次回壁外調査の日程が決まったその日、調査兵団の幹部達は王都を訪れていた。次の調査で再び巨人を生きたまま捕獲する作戦の詳細をハンジが解説し、その実行指揮のリヴァイも同席、そのための資金と憲兵団の協力をエルヴィンが要請した。
「エルヴィン、調子はどうだ」
「上々だ。先日は面倒をかけてすまなかった、ナイル」
報告会を終え幹部達が会議所を出ようとした所、同会議に出席していた憲兵団師団長のナイル・ドークがエルヴィンと握手を交わした。同じ一団を率いる者として当然会えば挨拶を交わす仲である二人だが、この時のナイルはいつになく親和で好意的な空気を発していた。
「紹介しよう、私の甥で今は支部隊長を任せているマテウスだ」
「よろしく、エルヴィン・スミスだ」
「お初目にかかりますエルヴィン団長、お会い出来て光栄です」
ナイルが後ろに控えていた青年を紹介すると、エルヴィンはその彼に手を差し出し青年は両手でしっかりと応えた。体格の良いエルヴィンとも引けを取らぬマテウスだが、物腰の柔らかさと尊敬の念を実直に表現出来る素直さを持ち、ナイルの甥ということからも元より王都に生まれた育ちの良さが見受けられた。
エルヴィンが後ろのリヴァイとハンジを合わせて紹介すると、マテウスはハンジに「大変興味深かったです」と握手を求めた。そしてマテウスはその温和な目をリヴァイに移す。リヴァイもまたその目を見返す。だがリヴァイはその手が自分に延びてくるより先に歩き出し一人先に会議所を出ていった。それに続いてハンジもお先にとモブリットが待つ馬車に乗り込む。普段からまるで協調性も詭弁も無い調査兵団の幹部達は、序列としきたりを重んじる憲兵団とはどうしたって折り合わない。
「すまない」
「いいえ。さすが人類最強と名高いリヴァイ兵士長です。気迫が違いますね」
「まるでそうは見えんだろう。君の方が強そうだ」
「とんでもない」
「あー時にエルヴィン、折り入って頼みがあるんだが」
「なんだ?」
前置きもそこそこに話を切り替えたナイルに、エルヴィンはやっと本題かと耳を傾けた。
本部に着いた馬車から下りリヴァイは本棟へと向かっていくと、訓練場とは反対側の療養棟から明るく賑わう声が聞こえてきた。日没後は温度が下がるこの時期、窓を開け放っている1階の療養室には普段以上に兵が集まり、訓練帰りの兵までが窓の外から顔を覗かせている。
「リヴァイ兵長、お疲れ様です」
「何騒いでる」
「ウォルト先生が二つ星の称号を貰うそうですよ」
窓の外から療養室を覗く兵が背後のリヴァイに気付き敬礼すると、療養室に集まっている兵達もリヴァイに気付き、それらの兵達の隙間からリヴァイは中にの姿を確認した。兵の傷の抜糸をしているは同じように隙間からリヴァイを見て会釈する。先の事件後、療養を経て復帰したは事前検診にも壁外調査にも訪れ力を尽くした。元より療養棟の兵達とは懇意であっただが、事件以来一層深まったようにも見受けられる。
「だけどには何にもないのか? 兵団への協力も伝染病の鎮静も、お前だって十分活躍したじゃないか。一つ星くらい貰ってもいいんじゃないか?」
「とんでもありません、私など走り回ってばかりでとても医者の行いではありませんから」
「そんな謙虚な事ばかり言ってると貰えるものも貰えないぞ。俺達が推薦してやるよ」
「調査兵団、怪我人一同ってか? ははは!」
「十代で星を貰うなんて前代未聞だぞ。狙えよ、お前なら出来る」
「私どもの行い含めウォルト先生の功績ですもの、十分名誉なことです」
兵士に次いで格の高い職業が医師であり、医師には功績により三つ星までの称号が与えられる。それによって王政より受けられる待遇にも援助にも大きな差があり、また称号を持つ医師家族は王族・貴族の縁者のみにしか与えられない首都の居住権も得られる為、称号は医師にとって栄誉であると同時に人権でもあった。
「賑やかだな」
笑い声の響く療養室の扉が開くとエルヴィンが顔を覗かせた。突然の団長の登場で室内にいた全兵は驚きリヴァイの時以上に揃って敬礼をする。窓の外からエルヴィンを見たリヴァイの背後にはハンジとモブリットも戻ってきていて「何事?」と近づいてきた。
「、ちょっといいか」
「あ、はい」
呼び出され、は治療の手を止めると廊下へと出ていく。ガラス戸の向こう側で二人はしばらく話し、終えるとエルヴィンの影はから離れていった。
「、団長何だって?」
「あ、先生のことで、祝辞を……」
話し終えても部屋に戻ってこないを案じた一人の兵が廊下に顔を出し問いかけていた。
エルヴィンがわざわざ立ち寄りに言い伝えることなどまるで想像がつかない。疑問に思いながら、リヴァイは療養棟から出て来たエルヴィンが本棟へと向かっていくのに続き歩き出した。
「エルヴィン、何事?」
「ナイルに会食に招待された」
「珍し。何の意図?」
「憲兵団の若手を集めての親睦会だそうだ。まぁ若手と言っても先程のマテウスのような限られた者のようだがな。壁外での話を聞かせてもらいたいと頼まれた。それに医療団から彼女にも同行して欲しいと」
「彼女って、? なんでまた」
「本来の目的はそっちだろう。彼女も、マテウスの名を出したら身に覚えがあるようだったしな」
「へぇー、知ってた? リヴァイ」
「知るか」
振り向いてくるハンジに返しながら、リヴァイは1ヶ月ほど前に訪れたの自宅で聞いた「憲兵の方がよくしてくれても……」という叔母の話を思い出した。
「伯父の力を使って女を口説こうなんて小さい男だね。で、は行くって?」
「断られたが頼みこんだ。今回限りという条件でな。あの様子じゃ、一向に見向いてくれない彼女に八方塞がりなんだろう。最後の手段といったところだな」
「何、エルヴィン意欲的なの? 仲人でもするつもり?」
「滅多とない機会だろ。君も同行するか? ハンジ。いくらでも巨人の話が出来るぞ」
「まさか。パス」
「君はどうする、リヴァイ?」
「……」
本棟に入ろうとしたエルヴィンがリヴァイに振り返る。何を思ってかは分からないがその顔はどこか愉快そうにも見え、そんなエルヴィンにリヴァイは何も返さずに通り過ぎ正面の階段を上がっていった。
数日後、予定通り会食は行われることとなりの自宅に迎えの馬車が来た。
エルヴィンに招かれ同乗するはタイトスカートではあるが白いジャケットにハットと、とても華やかな席に招かれる格好ではなく、さらにマスクまで付けていてはまるで付き人のようにも見えエルヴィンは含み笑った。
「マスク……外した方が?」
「君の好きにしていい。そのままでも十分かわいらしい」
「はい……」
「マテウスとは親しいのか」
「親しいと言いますか、よく検診にいらっしゃいます」
「わざわざ中央から君の診療所に?」
「はい」
「はは」
馬車はさらに首都を中央へと駆けていくが、マスクに覆われたの表情は冴えない。
王都の一角を任されている支部隊長のマテウスとは、先の伝染病が広がり始めた頃に知り合った。多くの憲兵が伝染を恐れて住民の混乱に対応せず病院にすら寄りつかない体たらくの中、マテウスは感染拡大阻止に尽力し医研にも足しげく通った。己の無力さに自責する若い兵士が出会った、未知の病に奔走する若い医師。心が動くのにそう時間はかからなかった。
太陽が壁の向こうへ落ちると辺りはあっという間に暗くなるが、王都も中央になると道なりに火が灯りある程度の明るさを保っていた。馬車は停止し扉が開くと目の前に立派な屋敷が現れる。先に下りたエルヴィンが手を差し出しは恐縮しながらその手を支えに馬車を下りた。
「少し待ってくれ、リヴァイも来ているはずだ」
「え?」
屋敷の中から迎えが来るもエルヴィンは中に入らず周囲を見渡す。
すると少し離れた位置に停車していた馬車からリヴァイが姿を見せた。
「リヴァイさんー……」
「とてもパーティー向きじゃねぇな」
他にも招待され屋敷に入っていく女性達は誰もが己の美しさを主張する華やかなドレス姿。それに引き換え……とリヴァイは傍に来るなりの格好を見下ろすが、はリヴァイもいることに心底安堵し袖に泣きついた。
「リヴァイ、エスコートして差し上げろ」
「と、とんでもありません、私などを連れていてはリヴァイさんの品位に関わりますから……」
「馬鹿言ってねぇで歩け」
恐れ引き下がるの背をドンと押しだし、先を歩くエルヴィンについて二人も屋敷に入っていく。
普段は兵服しか見ないエルヴィンもリヴァイも場に相応したスーツ姿でには目新しく感じられた。
「リヴァイさんが、このような席にいらっしゃるなんて意外です」
「来いと命令された」
「エルヴィン団長にですか?」
「他に誰がいる」
屋敷の中はすでに大勢の招待客がグラスを持ち談笑し合い華やいでいた。
ホールに入るなりグラスを差し出されリヴァイは「あるとこにはあるもんだ」と皮肉る。
各所で賑わうホール内だったが、エルヴィンの登場に一斉に注目し若い兵士達はこぞって握手を求めた。通常、全体的な会議や式典でもない限り他兵団のトップと直接会えることなど無い故にエルヴィンの周辺はすぐに人だかりとなり、ホール内の空気を一気にさらっていった。
「!」
「お招きありがとうございます、マテウスさん」
「来てくれてうれしいよ」
人の波に揉まれる前にエルヴィンから離れ一人免れたリヴァイと賑わいを眺めるの元へマテウスが駆け寄ってくる。その傍にはナイルもついているが、マテウスは先日会った時とは一転した顔でに手に余るほどのバラの花束を託した。それを横目に見るリヴァイはの自宅の食卓に飾られていたバラの花を思い出す。おそらくあれもここから来たのだろうと。
「お前も来るとは意外だなリヴァイ」
「リヴァイ兵士長、先日は挨拶も出来ず失礼しました。マテウス・フォン・ランケです」
「ランケ?」
「マテウスは妻の親戚にあたるから姓は違うんだ」
マテウスはしっかり顔を引き締めリヴァイに手を差し出す。その手にリヴァイも今度は応えた。
「さすが、力強い手です。人類最強の名にふさわしい」
「こいつは調査兵団入りを考えていた時もあったんだぞ。まぁ家系がそれを許しは出来なかったがな」
「本当に尊敬しています、調査兵団の働きと志には」
「……まぁ人間向き不向きがあるからな。世辞の掛け合いなど俺にはとても真似出来ん」
リヴァイの舐め切った嫌味はマテウスには伝わり切らなかったが、ナイルは苦虫を噛むように表情を歪めた。場の空気にも人の空気にも流されない、威風堂々たる減らず口。リヴァイの傍らでバラの花束を持つはそっと俯きマスクの下で笑みを抑えた。その様子をマテウスは見落とさなかった。
「、あちらへ行こう。是非見せたいものがあるんだ」
マテウスはそうを連れ出すと人を掻い潜りホールを出ていく。連れられながらは一度リヴァイを見返したが、リヴァイはこちらを見向きもせずグラスに口をつけた。
ホールから通路に出て、さらにガラス戸を開けマテウスは庭に面したテラスへとを誘った。冷えゆく季節の中でも緑を茂らせ花を咲かせる庭を所どころで揺らぐランプの明かりが幻想的に彩っている。それはまるでが診療所を絵本の世界のように色とりどりのランプで飾ったように。人々の賑やかしい声も遠のいて、マテウスはの持つ花束を従者に預けテーブルに招き、花の香りのするお茶を用意させた。どれもこれもの好みのまま、これまで数少ない会話の中で得たもの達。に捧げる隅々までが好意で溢れていた。
「今日は無理に誘って悪かった。一度でも君をここに招きたかったんだ」
「すみません、お断りするばかりで……」
「いや、君の事情を考えれば当然のことだった。考えが及ばなかった僕が悪かった」
「え?」
「ロルフ・バッハは東の町へ異動させた。君には申し訳ない事をしたと思っている。権威ある憲兵団として恥ずべき行為だ。僕が変わって謝罪する」
「……」
花柄模様の白い陶器のカップに注がれたお茶から立ち上る湯気が白く柔らかく空気中へと解けていく。茶色く揺らぐ水面に俯くは帽子とマスクでその表情をまるで掴みとれない。
「マスクを、取ってはくれないか」
「……」
「僕なら君を守れる。君がマスクをつけなくても外を歩けるように、僕が君を守るよ」
「すみません……」
「何故だ、僕では君の力になれないのか」
「私は、医療の道に生涯を尽くすと決めました。どなた様にも、添うつもりはありません」
「……」
虫の声も遠くの賑わいも、音は確かにあるのに、無に飲みこまれるようだった。
家の明かりも庭のランプも、見上げれば星も月もあるのに、何も映らない。
「……リヴァイ兵士長とは、どういう……?」
ピクリ……神経に触れた。静かに沈殿していこうとしていた湖底の砂が撒き上がる。
「兵士の方は、皆様、尊敬しております」
「……」
分かっていた。好きなものをどれだけ並べても、たとえ世界中の花を贈っても、俯かれては届きやしない。マスクの中に潜んだ真実に触れられもしない。その壁を超えられない自分に余地はないと、分かっていた。
すまなかったとマテウスは席を立ちテラスを出ていった。
冷たい風がそよぐ中にひとり残されたは俯いたまま、指先からマスクの中の表情までが冷え固まるようだった。
「風邪をひくぞ」
そう肩に重くコートがかけられた。
声の方へ目を上げるとそこには思った通り、エルヴィンがいた。
「手間を取らせてすまなかったな」
「……お受けした方が、調査兵団の為になりました?」
「……」
もまた分かっていた。エルヴィンがこんな遊戯に付き合うはずなど無い。
あるとすれば、必ず何かある。そしてそれは必ず、調査兵団へと繋がっている。
エルヴィンはマテウスが座っていた席に腰を下ろすと、懐から煙草を取り出しマッチを擦ると白い煙を吐いた。
「私は調査兵団だけでなく、この世界に生きる全人類をこの戦いに立ち上がらせたいんだよ。憲兵団はその最たるものだ。もはや状況はそんな域にまで達している。憲兵団とのパイプはあるに越したことはない。個人的な繋がりなら尚更だ」
「すみません、お役に立てず」
「何を言う。君はすでに余りある貢献をしてくれている。今日はいい時間を貰った。改めて今の憲兵団は使い物にならないと分かった。若くて力も意気もある兵士はいるが、序列や世襲制が纏わりついて彼らを性根から腐らせている。実に下らない」
「今日は、お言葉が過ぎますね」
「だがまだ可能性はある。世間知らずの子どもはまだ教育の余地がある。善だけでも悪だけでも、正義だけでも優しさだけでもこの世界は変えられない。私はどんな人間にもなる。人を助けも、殺しもする。軽蔑するか?」
「……いいえ。私は兵士皆様、尊敬しております」
カタン、と立ち上がり、は肩のコートをエルヴィンに返す。
「お先に失礼させていただきます」
「ああ。今日は若い兵士と話すいい時間を貰った。礼を言う」
ふと笑むエルヴィンに一礼し、はガラス戸へと向かっていく。
すると再びエルヴィンの声が呼び止め、戸を開けた手を止めては振り返った。
「随分はっきりと断ったな。君らしくも無く」
「同じことを何度も繰り返したくないんです。……それに」
はマスクに手を寄せ、外す。
「私はこの血を、後に残す気はありません」
暗く静かな宵の中、冷えた風が温度を持つ頬を撫ぜた。
夜空を映したような漆黒の瞳なのに、星ひとつ輝きはしなかった。
は再び一礼して戸をくぐり、駆け出したい気持ちを抑え中に入った。
だけどすぐに足を止めた。すぐそこで壁に背を付け腕を組みこちらを見ているリヴァイがいた。
まっすぐ寄こされる視線。は冷え固まっていた表情を崩して目線を逸らし、マスクをつけると足早にリヴァイの前を通り過ぎていった。
「すまなかったな、リヴァイ」
「……」
見えなくなったの背中から再びテラスの方に目を向けると、戸口まで出てきていたエルヴィンがリヴァイに放った。その目を静かに見返し、組んでいた腕を解くとリヴァイはが駆けていった方へ足早に歩いていった。
屋敷を出て、はマスクを押さえながら石畳の道路へと出ていく。
ひと気のある場所から離れればすぐに光が無くなる暗い道にコツコツと足早なヒールの音が響いた。
何故だろう。マスクの中で息苦しい。心臓が激しく打って胸が痛い。
押さえているマスクの上からでも温度を感じるほど頬が熱くなっている。
熱が込み上げ、目に集まり、今にもボロリと零れ落ちそうなくらい。
「」
ぐいと腕を引かれると同時にポタリと睫毛を濡らす涙が石畳へ落ちた。
「……何を泣いてる」
「……」
暗がりでも、見間違うはずのない影。
何と言われても分からないはリヴァイから目を離し、逃げるように歩きだそうとした。けれどもリヴァイの確かな手がそれを許さず、馬車が通る道路から家と家の合間の道へと引っ張り込まれると向かい合い、はどこにも視線を定められず移ろいながら押さえるマスクの中で息を押し止めた。
「どうした」
「……」
まるで追いつめられるようで、は必死に首を振る。
だけど腕を掴むリヴァイの手が俯くをぐいと強く引き上げきちんと向かい合わせると、押さえ込む手と一緒にマスクを引き離されて、再び「なんだ」と問い詰めた。
……一生、こうして生きていくのだと思っていた。
光を与えられ、家族を与えられ、進むべき道を与えられ。
どこまでも続く空を眺めながら、隔たりでも守るようでもある壁を眺めながら。
この世界を、人々の為に。自分の為に。愛する人達の為に。力の限り。
そうして生きていけるのだと。それは希望に溢れた道だった。輝く光の中だった。
「……リヴァイさん……」
なのに。
「リヴァイさん……リヴァイさん……」
どうして。
涙が溢れるのを止められないように、胸の内から内から零れ来るものを、押さえられない。
こんなに押さえこんでいるのに。こんなに閉じ込めているのに。
ドンドン、ドンドンと扉を叩きつけるように、心臓が強く訴えている。
掌で押さえ付けても、息を殺しても、溢れて溢れて溢れて―
「リヴァイさん…………」
春の陽光に照らされ芽吹き、弾けそうなほどに膨らめば、咲かずにはいられない。
冷たく暗い地中で永く永く眠っていたのは、そのためだったから。
「……」
細い肩を震わせ両手で押さえ込むの涙にリヴァイは手を伸ばす。
痛むほど強かった手が驚くほど優しく、は目を開けた。
「巨人がいなくなれば壁も無くなり、この世界は変わるだろう」
「……」
「世間も常識も価値観もすべてが変わり、お前も、俺も、ただ一人の人間でしかなくなる。だから、まぁ……泣くな。もう少し待ってろ」
空から呼ばれるように、は手を離し顔を上げていく。
最後の残り涙が落ちて、夜を吸い込んだような真っ暗な瞳に星が映る。
「俺が世界を変えてやる」
「……」
熱い頬を冷たい指が冷やし、濡れた肌を渇いた掌が覆う。
夜の帳の中なのに、溺れる瞳に光が降りた。
狭い壁の中なのに、変わらぬ時が歩みを止めた。
「リヴァイさん……」
行き先を示す星を掴みたくて、手を伸ばした。
空の果てへと連れて行きたくて、抱き寄せた。
壁に囲まれた小さな世界の、ほんの片隅で。
二つの別の心音が、同じだけの鼓動を踏んだ。