枯れた木々の合間をシュンと飛び抜けていると、向かってくる空気の冷やかさを耳と頬で感じる。吸い込む風は鼻にツンと痛みをもたらし、合間合間の空に圧迫してくるような重い雲を覗き見た。
 右側前方には別の班が飛び交っている。左側にも見える。試行錯誤を経て何度も組み直した索敵陣形はようやく答えを見つけたように穴を埋め始め、だけどもその英知を持ってしてもいまだに巨人の脅威に打ち勝てたと自負したことは一度も無い。大木に突き刺さるワイヤで乾いた葉がハラハラと落ちる。地面に向かって滑空すると降り積もった枯れ葉が舞い上がった。

「リヴァイ兵長、そろそろ時間です」
「ああ」

 飛びながら懐中時計を見た後方の部下の声を聞き、リヴァイはワイヤを巻き取り大樹の枝に着地すると上空へ向かって信煙弾を放った。リヴァイに続いて数名が周囲の木々に着地すると、くるりと反転して進んできた経路を戻っていく。

「リヴァイ兵長?」

 班員達が順に樹から飛び降りていくも、空を向いたまま踵を返さないリヴァイに気付いた部下が呼びかけた。だけど緑のマントに印された自由の翼は翻らず、薄暗い乾いた森の中でジッと立ち尽くしたまま隙間の空を見上げていた。

「雪だ」
「え? ……あ、本当ですね、どうりで冷えると」

 僅かに覗いているだけの空に、風に乗って飛び散る白い粉雪を見た。
 リヴァイは静かに冷えた右手を目前に差し出す。
 空へと向けた掌に細かな細かな白い点がふわりと乗った。
 肌に着いた途端、ジュッと音を立てるかのように溶けて消える。
 どんなに冷えていてもこの手には温度があるようだった。血が通っているようだった。

 早朝訓練を終え本部へと帰還すると、すでに多くの兵が広い訓練場に集まっていた。
 冬を迎え、一から積み重ねた年月がやがて終点に行きつこうとする年の瀬。
 この時期だけは常時閉鎖的な調査兵団もしばしの休暇が与えられる。
 先頭に立ち並ぶ幹部達を筆頭に調査兵団の全兵士が広場に整列し、団長のエルヴィンが登場すると全兵士が一斉に敬礼の構えを揃えた。

「この一年で英霊となった仲間、314名に黙祷―」

 一人ひとり名前が読み上げられるごとに、誰の脳裏にも悲惨な記憶が蘇った。
 巨人に食われた者達。骨を砕き血を流し冷たくなっていった者達。
 忘れようとしても忘れられない。気高き誇りが絶望へと変わる瞬間の表情。絶命の間際なのに強く握ってきた手の力。ポトリ堕ちる最期の一滴の重さ。死に顔の美しさ。

 しばしの沈黙を経て、目を開けた兵士達の表情は堅く引き締まっていた。
 心臓に刃の先を突き立てて、人類の勝利の為、尊厳を取り戻すため、決意新たにこの心臓を捧ぐ。
 そうしてまた繰り返す、戦いの日々。

「これにて閉式する。年始は新年一日、この場へ集合せよ。総員、団長に敬礼!」

 敬礼を返しエルヴィンが降壇すると、全兵士は解散し訓練場を出ていく。
 田舎に帰省する者、街へと繰り出す者。この時ばかりは解放される兵士達は荷物をまとめ和気藹藹とそれぞれの場所へ散っていった。

「まだ訓練か? ご苦労だな、リヴァイよ」

 腰に立体機動装置をつけ直し、再びバサッとマントを羽織ったリヴァイは呼ばれた声に振り向いた。訓練場と門前の道を隔てている柵の向こう側には、上着を着重ねより一層まるくなったウォルトが白髭の下から震えて白い息を吹き出しており、その背後にはレイズも同行していた。

「あんたこそ、このクソ寒い中こんな年の瀬に何の用だ。老体には堪えるだろう」
「ああ、本当堪らんよ。今日になって突然冷え込んだな。今日は挨拶に来ただけだ」
「ご苦労だった。医療団には今年も世話になったな」
「礼儀は払う癖に口の悪さはいつまで経っても治らんの」
「放っておけ」
「それにしても、他の者は帰省しているようなのに、お前は訓練か? 休暇中はどうしてる」
「変わらん。ここにいる」

 門からは制服を脱いだ兵士達が大きな荷物を持って次々と出発していく。
 だが訓練場には今朝までと変わらず体を鍛えている者も多くいた。
 調査兵はおそらくどの他兵団よりもずっと単身者が多い。家族を失い兵団に入った者も、兵団に入ったことで家族と疎遠になった者も多くいる。年に一度の休暇でも帰れない、帰る場所のない者は兵舎に居残り訓練を続けていた。

「休暇に立ち寄る場所も無いとは寂しいことだな。うちに来い」
「いらん世話だ」

 寒い中にジッと佇んでいた間で冷え固まった筋を伸ばし、脇のトリガーを取るリヴァイは奥へと歩き出した。

が帰ってくるぞ」

 空からごおごおと渦巻く風が大気中を巡回し、空にはびこった重い雪雲が思い出したように細かな雪を降らせている中で、寒さに震えるウォルトの言葉にリヴァイは足を止めた。振り向き見たウォルトは肌も髭も呼吸も白く、にやりとした頬にだけ赤味が差していた。


 ようやく冬の寒さが厳しくなり始めた南側領土から数百キロ離れた、北の大地。
 短かった夏はあっという間に過ぎ去り、山から吹きすさぶ寒気が青々とした大地から色を奪い、早々に雪がチラつき始めたかと思えばもう大地は見えなくなっている。一年の大半が雪に埋もれる中、まるで氷のような白壁の城郭の中央にひっそりと佇む治験センター。

「準備は出来たか

 松明を持ったケール医師が白い髭を橙色に染めながら部屋の入口から覗く。扉もない一室の中、燃える暖炉の傍らではここに来た時と同じ衣服を着て「はい」と書き物をしながら答えた。膨大な資料と研究材料に溢れていたはずの室内はすっきりと何もない空間に片づけられている。当初がこの部屋を与えられた時は、研究資料とも備品ともゴミとも判別のつかない何かで溢れていたはずなのに。

「もう出発するぞ。何を書いている?」
「手紙を」
「手紙? もう帰るのにか? 直接手渡したほうが早い」

 いくつもの資料が積み上げられた窓際の机で、そうですねとは笑み返す。
 羽ペンの切っ先にインクをつけ余分を落とすと紙の末尾にサインを入れた。

「ケール先生、これヘルムート先生の研究の現段階でのまとめです。先生にお渡しください」
「お前はそれに携わってないだろう」
「先生がこれを終わらせないと帰らせないって。あとゲロルト博士の実験を手伝ってあげていただけません?」
「博士はこれまで一度も実験に他人の手など触れさせはしなかったぞ」
「ああ見えて寂しがりなんです」
「あのスプーキーすら手懐けたか」
「ここの方はどなたも一様ですよ。これはヤン先生の論文の修正です。こっちはパウル先生の研究、フーゴに引き継がせてください」
「ははは、みんなお前を帰らせまいと必死だな」
「お陰様で、ここ数日ほとんど徹夜でした」

 本来なら二度目の冬を迎える前に帰還する予定だったが、実験、研究、報告書と繰り返す間にまた別の実験、研究、報告書に巻き込まれ、気がつけば夏は過ぎ去って短い秋は目にも止まらず、もう雪深い冬に埋もれてしまっていた。ここに来た時は一緒だったガイは一年目で帰省したのに。これではいつまで経っても帰れないと危惧したは「今年中には必ず帰る」と決断し、それからがまた大変だった。

「あれだけ積み重なってた資料の山をここまで片づけちまったんだからな。本当お前がいなくなるのは惜しいよ」
「最初は大変でしたね。何が書いてあるのかも分からないものをすべてまとめろと言われても、どこから手を出して良いのやら」
「おそらく誰もが嫌がらせのつもりだったろうな」
「分かっていましたよ」
「それらすべてを耐え忍んでやり遂げたお前の勝ちだな」

 お前の勝ちだ。
 聞き覚えのある言葉にはふと笑んで、先生方が心を開いてくれたおかげですと返した。

「お前の荷物はこれだけか?」

 ここにいる間に培った知識を詰め込んだ資料が入った大きな箱とは相反して、の荷物はカバンひとつだけ。はまだ乾かない手紙の上に一枚紙を合わせて折り畳み、封筒に入れるとカバンを開け、中に入ったたくさんの封筒達と一緒に入れた。
 ここでの作業をすべて終え、はひとつ深く息を吐くと正面の窓を見上げた。空から弱く注ぐ陽光でも、白い光りは雪原の表面をきらきらと反射させ、は眩しさに目を細めた。

「珍しい。空が見えるなんて」
「お前の旅立ちを祝うようだな」
「ケール先生、本当にお世話になりました。ありがとうございます」
「おいおい、これが最後みたいな言い方しないでくれよ。俺はまだみんなからを引きとめるっていう最大の任務を受けてるんだからな」

 ふふと笑い返すはカバンを肩にかけ、膝に乗せていた白いストールを羽織って立ち上がる。
 資料の入った箱をケールが担ぎ共に部屋を出ようとすると、石畳の廊下の先からバタバタと急ぎ走ってくる足音が響いてきた。

、セルゲイ先生がモルヒネの研究をやるってよ! だから手伝えって!」

 飛び込んできた若い研究者の声にケールはまた大きな笑い声を上げ、は額を抱えた。


 先を急ぐ馬車が長く続く道を南下していくと、やがて両脇を囲んでいた雪は消えていき、枯れた野原が広がり民家も増えてきた。北の奥地から乗ってきた馬車を途中で乗り換え、さらに進んでいくとようやく壁が見え始め、ウォール・シーナ北側の街、ユトピア区を通過し内地への門に行き着くと、待っていた馬車の中からレイズが姿を見せた。

「それで、研究は手伝わなくてよかったのか?」
「セルゲイ先生はとっても気紛れな人なの。やるやるって言って動き出すまでに半年はかかるわ。モルヒネの医療用開発だって、お願いしたの一年前よ」

 出発した頃にはまだ弱々しかった太陽が空高く昇って、もうすぐ壁の向こうへ沈んでいこうとしている。ずっと馬車に揺られ続ける労力は何度味わっても慣れないが、数ヶ月ぶりに顔を合わせるレイズには話す口が止まらなかった。

「こっちはまだ暖かいわね」
「そうか? 数日前から急に冷え込んで雪もチラついてるぞ。まぁ北に比べれば大したことないだろうが」
「雪の降り始めは怖いのよね。雪が柔らかくて雪崩が起こるの。去年それで雪の中に埋められたわ。すぐに助けて貰ったから良かったけど、凍傷で指切り落とさなきゃいけないところだったのよ」
「切り……そんなの聞いてないぞ!」
「言ってないもの。レイズ心配するでしょ。吹雪で厩舎に閉じ込められたこともあったわ。寒くて死んじゃうかと思った」
「もう、頼むよ……、に何かあったらリヴァイさんに申し訳が立たない」

 ガタガタと揺れる馬車内でレイズが嘆いて頭を抱えた。

「リヴァイさん……元気?」
「ああ、変わりないよ。こんな年の瀬までずっと訓練を続けていた」

 人からその名前を聞いたのは、とても久しぶりだった。
 街中では英雄と称えられるその名も、北の奥地では名前すら届いてこない。
 心の中で語りかけるばかり。ペン先で形作るばかり。

「リヴァイさんはずっとお前のことを気にかけてくれてたよ」
「本当?」
「ああ。なのにお前が手紙のひとつも書かないから、僕が申し訳なかったよ」
「手紙は……書いてたんだけど」
「書いてたのに出さなかったのか? どうして」
「……」

 王都を回り、馬車は南側の郊外へと抜けていく。
 年の瀬で人通りの少ない街中を走る馬車は予定よりも早く家に到着した。
 雪深い北部に比べてずっとリヴァイのいる場所へ近づいた。
 なのに、何故だろう、心と一緒に表情も雪雲のようにだんだんと重く曇った。

「どうしたそんな顔して。すぐリヴァイさんにも会えるんだぞ」
「うん……、少し怖いの」
「怖い?」
「それに、駄目なの。ここのところ寝てなくて、こんなひどい顔でリヴァイさんに会えないわ」

 馬車を下り、重い箱を運び込むレイズに扉を開けるは、肩に被せたストールで口元を覆う。
 その小さく俯けた黒髪の頭をガシッと掴んだ、大きな掌。

「十分綺麗なツラだが」

 すぐ鼻先で覗きこんだ、瞳の奥まで差し込む目が、脳より先に胸を射ぬいた。

「リヴァイさ……」
「元気そうだな」

 開いた扉の向こうから伸びるリヴァイの手が、滑るように髪を辿って冷えた頬を覆った。
 幾度も昼夜と季節を繰り返した年月は不安をもたらし、掴みづらいリヴァイの心を思案して恐怖すら抱いていた心が、あまりにあっけなく崩れた。後ろで、荷物を抱えたままのレイズが満足そうに笑った。

 久々に家族の揃った食卓は賑やかなものだった。
 ウォルトの酒がすすみ、叔母家族の笑い声は家の外にまで響き、レイズがリヴァイに酌をして、が食事を取り分ける。年の瀬とあり近所からも多数挨拶に訪れの帰宅を喜び、賑やかなままに夜は更けていった。

「ケールがこれからもたまにはを寄こしてくれと言ってたぞ」
「もちろん協力はするけど……行くのは駄目よ。あそこは一度踏み込んだら一年は抜け出せない魔窟だもの」
「ほんと立派になったわねぇ、うちに二人も星を持った医者がいるなんて鼻が高いわ」
の一つ星の授与式、リヴァイさんも見てくれてたんだぞ」
「え、本当?」
「ツラを隠した女が星を受け取っていたな」
「あ、あれは……」
「はは、バレてるぞ

 賑やかな食卓は部屋の各所のランプよりも、暖炉の炎よりも明るく、外の寒さなど感じさせなかった。片づけを終えると叔母家族は帰っていき、酔いしれて心地よく眠ってしまったウォルトをレイズが担ぎ部屋へと連れていった。

「じゃあ僕ももう休むから」
「え、お茶は?」
「僕はいいよ、おやすみ」
「ちょっと、レイズ……」

 レイズはすぐに戻ってきたが、そのまま自室へといなくなってしまった。
 ティーポッドからは温かい湯気が香りたって、三人分のカップを用意していたのに。

「座ったらどうだ」
「は……はい」

 食卓より奥のソファにかけるリヴァイに呼ばれ、トレイを持ったまま立ち尽くしていたはソファに寄っていった。テーブルの前でしゃがみカチャンとトレイを置いて、ポッドから熱い紅茶を注ぎ入れ左側にいるリヴァイの前へ差し出す。リヴァイは静かにそれを口にするけど、は急に次に何をすればいいのか分からなくなった。さっきまではたくさん人がいて賑やかで、色々な思い出話も世間話も口をついていたのに。二人だけになり室内が暖炉の燃える音しかしないほど静かになってしまうと、途端に言葉が浮かばなくなって、えーとえーとと考えて、自分のカップにも紅茶を注ぐことを思い出した。

「エルヴィンがお前によろしくと言っていた」
「あ、エルヴィン団長、そうですね、一度ご挨拶に行かないと。皆さん、お変わりありませんか」
「皆さんと言われると困るがな。変わりないヤツも、変わったヤツもいる」
「……そうですね、すみません」
「まぁ幹部連中はウンザリするほど変わりはない」
「リヴァイさんも、お変わりなく本当に良かったです」
「この年になりゃ二・三年経とうが何も変わらん」
「一年九ヶ月です」
「細けぇよ」

 リヴァイの間髪のない言葉でにようやく笑みが戻った。
 食事の間も賑やかで話しが尽きず、顔を隠すことも無く昔よりずっとはっきりと笑うようになった。
 けど、笑っていても話していても、その目がしっかりと向き合わないことを、リヴァイは気付いていた。

「こっちを向け、

 注いだ紅茶を口にも出来ず、ピタリと笑みも止められた。
 リヴァイはずっとまっすぐ見ているのに。最初に目を合わせた時からずっと、まっすぐ見てくれているのに。


「駄目……なんです」
「何がだ」
「……笑ってないと、話してないと、とても……」

 各所に散らばるランプの光に囲まれて、俯き影を作るは次第に言葉も詰まり、うまく呼吸も出来ず、黒い瞳に光を滲ませた。楽しく笑ってはしゃいで固く押し込んでいた栓が、弾け飛んでじわじわと溢れ出てくる。一度じわりと滲むともう抑えられず、零れそうな涙をは呼吸ごと押さえこんだ。そんなの傍に、リヴァイはソファから降り押さえる手をぐいと引き寄せた。涙を止めるのを止めさせた。

 ようやく混じり合った目は、思い出の中とは微妙に重ならない。
 多少引き締まり大人びた頬のライン。耳にかかるほど伸びた前髪。
 長い年月が経っていた。寄り添うことが下手な二人には遠過ぎた、一年九ヶ月。

「リヴァイさんがいるなんて、嘘みたい……」
「手紙のひとつも寄こさなかったヤツがよく言う」
「だって……、最初は本当につらくて、書こうとしても、リヴァイさんを思うと、涙しか出てこなくて……」

 何度も何度も、夜ごと机に向かった。ペンを持って名前を冒頭に記すけど、それだけで気持ちが溢れてペン先が動かなくなって、インクが溜まって真黒になって、書き直そうと新しく紙を取り出すけどまた同じようにペンは動かなくて、涙で紙を駄目にして……。
 極寒の大地での生活は不慣れで、研究と実験に没頭する変わり者ばかりの研究者達との日常はさらに困難で、体力が削られ心が削られ、夜も眠れず息をするのも辛い毎日が続いた。白いストールだけが心の落ち着く唯一の場所で、けれどもどんなに呼んだって願ったって、触れようとすれば目が覚めてしまう。夢の中でさえ慰めてはくれなかったのに。こんなに触れられるほど傍にいるなんて。

「手が濡れた」
「え……?」

 リヴァイはの頬をこすり、湿った指先を実感する。
 肩下まで伸びた髪を指に絡め、頬を覆って掌で温度を感じ、鼻筋から口唇を指先で辿って形と柔さを染み込ませていく。

「本物だな」
「……」

 肌の質感。包み込む匂い。発し続ける心音。耳から脳へ浸透する声。
 抱きしめて、ようやく実感する。
 夢とは違う。本物だ。

「……お前が居なかった間に、思い知ったことがある」

 抱き締める力がひとつ強くなる。
 声の振動をそわりと肌に感じながら、は見えないリヴァイに目を向けた。

「お前がいない時間はつまらねぇな。おそらくそれを……寂しいというのだろうな」
「……」

 また、じわりと瞳を涙が覆う。ランプの光が反射する以上に、世界は七色に煌めいた。
 私も……。返したい言葉は声にならず、出来たのはぎゅと強くリヴァイの肩を抱き返すことだけだった。ようやく置き去りにしていた時間が現在に追い付いた。それはこの先の、未来永劫にまで続いていくようだった。

 何葉も書き続けた手紙の中に、ただひとつ、はっきりと描けた言葉があった。
 まるで特別なものではないのに。いつだって心にあったはずの言葉なのに。
 それが心からペン先に移り紙に乗った途端……心の中から不安が消えて、信じる心に自信が戻り、雲に覆われた夜空にも星が想像できて、消えかけていたものを取り戻せた。
 それから、手紙をかけるようになった。その言葉をしたためている間は、穏やかにその姿を想うことが出来た。

 いつも貴方を想っています。
 届くことのない手紙に何度もしたためた。
 いつも貴方を想っています。
 それだけで私は、私を誇っていられた。
 

未知らぬ夜に

百葉の手紙