古城での待機命令が下された特別作戦班……通称リヴァイ班は、司令塔リヴァイの元、ぺトラ・ラル、オルオ・ボザド、エルド・ジン、グンタ・シュルツの5名で組織された。彼らはエレンが巨人化しその力が暴走した時の抑止力となるべく集められた、調査兵団の中でも最も力を持った精鋭中の精鋭、いわば巨人殺しのスペシャリストだった。
「巨人を生け捕り? ハンジ分隊長、そんなことをしてたの?」
「はい。でもその生け捕りにした巨人が今朝何者かに殺されて……今はもう2体ともいません」
「それでハンジ分隊長、あんなにもご乱心だったのね。あの人の巨人に対する執着は異常だもの」
「そうですね……。オレも夜通し聞かされ……いえ、教えてもらいました」
「駄目よあの人に巨人の話なんて振っちゃ。もう、十分に休んでって言ったのに」
「すいません……」
昨夜古城を訪れた調査兵団分隊長のハンジ・ゾエは主に巨人の生態調査を担当している。人類にとって最大の畏怖であり、絶滅寸前まで追い詰めた天敵である巨人に対してハンジほど情を持って接する人間は他にいない。先のトロスト区奪還作戦中に2体の巨人の生け捕りに成功したハンジはその巨人に名前をつけ「意思の疎通」「日光の遮断」「痛覚の確認」などの検証を行った。その結果は巨人掃討に繋がる有効な情報には至らなかったものの、ハンジにとっては「日々の疲れを忘れるほど充実した時間だった」というのだから、調査兵団は変人の巣窟と言われても否認は出来ない。
変革を求める人間の集団……それこそが調査兵団なんだ。とエレンは驚きの連続の中で自分も柔軟にその時々の出来事を受け入れていくように努めようと考えを改め、ハンジに実験の話をさらに詳しく聞いた。……それがいけなかった。好反応を見せたハンジは折角だからと巨人の起源から詳しく話しだし、結果エレンは夜が明けるまで訓練兵時代にも教わった教科書にも載っているような話を延々聞く羽目となったのだった。
「とにかく少しでも早く貴方の体調を回復させるために食事内容を変更しましょう。1ヶ月後にはまた大規模な壁外調査を実施するという話だし、極力採血しておきたいの」
「また採血ですか?」
「昨日採った血液は検査に回したわ。もしあなたが負傷した時に同じ型の血液を貴方に輸血出来るのか不安だったから。もし他の人の血液と貴方の血液が拒否反応を示すなら、貴方は貴方の血でしか輸血出来ないということ。だから壁外調査の日までに少しでも多く血を採っておきたいの。万が一貴方が怪我をした時のために」
「なるほど……」
「何も貴方に限った話じゃないのよ。調査兵団の実行部隊の方達は日頃から採血は行っているわ。壁外調査で怪我をした人が亡くなる一番の理由が大量出血よ。多くの人が体の一部か大部分を欠損して戻ってくるからね」
「……あの巨人と、何度も戦ってるんですもんね」
「調査兵団の兵士は生きて帰ってきて初めて一人前……。実際今でも毎回三割以上の人が戻ってこない。腕や足を失ってもう兵士として戦うことが出来ない人も……精神的に兵士でいられなくなる人も毎回たくさんいるわ。大変な使命よね」
「それは何ですか?」
「これは血を作るのに必要な栄養素よ。本当は毎日の食事でゆっくりと血を生成するのが一番なんだけど、肉や魚はそう多く分配されないしね」
は空の注射器に小瓶の中の液体を吸引し、袖をめくり上げたエレンの腕に針を添わせた。
血を生成するには肉類の摂取が効果的だが、ウォール・マリアの陥落で活動領域の3分の1を失い家畜を育てる広い敷地が確保出来づらくなった。そのせいで肉や乳製品は王族や貴族、上層部の兵士や商会のトップクラスの者しか滅多に口に出来ない貴重品となったのだった。
「……」
白い腕の内側の肌に鋭利な針の切っ先がピタリと触れる。
それは昨日も行った注射。のそれに痛みが伴わないことは知っていた。
……なのに、エレンは咄嗟に腕を引きの手から注射器をはたいた。
白い注射器はの手から飛び跳ねて石畳の床に中身を零しながらカランカランと転がった。
「どうしたの、エレン……」
「……、あ……いえ……すいません……あれ……?」
自分でも何をしたのか、なんでそんなことをしたのか、分からなかった。
カチ、と頭の中で何かが鳴ったような気がして、エレンは眉を寄せた。
頭の奥からズクズクと何かが音を立てて這い出てくるような。
それはやがて大きな痛みを伴って、エレンはたまらず頭を押さえた。
「エレン、どうしたの?」
「だ……なんでも……っ……」
「エレン、大丈夫? エレン」
「いっ……!」
頭を押さえガタンと椅子を倒したエレンを支え、はエレンを抱き止め仰向けに寝かせた。両手で頭を押さえるエレンは割れそうな痛みに歯を食いしばって耐え、頭の中に見え隠れする画と音を微かに拾う。
父さん、やめてよ、父さん! ……
「父さんっ……!」
「え……?」
しばらく痛みにもがき苦しんで、エレンはまるで頭だけが別の人のもののような異和感に気持ち悪さを感じた。小さな脳みその中で何人もの意見が入り混じり食い違っているような気持ち悪さ。その不快感は脳から腑に落ちて吐き気をもよおしエレンは背を向け口を押さえ堪えようとしたからはすぐに白衣を脱ぎ床に敷いてその上に吐かせた。
「エレン……大丈夫?」
「は……は……い……」
「落ち着いて、ゆっくり息をして」
「はぁ……はぁ……」
エレンの背中をさすりながらはエレンの心と体が静かに治まっていくのを待った。
何故エレンがそのような状態になったのかはもちろん分からないけど、何かエレンの脳が拒否反応を起こすような出来事がの行動と重なったのだろう。考えながら、はゆっくりとエレンの呼吸を誘導して落ち着かせた。深く吸って、長く吐いて、吸って、吐いて。
やがてやっと落ち着き目を開いたエレンは、真上から見下ろすの目を見ることが出来た。血走っていたエレンの目が落ち着いて見え、もふと目で笑った。
「ごめんね、少し休みましょう」
「いえ……平気です」
「休むの」
「でも、これから庭の掃除……」
「駄目だったら。リヴァイさんには言っておくから」
の手がペチと額の上に落ちて、エレンはまだ少し荒い呼吸の中で笑った。
「……昔のことを思い出そうとすると、いつもこんな風になるんです。なんでか分かんないんだけど、父さんのことを思い出そうとすると、特に……」
「お父さん……イェーガー先生ね」
「知ってるんですか?」
「医者の中では有名な方よ。昔流行病を治めたって」
「……父さん、行方不明なんだ。5年前に母さんが死んだ後、いなくなって……」
「そう……」
「オレの巨人の力も、たぶん……父さんが関係してる……なんで父さんが……」
「エレン、やめて」
「父さんが知ってるはずなんだ……。なんで父さんがそんなこと……なんでオレが巨人なんかに……」
「……エレン、貴方のお父様は素晴らしい方よ。未発見の症状の薬を作るのは並大抵の努力じゃないの。何人もの人の死を経て、辛抱強く地道に研究し続けた人だけが辿りつける奇跡よ。貴方のお父様はそれを成したのよ」
「……」
「分かってるでしょう。貴方が一番、お父様のことを知ってるはずよ。お父様がどんな方か、どんなに素晴らしい方か。信じていいの。貴方は貴方の記憶を信じていいのよ」
「……」
「エレン?」
目を閉じたエレンはそのまま意識を失った。
でも穏やかな呼吸は続いていて、寝てしまっただけのようだった。
エレンを膝の上に抱きながら、はホ……と息を吐いた。
「? 何か音がしたけど……」
声をかけながら治療室のドアを開け、外から明るい光と共にぺトラが顔を覗かせた。
「すみません、エレンが気分悪くなってしまって……」
「え!? だ……大丈夫なの?」
「今は眠ってるだけです。部屋に運ぶのを手伝っていただけませんか」
「うん、ちょっと待ってて、他にも誰か呼んでくる」
ぺトラは一度出ていくとすぐにエルドとグンタを連れてきて、3人はエレンを抱き上げ地下の部屋へと連れていった。
静かになった部屋に残ったは石畳から伝わる冷気と硬さを膝に感じながら、しばらく動けなかった。胸の奥で心臓の鼓動が低く小さく鳴っている。は喉元に手を伸ばすと首に提げたペンダントを握り、落ち着かない呼吸を繰り返した。
「何があった」
漂う冷気より突き刺さるような低い声にはハッと顔を上げ手を離す。
ドア口に立っていたリヴァイがこちらを見下ろしていて、はすぐに足元の白衣を嘔吐物を零さぬように拾った。
「すみません、私の責任です」
「何があったと聞いてるんだ」
「エレン、注射が苦手みたいで、栄養補給の仕方も考え直さないといけません」
「……ガキか」
落ちたままの注射器も拾い机の上に置いて、はリヴァイの前で一度頭を下げ部屋を出ていった。すぐそこの入口から外に出て、馬小屋の手前にある井戸のヘリに汚れた白衣を置いて水を汲み上げようとした。でもなかなか力が入らず、手を見てみると細かく震えていた。握ってみると随分と指先が冷たくなっていた。
「貸せ」
の持つ縄を取って、リヴァイが井戸の水を汲み上げる。
桶に水を注ぎ、はその水を持って離れた場所で白衣を洗った。
「エレンの実験というのはどうなったんですか?」
「ハンジの野郎があの調子だからな、また日を改める。明日は次の調査の配置訓練があるから明後日以降だろうな」
「具体的には何を……」
「当然、巨人化の実験だ。あいつを巨人化させる。俺達もあいつ自身も、その力を把握出来ないままに頼るわけにはいかんからな」
「そもそも彼が巨人になるというのは、どういうことなんですか?」
「俺も直接見たわけじゃないが、あいつが自分で手を食い千切ることで巨人化するらしい」
「食い千切る……?」
「傷が何かに作用するらしいな。詳しくは何も分かっていない。そのための実験だ」
「傷って……それじゃ本当にいつそうなるか……」
「いや、自分でやってこそらしい。他人があいつに危害を加えても何も起きない。それは実証済みだ」
「実証?」
汚れを洗い落としたが立ち上がりリヴァイを見ると、リヴァイは「しまった……」というように目線を外した。
リヴァイは審議所でエレンを手酷く暴行している。それはエレンの処遇を巡って言い争っていた憲兵団や保守派の人間に、エレンの抑え切れない巨人に対する強い殺意を見せつけるための演出であったが、リヴァイは容赦なく何度も何度もエレンを蹴り上げそれによりエレンは血を吹き歯が折れるほどの酷い怪我を負った。
思わず身を引いてしまうほど延々続く暴行にその場にいた者達は固まった。それでもエレンは目も当てられないほど痛めつけられながらもその内に秘めた強い精神力と狂気にも似た目つきを垣間見せ、それは憲兵団にも保守派の人間にも自分たちではエレンを囲っておくことは出来ないと怯えさせた。その効果が強く働きエレンはリヴァイの監視下の元、調査兵団に一任される結果となったのだった。
「あいつの身体には傷一つ残ってなかっただろう。それも巨人化の作用らしい。折れた歯も生えてきてやがるからな、気持ち悪い」
「エレンがリヴァイさんにどことなく怯えてるのはそのせいですね」
「ついでにショックで何か思い出さねぇかとも期待したんだがな。報告書によるとあいつは幼少期に父親から何かをされて、その記憶は思い出せないようになっているらしい。記憶喪失で父親は失踪じゃますます信憑性のない話だがな」
「父親……グリシャ・イェーガー」
頭痛に襲われながらエレンが口走った「父さん」の言葉の通り、やはりあのエレンの症状は父親が絡んでいることのようだった。
「知っているのか」
「詳しくは何も。二十年程前にシガンシナ区で起きた流行病を治めた医者だと資料で見ただけです。3年前のあの王都での伝染病も、その時のイェーガー先生の研究が薬開発の一端になったんですよ」
「……あの時か」
「私は知らないうちに、あの親子に随分救われているようです。これもまた因果でしょうか」
「関係ない。お前は俺が任命したんだ。巨人化についてはハンジがやるからお前は医者としてあいつを見てろ」
何か考え込むようだったは、再びリヴァイに振り返るとハイと笑みを見せた。顔のほとんどを覆っている分、いつも目の笑みを絶やさないだが、リヴァイはその笑顔を久方振りに見た気がした。
「ならひとつ進言させていただきますが、エレン自身がその力と効力を自認出来ていないのに一方的に危害を加えるのはただの暴力です。今のエレンには何より休息と安静出来る場所が必要です。無茶はやめてください」
「頭の悪いガキを躾けたまでだ」
「リヴァイさんの持論では成功するのは1割程で、後の9割は心折れてしまいます」
「なまっちょろい兵士などいらん。調査兵団はその1割で成り立っているんだ」
「どうせ私は甘いですよ」
ぎゅっと絞った白衣をパンと伸ばすと、青々とした空気の中で揺れる白が水しぶきを飛ばしながら光りを反射した。
「兵士じゃねぇんだ、お前はそれでいい」
残った桶の水を地面に放って、リヴァイはそのまま井戸の方へと歩いていった。
その背を見つめ、はマスクの下で噛み締めるとリヴァイを追いかけ戻っていった。
「私、エレンの目が覚めるまでいますね。お庭の掃除も手伝います」
「好きにしろ。あまりあいつを甘やかすなよ」
「お目付役が厳しすぎるから丁度良いのでは?」
「気を許し過ぎるな。お前は慣れ過ぎだ。何があるか分かんねぇんだぞ」
「いざという時は守ってくださるんでしょう?」
「……だから、信じ過ぎるな。エレンのやつも、俺も」
城の中へと入っていくと石畳の通路が薄暗く、夕暮れが外よりも際立っていた。
診療室に戻ると中にぺトラがいて、エレンはちゃんと眠ったと報告した。
それから数時間、静かな時間が流れ続けた。
おそらく夜も更けているだろうが、地下では時間も外の暗さも分からない。
はたった一つのランプの傍で本を広げ、ただエレンの目覚めを待った。
「……」
「起きた? エレン」
静かで埃臭い、重い空気の漂う地下室にふと空気の流れが生まれた。
見るとエレンが目を開けていて、ぼんやりとした目で頭を左側へ傾けた。
「あれ……オレ……」
「まだ休んでていいのよ。それとも食事にする? お腹空いてるでしょう」
「……あれから、ずっといたんですか」
「もちろん」
少し頭を上げたエレンをは再び戻し、エレンはふーと長い息を吐いた。
そして気がついた。いつもマスクをつけているが今はしていない。
暗くて結局何もよく見えないけど。
「マスク……付けてないところ初めて見ました」
「うん? 診療中はいつも付けてるからね。というか私はいつでもつけてるけど」
「なんでですか?」
「貴方が思っている以上にこの世界は菌で溢れているのよ。人を治す医者が最も注意すべきは自分の体調管理なの」
はエレンの腕を取り、懐中時計の針の音と合わせて脈拍を見る。
額に置いて確かめた熱は平温で、呼吸も落ち着いたものだった。
「オレ、ガキの頃から病気なんてしたことなくて、熱出したのも一回だけなんです」
「うん?」
「川に落ちて流されて、ミカサが助けてくれて、それが冬だったからガチガチに凍えて、一晩中熱にうなされてました」
聴診器をつけながら、はエレンの口から零れてくる言葉に耳を傾けた。
「怪我なら父さんが治してくれるけど、寒気はまったく引かなくて、母さんが一晩中お湯飲ませたり体さすったりして、オレが眠っても、目を覚ますと母さんはいつも起きて傍にいました」
「素敵なお母さんね」
「……もう、いないんだけど……」
腕を顔の上に、言葉を止めたエレンを見ても診察する手を止めた。
洗面器で水に浸したタオルの水を絞りエレンの額に乗せる。
ひやりと冷たい心地よさが瞼の温度を中和した。
「ミカサというのは?」
「……ミカサは、一緒に住んでたヤツで……、そいつも親を亡くして……うちに」
「そう……」
「あいつ、オレに恩があるからって、オレが兵士になるからって一緒についてきて、オレが調査兵団に入るって言ったらあいつも入るって、オレはそんなこと望んでないのに、いっつもオレのためだって、ミカサが一緒じゃないとオレは早死にするからって」
「恩って?」
「……あいつの親、殺されたんだ。それで……オレはそいつらを、殺した……」
「……」
「最低な奴らだったんだ。自分達の欲のためにミカサの親を殺して、まだガキだったミカサを誘拐して……あんな奴ら人間じゃないって思った。あんな奴ら、死んで当然だって……人間の顔した獣だったんだ……」
顔の上のタオルを掴むエレンの手が、強さのあまりに震えだす。
もう立派に大きくなったその手がブルブルと。憎しみと悲しみと恐怖とを握り潰すように。
「でも、刺した感触は無くならないんだ……。あの時も、今だって間違ってないって思うけど……、あの時、凍えて死にそうになってた時も、何度も夢に見たんだ。目を閉じると毎回あいつらが出てきて目が覚めて……そしたら母さんが笑ってるんだ。大丈夫って、母さんずっといるからって……。オレ……やっぱ間違ってたのかなぁ……母さん……オレのこと軽蔑してたのかなぁ……」
じわじわと弱くなっていく口調と震える手がエレンの心を暗く蝕んだ。
こんな地下の暗闇の中にいると、余計なものがどんどん心の奥から、記憶の奥から這い出てくる。それはやがて形を変えて膨らんで、心の一番柔らかい部分を責め立てる。
「貴方は……リヴァイさんに少し似てる」
小さく耳にしたの声にエレンはようやく手の力を少し緩めた。
タオルで目をぐいと拭いて、その下からを覗き見る。
「オレが、リヴァイ兵長に……?」
「あの人もとても潔癖で、自分の中の正義を穢すものにはとても冷徹よ。怖いくらいに。それがどんなに周りに理解されなくても、自分だけに見えている光を決して見失わない。いつも前だけを見てる」
「……オレはそんな、リヴァイ兵長みたいに、強くないです……」
「リヴァイさんは、貴方よりも少しだけ多くのことを知っているだけよ」
「知ってるって、何を……?」
「貴方がこれから知るだろうこと……。私思うの。人は心の中にいくつもの色を持ってて、でもそれを人に見せるのはその中のたった何色かだけ。色同士が混ざり合って、自分でも知らない色になったりもしてる。それをすべて出そうというのは無理だし、その中から自分で選んだ色を出すしかない」
「うん……?」
「お母様はきっと、貴方が一番安心する色を選んだのよ。貴方が一番好きな色。貴方が一番幸せに感じる色。だから貴方はそれを、素直に見つめたらいい。お父様もお母様も、ミカサも、貴方をとても愛してる。それ以上の真実なんてないわ」
「そんなの、なんで……」
「貴方を見れば分かる。優しさというのは人に与えられて覚えるものよ。貴方は最初からとてもまっすぐで、強くて、優しかったわ」
「……」
「私も貴方が好きよ。エレン」
また涙が込み上げて、口を強く閉じようとしたけど……やめた。
きっと堪えようと思えば堪えられたけど……しなかった。
タオルで目を押さえて、けど胸の奥の心の奥の、ずっとずっと奥の部分から出てくるものを、全部吐き出したかった。今までどこにも泣き場なんてなかった。泣いていい時なんてなかった。泣きたくもなかった。泣くなんて格好悪いと、弱いものだと思っていたから。
自分の泣き声を初めて聞いた。なんて格好悪い。なんてみっともない。
けどそれを、傍でずっと聞いててくれる人がいた。
寒さに震えた夜に目を開けた時みたいに、ずっと傍にいてくれる人がいた。
石畳の硬くて暗い地下の部屋に響く声を、明日はきっとかき消してみせるから。
ほんの少しの間だけ、今だけ。暗がりで隠して。許していて。