死者が出始めてから王都の病は急激に広がった。
極度の寒気を帯びる高熱が数日続き、後に肌に斑点が出始める。斑点はみるみる色濃く広がっていき、やがて皮膚を食い破って死に至る。またその膿に触れると他者に感染することから重度の伝染病と確定され、王都はさらに混乱に陥った。
その治療法や新薬は依然として解明されていない。数年前に果ての街、シガンシナで起きた流行病に似ているという点から当時の資料を元に薬を作るも有効な働きは見せず、抗体を持つ者から摂取した血液から作った薬は斑点が出る発症までを引き延ばす効果は見せたものの改善は見せなかった。
「僕は診療所に戻るよ。先生も一人じゃ大変だろうし」
「分かった。レイズもちゃんと休んで」
「気をつけてな。まずは自分の身を守るんだぞ」
レイズを始め研究員たちが病死した遺族を回り解剖を申し出たが、王都に住まう上流階級の民、貴族からはなかなかそれを良しとする者は現れなかった。病で死んだ者が何故か女に多かったことが許可されない大きな理由だった。何の前触れも無く病にかかり果てに亡くなったショックは大きく、遺体を切り刻むなどとても許せなかった。
そんな折、医療研究機関に新たなる情報が舞い込んだ。王都からは数十キロも離れた壁の外、ウォール・ローゼ内北部に位置する農場で病を発症した子どもが出たという。これまで王都に限られていた病が突然壁の外の小さな村に現れ医研は騒然としその農場へ研究員を派遣することを決定。も一団に同行した。
馬車はウォール・ローゼ内地を北へと向かい、次第に肌寒さを感じるようになってくる。山に近い北部は田畑や農場が多くあり豊かな大地が広がっていた。北部に訪れるのは初めてで、揺れる馬車の中から緑の大地と清々しい空を見上げるは、王都での騒々しさと人々の鬱屈とした空気が嘘のように感じられた。
「やけに静かだな」
「それに何だ、この匂い。何かが焼けたような……」
「あれではないでしょうか、牛舎の奥」
農場に到着した一団はすぐにその異変を感じ取った。放牧用の柵や牛舎があるのに生き物の声はなく、シンと静まり返る農場に異様な匂いが広がり牛舎の向こう側には空に滲む黒い灰が見えた。研究員たちは農場を営む家へと向かうがはその煙の方へと歩き出し牛舎をぐるりと回った。
牛舎の奥には焼け野原が広がっていた。緑の大地が黒焦げ、ゴロゴロと黒い塊が転がっている。それから異様な匂いが発生していてはマスクをしていながらも思わず鼻を覆った。その焼け野原の外……牛舎の軒下に腰を据えている男を見つけは歩み寄った。男はさほど年にも感じなかったが顔色が悪く肌が痩せこけ、座っているのに酷い脱力感に襲われていた。
「医療研究機関から来ました、と申します。こちらのご主人ですか?」
「ああ……」
「これは、何を焼いた跡ですか?」
「……」
「病が発症したというのはあなたのお子さんですか?」
最初こそ返答はあったが、すぐに主人から言葉はなくなった。
無表情の中に酷い悲しみを広げていて、その顔だけでは心境を察した。
は焼けた地面に足を踏み入れ、ゴロゴロと転がる黒い塊を見た。焼け焦げているがそれは骨のようで、残骸の大きさからして牛のようではすぐに牛舎を覗いた。
「牛を、すべて焼いたのですか?」
「……食べるために育てたんだ。食べられないんじゃ育てた意味が無い……」
「食べられないとは……?」
「牛なんだ。牛の肉に病原菌がある。直接触ると病気になる……」
「……何故、いつからそれを分かっていたんですか」
「1ヶ月ほど前だ」
「なぜすぐに報告していただけなかったのですか。王都でどれだけの人が亡くなっていると……」
詰め寄るだが、今まで生気を感じなかった主人の目が突然燃えるように強まりをきつく睨み上げた。
「農場が……牛が病気にかかっているなんて知られたらどうなると思う。すぐに閉鎖になり多大な借金を背負うことになる……そうなればうちは終わりだ!」
「そんなこと……。どれだけの方がそのせいで亡くなったと思っているんです、分かってて報告しなかったとなれば、それは罪ですよ」
「生肉にさえ触らなければ問題ないんだ。火を通せば食べても問題はない。病気の牛はすべて焼いた……もうここに病原菌はないんだ!」
「お子さんが感染したんでしょう? 貴方はそれでも、」
「もういない……あの子は……もういない……」
「……」
頭を抱え涙を落とす主人に、子どもを失った絶望感や喪失感はあれど、罪から逃れたいというような強欲さは感じ取れなかった。そもそも医研に報告をしてきたことが主人の罪の意識によるものだろう。今目の前にあるのは、子どもを失いすべてを失い絶望の淵で悲しみに打ちひしがれる親の姿だ。
「お子さんはどのような症状でしたか」
「……3日程、高熱に苦しんだ……。腕に青い斑点が出始めて……それがどんどん腫れあがり、血が噴き出した……」
「年が若いほど抵抗力が無く、短時間で発症する記録があります。王都で起きている病と同じ症状です……。それでももっと早くに医者にかかっていれば、今は改善とまではいかずとも進行を抑える薬が……」
「医者なら行った! 三時間かけて一番大きな街の医者にかかったが、熱を下げる薬を渡されただけだった!」
「……壁の外の街では、伝染病の可能性を考えるまでに至らなかったのでしょう。お悔やみ申し上げます……」
「医者はみんなそうだ! よく診もしないで簡単に判断する。それでお前達医者は一度の診療でいくら取る! 死人が出なければ王都の医者がこんな辺境まで来ることも無い……王の足元で暮らしているお前達に俺達生産者の何が分かるっていうんだ!」
血眼で叫ぶ主人の言葉には何も返せなかった。
医者にかかれといえどその土地の医療の格差によりまともな治療を受けられるとも限らない。食事や生活が保障されている兵士と違い、生産者の待遇は悪くリスクも大きい。壁の外に出て広い世界を見るようになったといえど、は外の土地に住む人々の生活など何も知らない事を思い知った。王都に産まれ裕福に育ち、今も十分な生活をもたらされている。医者にかかるだけで何時間も要するなど……。命と金を天秤にかけなければいけないなど……。
「お子さんを、解剖させてください」
「……」
「お気持ちは……お察しします。ですが、私達には時間がありません。病は待ってはくれません……。今もまだこの病気に苦しんでいる方が大勢います。生き残れる可能性がある方達がいます。どうか、ご協力を。お子さんの死を決して無駄にはしません」
の訴えを主人は深くうなだれたまま聞き、やがて立ち上がり歩き出した。にはその歩みが決して絶望に向かっているようには見えなかった。主人のあとをついて歩き家へと着くと、主人の妻と幼い子供達が家の前で待っていて、主人の口から娘を渡そうと零れた。
子どもを預かり研究員達はすぐさま王都へと帰還した。は馬車の中でまだ年端も行かない少女の腕から膿を採取し小さな容器へ落とした。他の研究員達からはよく説得したと褒められたが、とても喜べるものではなかった。重すぎる悲しみを背負いながらも済まなかったと口にした主人。憔悴しきった顔で必ず娘を返してと涙ながらに訴えた妻。幼い弟を抱きかかえ寄り添い合う子ども達。
「すみません……私はここで下ります」
「ここで? どこに行くんだ」
は馬車がウォール・シーナの門をくぐる前に馬車から下り、再び別の馬車に乗った。
「―ですので、兵士の方やそのご家族にでも感染の疑いがある方がいればすぐに医研にかかってください。事態が落ち着くまでは肉類の摂取は避けたほうが賢明かと思います。調理の方にも決して素手で肉に触らないようにと厳重に注意を促してください」
「ああ。大変だったな。だが素晴らしい進歩じゃないか、凄いぞ」
は調査兵団の本部を訪れていた。伝染病の解明に追われもう何日も来ていなかったから。本部の門をくぐりすぐの療養棟へと向かい、医療班班長のビットマンに知る限りの情報を託した。
「だがまだ時間はかかるだろうな。次回の遠征の日取りは届いたか?」
「はい」
「もう調査日まで一週間も無いが、どうだ? 君が欠けるのはこちらとしても痛手なんだが」
「伺います。当日は必ず」
「助かるよ。ほら、聖女を待ちかねている連中が押し寄せているぞ」
「聖女?」
そんな言葉は聖書でしか目にしたことがなく違和感しかなかったが、ビットマンが指差した背後を振り向くと、扉横の窓ガラスの向こう側からいくつもの目がこちらを覗きこんでいた。
「、やっと来たな!」
「皆さん、安静にしていないと駄目ですよ」
「リハビリリハビリ! 見ろよ、俺もう歩けるぜ」
「、俺の腕も診てくれよ、傷口がかゆくてさ」
「こらこら、は報告に来ただけだ、ゆっくりさせてやれ」
ビットマンに制止されるも兵士達は話を聞き付けどんどん増えていき、は持ちあげられるように療養室へと連れていかれた。包帯を巻いた腕を首から提げた兵や松葉杖で駆けつけた兵、起き上がれない兵も顔を上げて声を上げ、療養室に収まらないほどの兵士達が集まってくる。誰もが療養棟での長期治療を余儀なくされた怪我人ばかりだが、誰の表情も声も明るくは笑みがこぼれた。
「マジかよ。肉で死ぬって、喜んでいいのか悲しんでいいのか分かんねーな」
「喜ぶ?」
「だってよ、死にたくはないけど肉は死ぬほど食いたいよ」
「俺達だって肉なんて早々食えないぜ。王都の奴らは良いモン食ってんだな。でも解剖させないなんて、原因が分かんないと治療のしようもないのにな」
「仕方ないさ。考え方はそれぞれだ。それを強制は出来ないだろう。特に医師の立場ではな」
「お前はこんなに頑張ってんのにな。俺が死んだら解剖していいぞ」
「俺もだ。たとえ死んでも人類の為に身を捧げる!」
「何を言ってるんですか、皆さんはちゃんと生きていてください!」
腕を食いちぎられ未だふさがっていない傷跡を消毒し包帯を巻き、粉砕骨折し杖なしでは動けない足を触診しながら、それでも始終笑い声は広がっていた。全身を骨折し起き上がれない兵のベッドに寄って声をかけ、今はもう治療が済み療養棟を出たはずの兵にも笑い返し、次第に日没の時間になっても療養棟は明るかった。壁外で心にも体にも深く傷を負い塞ぎこんでいた兵も今では明るい表情を取り戻し、傷が治ればまた壁外へ行くと意気込む。彼らは仲間同士支え、笑い合うからこそより強くなっていくのだと強く感じた。
「そーだ、お前この間憲兵と一緒に来たらしいな!」
「ああ、馬車に乗れず困っていたら、憲兵の方が馬車を出してくださって」
「あいつらが私欲以外でそんなことするか。気をつけろよお前、狙われてんぞ!」
「え?」
「何ぃ? 憲兵なんて絶対に許さんぞ! どーせ付き合うなら調査兵にしろ」
「疲れてんだろ、俺が荷物持ってやる」
「お前腕ないだろ! 俺が運んでやるからな」
「お前は片足でおせーだろ! 俺には右腕があるんだよ右腕が!」
「あ、あの、皆さんにそんなに気遣いいただいては私の立場が……」
「なに言ってんだ、仲間は助け合うものなんだよ!」
体格のいい兵士達が子どものようにの荷物を奪い合い、その光景を笑う兵士達の声でまた療養室が賑わった。
仲間……。まさかその言葉が自分にも向けられるとは思いもよらず、じわりと胸に温かいものが広がった。兵士達は帰っていくを玄関口で見送り、は別れを告げ茜色に染まりだす空の下を歩いていった。
傾いた陽光を背に受け影が長く延びている。地面までもが茜色に染まる夕間暮れ。あまりに周囲が橙に染まっていて、門を出る手前では振り返り空を見上げた。空の半分を覆っている雲が橙色に波打ちうろこのように広がっている。本部の塔に引っ掛かるように没ちていく真っ赤な太陽がまだまだ強い力を放っている。
赤い夕陽を見上げながらはマスクを下げた。西日が黄白色の肌を紅く染める。
障壁を無くし入りこんできた空気は淀んだ体内を循環し、深く息を吐き出した。
するとすぐ傍でザザザッと地面を引きずる音がして、は驚きマスクを戻し音の方に振り向いた。
「あ……リヴァイさん」
「生きてたか」
「え?」
砂埃の中に立つリヴァイの腰の装置にワイヤがシュルルルと収まっていく。門へと続く道沿いに広がる訓練場には何人かの兵士達が訓練を終え帰っていく姿があり、リヴァイもまた立体機動の訓練場からここに降り立ったようだった。
「先日は、うちまで来ていただいたそうで……ありがとうございました」
「通り道だったからな」
「任命式だったんですよね。兵士長就任、おめでとうございます」
「めでたいか?」
「……めでたく、ないんですか?」
トリガーを脇腹のホルダーにしまい手の汚れをはたくリヴァイは与えられた地位にまるで無関心なように見えた。以前は「兵士長配置は抑止力代わり」というエルヴィンの発言も耳にしているだけに、リヴァイにとっては型にはめられるだけの重荷なのかもしれないと思った。
「伝染病とやらはどうなった」
「まだ鎮静はしていません。感染者も死者も増えて続けていますし……。でも今日、ようやく原因が分かったんです。これから医研の先生方が薬を作ってくださいます。完成まではまだ時間がかかるでしょうし、出来ても、大量生産されるまでは薬を巡って暴動が起こるかもしれませんが……」
「そんなことは憲兵団の仕事だ。お前が危惧することじゃない」
リヴァイの言葉がのすぐに陰ってしまう不安症な心を強く吹き流す。
いつもそうだった。彼の言葉は強くまっすぐ胸の真ん中を通り過ぎる。
深い深い森の中に迷い込んでしまっても、明るく照らす月がそこにあるかのように。
安心できた。光が見えた。道が出来た。強い引力に導かれるようで、思わずマスクの中でふと笑みが零れた。
「なんだ」
「いえ……ちょっと、出来ないことが多すぎて……落ち込んでいたんですけど、さっきも療養棟の方達が皆さん気遣ってくださって……。ここの方達は強くて、明るくて、なんだか私の方が元気をいただいてしまって……。逆ですね、私が皆さんのお力にならなくてはいけないのに」
悲しいことが多すぎて、やるせないことがありすぎて……。心にぽっかりと空白が空いてしまって、そしたらふとここが頭に浮かんだ。ここに来たいと思った。いつからかこの場所に、ここの人達に、居心地の良さを感じていて、そんな自分がなんだかおかしかった。
「お前はずっとそうやってツラ隠して生きてくつもりか」
「……」
マスクの中でだけ生まれていた笑みがフと吹き消された。
いつだって、胸の真ん中を突き抜ける。
「私には……医者の肩書だけで十分です」
マスクの上から触れた自分の顔はもう笑んでもいなかった。
薄い布一枚の中に、数多の表情と感情を包み隠して。
「リヴァイさんには、とても感謝しています。改めてお礼を言う機会も無くて……。私、立派な医者になります。一人でも多くの人を救える医者に。いつか……リヴァイさんのお役にも立てるような、医者に」
煌々と背から照らしていた西日が次第に弱まり、は笑みを模って最後に頭を下げると歩き出した。細く伸びる影がリヴァイを通り過ぎ、どこか早まる足音も通過しようとした時……グッとうしろ襟を掴まれは足を止めさせられた。
「え……?」
「ちょっと付き合え」
「え、あの……わわっ……」
リヴァイにうしろ襟を掴まれたままは来た道を引っ張られていく。
訓練場の柵をくぐり中に入ると荷物を取り上げられ、リヴァイは脇のホルダーからトリガーを両手に取るとの腰に腕を回し抱き上げた。
「りっ、リヴァイさ……」
足が地面から離れたところで何事かと問う暇も無く、リヴァイはトリガーを引きパシュッと立体機動訓練用の木の壁にワイヤを放った。
「キャッ……キャアアアッ!!」
ぐんと身体が感じたこともないような負荷に襲われると、目先に見えていた地面がみるみる遠ざかっていった。パシュ、パシュ、と左右交互に放たれるワイヤとリヴァイの腰元で噴出されるガスがいつも踏みしめていた地面をあっという間に遠い世界のものにして、けれどもはそんなことも思う余裕も無くリヴァイにしがみつき叫び声を上げ続けた。
「おい」
怖くて怖くて必死にしがみついていた。当然、地面から離れたことなどないのだから。
「おい、」
ぎゅっと目を瞑り身を固くして、……だからリヴァイの呼び声も、もう身体が宙を飛んでいないことにも気付かずにいた。そんなの、自分に巻きついている腕を引き離しリヴァイはの頭をぐいと右側へ向かせた。そうして恐る恐る開いた目に飛び込んだ、赤。
「……」
震えていた手がピタリと止まり、固まっていた身体がゆるり解けていく。
遠い空にいた太陽が目線と同じくらいの高さに現れ、壁の向こうに沈んでいこうとしていた。
「離れるな。落ちるぞ」
「え……キャアッ! 」
思わず真っ赤な太陽に引き寄せられリヴァイから手を離すと、背に回されていた腕にぐと止められた。そこは立体機動訓練用の高い木の壁のてっぺん、僅か1メートルの幅の上。一寸先は目がくらむほどの遠い地面。下を見た途端ヒヤリと肝が冷えは再びリヴァイに捕まった。
「こ、怖すぎます……こんなところ……」
「大した高さじゃない。たかが30メートルくらいだ」
「高いです! もう、死んじゃうかと思った!」
恐怖を思い出したのか安堵したのか、は涙目で訴えるも間近のリヴァイはまるで素知らぬ横顔。言葉を交わすようになって数ヶ月が経つも、リヴァイは他の兵士のように談笑や無駄話をすることも、感情が表に出ることも無いためにいまだにその人物像が掴めずにいたが……ますます分からなくなった。
「リヴァイさんはいつも、こんな景色を見てるんですね」
「いつも見てるほど暇じゃない」
優しくも丸くも、明快でも素直でもない。
はもうと口先を尖らせた。
「私、小さい時、空って絵だと思ってました」
「絵?」
「窓から見える空しか見たことがなかったので……四角い空しか知らなかったんです。でもハンナが……あ、私を育ててくれた乳母なんですけど、その人が言ってたんです。空はどこまでも続いているのって」
壁に乗る太陽から赤い尾ひれが空に延び次第に薄くなっていく。
薄紅色の空の中に点々と光の粒が見え始め、やがて夜を連れてくる。
地上に比べ風の強い空中。こんな高い場所でも空はまだまだ遠い。
「だから、初めて外に出て空を見た時は、これが空なんだって思ったんですけど……本当はもっともっと、こんなに大きかったんですね」
「所詮壁の中だがな」
それでもまだここは壁に囲まれた大地。限りある空。
その隔たりさえ無くそうと、挑み続ける調査兵団。
「私も壁の向こうに行ってみたいです」
「巨人に食われたいのか」
「それは嫌ですけど……」
はリヴァイの肩からそっと手を離し白衣のポケットから小瓶を取り出した。
苦しみ、悲しみ、亡くなった少女から採取した病原菌が入った小瓶。
「きっと、いつか、調査兵団の皆さんのおかげで外に出られる日がきっと来ます。人間がたったこれだけのものに脅かされているんです。人類が巨人にとって脅威になる日が必ず来ます」
それを目先にかざすと赤い太陽に照らされキラリと光った。
その光を映し、の黒い瞳もキラキラと反射して輝いた。
「……お前はそれを駆逐しようとしてんだろうが」
リヴァイの言葉にハタと気付き、はリヴァイを見返す。
「そうでした」
言った途端に笑みが込み上げて、はマスクの中で笑った。
なんだか心が軽くて、おかしくて、いつまでも笑った。
「お前、ソレ取れ」
「……え?」
いまだ笑みを引きずるのマスクをリヴァイは顎で示す。
「や……取れと言われましても……」
「俺に隠す必要ないだろ」
「隠すわけではないのですが……、いつも付けてるから、突然取れと言われても、その……服を脱げと言われてるようなもので……」
「ほぅ……」
突然のことにたじろぎ、はマスクを押さえ徐々に距離を取る。
今さらながら、こんなにも至近距離にいたことに気付く。
だけどリヴァイに捕まっていなければ立ってもいられない。逃げようなどあるはずがない。押し迫ってくるような眼にあわあわと目を移ろわせていると、リヴァイの手が延びてきてはぐいとマスクを下げられた。
「あ、あの……、あ……」
普段外では人目につくことのない箇所が晒け出される。
ほんの目先にいるリヴァイがいつよりも近い気がして肌がさわりと逆立った。
離れることも隠すことも出来ずあわあわと口だけを動かす。
間近から見つめてくるリヴァイがまた吐息のような声を漏らした。
腰に回る腕も射るような眼光も、すべてが異質で。
感情が突き詰め目に涙が溜まり、心臓は飛び出そうなほど打っているのに頭の中は真っ白で。
まだ赤い太陽も壁に遮られ大地は徐々に暗く覆われていく。
燃え上がりそうなほど頬が熱いのは、夕陽のせいだと思いたい。