春風が吹いて、砂埃が舞う。
グラウンドの真ん中で白黒のボールが行ったり来たり。
みんなお世辞にもうまいとは言えない足さばき。
でもあいつにボールが渡るとキャーッと高い声が上がる。
「前蹴れ、前!」
「パスパス!」
ボールを取っては取られ、点が入っては入れられ。
体育の授業にしてはなかなか白熱してると思う。
「大野くーん!がんばってー!」
「もう1点いれてー!」
先に授業が終わったらしい女子たちが、フィールドを囲んで声を上げる。
それまではゲラゲラ笑いながら楽しんでサッカーしてたクラスメートたちだけど、女子の歓声が聞こえだしたらだんだんマジになってきた。
その歓声だって、向けられてるのはほぼひとりなんだけど。
「杉山ぁー!お前止めろよー!」
「るせーなぁ、ムリだろあれは」
「お前しかあいつ止められねーだろーが!」
「だからって全域俺ひとりで守れるかぁ!」
はまじたちが言ってたように、あいつは中学の頃ずっとサッカーをしてただけあって他のヤツよりぜんぜんうまいボールさばき。ドリブルも早いしパスもよく通るし、周りのヤツを使うのもうまいし、ちゃんとゴールに入るし。
まぁ、昔からあいつは俺らの中でも一番うまかった。
今サッカー部入ったってじゅうぶんやってけそうな。
「杉山ぁー!」
「うるせー!止めたきゃキーパーが簡単にゴール離れんじゃねー!」
「杉山あー!」
「だっから俺ばっか頼んじゃねーよ!」
内輪もめから一気に敗北。
フィールドを囲む歓声はさらに大きくなってあいつを囲む。
チャイムが鳴って昼休みになり、あいつは女に囲まれたまま校舎へ戻っていった。
もちろん負けチームは後片付けのペナルティ。
片付けが終わった時にはもうほとんどのヤツらは昼メシにありついていた。
春だというのに暖か過ぎる陽気で、シャツをベトベトにしてしまうほどの汗。
いや、こんだけベトベトになったのは水道でクラスのヤツらと遊んでたからなんだけど。
「杉山ぁー、サッカー見てたぞ」
「おお」
クラスメートと廊下を歩き、教室に入ろうとすると廊下に座り込んで弁当を広げていたはまじとブー太郎が声をかけてきた。
「大負けだったなー、おもしろかったぞ」
「うっせー、サッカーはチームプレーなんだよ。あんなスタンドプレーのヤツに負けたとは思わないぞ俺は」
「負けは負けだろー、素直に認めろー」
「うっせぇ!」
口にもごもご米を詰め込んでるはまじにタオルを投げつけてやる。
ブー太郎は「やっぱ大野君はうまいブー」とか言って目をきらきらさせてる。
「ブー太郎」
そこに、俺の後ろから袋をぶら下げた大野が顔を出した。
「きのーの100円、サンキュ」
「もー大野さん、いいって言ったブ・・、言ったのに」
「いーんだよ」
そう大野はブー太郎に100円玉を手渡して、一緒に食べましょうよとブー太郎に誘われてはまじたちの円の中に混ざって座った。
「お前も早くメシ食えよ杉山、昼休み終わっちゃうぞ」
「ああ、俺、メシ買ってこないと」
大野は袋の中からひとつパンを取って、パックジュースにストローを差す。
なんかもう、この中にいるのが当たり前な空気。
こいつら、いつの間にこんなに仲良くなってたのか。
そんなことを思ってると、ふと大野が顔を上げ俺を見上げた。
「もうめぼしいのほとんどなかったけど」
「え、マジ?」
俺も思わず、普通に答えてしまった。
言った直後にしまったと思った。
なんかはまじやブー太郎がニヤニヤしてきて、俺は顔を背けた。
「食えば?」
「え?」
大野は袋の中のパンを全部床にコロコロ転がして、好きなの食えよと言う。
さも、これが日常かのように。
「なんでこんなに買ってんだよー」
「ハラ減ってるとき見てると全部食いたくなんじゃん」
「あはは、分かる分かる」
「4時間目の体育って悪党だよな」
「悪党!」
「あははっ、大野さん表現おかしい!」
ゲラゲラ、笑い声が廊下に響き渡る。昔とおんなじ笑い声。
さも、今までずっと大野もここにいたみたいな。
「杉山」
はまじが俺を呼ぶ。
「…先、着替えてくるわ」
投げたままだったタオルを拾って、教室に向かって歩いていった。
…あのまま、そこに座れば、何もかもが丸く収まったかもしれない。
それが一番良かったのかもしれない。
そのまま元通り、仲良くやってりゃ良かったのかもしれない。
「………」
けど俺は、着替えてもそこには戻らなかった。
5時間目の前に戻ってきた大野も、何も言わなかった。
授業が終わって、部活に行ったり家に帰ったり、みんなが教室から出ていく。
俺も部活に行くから、また制服から練習着に着替えていた。
うしろの大野は遊びにいこーというクラスの女子たちに連れられてホームルーム直後に教室を出て行った。話す機会もなくて、少しほっとする。
まだ体験入部期間中の部活で、本格的に練習に混ざってるのは数人だけだった。
俺と同じようにずっとサッカーやってたヤツもいれば、全くの素人もいる。
イメージって言うか、スタイルでやってるよーな雰囲気も感じるけど、実質3年間残るのは本気でやっていくヤツだけだろう。
そう強くない学校を選んだのは、サッカー推薦をもらってた高校を見に行った時だった。設備も練習時間も部の雰囲気も、それはただの部活の枠を超えて、毎日全力でやってくヤツのためのものだと思った。
中学の時サッカーが楽しかったのは、それがほぼ自分たちがチームを強くしていったからだった。小学校の時から馴染みのヤツが多く、みんなそれぞれががんばって地区予選や県大会を勝ち進んで、それまでてんで弱かったうちの中学の名を残した。
それで俺はサッカーが楽しい、好きだと思った。
俺ならそこそこのとこまで行けると思ったし、ずっとやってこうと思った。
でもその高校を見学しに行った時に分かった。
俺はサッカーが好き、じゃなくて、みんなで一緒にやってるものが好きだったんだ。
その高校でサッカーを楽しめるとは思えなかった。
「杉山」
着替え終わって、まだ残ってたクラスのやつらと別れて教室を出ようとした時、ドアの向こうから走ってきた大野が顔を出した。
「…なんだよ」
「ブー太郎、知らない?」
「は?」
いきなり人の名前を、何年かぶりに呼んでおいて、大野はなんだか焦った顔で言った。
「ブー太郎ならさっきはまじたちと帰ってくの見たけど?」
さっさと帰ったはずの大野がどこから走ってきたのか、大野は上がってた息を飲みこんで少しずつ落ち着いていった。
「そっか…、じゃあいいや」
「おい、ブー太郎がなんだよ、大野!」
廊下を引き返していく大野を呼びとめると、大野は足を止め振り返った。
大野はちょっとためらって、それから手に持ってたものを俺に見せる。
「…それ、」
それは黒地に青の縁取りがされた、まるでガキみたいなサイフ。
「ブー太郎のじゃん、どうしたんだよそれ?」
「昇降口で拾った」
「落としたのか?今頃探してっかもな、あいつバス乗るし」
「…誰かが捨てたんじゃないの」
「は?」
誰かが捨てたって、誰が。なんで。
「あいつ、同じクラスのヤツにカモられてんだろ」
「…は?」
「きのうの昼休み、購買に行ったら金足んなくてブー太郎が貸してくれて、そしたらブー太郎と同じクラスのヤツらが一緒になってたかってきた」
「……」
「ブー太郎は何にも言わなかったけど、初めてでもなさそーだったよ。これも、定期とかカードは入ってるけど金だけない」
「ずっとカモられてたのかよ、なんでそれ言わねーんだよ!」
同じクラスのヤツならたぶん、入学早々ブー太郎に絡んでたやつらだ。
そう言えば前にブー太郎が遊ばれてんの俺も見たのに、あれ以来見なかったからもうすっかり忘れてた。
ふざけんな、直接あいつに話聞いてやる。
やるヤツもやるヤツだけど、俺は黙ってたブー太郎にも腹が立った。
「言ったってしょうがないだろ」
「はあっ?」
ブー太郎を追いかけ走り出そうとした俺とは反対に、大野は一歩も動かなかった。
大野はゆっくり振り返って、何にも感じてなさそうな顔で、あの時…、一番最初に俺たちと話したときみたいな、静かな目をして…。
「どこにでもいるんだよ、こういうことするヤツも、されるヤツもさ」
「…なんだと」
「自分でどーにかしなきゃ意味ないんだよ。あいつらと同じクラスなのはブー太郎なんだから。周りが何言ったってあいつが弱いままじゃ結局・・」
「ブー太郎が悪いってゆーのかよ!」
「……」
怒って治まりつかない俺の前で、大野はひとつ息を吐いて、近づいてくる。
俺の前まで来て、持ってた財布を俺の前に差し出す。
「これ、返してやって」
「……」
まっすぐ見てる俺に、目も合わさない。
俺はそんな大野の手から財布をひったくり、廊下を走っていった。
…あいつは、ずっとそうだった。
どっか冷めてるような、諦めてるような、調子よく周りに合わしてるだけみたいな。
だから絶対に俺の中で、いつまでもこいつがあの大野と混ざりあわなかった。
あの頃の大野なら、こんな事実を知ったら絶対にほっとけるヤツじゃなかった。
しょうがないなんて言うヤツじゃなかった。
ほんとのあいつなら、ふざけんなよって俺と一緒に走り出してたはずだ。
みんながどんなにあいつとまた仲良くなっていこうとも、俺は嫌だった。
仲良くなれるとしたら、もうこいつはあの大野じゃないんだと完全に諦めた時だけだ。
諦めることも、認めることも出来てない。
”いつか”と”今”の温度差が、悔しいまま。
俺だけ、あの頃のまま。
女にモテる大野、男にモテる杉山。