LESSON27 - Rain

 林間合宿中に敵の襲撃を受けた雄英高校、ヒーロー科1年生総勢40名。
 たび重なる雄英生と敵の接触。それはかねてより警備の強化、敵への屈さぬ姿勢を提示し続けてきた雄英にとって多大な失態として世間に喧伝された。世間に対するヒーローの失墜、ヒーローという「職業」への警鐘。それこそが今回の敵の目的だったのだと雄英の教師陣は痛感した。
 その上今回は雄英体育祭で優勝を果たした生徒が意図的に拉致されている。報道、世間のバッシングは雄英に強く当たり、夏休み中でひっそりとしているはずの雄英高校の正門前にも朝から報道陣が詰めかけた。

「ちょっと焦凍、どこ行くの?」
「友だちの見舞い行ってくる」
「学校から外出ちゃ駄目って言われてるでしょ、うちの外にもマスコミの人いるよっ?」
「裏から出る」
「駄目だってば、お父さんもどっか行っちゃったのに!」

 もう焦凍! 姉の制止も聞かずに轟は裏門から駅へと向かった。
 昨夜搬送された生徒たちはまだ合宿所近くの病院にいる。
 電車を乗り継ぎ病院までやってきた轟はまっすぐ奥の受付に向かった。

「あー!? 轟、なんでいんの!?」
「おまえこそ」

 受付で面会できるかを聞いていると切島が現れ駆け寄ってきた。

「俺ァ……その……なんつーか……、家でジッとしてらんねーっつぅか……」
「……そっか、俺もだ」

 運ばれたA組生徒の中で八百万だけ目を覚ましていると聞き病室へ向かった。
 入院病棟への扉が開き奥の病室へ向かう二人は、途中通りかかった病室に「葉隠透」と「耳郎響香」の名を見つけ中を覗いた。中には左右のベッドに集まる人たちがいて、まだ目覚めない娘に消沈している葉隠と耳郎の家族だとすぐに分かった。

「そうだよな……、いきなりヴィランに襲撃されました、意識不明ですなんて言われたら、家族も溜まったもんじゃないよな……」
「マスコミもそこついてくるだろうな。うちの周りもマスコミいたよ」
「おまえんちに!?」
「俺にってのもあるんだろうが、親父のコメント取りに来てんだろう。親父も雄英OBだし、雄英を擁護しても批判しても叩くネタになるからな」
「さすが……ヒーロー一家だな」

 葉隠たちの病室を通り過ぎ、次の八百万の部屋に向かうと扉が開いていて、中から話し声が聞こえてきた。覗くと、ベッドに座っている八百万と一緒にオールマイトと、警察官の塚内がいてすぐさま顔を引っ込めた。なんでオールマイト?
 自宅待機を命じられている二人はオールマイトといえどここで教師に会ってしまうのは良くない気がすると思い病室に入れなくなった。すると中から「発信機」というオールマイトの声を聞き取り、二人はそっと中を覗いた。

「B組泡瀬さんに協力いただきヴィランの一人に発信機を取り付けました。これがそのデバイスです。捜査にお使いください」

 頭に包帯を巻く八百万が塚内に手中の機械を手渡した。

「素晴らしい成長だ、ありがとう八百万少女!」
「級友の危機に……こんな形でしか協力できず……悔しいです」

 悔やむ八百万の肩をしっかりと抱くオールマイト。
 扉口で目を合わせる轟と切島はその場から離れた。

「すげぇぜ八百万……発信機だってよ」
「ああ……」
「轟……今、何考えてる?」
「……たぶん、おまえと同じだ」
「だよな……」

 きのうと同じくよく晴れた暑い夏日の今日。だけどきのうとは違う。
 ベッドに伏せている仲間たち。この空が見えているかも分からない爆豪。
 目の前で浚われた轟。何も出来なかった切島。悔しくないはずが無い。

 今はまだオールマイトがいて詳しい話は聞けない。
 時間を置いてまた来ようと二人は病室から離れ、轟は辺りを見渡した。

の病室どこだ?」
「そういや……。あと緑谷も見ておきたいな」

 葉隠と耳郎、その先の八百万の病室はあるのにどこにも泪の名札がない。
 別の階なのだろうか。二人はもう一度受付へと下りていった。

「緑谷さんは3階ですね。まだ治療中ですので面会できませんよ」
「そうですか……」
「あと、はどこにいるんですか?」
「その患者さんも治療中ですのでまだ面会できません」
「部屋だけでも教えてください」
「すみませんがお教えできません」

 教えられない……?
 切島はどういうことなのかと問い詰めたが教えてはもらえず二人は受付から離れた。

「切島、はどんなケガだったんだ? 飯田の服についてたあの血痕、あれなんだろ?」
「……腕、右腕……切断してた」
「切断!?」
「俺が外出てった時には飯田がもう、血まみれで抱いてて、何があったのかはわからねぇんだけど、相澤先生が止血しても血ィ止まんなかったみたいで……、もう、見てらんねぇくらいでさ……」

 切島は痛く口唇を噛んだ。思い返すとゾッとしてしまう、あの血の量。
 人の体の中にあんなに血が入ってるのかというくらい。
 血の池ってこういうことをいうのかというくらい。
 肌にこびりつく、鼻孔を突く独特の生臭さ。

「探すぞ。大してでかい病院じゃねぇ、全部の階回ってもしれてる」

 そうして二人は1階から順に病棟を見て回った。どの部屋もスタッフや患者が行き来していて、とてもがいそうではなかった。そのまま3階まで上がっていくと緑谷の病室から出てきたリカバリーガールを見つけた。緑谷の治療をしたんだ、と駆け寄ろうとした切島だったが、轟は引き止め廊下の奥に隠れた。

「病院が居場所教えてくれないんじゃリカバリーガールだって教えてくれないかもしれない。後つけるぞ」
「おお……おまえ頭回んな!」

 エレベーターで降りていくリカバリーガールの後をついていく二人は、1階の緊急搬送されてくる患者が入る救急治療室がある方へと向かっていった。するとリカバリーガールが向かう先に相澤の姿があり二人は確信した。

「おまえら」
「おや、やられたかね」

 リカバリーガールに振り向いた相澤が、その先にいた轟と切島を見てつかつかと歩み寄った。普段力ない相澤の目が真剣に怒っていて二人は身構えた。

「何してる、自宅待機だろうが」
「心配で、ジッとしてらんなくて……、他の皆はいたけど、だけ見つけらんなかったから」
「今すぐ家に帰れ。ヴィラン警戒中の今の状況がわかんねぇのか」
「なんでまだ治療中なんですか? リカバリーガールがいるのに」
「そう易々と完治するケガじゃねぇんだ、時間がかかる。済んだら知らせてやるからさっさと帰れ」
「一目だけでも」
「駄目だっつってんだろ、帰れ」

 頑として話を聞き入れてくれないのはいつものことだけど、轟は今の相澤に違和感を覚えた。相澤の口調にはどこか焦りのようなものを感じた。それに相澤の声は荒立っていながらもやけに小声だ。まるで誰にも聞こえないようにしているような。

 すると、奥の治療室からガシャン! と破壊音が響いてきて相澤が焦って振り返った。苦く表情を崩す相澤は轟と切島を掴み上げ引っ張っていった。

「先生、何なんスか!」
「いいから言うことを聞け、帰るんだ」
「先生!」
「相澤、ちゃんと話してやんな。二人とも聞きわけがないわけじゃないんだ。あの子を心配してここまで来たんじゃないか」
「……そんな次元の話じゃねぇだろ」

 押さえこむような、聞いたことのない相澤の声。
 腕を掴む手がギュと強まり、轟は相澤を見上げた。

「これからはその子らの力も借りるって決めたんじゃなかったかい。私ら大人だけじゃ入れない部分があるんだって」
「……」

 相澤は納得しないが落ちつきを取り戻すようにハァと息を吐き抵抗する二人から手を離す。こんな力ずくな相澤など初めてで、一体何が起きているのか分からなかった。

はそこにいる。が、まだ腕の治療が済んでいない。治療を拒否してる。今説得してる最中だ」
「拒否? なんで!?」
「でかい声を出すな。そもそも……あいつはずっと治療中の身だ。昨晩から時間かけてやっと落ち着いてきたとこなんだ、無碍にすんじゃねぇ」
「治療って何なんですか、俺にも会わせてください」
「駄目だ」
「何でですか! 俺たちだってこの3ヶ月と一緒にやってきたんスよ、あいつがなんか苦しんでるなら力になりたいじゃないスか!」

 ぜんぜん聞きわけねぇじゃねぇか……。相澤は重苦しい息を吐いた。
 すると杖をコツコツ鳴らしてリカバリーガールが扉の開いている治療室へと近づいていった。中には入らず声をかけるリカバリーガールは誰かと会話しているようだった。数度頷き、また杖を着きこちらにゆっくり歩いてくると相澤に「大丈夫だそうだ」と伝達した。

「……いいか、大きな声を出すな。部屋にも入るな。と目も合わせるな。役に立とうとか助けようなんて思うな。ジッとしていられないならすぐに帰れ」
「……?」

 相澤はそう二人に厳しく呟いて、治療室の前まで戻っていった。中の様子を一度見て、壁際に下がりまた腕を組み待った。轟と切島はよく分からないままだったが、静かに治療室へ歩み寄りそっと中を見た。

 緊急搬送されてきた患者が最初の治療を施されるんだろうその部屋は、機材や治療道具が溢れた治療室だったが、物が乱雑に散らばり治療台は壊れ、酷く荒れた個室内に血をこすりつけた痕や飛沫痕が飛び散っていた。
 その中央に一人の男が座っていた。そう大きくない背中で、扉口から入って1メートル程の位置に座り込みジッと静かに奥を見つめていた。……その背がジッと待っているもの。部屋の隅に顔も体も服も血にまみれぐったりもたれ座りこんでいる、右手のないの姿があった。

「おい、もっと下がれ」
「なんだよこれ…………?」

 まるで、コミックか映画でも見ているような。
 部屋の前に来て分かる、充満した血の匂い。

 いつも教室の隅でぼんやり外を眺めていた穏やかな姿なんてかき消して、呼吸荒く部屋の隅で壁に寄り添うは、まさかこの3ヶ月の間に見てきたどのとも違う。訓練で向かい合っていた時も、同じテーブルでごはんを食べた時も、バスの中で眠っていた顔とも、時折見せる寒気を感じる程冷たい雰囲気とも。轟は目の当たりにして今さら相澤が言った「そういう次元じゃない」という意味が分かった。

、友だちが出来たら紹介してくれって言ったろ」

 こんな状態のと、動揺もなく静かに向き合っている男が語りかける。
 その声は届いているのか、息荒く苦しんでいるようなに返答はない。

「良かったな、もう大丈夫だ……君はちゃんとやっていける。こんな友だちが出来たんだもん、君はちゃんとここで生きていける」
「……るさぃ……ああっ……」

 掻き毟りもがきだす泪が頭を床に擦りつけ苦しむ。応急処置のまま布が被った腕の切断面からじわじわと血が滲み垂れ続け、顔も手足も血に濡れていない部分は今にも脆く崩れそうな程白い。

「苦しいな、痛いな……、分かるだろ? ちゃんと感じるだろ?」
「ああああっ……!!」
「それはとても大切なものなんだ。敵じゃないんだよ。これからもずっと、その痛みと生きていくんだ。大丈夫、だけが背負うことないんだよ。友だちがいる。僕もいるよ」
「ッ……!!」
「そう、ちゃんと抑えて。出来るよ。出来る。、ちゃんと聞いて、

 しっかりと座っていた男が腰を上げ震えるを待つ。
 もう少し。あと少し。
 轟も切島も息を呑んで待ち、腕を解く相澤は電話を取り出した。

「大丈夫だよ泪、大丈夫。僕がいる、みんないる。これからもっと大切な人が増える。君はここで生きていくんだ」
「……っ」
「ここにいてくれ、どこにも行くな、

 ブルブル震える体は手の先、足の先から冷えて、痛くて。
 けど体の奥の奥の方から生まれる。じわりじわり、光のような温度。

「……」

 ポタポタッ……血ばかりが滴っていたから透き通る雫が溢れる。
 這い出て来るものを、押さえこんで、押さえこんで、食いしばって押さえこむ。
 床に引きずる額がゆっくり、ただれるように熱く響く右手と細く白い左手に力を込めて起き上がると、男は床からヒザを離し駆け寄った。

「ジョー……っ」

 ぼたりぼたりと沸きだす涙の奥からがない右手を伸ばす。
 その声が届くと同時に男の腕がを抱きとめ力強く受け止めた。

「よくがんばった、……、ありがとう、どこにも行かないでくれて……」

 何色でもない泣き声が響くと、不思議と充満していた悲愴や狂気や泥のような血生臭さが浄化していった。幼な子のように泣き声を押しつけるはしっかりと抱きとめられて、優しく撫でる手にだんだん穏やかに、光と温度を取り戻していった。

「手間取らせました、すぐ手術お願いします」

 電話しながら相澤が立ち尽くす轟と切島を入口からどかせる。
 すぐに治療スタッフがやってきて、男の腕の中で意識を失ったを運んでいった。

……」

 轟が目の前を運ばれていくに駆け寄る。
 血で汚れた顔や体は今まで見てきたとは別物のようだったけど、血痕を涙で洗う表情は何事もなかったかのように穏やかに見えてホッと息を吐いた。

「ばあさん、後頼む」
「分かってるよ、その為にいる。ただしあの子はしばらく寝かせておいた方がいい。出来ればこの件が片付くまでだ。早く爆豪を取り戻して解決しな」
「ああ」

 ようやく相澤も一つ安堵の息を吐くが、落ち着いている場合でもなく、荒れた治療室の中で座りこんでいる男の元へ歩み寄った。

「ジョー、俺は学校に戻らなきゃならん。落ち着いたらあいつは警護付きで学校近くの病院へ移す。爆豪の奪還が優先だが、事態が落ち着けばの処遇に関しても話し合う」
「うん……もちろんだ、早く助けてあげなきゃ……」
「……大丈夫か」
「ちっともさ、ヘーキヘーキ。ありがとう相澤、を守ってくれて」
「……守れてねぇからこの有様だろ」

 そんなことないさ。軽く笑いながら立ち上がろうとする男を相澤は引っ張り起こし部屋を出た。

「おまえらも帰るぞ」

 はい、と答えかけた切島を轟はトンと背を押し止める。

「俺たち緑谷の様子も気になるんで、そっち寄ってからすぐ帰ります」
「緑谷はリカバリーガールの治癒を受けて寝てる」
「一目様子だけ、すぐ帰りますから!」
「私もあの子の手術が終わるまでここにいるから、私がしっかり帰宅確認しとくよ」

 何度目かも分からないため息を吐き相澤は先にその場を去った。

「大丈夫かい、ジョー」
「ええ、リカバリーガールも、すみません長い間、お疲れでしょう」
「いいんだよ。それよりケガ見せな」
「ヤヤ、ヘーキですよ、このくらい」
「まったく、あんたといい相澤といい」

 男は痛む頭を撫ぜ、他にも顔や腕から血を滲ませていた。そのからつけられた傷は相澤もいくつか負っていたが、大したことないと治療をしなかった。

「ヤヤ、轟くんだったか。それと君は、切島鋭児郎くんだね」
「え? あ、はい」
「体育祭見てたよ。鉄哲くんとの試合熱かったなー、強いなぁ君も」

 先程までの空気を一掃して気さくに話すその人に切島は狐に包まれる思いだったが、轟はその話し方、体育祭の話でようやく思い出した。いつだったか自分もこんな風に学校の門前で話しかけられたことがあった。

「今回は皆大変だったね、君たちはケガなかったの? ヤヤ、轟くんケガしてるじゃないか」
「大したケガじゃないです」
「そう、良かった。良かったとも言えないか、まだ解決してないもんね」
「あの、あなたは誰なんですか?」
はなんであんな状態になったんですか?」
「ん、僕はー……の友だちかな」
「あんたが友だちなんてくくりかね」
「いいじゃないですか、友だち。かけがいのないものですよ」

 轟と切島は、友だちという言葉を今ほど違和感に思ったことはなかった。
 この人が誰か、とどんな関係なのか分からなくてもそう感じた。

「皆のことは相澤からもよく聞いてるよ。と仲良くしてくれてありがとう。あの子はほら、お礼とか言わないだろうから僕から言っておくよ。礼儀がまだまだでね、ハハ」
「そんなことないです、、俺らにありがとうって言ったことあります。ちゃんと聞きました、俺ら」
「そっか……ありがとう、嬉しいよ」

 隣の治療室に何人ものスタッフが行き交っている。
 リカバリーガールの治癒でも途切れた手を再生することは不可能。元に戻るかはこの接合手術にかかっていた。

はちょっとバランスを崩してしまっただけだ。まだ今の環境に不慣れでね、時々どうしても苦しくなってしまうんだよ。あの子は、僕の我儘でこっち側へ連れ戻してしまったから」
「我儘……?」
「あの子が抱えるものの複雑さは分かってやれない。それでも僕はあの子に、この国で生きていって欲しいんだ。もう一度この国にきちんと根付いてほしい。あの子が生まれたこの国で、もう誰にも無理やり書き換えられることなく、明るいところを歩いていってほしいんだ。それも僕の勝手な我儘なんだけど……」

 まっすぐ見つめしっかりと聞いてくれている轟と切島に、その人は深く頭を下げた。

と友だちになってくれてありがとう。これからも、あの子と仲良くしてやってください」
「……」

 轟はその熱く強い言葉が、胸の奥の心の奥の、もっともっとどこか深いところへ刺さるように染み込んでいくのを感じた。その中で、記憶の糸を辿って思い出していた。いつだったかジョーに声をかけられた朝、その後下駄箱にいた泪が浮かべていた穏やかな表情。この人を感じていたからだったんだ。この人に触れていたからだった。そう分かった。

 それはぬくもりだったんだろう。きっと温かなもので。きっと眩しくて。
 何度も何度も浴びる程降り注いだのだろう。
 それが痛い雨だろうと、凍てつく雪だろうと、受け止めた。
 ここにいようとが思ったくらいに。それはしつこく。









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