LESSON32 - changeling

 桜の花びらが風に乗るうららかな春。
 小さな体にはまだ大きいピカピカのランドセルを自慢気に背負う子ども達は、少し大人になった気分で背筋を伸ばして席につく。

「皆さんおはようございます」
「おはようございます!」
「皆さんは今日から小学1年生です。これからこの学校でたくさんのお友だちを作り、たくさん勉強して、たくさん遊びましょうね」
「はーい!」
「ひとつ、大切なお約束事があります。皆、いろんな個性を持っていますね。けれどもその力はこの学校内でも、外でも使用してはいけません。皆さんの持つその個性は、大切なお友だちを傷つけてしまうかもしれません。なので、とても気をつけなければいけないのです。先生との約束、守れますか?」
「はーい!」
「個性を使えるのは人々を守るお仕事をしている人だけです。どんなお仕事か、皆さん知っていますか?」
「ヒーロー!」
「そうです。もしかしたらこのクラスにも、将来ヒーローになるような子がいるかもしれませんね。皆さん大きな夢を持って、元気に毎日をすごしましょうね。それでは、最初の授業はおとなりのお友だちと挨拶しましょう。元気な声で、自分の名前を教えてあげましょう」

 大きな声を出せる子。恥ずかしがって黙ってしまう子。
 席を立ち走り出してしまう子。思わず個性が飛び出てしまう子。
 十人十色の子どもたちはそれでも先生の言う通り、隣の席の子と向かい合い、名前を教え合った。

「しんえいががくです。よろしくおねがいします」

 しっかりと練習してきたような正しい口調で挨拶をする男の子。
 いつもこんな風に大きな声で挨拶をすると、皆褒めてくれた。
 えらいわね、ちゃんと挨拶出来て。お名前が言えて。
 それが嬉しくて、牙顎は拙いながらも何度も自分の名前を練習した。

…………」

 けれども目の前に立つ女の子は、俯きがちにぼそりと何かを口ずさみ、牙顎は首を傾げた。

「大きなお声で言わなきゃダメなんだよ」
「……」

 周りは大きな声が反響してガヤガヤと騒がしく、俯き何も言わなくなってしまったの存在など、まるで透明人間のようだった。

「ぼくの個性は”ストック”です。おなかの中にいろんなものを入れられます。ちゃんは?」
「……」
ちゃん」
「……知らない……」

 牙顎にはそれがどういう意味か分からなかった。
 個性を知らないって、どういうことだろう?

「ぼくは大きくなったらヒーローになりたいです。ちゃんもヒーローになる?」
「……」

 いつまで経っても上手く言葉の返ってこないは、牙顎にはとても幼く見えた。背も小さく、ひとつかふたつ年下のような。

ちゃん、ぼくの名前おぼえた?」
「……」
「ががくだよ。言ってみて、がーがーく」
「……」

「牙顎」
「……」
「牙顎ってば」
「……なに……」

 体をゆすられ、牙顎は寝返りをうって呼んでくる声に背を向ける。

「起きて。時間だよ」
「……」
「ほら、また怒られるよ」

 無理やり体を起こされると牙顎は不機嫌にドンとその体を突き飛ばす。
 けれどもすぐにハッと気がついて、泣き出しそうな顔を浮かべた。

「ごめん…………」
「ううん。ほら、早く行こう」
「うん……」

 突き飛ばされても大した衝撃はなく、しっかりと体を支えたは牙顎にまた手を伸ばし、引っ張り起こした。机を並べていた幼い頃に比べれば背も高くなった牙顎だけど、その体はやせ細り突き飛ばされればすぐにへし折れてしまいそうなほど。

 毎日毎日、地獄を見ているようだった。陽が昇る頃に起こされ、闇深い山奥で体を鍛え武術を習い、日が暮れるまで個性の訓練をさせられる。
 ケガをすればすぐに治されて、大量の血を失えばすぐに増やされて、腕や足が吹き飛べばすぐに再生されて、何ごとも無かったかのようにまた訓練を続ける毎日。地獄のようではない。地獄そのもの。
 けれども泣き叫ぼうが必死に助けを請おうが、誰も助けになど来ない。ただ喉が裂けるだけ。ただ心が絞られるように痛むだけ。頭の中がぐちゃぐちゃになるだけ。心が壊れていく。

「うああ……あああ……! ああああああ!!!」
「牙顎、大丈夫」
「ああああああああああああああああ!!!!」
「牙顎。大丈夫。大丈夫」
「……、……、…………、もういやだよ……もういやだ……」
「うん」
「たすけて……たすけて……、だれか……、ヒーロー……!」
「……、ヒーローなんて、いないよ」
「う……、うあ……あああ……、あああ……!」

 もう何日。何ヶ月。何年。こんなに叫んでいるのに。
 助けてくれるはずなのに。守ってくれるはずなのに。救ってくれるはずなのに。
 ヒーローが。

 たくさんいた、同じように毎日泣きじゃくっていた子どもたちが、ひとりずつ泣き声を無くしていった。泣き過ぎて気が狂いおかしくなってしまったり。訓練に耐えられず死んでしまったり。壊す快感を楽しむようになっていたり。

……しにたい……」
「……」
「しにたい……しにたい……しにたい……」
「牙顎、誕生日、覚えてる?」
「たんじょうび……?」
「もうすぐ誕生日だね、12歳、おめでとう」
「……」

 凍りつく寒さの毎日がやがて終わり、僅かに生き残った子ども達はそれぞれ各地へと送られまた訓練を始める。今度のそれは訓練ではなく本物の人間が血を流し地に倒れ命を落としていくけど、これまでやってきたことと同じだったから特に何も思わなかった。どこへ行っても争いばかり。起きて、ごはんを食べて、戦って、寝て、また起きて、戦う。その繰り返し。

「牙顎、ごはん食べて」
「……」
「牙顎」
……はやく帰りたいね……」
「どこに?」
「家だよ……、パパとママに会いたい……ママのごはんがたべたい……。も……帰りたいでしょ……?」
「知らない。忘れた」

 ごはんを食べなければいいのに。食べてしまう。
 戦わなければいいのに。戦ってしまう。
 殺されればいいのに。殺してしまう。
 置物みたいに静かに動かない人間の形したそれが、羨ましくて。
 壊れないように造られたなんて立派な兵器。

 泣いた。悲しくていっぱい泣いた。
 もうこんな姿……、誰も自分だと分かってくれないよね。
 大きなランドセルを頑張って背負っていた頃にはもう戻れない。
 書き換えられてしまった。過去、現在、未来。自分。

……? 泣いてるの……?」
「……」
「どうしたの………………」
「殺した……」
「なにを?」
「ランドルフ……」

 何を殺すのかも知らず。殺す為の訓練を受けて。戦地へ送り込まれて。
 荒廃しきった砂埃の中、ずっと一緒だった仲間が敵国にいて。戦って。生き残って。
 一体何の為。誰の為の戦争。何のための個性。

 ”個性”……?

「補充?」
「やるなら日本だろ。一番楽だ」
「まったくいつまでこんな不毛な戦争を続ける気なんだろうな」
「昔はより強い武器を持った国、資金が豊富な国が勝つのが戦争の常識だった。だから資金が尽きれば勝敗は決するしかなかった。けどこの超常の時代、人間なんていくらでもいる。強い超常を持った人間さえいればどんな小国でも戦争に負けない国を作れる」
「結局資金力が物を言うのは今もだろ。金のある国が強い人間を買うんだ」
「違う、教育だ。どんな強い超常の力を持ってたって本人が使いこなせなければ簡単に壊れる。それが人間の面倒なところだ。壊れない人間を作る技術。それこそ我々が他の武力派遣組織とは一線を画す所以だ」
「何にせよ補充なら日本は最も都合が良い。一般人は公の場で力を使用することすら禁止されている。身を守る為であってもだぞ。何の為の超常の力だろうな、平和主義の生ぬるい国だ」
「戦争もない国なのに年間自殺者と行方不明者の数を合わせると、戦争のある国で巻き込まれて死ぬ民間人の数と大差ないんだぞ。笑えるだろ」
「だからこそ浚いやすい。警戒心がまるでないからな。特に”平和の象徴”と謳われているヒーローが活躍し始めてから民間人の平和ボケは著しい。川で魚を釣るように浚えるよ」
「日本はヒーロー育成の為の学校があるだろ。名高い学校ならそれなりの個性が集まってるはずだ。小さい子どもは育成に時間がかかる。そっち浚った方が早く市場に出せるだろ」
「能力の育成より脳の矯正の方が手間だ。失敗も多い。だから前は子どもに狙いを絞ったんだしな」
「今はドットがいるんだ、あいつの力なら脳をいじるなんて簡単さ」
「日本のヒーローは人気稼業でたとえ学生であっても技術の高い子どもはそれなりに注目度が高い。浚うには向かないよ。静かに子どもを浚うのが一番」

 先生達が何か難しい話をしていた。

……?」
「ん、先生が日本へ行けって」
「にほん……」
「使えそうな子ども探してくるんだってさ。必須はレーダーとマインド系。ウイルスとか治癒系にはボーナス出るんだってさ。去年じいちゃん死んじゃったから、パーツ交換出来なくなったのは痛いよ。そんなレアモノすぐ見つかるかな。さっさと行こ」
「うん……」

 そうして小さい頃は記憶にもなかった飛行機に乗ってやってきた。
 ここが日本。これが日本。
 何も覚えてなかった。あんなに帰りたいと言っていた場所なのに。
 懐かしいとか、戻ってきたとか、帰ってきたとか、そんな感覚も無い。
 これが日本かと思うだけ。もう綺麗に書き換えられていた。

「すげー、日本語だらけだ。当たり前か。どれにしよう……、学校か病院か、市役所とかいうところにもリストはあるらしいけど。面倒だなぁ、リストくらい手に入れといてくれればいいのに」
「……」
「学校丸ごと食っちゃえば一人くらい使えるの出てくるんじゃない? 300人くらいはいけるだろ?」
「お腹痛くなる……」
「それは駄目だな。じゃあ私は探しに行ってくるから、牙顎はどっか寝るとこ探してて」
「うん……」
「なんかあったら呼びなよ」

 うん……。
 そうしてと別れた。そのまま、がいなくなった。

……? ……?」

 ……、……、……
 どこにもいない。こんなに呼んでるのに来てくれない。

 ……、……っ、……!

 広い街。たくさんの人。知らない街。知らない人。
 どうして。なんで。いやだ。いやだ。いやだ! ……

 街中を探しまわった。ずっとずっと探し続けた。
 けどどこにもいなくて、見つからなくて。
 がいなくなって先生たちも騒然としだした。
 探したら……、は日本政府に捕まっていた。
 助けなきゃ。助けなきゃ。そう思っていたのに。
 は……、逃げてこなかった。逃げてくるくらい何でもないのに。
 どうして。なんで。

「……」

 の傍にはいつもメガネの男がいる。
 あいつが……を奪った。

 日本では海外敵組織に拉致された被害者8年越しの救済、と大きく報じられた。強固な施設の中に閉じ込められて、まるで近付けなくなった。そのまままた年月が流れ……、今度ははヒーロー養成学校にいることが分かった。

……返せ……」

 日本トップクラスのヒーロー養成学校。雄英高校。
 けれどもそこも容易に入れない。
 敵連合という組織が学校を襲撃したというニュースを見た。
 こいつらならあの中に入れる。

「おまえ、名前は?」
「……」
「俺のことは荼毘でいい。名前」
「……牙顎……」
「牙顎。おまえはなんでここ入ったんだ。ステインに共鳴してか?」
「……」
「おい、口きけねーのか。年いくつだ?」
「……15……」
「15? 学校行ってねーのか? おまえここで何がしたいんだ?」
「泪……」
「ん?」
……、を……取り戻す」
「誰だそりゃ」
「……」

 面白がって手を貸す人間は多くいた。
 そうしてようやくを見つけた。ようやく会えて、ようやく触れた。邪魔してくる奴は全部殺していい。さえ戻ってくればいい。

 ……なのに、離れていった。
 ごめんって、自分から離れていった。
 どうして。なんで。

「……おまえが……」

 病院に閉じ込められるの傍に……またあのメガネの男。
 の傍にずっと。楽しそうに。と笑って。話して。こんな知らない。
 あいつがを変えた。

「おまえが……奪った……おまえが……」
「ん?」
「おまえのせいだ……おまえのせいだ……」
「……、君は……」
「かえせ…………かえせ……!」

 おまえのせいだ。おまえがを壊した。ぼくからをとった。
 おまえが。おまえのせいだ。おまえが。

「!」

 を返せ。
 








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