ウォール・ローゼ南端の街、トロスト区で行われた訓練兵団の解散式で街がにわかに賑わった翌日、壁外調査に向かう調査兵団一行がトロスト区中央の道を門に向かって出発した。
「来たぞ! 調査兵団の主力部隊だ!」
「エルヴィン団長! 巨人共を蹴散らして下さい!!」
兵団の中でも精鋭の集まる調査兵団、その主力部隊の先頭を団長のエルヴィン・スミスが通ると街は大きく賑わった。その後に兵士長のリヴァイ、ハンジら分隊長が続くとさらに街は沸き期待をかけて大歓声が飛ぶ。大行列に駆けつけ人垣を作る大勢の民たち、周囲の家家からも多くの人が覗き下し声援を投げかけた。
「オイ……見ろよ! 人類最強の兵士、リヴァイ兵長だ! 一人で一個旅団並みの戦力があるってよ!」
その中には訓練を終えたばかりの若い兵士たちの姿もあり、威厳と清廉さを放つ英雄たちに憧れ興奮を抑えられない様子で見送っていた。
「うるせぇガキ共め……」
「あの子達の羨望の眼差しも……あなたの潔癖すぎる性格を知れば幻滅するだろうね」
馬上で凛々しく背筋を伸ばし、盛大な歓声を受けても表情一つ変えないリヴァイが若い兵士たちを見下すと、その隣を行くハンジが周囲に漏れない声で投げかけた。応援を背に調査兵団の大行列はまっすぐ門へと向かい、じきに見えてきた外へと繋がる門前でさらに士気を高めた。
「開門するぞ! この先は巨人の領域だ、5年前に奪われた街を奪還するぞ!!」
カンカンカンカン! と激しい警鐘がトロスト区内に響き渡りながら、ウォール・ローゼのレリーフが掲げられた門が重くゆっくりと開いていく。この先は5年前の巨人の侵略で陥落したウォール・マリア内地。今では巨人たちが我が物顔で横行し、旧市街地を始め小さな町や村が廃墟と化している。今回も壁外調査は来る「ウォール・マリア奪還作戦」のために退廃した街に拠点を作り、前回よりも先へ伸ばし領地を広げることを目的としていた。
「ああー楽しみだなぁ、今度はどんな巨人に出会えるんだろう。奇行種なんかいたら最高なんだけどなぁー!」
頑丈な門が開いていくと、興奮を抑えられないハンジが両手を組んで門の向こう側に広がる世界に目を輝かせた。人類にとって畏怖でしかない巨人に向かって羨望するなどおそらくハンジしかいない。調査兵団、その上層部にもなるとこういった人知を超えた変わり者が多くみられた。
「奇行種ならここにいるぞ」
「え! どこどこ!?」
リヴァイに言われハンジが馬上でキョロキョロと辺りを見渡すと、その頭をガッシリと掴まれ力ずくで左を向かされしかめっ面のリヴァイを見た。
「ここだ」
奇行種。これまでに知り得た巨人の情報とは異なる動きをする巨人の存在。人類で見れば確かにリヴァイは立派な奇行種だ。でもハンジが求めるそれとは違い、なんだとすぐに向き直った。
門が開くと兵団はそれまでのゆっくりとした歩調から一転、馬を叩き付け旧市街地を走りだす。ここから先は一瞬の油断も許されない巨人の巣窟。今も退廃した街中をうろつく巨人の足音が集まり群がってくる戦場。
兵団が壁外へと出ていくと門はすぐに閉ざされる。巨人の侵入があっては調査も元も子もない。旧市街地を駆け抜けていく行列を、50メートルの高い壁の上から見下ろすトロスト区の駐屯兵たちは「物好きめ……」と呆れた目で見送った。
門が閉まると平穏な日常を取り戻し人々は散っていった。巨人と隣り合わせの生活を送っていようとも、変わらず朝は訪れ日は暮れる。昨日と同じ一日を始めなければいけなかった。
「何か手伝えることはありませんか? 必要なものは?」
「いえ、十分に揃えていますから。ありがとうございます」
「何でも言ってくださいね。あ、朝ごはんは食べました? 昼は?」
閉じた門の内側で十字を背にした片翼のマークがついた白いテントを張り道具を揃えていると、街の人たちが次々と顔を出し何かと世話を焼こうとしてくれる。テントと同じ医療団のマークがついた腕章を左腕につけ、白布を被り器具や薬を整えるはそんな街の人たちの厚意に丁寧に答え作業を続けた。
調査兵団が壁外調査に出ると今でも3割近くの被害が出る。これまでに培ってきた巨人の情報を元に緻密な計画を練り日々の鍛錬で戦力が向上しようとも、死人なしに調査を終えたことはいまだ一度もないのが現状。過酷な任務、最も危険な戦いの最前線。毎回多大な死者とケガ人を出す調査兵団は慢性的な人員不足も悩みの種であった。
そんな調査兵団の被害を少しでも軽減しようと組まれたのが医療団だった。現場のケガは自分たちでどうにかしなくてはならないことに変わりはないが、戻ってきた手負いの兵士を少しでも早く治療するために医療団は調査が終わるまでこの門前でテントを張り帰りを待つ。彼らは兵士ではなく医師の中の有志で結成されているためそう人数は多くはないが、たった一人でも失われるはずの人命を取り止められるのならこの存在に意義はあると強い信念の元に集まっていた。
「どうか、ご武運を……」
高くて厚い壁は閉ざされてしまえば外の経過を知る術はない。
兵団が帰還しこの門が再び開く時までは、ただ無事を祈る他ない。
白衣に身を包むは両手を重ね、壁の向こうに向かって目を閉じる。
それは心臓を捧げる兵士に比べれば余りに微弱であったが、尊い祈りだった。
「、水を汲んで来てくれ。器具を洗浄するぞ」
「はい」
水桶をふたつ持ってテントを出ていくは川沿いに設置されている水汲み場に行きつくとポンプで水を汲みとり桶に水を流し入れ、行きよりずっと重くなった桶を両手に持ち上げた。
「あの……手伝いますよ」
「え?」
「テントまで運ぶんですよね」
「あ、ありがとう」
両手の重さに若干ふらついたの背後から声をかけたのは、兵士の装備と薄茶色のジャケットを着た少年。背には二本の剣を交差させた訓練兵団のマークを背負っていた。
「僕も手伝うよ」
「いいよオレひとりで。先行っててくれフランツ」
「ああ、分かった」
一緒にいたふたりと分かれ、少年は水を張ったふたつの桶を軽々しく持ち上げた。ふたつとも持たれてしまっては自分が持つものがなくなってしまうとは少年を追いかけたが、少年は構わずテントまでの道を淀みない歩行で進んでいった。
「あなた、訓練兵?」
「はい、きのう解散式を終えました。今日から固定砲整備の仕事を手伝います」
「そう。じゃあもうすぐどこかの兵団に配属されるのね。もう決まってるの?」
「決定はまだですけど……オレは調査兵団に行きます」
「……え?」
しっかりとした歩調で、それでもまだ顔つきや身体にどこか幼さを残す少年はとても力強い言葉で放った。兵役を終えたばかりの訓練兵にここまでハッキリ言われると憧ればかりが強い幼さを感じてしまうけど、その少年の目つきに浮ついた憧憬は見られない。
「どうして調査兵団なの?」
「そりゃあ、巨人を掃討したいからです」
「巨人を見たことはあるの?」
「あります。オレはシガンシナ区出身ですから」
「シガンシナ……そう」
それを聞いては少年の幼い中の確固たる意思を納得した。
シガンシナは5年前、巨人によって落とされた最初の街。
兵士になれば生活と食は無償で保障されている。訓練兵の中で成績上位者に入れば最も内側の壁の内地、王都で働く憲兵団に入ることも可能だ。安全や保障を求めて兵士になる子どもはたくさんいるが、この少年はそんな子ども達とは違う。巨人の恐ろしさとそれによる甚大な被害を身を持って知り、それでも立ち向かおうと身を奮わせた。
「立派ね。あなた、きっといい兵士になるわ」
「え? あ、ありがとうございます……」
テントに着き桶を下ろした少年は褒められて思わず頬を赤らめた。
そんなところもまだ幼さを帯びて見え、はふと笑んだ。
「あの……オレの父親も医者なんです。オレは医療団の皆さんも立派だと思ってます」
風に髪を揺らしながらテントについた医療団のマークを見上げた少年は、じゃあオレはこれでとすぐに遅れている持ち場へと急ぎ走りだした。
「あなた、名前は?」
しばらく行ったところで足を止めた少年は、まっすぐ正面を向き直し背筋を伸ばすと左の拳を背に、右手の拳の小指側を左胸にドンとつけ敬礼の姿勢を取った。
「エレン・イェーガーです!」
高く発声すると少年は再び走りだし、テントとは反対側の門の脇に設置された壁を昇る昇降機に入っていった。
まだ未熟ながら、伸びやかな身体と気高い精神を持ち合わせた少年。
はいつかの調査兵団に少年の姿が見えるような気がして、今日の空のように晴れやかな気持ちになった。
少年が見えなくなるとは桶を両手に持ちテントに入ろうとした。
けれどもふと思い出し、少年が走っていった方を振り返った。
「イェーガー……?」
頭のどこか片隅に引っ掛かった少年の名を繰り返し、は強い風が吹きすさぶ中、しばらく立ち尽くした。
高い壁の内側は風が渦巻き円状に舞い上がり、砂埃も共に巻き上げて水色の空に吸い込まれていった。5年前の惨劇から立ち直った人々。最前線にありながら、いつまでも塞ぎこんではいられないと活気づいた人たちの声で街は光りに包まれていた。
今日もそんな昨日と何ひとつ変わらない一日の始まりのはずだった。