轟と切島が病院を訪れた日の夜、二人はA組全員に「明日みんなで見舞いに行こう」と持ちかけた。
の手術中、再び八百万の病室を訪れた二人は、八百万が敵に発信機をつけたという話を盗み聞きしたことを話し、自分たちも爆豪の救出に出向くべく受信機をもうひとつ作ってほしいと頼んだ。爆豪の救出には警察とヒーローが当たっている。そんな中、自分たちが出しゃばる意味はまるでない。だが二人は行くことを決めた。どう説得しても曲げる様子のない二人に、八百万は「考えさせて欲しい」とだけ答えた。
「お、飯田、こっち!」
「切島くん、轟くん、早いな」
「俺たちきのうから来てんだ、ジッとしてらんなくてよ」
病院のロビーでみんなを待っていると、約束の時間より1時間早くにやってきた飯田が二人の座るソファーに合流した。おとついはショックで自失していた飯田だけど、丸一日休んで元通り落ち着いた様子を見せていた。
「緑谷まだ目ェ覚めてないみたいだ。きのうリカバリーガールが来てたからケガは良くなってるはずなんだけどさ、あいつこれまでのケガもあるし、結構ガタ来てるみたいだぜ」
「そうなのか……、緑谷くんのケガも酷いものだったもんな」
「あと、だけどな、腕の接合手術が終わって、その後リカバリーガールが治癒して落ち着いたそうだ」
「そうか……良かった……、本当に……」
の名にパッと目を上げた飯田は睫毛を濡らし心底安堵した。
「飯田、教えてくれねーか。あの時何があったのか」
「青い炎を出すヴィランが現れたってのは峰田に聞いたけどよ、そいつにやられたわけじゃないんだろ?」
「……」
飯田は躊躇ったが、敵連合に爆豪が拉致された今、もしまた奴らがを狙ってきたらと思うと、自分ひとりで事情を抱えるのは重すぎるとも思った。
「このことは、他の皆には口外しないでくれ。警察にも言われてるんだ」
「ああ……?」
「まず……、くんの腕はヴィランにやられたんじゃない。くんが自分で……切断したんだ」
「自分で!?」
「くんが青い炎のヴィランを倒した後に、もう一人ヴィランが現れたんだ。口が大きく裂けた、噛みついて攻撃する男だった。炎のヴィランもくんを知っているような口ぶりだったが、個性拉致被害者と言っていたし……ニュースか何かで知っているレベルのものに感じた。くんもそいつには何も反応していなかった。だが、もう一人の男はくんをと呼んでいて、くんもその男には明らかに動揺し……名前も呼んでいた」
「なんて……?」
「牙顎、と」
「つまり……が元いた場所での知り合い、ってことか……」
「その男が言ったんだ……、やっとみつけた、と。僕らには目もくれず、しきりにくんを連れ去ろうとしていた。なのにくんはその男には一切手出しせず、反撃しようとした僕にも手を出すなとずっと言っていた」
「なんでだよ」
「分からないが、今思うと……くんはまるで、その男を守っているようだった。攻撃するとか、抵抗するとかいう素振りを一切しなかった。けどくんは僕をかばう形でそいつに捕まってしまって……、あの黒い霧のワープの中へ連れて行かれそうになり、追いかけたが間に合わず……」
ぐ……と飯田の拳が引き締まる。
「くんは……掴まれていた右手を自分で断ち切って……、ワープから抜けだしたんだ」
「……」
思い返したくない光景。今でも纏わりつくように感じる血の流れ。
「つまりそれは……がそいつと行くのを拒否したってことだよな。あいつは、自分の腕断ち切ってでも、こっちにいることを選んだってことだよな」
「轟?」
轟は、ようやく上手くはまっていなかったピースがカチリと繋がったように思えた。きのうジョーがにずっと辛抱強く訴えていたことはこのことだったんだ。ここにいろ、どこにも行くな。昔と今の狭間でがもがいて苦しんで痛みを噛み締めて選んだ、こちら側。
「なぁ轟、なんでは消えなかったんだ? そうすりゃ腕切るなんてさ……」
「あいつは環境に同化するには右手で自分に触れてなきゃならねぇんだ」
「それで右手を掴まれちまったもんだから……てことか。やっぱそのヴィラン、の個性までよく知ってるってことだよな」
「それでも、僕がもっとちゃんと守れていれば……あんなこと!」
ギリと強く噛む飯田の悔しさは、轟も切島も痛いほど感じたもの。
皆悔しかった。及ばない、無力な己の不甲斐無さ。
「青い炎のヴィランがくんに言っていた……、久々の殺しは楽しかったかと……戻りたいんじゃないかと……!」
「そんなヴィランの言うことなんか真に受けんなよ!」
「弱いことは罪だと……くんは知っていた。くんはこれまで、どれだけこんな思いを……どれだけこんな状況を強いられてきたのかと! くんに起きたことの全てが、僕は悔しい……!! くんの力も、技術も、何事もなかったような顔をしているくんも……何も理解してやれない自分自身も、全て、悔しくて堪らないんだ……!!」
「飯田……」
悲惨な状況に居合わせてしまった飯田は、轟や切島よりも、もっともっと遠いところまで自責を深めていた。
轟は、きのう飯田があの場に居合わせなくて良かったと思った。のあんな姿を見てしまっていたらもっと自責の念は深まっただろう。ただでさえ、兄のことで人のケガに過敏になっている飯田だから尚更。
「あんまり考え込むな、飯田。はたぶんそういうの嫌がるぞ。肝試しの前におまえに色々言ったのも、あいつ、ネクタイの礼のつもりだったらしいぞ」
「……」
「あいつはそういう、普通のことがありがたいんじゃねーか。あんま礼っぽくなかったけど」
口唇を噛む飯田は、メガネを外すと顔をゴシゴシと擦り思い詰めた顔を消した。
息を吐き胸の詰まりを下ろして、メガネをかけ直す。
「皆が来るまでもう少し時間があるだろう、くんの所へ行ってくる。返さなきゃいけないものがあるんだ」
そう飯田はカバンの中からキャップを取り出した。洗ったんだけど完全には取れなくて。とキャップについた血痕を撫ぜた。
「、まだ寝てるぜ」
「ああ、置いてくる。借りものらしく、大事にしてたから早く返してやりたいんだ」
歩きだす飯田に切島はの病室を教え、飯田はエレベーターへ向かっていった。
「あのキャップ……ジョーのかな」
「ああ」
「……ジョーのこと大好きなんだな」
「ああ」
合宿の間、がずっと被っていたそれを皆知っていた。
の頭には少し大きくて顔を覆い隠してしまっていた緑色のキャップ。
いつも守っていた。いつも守られていた。
「飯田は、たぶん反対すんだろうな」
「だろうな」
その後、すぐに戻ってきた飯田は面会できず看護師にキャップを預けて来たと言った。にも、ジョーにも会わなかったようだった。
それからしばらくしてクラスの皆が続々やってきて緑谷の病室へ向かった。きのうから悶絶と気絶を繰り返し高熱にうなされ続けた緑谷はリカバリーガールの治癒もありようやく落ち着いた頃だった。
目覚めた緑谷に残るのは目の前で連れ去られた爆豪の顔。手を伸ばせば届く位置にいたのに、敵と戦い両腕がボロボロになってしまっていたせいで、掴めなかった。人を助ける為の個性なのに。身に克ちすぎるこの力は、一人を助けるだけで使いものにならなくなり、肝心な時に動けなくなった。すぐそこまで追い付いたのに。
「じゃあ今度は助けよう」
悔し涙に濡れる緑谷に切島が言った。八百万が敵に付けた発信機を頼りに、爆豪を取り戻しに行こうと。切島と轟はもう腹を決めていたが、当然それを聞いたクラスメイトは反対した。プロに任せるべき、自分たちの出る幕ではない。悔しいのは皆同じ、けどこれは感情で動いていい話じゃない。
「皆爆豪ちゃんが浚われてショックなのよ。でも冷静になりましょう。どれほど正当な感情であろうとまた戦闘を行うというのなら、ルールを破るというのなら、その行為はヴィランのそれと同じなのよ」
蛙吹の言葉に誰もが納得せざるを得ない。自分たちはヒーローになるべく雄英に入り、こうして出会った者たちなのだから。緑谷の診察時間になり話は中断されたが、轟と切島の覚悟は変わらなかった。重傷の緑谷が動ける状態なのかは分からないが、一番悔しいのも緑谷だと分かっている切島は、今晩病院前で待つと告げ病室を出ていった。
そして、夜。陽が落ち暗い中、病院前で待つ切島と轟の元に現れた八百万と緑谷。そして、飯田。他の皆は帰宅したはずだが、飯田だけはクラスメイトの無茶を放ってはおけなかった。それは爆豪救出などという身の程を鑑みない思想を抱く仲間を止めるためではなく、彼らに絶対に戦闘をさせない為の同行。
切島も轟も敵のアジトが分かったからと言って正面から乗り込む程身の程知らずではない。どうにか期を見て掻い潜り、爆豪の救出だけを念頭に策を練ろうとしていた。そんな皆に八百万もまるで賛同は出来ないが、気持ちが分かるからこそ受信機を持って同行を決めた。戦闘のない救出作戦がどんなに無理なことか、現場を直接目にすれば嫌でも分かるだろうと、いざという時の為のストッパーとなるように。そうして5人は八百万が持つ受信機が指示した場所へ向かった。
「あの……この出発とか詳細とかって皆に伝えてるの?」
「ああ、言ったら余計止められたけどな」
「あの後麗日がダメ押しでキチいこと言ってくれたぜ」
病院のある長野から受信機が指示した場所は新幹線でも2時間かかる神奈川県だった。緑谷と八百万の向かいのシートに座る轟と切島は夕飯を食べながら、麗日に言われたことを緑谷に伝えた。爆豪くんきっと……、皆に助けられんの屈辱なんと違うかな……。誰にも頼らず力も借りず、己の腕一本で圧倒的一位になりたがる爆豪だ。緑谷が浚われる爆豪の一歩手前まで詰め寄った時も、爆豪は緑谷に来るなと言った。
「一応聞いとく。俺たちのやろうとしてることは誰からも認められねぇエゴってヤツだ。引き返すならまだ間に合うぞ」
「迷うくらいならそもそも言わねえ! あいつァヴィランのいいようにされていいタマじゃねえんだ……!」
「僕は……後戻りなんて出来ない」
意思の揺るがない3人に何も言えない飯田と八百万。
やはりいざという時は自分たちがしっかりと彼らを止めなくては。
「ですが、隠密活動とは実際どのようにお考えですの?」
「横浜なら夜といっても人が多いだろうね。その中で目立たずヴィランに気付かれず偵察をしなくちゃいけないとなると……」
「そういうスニーク活動が得意な奴いねぇからな、作戦練らねーと」
「正直……さんがいたらって思っちゃうけど」
「確かに、さんなら隠密も偵察も」
緑谷は葉隠や耳郎と同様に、いまだ眠っているというの状態を聞いたが、これからの状況を考えるとつい頭に浮かんだ。しかし、向かいに座る轟が突然バンッと弁当に蓋をし会話を断った。
「には何も言うな」
「轟さん……?」
「あいつはまだ眠ってるからこのことも知らねぇが、目覚めても、この先もあいつには何も言うな」
緑谷も八百万も轟の突然の強い口調と目つきに異変を感じた。
「くんも今回、ヴィランに連れて行かれそうになったんだ」
「え!?」
口を割らない轟の代わりに、通路を挟んだ隣のシートから飯田が言った。
「今回襲撃してきたヴィランは、あのヒーロー殺しにあてられた連中が集まっていた。ヒーロー殺しは今もセンセーショナルに扱われている。こんな大がかりな騒ぎを起こしたのも、さらに世間に対しての煽りにする為なんじゃないかと思う。今回爆豪くんが狙われたのも、雄英生を懐柔することで雄英を陥れようと企んでのことではないかと思う」
「バッカだぜ、爆豪がそんな手に乗るかっつの」
「奴らはさんのことも世間に露呈させるつもりなのかな……」
「今回が狙われた理由ははっきりしねえが、それと俺が言いたいことは別だ」
「別……?」
弁当を袋に入れペットボトルを口にする轟に、先程覗いた厳しい目はなくなったと緑谷は感じた。
「合宿中あいつが右手に機械着けてたの知らねえか? あれはの居場所や行動を逐一チェックする発信機だ。あいつは雄英の外に出るにも許可がいるし、外出するときは必ずアレを着けられてんだ」
「はあ?」
「見ましたわ、私、さんの手首にあったそれ……」
「あいつはずっとヴィランに内通してんじゃねーかって水面下で疑われてたんだ。雄英は保護と言いつつあいつをずっと監視してきたんだよ。だがは今回、はっきりとヴィランと繋がりが無いことを証明した」
「証明……?」
「の奴、ヴィランに連れてかれそうになった時、自分で掴まれてた腕切って逃げたんだ」
「腕を……!?」
静かに夜を走る新幹線内に緑谷と八百万のどよめきが広がる。
「そもそも、あいつのことはヴィラン連合とも分けて考えなきゃならねぇんだ。あいつが繋りを疑われてるのはヴィラン連合なんかじゃなく、国とか組織とか、もっとでかいもんだからな。それが今回何故かヴィラン連合と混じってきた。だが雄英もこれではっきりしたはずだ。あいつは絶対ヴィランに通じてなんかいねえ。もう絶対誰にもあいつを疑わせねえ。は俺らの仲間だ」
「轟くん……」
「仲間……だからこそ、しっかりとお伝えすべきではありませんの……?」
「轟くんはつまり……、くんにヴィラン……悪意そのものに触れさせたくないということだろう? それは僕も思ったんだ……。もちろん僕もくんを信じているが……、今回ヴィランを相手にしたくんの戦い方を目の前で見て……くんの持つ力や、危うさは、もっと慎重に扱わなければならないと感じた。もしくんが僕たちの今の行為を知れば力を貸そうとするかもしれない。けど、それは絶対にさせてはいけないんだ」
「に動かれちゃ俺らじゃ誰も止められねーし、あいつはヒーローっていう固執もねえからな。あいつがもっとしっかり、この国での生き方ってやつを根付かせるまでは、あいつは悪意に触れさせるべきじゃねえんだ。今の俺らの行動とは矛盾してるけどな」
「そうですわ、さんには触れさせるなと言っておいてご自分たちは……」
ペットボトルを飲み干し袋に放り入れる轟はトイレ行ってくると席を立った。
「なんか……皆大変だったのに、僕目の前のことでいっぱいいっぱいで……」
「もうそれ言うなよ、部屋からも出してもらえなかった俺だって悔しいんだぜ」
「うん、ごめん……」
「轟さん……良からぬことを考えてはいらっしゃらないですよね……?」
「良からぬことって?」
「その……さんのことを背負い過ぎて、仇討のような考えを……」
「轟はそんなバカじゃねぇぜ、あいつは冷静だよいつだってな」
「だといいんですが」
八百万が抱いた一抹の不安は、緑谷にも共感できた。轟の冷静さも状況の判断力も優れていることはよく分かっているが、先程瞬間見せた焦りの混じった威圧感は、まるで体育祭の時に緑谷を呼び出した時のような顔だったと感じたから。
「俺たちの目的は爆豪救出ただ一つ! それ以外に構ってる余裕はねえ」
頷き合い、5人を乗せた新幹線は受信機が示す街へ一目散に夜を滑っていった。
同時刻、5人の目的地である横浜市神野区のとあるバー。
ビクリと暗闇から意識を覚ました爆豪は明るさに慣れない目を凝した。
そう広くないフロアに敵らしき顔が何人かと、そして―
「死柄木……!」
バーカウンターに腰掛ける、顔面に掌を張りつけた死柄木弔。
爆豪は動こうとしたがガチャンと身動きが取れず、手足や体を拘束されている状態なことに気付いた。
「おはよう、爆豪くん」
カウンターの向こう側にはワープの霧。他にも爆豪を囲むように敵が7人。
どれもこれもUSJの時のような寄せ集めには見えない。
おそらく一人ひとりが爆豪と轟が対峙したような好戦的な実力者。
「早速だが……ヒーロー志望の爆豪勝己くん、俺の仲間にならないか?」
何故自分が狙われたのか、まだ頭が良く働かない爆豪だったが、死柄木のひび割れた口唇から零れる掠れた言葉に身の毛がよだつ感触の悪さを感じた。
「寝言は寝て死ね」
奴らの目的。雄英の生徒を浚い取りこみ、雄英の地位を崩壊させるつもりか。
死柄木を始め、敵全員に視を向け警戒する爆豪だったが、ゴツリゴツリと重いブーツで板間を踏み爆豪の前に立った一人の男を見上げた。
「こんなの……いらない……、……」
「……?」
「牙顎、とりあえずそれは諦めろ。また見つけてやる」
「……どこ…………」
頬まで口が裂けた、牙顎の乾いた目が爆豪を見下ろす。
爆豪にはその男が何を呟いているのか分からなかったが、ねとりと纏わりつくような目線の割に自分のことはまるで見ていないような気色悪さを感じた。
「ッ……!?」
瞬間牙顎は爆豪の頭を呑みこむ大きな口を開け牙を剥いた。
動けない爆豪は心臓が跳ね上がり背筋にゾッと走ったが、目の前で男の首から上が霧を纏って消え、壁際にいた敵が「おわっ」と突然隣に現れた牙額の頭に驚き飛びのいた。黒霧のワープが牙顎の頭を飛ばしていた。
「おいおい……いきなり人質食おうとすんじゃねえよ……、これだからPD野郎はよぉ」
死柄木がぼやくうしろで荼毘が牙顎の細腕を引き爆豪から離すと、ワープが消え牙顎の頭が戻った。
先程よりずっと苛立った牙顎の光る牙がカチカチ震え鳴り、爆豪を睨み下す。
「やっぱそいつダメだ……、荼毘、連れ出せ」
「こいつは食うな牙顎、どうせの居場所はワレてんだ」
「!」
荼毘が爆豪を見下ろし発した正しい発音で、爆豪はようやく牙顎がしきりに呟いていた言葉の意味がわかった。
荼毘は牙顎を外へ出そうとしたが、牙顎はその手を払い店を出ていく。
その間も牙顎は同じ言葉をずっと繰り返していて、それは爆豪の耳にねとりこびり付いた。