黒い服に身を包んだ若い男。顔と腕の広範囲に火傷痕があり青い炎を使う敵。
「くん駄目だ、ブラドキング先生を……!」
「なら呼んで来い」
その時、全員の頭の中に再びマンダレイのテレパスが走った。
”A組・B組総員、プロヒーロー・イレイザーヘッドの名に於いて戦闘を許可する!!”
戦闘、つまり個性使用の許可。資格を持たない者は個性で人を傷つけてはいけないという厳しい規制がある。それがたとえ命がかかっていたとしても許されない。ルールを守らない個性の使用は敵と変わらないのだ。飯田も職場体験の際、ヒーロー殺しとの戦闘で個性を使い、緑谷と轟を巻き込み問題視されたが、警察署長や監督ヒーローに守られ咎めを受けなかった。それを今でも重い自責にしている。しかしそれを相澤が許可したということは、それほどの局面を迎えているということ。
「おい、って言ったか? 今」
青い炎を放つ男、荼毘がクツクツと笑い出す。
「おまえかぁ、。写真もなかったから初めましてだ」
「……くん、いけない、君も……」
「聞いただろ、戦闘許可が下りた」
「相澤先生の指示だ、争えという意味じゃない、身を守る為だ」
「じゃあこれ」
は被っていたキャップを脱ぎ飯田に押しつける。
「持っててくれ。燃やされるのは嫌だ」
くん! 飯田の制止も聞かずに荼毘に近付いていく。
「個性拉致被害者がなんで雄英なんかにいるんだ? まさかヒーローにでもなろうってのか? 」
「他人が気安く人の名前を呼ぶな、気色悪い」
「他人なんて冷たいこと言うなよ。おれはおまえのお友だちを知ってるぜ」
ドッ……! 再び放たれた荼毘の炎がを真正面から襲う。
飯田は咄嗟に伏せて避け、土をえぐるほど強い炎に恐怖を抱いた。
「そんなに力持て余してんならもっと暴れられるとこあるよ」
ひたり……目の前に姿を現したが冷たく荼毘の脇腹に左手を添える。
ドンッ!!……
の手から放たれた青い炎は広場を飲み込み森にまで飛び散る勢いで炎上した。
「ハハ……、さすが、人間兵器は違うなあ!!」
髪や服、皮膚に至るまで一瞬の内に燃え盛る炎の中で黒焦げになるも、炎の中で笑う口は言葉まで発し、痛み苦しみもなく笑い声を上げた。
「久々の殺しは楽しかったか? この国の人間がどいつもこいつもバカに見えるんだろ、戻りたいと思ってるんじゃないか?」
「……」
「俺が渡してやるよ……迎えが来てるぜ」
ドロ……! 炎の中で炭になる荼毘は形を崩し溶けて消えた。
地面にめらめらと残る青い残り火から立ち昇る陽炎がの髪を揺らした。
「くん……」
ふらり、立ち上がる飯田はの背に歩み寄る。
振り向かない。荼毘の言葉が反響する。
「くん」
「かっちゃんてなんだ」
「え……? あ……、爆豪くんのことだ、緑谷くんがそう呼ぶ……」
「緑谷か、それで爆豪の方へ向かってるんだな」
「分かるのか? 二人は無事なのか? 他の皆は!?」
「緑谷は障子と爆豪の方へ向かってる。なんか……おかしなもの引きつれてるが。他も死んではない。たぶん」
「たぶん!? おかしなものってなんだ!?」
森にいる皆は、戦ってはいるが全員生きてる。
ただ、常闇だけどこにいるのか分からない。
敵の狙いの一つは爆豪だと知れた。爆豪だけでなく浚えるだけ浚っていく気なのか。あのワープの奴がいれば何人浚われてもおかしくない。
「じき相澤が戻る、そしたらもう一度」
ぞわ……、不快が肌をなぞる。
バッと振り向いた先の飯田の背後にまたあの黒い霧が現れ、その中からグワッと開いた大きな口が飯田に襲いかかった。
「!!」
バクンッ! 空を食った口から避け、飯田と共に地面に転げる。
こちらに駆け寄ってこようとした峰田も足を止めまた震えあがった。
「新手か!?」
に庇われ、バッと立ち上がり体勢を整える飯田。
しかしは地面についたまま立ち上がれないでいた。
「いた…………」
「……!!」
どうしたくん! の前に立ち飯田はワープから出てくる細い男と対峙する。けどが立ち上がらない。さく、と地面を踏み近づいてくる大きく口が裂けた細身の男に声が出ないでいた。
「さがした……ずっと……やっと……みつけた……」
まさか、戯言だと思った、荼毘の言葉。
”お友だち”……”迎え”……
「牙顎……」
空を噛むの口から零れる声。
飯田はに明らかな異変を見た。
いまだ燃え続けている森とその中で散らばり戦う生徒たち。
どこよりも静かなここで、の頭の中には破裂しそうなほどの心音が鳴り響いていた。
牙額(ががく)いいます