LESSON33 - lemon

 ジジジ、と羽を鳴らす蝉が障子の頭の上を飛んでいく。
 じとじと纏わりつく湿気が陽炎を生み、常闇は額から流れ落ちる汗を拭った。
 地面に張られた轟の氷で反射熱はいくらか防がれている体育館前の広場。
 ごくごく……スポーツドリンクで喉を潤す尾白と瀬呂。
 シャツ一枚すら暑くて脱ぎ捨てた砂藤と、木陰に座りこむ上鳴。

「ほらまた硬化した」
「ああっ、くそ!」

 ガキン! 硬いものが激しくぶつかる異様な音が辺りに響く。
 普通の組手ではこんな音はしないが、瞬時に肉体を硬化した切島の腹にの同化した一撃が入り切島は空を仰いで嘆を吐いた。

「もっかいだ!」

 パン! と両頬を叩き切島が再び構えると、も口元の汗を袖で拭って構え直す。直径3メートルほどの円が描かれた狭いスペース内で腰を落とすが間合いを計りながらじわじわと追い詰める。が放つ蹴りをかわし、暇も無く襲う右ひじも寸での距離で避け、腹目がけて伸びてくるの左拳を「来た!」と警戒するけど切島は腹に力を込めて個性の発動を押さえた。すると逆側からの右足が飛んできて思い切り頭にヒットし地面に叩きこまれた。

「うわいってぇ! 大丈夫か切島ァ」
「器用だな……、あの体勢から蹴りとは」
「フェイントの数が増えてきたな。切島がだんだん対応出来てきているということか」
「けど今度は硬化しなかった! 恐ろしく痛いだろうけど」
「切島に硬化すんなってもうリンチだよなこれ……」

 座っているだけで汗をかく炎天下、二人の組手を観戦する男子たちは何度目かもしれない痛みにもがく切島にドンマイと声をかけた。

「ああ、くっそぉ……、どーしても来るって思うと硬化しちまう。堪えようとするとそれに気ィ取られて脇が空いちまう……分かってんだけど、くっそぉー!」
「平常時に硬化してるだけなら何分持つ?」
「何もしねぇ状態なら、30分くらいかな」
「体育祭でB組の奴と対戦した時は4分くらいはやってたな。爆豪の時は2分弱くらいだった。おまえが平常時30分硬化が出来てもそれが戦闘中になると5分も持たない。最低でも戦闘時で30分は硬化を継続させるくらいじゃないと実戦には向かない」
「ああ、しかも連戦になるとまた持続しねぇ……」
「それって単純に平常時での硬化時間を伸ばせば戦闘時の硬化も伸びるって感じ?」
「だがそれだけでは持たないから”避ける”……か」

 肉体を硬化させる個性を持つ切島は、ただ体を硬くするだけでなく体幹から鍛え衝撃に耐えうる肉体を作り上げてきた。最高の攻撃にも、最高の防御にもなる戦闘向きの個性だと自負しこれまでずっと鍛錬してきた。けれども増強型の個性を持つ者に比べただ”硬くなる”という個性はとても地味なものに思え、必殺技の開発にも苦労していた。

「オールマイトは小細工よりゴリ押しの技考えた方がいいって言ってくれたんだけど、それで爆豪や轟みたいな力の奴にどこまで通用すんのかなって……」

 思い悩む切島は思いきってにも尋ねた。どんな技がいいと思う?
 轟の必殺技開発に付き合っていたは答えた。どんな技が良いかは分からないけど、おまえの殺し方なら分かる、と。ただ何もせず、おまえの硬化が切れるまで待てばいいだけ。

「おまえの硬化の反応はなかなかのものだよ。これまでそう鍛えてきたんだろうしな。けど、どんな攻撃も硬化すれば大丈夫という意識が戦闘に重要な反射や反応を鈍らせてきた。だからおまえは”避ける”ということがヘタなんだ」
「そりゃそうするって、それが切島の個性なんだから」
「硬化の反応は痛みで覚えてきただろう。当たったら痛い、だから硬化する。けど避けるという反射はそれより一瞬前、痛み以前の恐怖で鍛えられるものだ。攻撃を受ける事を前提にしてちゃ避ける反射は鍛えられない」
「ああ……」

 いつかは「ヴィランの教えだ」と誰にも教示どころか組手すら嫌がっていただけど、切島の頼みにもみんなの問いかけにも答えるようになって、変わったな、と轟は思った。轟の炎と氷の同時発動の訓練にも付き合ってくれるようになり、それはまさにジョーが言っていた「この国で生きていく」という言葉を体現しているようで……轟はこの光景をジョーに見せてやりたくなった。

「でもそれこそ硬化の継続時間を鍛えりゃいいってことじゃねーの?」
「”硬化”の威力を最も発揮できるのは一対一の近接戦闘。それには反応・反射の差は必ず勝敗に影響を及ぼす。反応・反射はほぼセンスだ、生まれ持ったものの差は大きい。単純に、爆豪の反射速度に切島の反射速度が追い付くかどうかは定かじゃない。けどおまえは鍛え続けてきた硬化の反応と、ずっとやらずにきた避ける反射でもこれだけの差がある。つまり避ける反射速度もちゃんと鍛えればおまえの硬化くらいの反応は見込めるということだ」
「確かにな……、ずっと硬化での攻撃、硬化での防御って考えてきた。避けるってことはあんま考えなかったな……」
「けどそれは切島の持ち味なんだ、そこを鍛えるのは間違ってないだろ。ただそれだけを鍛えるのは違うってだけで、ようはバランスだろ。一部分だけを伸ばしても限界がある。全体を底上げしてこそ突出したセンスの上限をより押し上げられる」
「道理だな。防御は攻撃と同等の体力を消費させるが、避けることを体に馴染ませれば防御に比べ体力の消費を抑えられる。個性の発動にしても常時フルで硬化し続けるよりずっと省エネで戦える」
「そーいや、省エネはよく言うよな。合宿初日の森ん中でも言ってた」

 実戦では体育祭のトーナメント戦のように一対一で正々堂々と戦える状況などほぼ無い。敵との戦闘となればUSJでの襲撃のように大勢を相手にすることも、長期戦を強いられることもある。どんな状況でも自分の個性を十分に発揮でき、自分を有利に持っていく状況作りが不可欠となる。

「そういや俺ら、セメントス先生にもそれ言われたよな……期末で」
「つまり……あん時からぜんぜん改善出来てねぇってことか……くそぉ」
「何より着眼すべきなのはあのの個性の発動スピードの速さだな」
「たしかに! こう……左手で殴りにいって、切島に当たった瞬間に同化して、左手硬化して、そのまま殴る、それを拳の先が触れた瞬間に全部やるんだろ? 同化が遅れりゃ普通のパンチだし、切島が硬化してたら相当痛ェしな」
「恐ろしく素早く滑らかだ。その上、左手だけに注意を払っていると他の攻撃に対応できない。硬化した左手での攻撃を留意させることで左手をエサに他の攻撃を効率よく決めることも出来る」
「前に飯田に言ってた、攻撃の手段を迷わせるってやつだな」
「てかさー、自分の個性をこうも使いこなされるとヘコむぜよぉー」
「んなことねーよ、に出来るってことは俺にも出来るってことだ、勉強なんぜ!」
「ポジティブ野郎め」
「よっしゃ! もっかい頼む!」
「もうヤダ暑い」
「うおい!」

 すっくと立ち上がり円の中に戻った切島だったが、は円から出て木陰へ逃げ込んだ。突き刺さる真夏の日光に目を眩ませ芝生に座りこむと隣で轟が右手で地を撫ぜ足元を凍らせ冷やした。

「右手、痛むか?」

 汗を拭いながらペットボトルを手に取るはべつにと呟くけど、問題なくはないんだろうことが分かった。あまりに些細で気付き難いが、今の組手も、いつもと相対し攻撃を受けている轟には戦いづらそうに感じた。

「片手でもコレなんだからな。ったくセンス光らせやがってよ。俺だって中学ん時はそこそこヒーロー扱いだったっつーの」
「個性強い奴あるあるだな」

 ヒザで挟んだペットボトルを左手で開ける。これまで気にしたことも無いキャップを外す動作ひとつ、何でもないことでなくなった。組手はおろか、風呂や食事も、ボタンを止めることですらも。難しくは無い。けど滑らかでも無い。

「私は自分にセンスがあると思ったことはないよ」
「そりゃ自分じゃわかんねーだけだろ」
「おまえらがランドセル背負って九九勉強してる時からこんなことばっかやってんだ。同じこと同じだけやってたらお前らの方が強いよ」

 芝生にコロンとキャップを手放し喉を潤す。
 右の力が無くなって、人から強く注がれる視線が頬を刺激することもなくなった。

……、どんな毎日送ってたんだよ?」

 が過去の事を口にするのなんて初めてで、轟だけでなく皆驚いた。
 自身、話そうと思って口をついたわけではなかったから少ししまったと思った。

「まぁ……こことそう変わらないよ。先生がいて、一緒にやる奴らがいて、寝て起きたら訓練してメシ食ったら訓練してを毎日やる」

 ただ用途が違うだけ。
 そこは口をつかなかった。

「あのさ……、その、無理やり連れてかれて、それをやらされたわけだろ? 反抗ってゆーか、逃げようとか、そういう気にはなんなかったの?」
「そん時6歳だぞ、出来るわけねーだろ」
「そーだぜ、やんなきゃ殺されるってくらい……やるしかなかったんだろ?」
「わかってる、わかってるってそれは。でもさ……は消えられんじゃん? 小さい時は無理でも、そこそこ成長した時とかさ、いつか見計らって逃げてやろうみたいな、そんな気は起きなかったのかなって……責めてんじゃねーよ!?」

 気を使いつつも、これまでずっと気になっていたことを上鳴が口にして皆を見た。

「……」

 は思い返しているのか、考えているのか、瞳はチラチラと動きを見せるけど言葉が喉を通り出てくるまでには至らなかった。時折口先も動き息を通すんだけど、頭の中に心の中に詰まってるものが出てくることはついになかった。

「やめやめ、そこまで! もういーよ!」

 切島が静けさを破り皆の注目をかき消した。
 以前の、はまだ治療中という相澤の言葉と救急治療室での光景を思い出したから。
 轟もまだ考えているらしいの背を叩きもういいと伝えた。

 思い返したくない……という雰囲気とは少し違った。ただ、戦闘については考察力も説得力もあり滑らかに言葉が現れるのに、思いを口にするということに関しては酷く稚拙で、何も出来なくなってしまう。そんなの状態に胸が締まった。訓練ばかりという毎日の中で、自分たちが記憶にも残らないくらい当たり前に教授されてきた常識や日常のプロセスがには忽然とない。

「みんなぁー! ランチラッシュがアイス作ってくれたってー! 食堂集合ー!」

 マジ!?
 どこにいるかはいまいち定かじゃないけど葉隠の声がして皆立ち上がった。
 立て、アイスだぞ! 切島に引っ張り起こされ日陰から炎天下へ連れ出されるの肩から落ちたタオルを拾い、轟もついていった。

「あっついねぇーちゃん、もうベタベタだよ、先にシャワー行かない?」
「うん」

 グローブとブーツしか見えてない葉隠だけど当然他の皆同様に大量の汗をかいていて、ひぃひぃとうなだれながら本校舎の更衣室へ向かった。きもちー! と声を上げる葉隠のシャワー室の隣でも汗で重くなった服を脱いで頭から水に近い温度のシャワーをかぶり、シャツとハーフパンツに着替えて食堂へ向かうと皆が中央のテーブルに群がっていた。

ちゃんは何味が好きなの?」
「あんま食べたことないから」
「ええー! これ食べなよチョコおいしーよ」
「ベリーも美味しかったですわ」

 長テーブルにバニラ、チョコ、ストロベリー。オレンジやレモンのシャーベット。チョコチップやベリーのソースがトッピング出来たりと豊富なアイスがカラフルに揃う。これにしなよ、これもおいしいよ。女子たちはこぞってに自分のアイスを一口食べさせた。

ヒナの餌づけみたいになってんな」
「なー轟、なんかあいつって、組手とかやってる時は怖ェくらいだけど、普段はなんっていうか……小学生くらいに見える時ねえ?」
「ああ……」
「今日の昼、ランチラッシュに怒られるからってスゲェ時間かけて箸で蕎麦食ってたぞ」
「勉強の時はマジでぐったりしてるしな」

 コーンをガリッと噛んで、轟は葉隠にアイスを山積みされているを見た。

「あいつは、ジョーといる時が一番かわいいよ」
「!」

 皆がそれとなく避けたワードを口にする轟に皆がドキリとする。
 轟は普段通り平静な顔で、通り過ぎた猫かわいいくらいの気でしかないんだろうけど、何故が皆顔を赤くした。

「デクくんと飯田くんまだ来てないから残しといたってー」
「爆豪もまだだな。あいつどこ行ったんだ?」
「んん! ちゃん、これうま! このナッツ入り激うま!」

 コーンに3段も積み上げたアイスを食べて食べてと差し出してくる葉隠のそれにがガブリかぶりつく。
 皆にされるがままだけど、クラスの環の中に存在しているにランチラッシュはそこはかとない嬉しさが広がった。ずっとひとりだった食卓が次第に増えて、何よりがいなくならずにそこにいる。青空に浮く風船のように、ふと手放せば飛んで行ってしまうようだったの手綱を皆が掴んでくれている。本来ならヒーローが、大人がしなければならないことだったそれを、このヒーローのタマゴたちが。

「口直しのソーダもあるよー」
「わー! ランチラッシュ大好きー!」

 ありがとう。ありがとう。
 とってもたくさん振るまってあげたい程。


 は、は、は、……
 息を切らし走る足音が校舎へと駆けこんでくる。
 麗日が電話で皆食堂に集まっていると言っていたからもそこにいるはず。
 そう思いながら、飯田は校舎内をレシプロをふかしながらひた走り食堂のドアを開けた。

くん!」

 明るく賑わっていた食堂内を一気にかき消した飯田の声に全員が振り返る。
 飯田、そんな焦んなくても取ってあるってー。笑う上鳴や切島の声も聞かずに焦った顔で皆の元へ駆け寄ってくる飯田はの腕をぐと強く掴んだ。

「あの男……合宿の時のあの男が校門前に現れた!」
「……」
「は? 誰?」

 皆は飯田の神妙な声と表情についていけていないけど、は飯田の怯えるような目と震えるほど強く腕を掴む力で察知した。

「待てくん!」

 走り出そうとしただけど飯田の両手が離さない。

「離せ!」
「今は門前で爆豪くんが食い止めている、緑谷くんが先生を呼びに行っている。君は行くな!」
「爆豪一人じゃ無理だ!」
「おい飯田……合宿の時のってもしかして……!」

 飯田同様、峰田があの鋭く襲いかかる牙を思い出し不吉に顔を怯えさせる。
 轟と切島も姿は見てはいないが飯田に聞いた話を思い出し察知していった。
 飯田は振り払おうとするの痛んだ腕を決して離さない。あの男……牙額に会わせればは何をするか分からない。自分の腕さえ簡単に傷つけてしまうのだから。

「落ちつけ、おまえは駄目だ」

 外へ行こうとするを轟も止めようと傍に寄った。すると轟に目をやったは飯田に掴まれている腕をそのまま轟に伸ばし左手で轟を掴んだ。途端、の体からゴオ!……と炎が巻き上がり、飯田も轟も他の皆も熱波に煽られ回避せざるを得なかった。

!」
くん!」

 離してしまったが食堂を駆け出ていき、飯田も轟も追いかける。
 すぐ傍の下駄箱を駆け出て正門へと続く道に出ると奥で爆煙が巻き上がっているのを見た。正門のセキュリティは働いているがコンクリートのガードは砕かれ穴が空いていて、両手に爆破を構える爆豪が爆煙の前でひとり間合いを保ちながら煙る正面を凝視していた。

くん!」

 誰より早く追いついた飯田が再びを抱き掴みそれ以上の接近を阻む。
 轟も切島も他の皆も昇降口を駆け出て正門前の爆煙を見た。
 煙が風に煽られ方向を変え、爆豪は潜む殺気に構え腰を落とし右手を構える。煙の中からヒュっと黒い影が飛び出てきて爆豪は飛び退きながら右手を振るうが、その手から爆破が発されるより先に後方からビッと細い白布が煙の中の影を捕らえ相澤が爆豪の前に着地した。

「下がれ爆豪」
「ああ……? あいつには借りがあるんだよ……!」

 飯田と峰田同様、爆豪もその男を知っていた。
 敵連合に捕まりアジトに連れていかれた時にその男を見ていた。
 まともに言葉を模れないその痩せ細った男から執拗に零れ出ていたの名前。

 相澤に続きミッドナイト、セメントス、ブラドキング、エクトプラズムと続々ヒーロー教師陣が駆けつけ爆煙を取り囲む。地面に手をついたセメントスがコンクリートを操り左右に壁を作り、敷地内への侵入と退路を塞いだ。高い壁が天に向かって伸びると気流が発生し爆煙が空へと巻き上がっていく。地面から晴れていく煙が相澤の捕縛の先の男の姿を露わにさせた。

「牙顎……」

 の口から零れた名を聞いて、轟がその男を視認する。
 痩せ細った骨ばった体に、大きく裂けた口から覗く牙。
 あれが……。合宿所に現れた、を連れ去ろうとした……日本に現れる前のを知る男……。









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