障子が一帯に聞き耳を立てるが、の足音どころか気配も感じ取れない。
それは障子たちより右翼側を探索している耳郎も同じで痕跡ひとつ掴めない。八百万の創り出したライトも日の落ちた森では闇に飲まれ、一歩前へ進むにも困難に感じた。
「まだどの班も連絡はありませんわね」
「やばいよ、もう2時間経っちゃう」
「もっと奥行く? 戻れなくなっちゃうかな」
「轟さん」
連絡を取り合う無線にまだ誰からも報告はなく、八百万はさらに奥へ進むべきか轟に窺おうとしたが、誰を気にする様子もなく轟は茂みを掻き分けどんどん前進していく。いつも静かな背姿だけど、今はまるで陽炎を背負うかのよう。他の何も見ず、誰のことも気にせず、ただ目的だけを目指している。諦めてたまるかと迷いなく、何が何でも見つけてやると躍起になる。その姿について行く誰も止められなど出来なかった。
「くそぉー、どこ行っちまったんだよ!」
同じ頃、飯田・八百万班より前方、が森へ消えていった方向をまっすぐ追った切島たちもまだ見つけられないでいた。2時間と決められた探索期限が迫っているのに。このまま何の痕跡も見つけられずにおめおめと戻らなければならないのか。
「冗談じゃねぇよ、このままあいつのこと見失ったら、またあいつに言わせちまうぜ……!」
悔しさを御しきれず切島がガンと太い幹を叩く。
切島の言葉に誰もが怯えにも似た不安を過ぎらせた。
ヒーローなんて来なかった。なんて。
またあんなことを言わせてしまうのか。
ヒーローになろうという自分たちが。ヒーロー育成の場であるこの学校で。
「―爆豪」
虫の鳴く中で名を呼ばれ、シャツの背中に汗を滲ませる爆豪は振り向いた。
「もう時間がない。ダークシャドウでを探索する。もしオレが制御出来ていないと判断したら、オレを鎮めてくれ」
「……」
闇に紛れる常闇の目に僅かな抵抗が見られる。この深くて暗い森……、林間合宿で敵連合に襲撃を受けたあの時を彷彿させた。光の薄い中でダークシャドウを発動すればどうなるか。
「皆、離れていてくれ」
「常闇、何する気だよ……?」
常闇がひとり先へ歩いて行き、ふと息を吐く。
あの時は……ただえさえ夜の森の中では膨らみ過ぎてしまうダークシャドウの力を、敵の急襲、加えて自分をかばった障子が負傷したことへのショックからトリガーが外れ、己の個性に飲み込まれかけるなんて失態を犯した。その上、自分の個性で人を……仲間を傷つけた。あんなに未熟であることを痛感し悔恨したことなどなかった。
「ダークシャドウ……」
この力は、人を殺せる危険をはらんでいることを教えられたはずだった。
だからこそこの力は、人々を救ける為に使うんだと学んだ。
「を救え、ダークシャドウ……!」
常闇の体からボッと膨れ上がった影が暗い森の先の山の中まで広がり渡っていく。ざわざわとまるで夜の闇を喰うかのよう。後方の切島たちには目を疑う、身を脅かすような光景だった。これまでに見てきた常闇の力とはまるで異質の。
爆豪には二度目だったが改めて見てもその力はとてつもない。
なのに一度光にあてられればいとも簡単に萎んでしまう自分とは相性の悪い力。爆豪は右手を構え、常闇が力に圧され暴れるようならすぐ制圧するつもりだったが、影をどんどん広げていく常闇はしっかりと足を踏みしめ拳を握りダークシャドウを使役出来ていた。
影が影を呼び、闇が闇を飲み。
ダークシャドウは夜の中を行った。
「……! いた」
「え!?」
「ちゃん!?」
あたりに散っていたダークシャドウを絞り、常闇は一直線に延びる影を辿って走り出した。その後を切島たちもついて走る。やはりまだ雄英内にいた。時計はもうリミットを過ぎていたが常闇たちはダークシャドウの延びる先へひた走った。
「常闇、まだ距離あんのか!?」
「もうすぐだ、だが捕らえ切れない」
「なんで、嫌がってんのか!?」
「牙顎という男は捕らえた。だからは捕らえられないが離れも出来ないんだろう」
ザザザ! ……
険しい山道を駆け上がっていく常闇はダークシャドウが触れているを確かに感じ取りながら急いだ。ようやく見つけたを決して離してしまうものか。たとえ拒否されようともその手は離してはならない。
「瀬呂、受け取ってくれ!」
「え!?」
ガン、ガン、とダークシャドウが強い力に跳ね返される音が走る先から響いてきて、が近いと誰もが感じた。常闇が指差す左上空から影を纏った黒い塊が降ってきて、瀬呂はとっさにテープを伸ばすと大きなそれをがっしと受け止めた。
「あ、こいつ……」
受け止めた塊を見ると、それは牙顎だった。意識を失ってはいるが息はしている。
そして常闇は目前の崖の上・・・星の広がる空を見上げた。
「……」
崖の上で暗い森を背に立つがいた。
漏れる月明かりが暗がりの中での瞳に反射し、木の葉を揺らす湿気たぬるい風が髪先を散らした。表情はない。シャツと右腕の包帯が白く浮いて見えた。
「ちゃん、もうやめよ、帰ろうよ」
「、もう大丈夫だ、おまえも牙顎も、俺らが絶対守るから、帰ろうぜ」
今すぐにでも手を伸ばしたい思いだったが、まるで夜の獣のようにひそやかな立ち姿に、誰もうかつに近寄れなかった。ジョーを失い、それをしたのは牙顎で、もうに気力も体力も残っていないこと、分かっていたけど。
「牙顎も……?」
溶け込むようなの声に皆耳を寄せる。
白い包帯の右腕が常闇の後方、瀬呂が抱える牙顎を指した。
ピンと伸びもしない麻痺した右手。
「そいつの力が、何の役に立つと思う?」
「え……?」
「誘拐してまで欲しいか? そんなゴミみたいな力」
「何……?」
「子どもは、複数人同時に浚われた。邪魔が入れば不必要なものから手放して、本来目的の力だけ確実に獲得するためだ。……牙顎は、たまたま私の傍にいただけだった。だけど誰にも救いだされずに連れていかれた。牙顎は……ずっと言ってたよ。うちに帰りたいって、ヒーローが救けに来てくれるはずだって」
「……」
ヒーローなんてこなかった。
あれは自分の絶望ではなくて、牙顎の絶望を言っていたんだ。
「おまえらが救けるべきだったのはそいつだ。そいつを救ってやれ。おまえらに出来るのはもうそれだけだ」
「ちゃん!」
「何言ってんだよ、どこ行くんだよ!」
枯れ葉を踏みつけが身を翻し山の奥へ歩き出す。
ボロボロと涙を落とす葉隠も、あまりの心の痛みに胸を掴む切島も追いかけようとした。
けど二人より先に地面を爆破し飛び出したのは爆豪だった。に向かって飛び上がった爆豪はいつかの体育の授業の時よりずっと早く強くを捉え、勢い余った拳がに痛烈に当たった。
「爆豪ッ・・・!」
当たったと思った。インパクトだって確かに感じた。
だけどそう自覚するよりも爆豪は眼球の寸前に迫った恐怖にゾッと背を凍らせた。
拳は確かにヒットしたのに、その衝撃をものともせずにの右手が爆豪の左眼をえぐろうと目の前まで伸びていた。爆豪は再びに爆破を浴びせる形で後退し地に足をつけた。左目の下の皮膚が破れ血を垂らす。とっさに逃げたからえぐられなかったんじゃない。の右手に神経が通っていなかった。
「ざけんな爆豪! 何考えてんだ!」
「うるせぇ、もう何言ったってコイツが説得に応じるかよ。だからってこのまま逃がしたら、何も残らねぇだろうが」
ぐいと眼底部の血を拭い爆豪はまた両手に爆破を構える。
「ケリつけてやる。おまえの意思なんか必要ねぇ」
真夏の夜に全身を流れる汗は爆豪の手でボッと弾け、光りを放ちながら大きくなっていく。
「ちゃん……」
もうこれ以上傷つけないでと思いながら、葉隠はを引き留められる言葉も思いつかない自分が憎らしくて仕方なかった。
だけど泣いたって意味はない。涙なんて何の力もない。
葉隠はぐっと歯を食いしばり爆豪に続いて崖を登った。
「ぜったい……、行かせないからッ……!」
風が渦巻く森の中で多大に広がったダークシャドウが当たりを囲む。
森に続く道を閉ざす常闇の傍に駆け寄り切島もガキンと両拳を叩いた。
「おいみんなおかしいって! なんでそうなんだよ!」
爆豪はともかく何故皆戦うような空気になっているのか。
瀬呂は崖下から皆に向かって叫ぶも止められない流れに歯を噛む。
「峰田、コイツ頼む」
「嫌だよ起きたらどーすんだよ!」
「あいつら止めねーと、もう限界だろがよ!」
及び腰の峰田にテープを巻いた牙顎を渡し瀬呂も崖を上がっていく。
と対峙する爆豪、当たりを囲む葉隠、常闇、切島。
緊迫していく空気の中で、足音を忍ばせ近づいた麗日がに触れようと手を伸ばしたが、は身を翻しひゅっと避け風を切った。
「惜しいっ……!」
タイミングを計り隙を突いたつもりだったが触れられず麗日はもう一度に向かって構えた。
やり方はそれぞれ。けど思っていることは誰も同じ。
「一緒に帰るぞ、」
もう二度と言わせない。
捜索リミットだった2時間はとうに過ぎ、校舎前へと集まったA組生徒たちはまだ戻らない爆豪たちに無線でしきりに呼びかけたが誰からも返事がなく心配を募らせた。森から学校へ戻る途中、遠くの爆発音を耳にした轟は不穏を感じ森の奥へ駆け出そうとしたが八百万たちに止められ、後ろ髪を引かれる思いで校舎へと戻ったのだった。
「きたぞ」
暗い森の奥に耳を寄せていた障子の声に全員が振り返る。
しばらくは何の変化もなかったが、数分経って複数人の足音と気配が見て取れた。
「皆さん、何があったんですの!?」
「ごめんなさい、無線壊しちゃって……」
「麗日さん、どうしたのそのケガ!?」
森の中からようやく姿を見せ、ライトのついた校舎前まで戻ってきた麗日が汚れた頬で笑い返した。その後ろから常闇、切島、瀬呂も続々と顔を見せるが誰も一様に服を汚し顔や手足に傷を負っていて皆驚き駆け寄った。
「ふぃー、疲れたぁ」
息を吐く瀬呂が皆の前でどさっと座り込み、テープを巻き付け背負っていたものにかけていた無重力を麗日は解除した。
「牙顎! 見つけたのか!」
「は!?」
身を乗り出し轟が声を荒げる。
肩で息をする瀬呂が後方を指差すと、ガサッと草を踏みしめ明かりの元まで出てきた爆豪が誰もと同じようにボロボロの様相で現れ、肩にを担いでいた。
「さん!」
「どうしたんだ、気を失っているのか?」
緑谷と飯田が駆け寄ってくるも爆豪は相手にせず、見つめてくる轟の前も通り過ぎた。
「寮帰るぜ」
「ああ」
相澤に断り、爆豪は寮へ戻っていった。
血の滲む口、爆破でしびれる拳、傷ついた膝、土のついた服。意識のない。
まるで激しい戦闘の後の風体で、爆豪は何ら普遍的に、おそらく争ったんだろうを抱えたまま歩いていった。
「透ちゃん、ケガしてるの?」
「ぜんぜん平気、みんな帰ろ」
「なぁ何があったんだって、なんでみんなボロボロなんだよ!」
「とにかく帰ろうぜ、もう休ませてくれよ〜」
「その前に腹減ったぁ〜!」
「轟君?」
「ああ」
ケガした者に手を貸し、疲れ切った生徒たちは寮へと戻っていく。
歩き出せずにいた轟も呼び声に足を踏み出した。
「本当に取り戻してきたな……」
瀬呂の下ろした牙顎をオールマイトが抱き上げる。
切迫した狂気の表情しか見えなかった牙顎が子どものように何のしがらみもなく目を閉じている。
「とやり合ったのかしら、あの子たちのあのケガ」
「でしょうね」
を足止めするために戦い、しかし切島や瀬呂も爆破を受けたような汚れ方をしていて、争いながらも守ろうとしたんだろうことが窺えた。
「あいつらの執念がの失意に勝ったんだ」
果たして自分ならを取り戻せただろうか。
全てのヒーローを持ってしても叶わなかったかも知れない。
今のを託せるのは彼らしかないだろう。相澤は生徒たちにを任せることを決め、牙顎を見下ろした。
なんでだよ、まだ残ってんじゃん
ダメ! ちゃんが目覚ましたら食べるかもしれないんだから
ハラ膨れねぇ〜、誰かなんか食うモン持ってねぇ?
お菓子ならあるけど?
もっとガッツリしたもんがいい
ワガママ!
八百万さん変わるよ、オフロ入ってきて
ありがとうございます
フロ!?
おまえが反応すんなって
1秒1秒、響く針の音に呼ばれるように目を覚ます。
暗い視界に記憶が混濁して何がどうなったのか分からなかったが、次第に目の前の景色が寮の天井であることが分かり、はゆっくりと頭を起こした。
は共有スペースのソファーで寝ていた。
かけられたタオルケットのすぐ腰元に葉隠がソファーにもたれかかり眠っている。
大きな窓から滲む微弱な明かりでだんだん視界が冴え、足下には麗日と蛙吹もいる。別のソファーには八百万も耳郎も芦戸もいる。絨毯には飯田と緑谷も寝転がっている。フローリングに枕だけ敷いて切島も上鳴も寝息を立てて、テープです巻きにされた峰田も瀬呂も寝転がっている。
「目ェ覚めたか」
ひっそりとした声が静けさを破かずにかけられ、振り向くとテーブルの向こうから轟が今目を覚ました風でもなくこちらを見ていた。隣の尾白を起こさぬよう静かに轟はテーブルに置いていたペットボトルの蓋をカチっと開けに手渡す。喉が張り付くような乾きを感じたはそれを受け取った。
常温の水が喉を流れ体内に落ちていく。ごくごくと飲み込む音さえ聞こえる静かなリビング。窓の近くで寝転がっている砂藤のいびきが鳴り、それに反応するように口田が寝返りを打つ。
「みんなやっと寝始めたとこだ。まだ早ぇからもう少し寝てろよ」
足下のふとんを肩にかけ轟が目を閉じる。
手足のケガが手当てされ、汚れや汗が拭い取られ。
タオルケットを握る葉隠がまるでどこにも行かせまいとするかのように。
それはこのリビングで散らばり眠る皆も同じ。
静かなような騒々しいような寝息の波。
ペットボトルを手放し、はしばらくそのまま波の中。
カチカチ針の音を聞いた後、静かにソファーに背を着けた。
またそっと目を開ける轟は、そこに留まったを確認し、目を閉じる。
タオルケットを握る葉隠もまた、密かにドキドキ打っていた鼓動をホッと落ち着けた。