「北で暴動?!」

 診療の合間のレイズを呼び寄せの所在を問うと、予定通り壁外調査の翌日から北へ出発していてまだ帰っていないという。最北の地で起きた暴動の話はウォルト邸には伝わっておらず、レイズは思わず大きく発してしまった声を手でバッと押さえた。

「俺は今から北へ向かう」
「僕も行きます!」
のことは任せろ。必ず連れ帰ってやる」

 時間を惜しむリヴァイはレイズの言葉も待たずすぐに診療所を出た。

「リヴァイさん、これはそれとは関係ないですが……、先日の調査の後、の様子がおかしかったんですが……何か心当たりありませんか?」
「……、いや」

 調査の後とは療養棟で別れたきりで、その時は普段通り、異変はなかった。
 ……けれども、様子がおかしくなるような事態が起きるとすれば、心当たりがないわけでもない。

「すみません、あの子はどうにもワガママで、ご苦労をおかけしてばかりで」
「あいつに不備はない」
「はい……。どうか、よろしくお願いします」

 必ず無事に連れ帰る。
 その言葉だけ確かに残し、リヴァイは静かな街に荒々しい蹄の音をたてた。

 王都を抜け再びウォール・シーナを出るとさらに北へとひた走り、しばらく行くとマントだけでは防げないほど風が冷たく突き刺さるようになってきた。次第に空は曇り細かな雪が当たりだす。リヴァイはぶら下げていた防寒具を被り、いくつもの街を通り抜けていった。
 調査兵団本部のある南側にはもう春の気配が訪れているが、最北の地はまだ土地も家も雪に埋もれる極寒だった。そんな白銀の大地で山の麓にある治験センターは、まるで要塞のような佇まいで世界を静観するよう。
 雪を掘ったような道が建物まで一直線に伸びており、けれども道は建物に近付くほどに黒く泥と混ざり汚く踏み荒らされていた。こんな隔離されているような場所で暴徒に囲まれれば逃げようもない。先着したハンジ班の姿を確認したリヴァイは憲兵と話すハンジの元へと案内されていった。

「状況は?」
「暴徒はもう憲兵が鎮圧しこの地の審議所に収容されているそうだ。抗戦したセンターの医師も数名連行されたようだが、はその中にはいない。大半が憲兵の呼びかけに応えずいまだセンターの中に籠っているそうだよ。巨人の有無も確認できていない」
「何故中の者は出てこない?」
「暴動が治まったのならもう関係ない、これ以上我々の邪魔はするなって声明があったそうだ。ここもとんだ酔狂者の集まりのようだね」
「お前に言われちゃ世話ねぇな。暴動の理由はなんだ」
「今回起爆となったのは、近くの村の若者が珍しい病気にかかり、その治療を申し出たセンターが新しい薬を試したところその若者が死に至ったという事があったらしい。以前から治験と称し多くの人を薬漬けにしたとか解剖の為に墓荒らしをしたとか問題は多々あったらしいけど、今回の暴動についてはその件が発端だ」
「元々膿が溜まっていたわけか」
「で、さっきから中へ入れてくれって頼んでるんだけど許可してくれなくてさ」

 センターの入口は頑丈な岩壁に囲まれ風は遮られているが、足元から忍び寄る冷気が体を蝕みじっと立っていては凍えてしまう。木組みの中で燃え盛る炎の傍から離れられない憲兵達は、昨日からの疲れもあり誰もがもう帰りたいとぼやいているが、この現場を統括している憲兵団の班長は撤退することもなく入口前の待機を続けていた。

「アンタが、あのリヴァイ兵士長だと?」
「彼の力は聞き及んでいるだろ? 巨人が本当にいたとしても我々には対処出来る体勢が整っている。だから中へ入れてくれないか」
「ふん、噂は噂でしかないようだな。許可など出来ん」

 巨人の確認を大義名分にセンター内への進行を申し出たハンジだったが、班長の目は後ろのリヴァイに定まり疑い深くマジマジと見下ろし鼻で笑った。

「ここが壁外ならお前はもう死んでいるだろうな」
「何?」
「ノロマは生きて帰ることも逃げ回ることも出来ずに喰われて死ぬ。この奥に巨人がいりゃ、それが数分後のお前の姿だ」
「巨人など、追い詰められた愚か者達の嘘に決まっている。こんな北の地にいるものか」
「そんなことが起きるはずがない。それも死ぬには十分過ぎる見解だ。愚図と遊んでいる時間はない。俺達だけで進ませてもらうぞ」
「貴様……、そんなことは俺が許可しない。ここは壁外ではないんでな、調査兵の出番など無い。とっとと壁外へ帰れ」
「奇遇だな。俺もお前の許可など必要ない」
「おいお前!」
「まぁまぁ! 何が起きても我々が責任を取るから、ね!」

 リヴァイは燃え盛る炎の方へと近づいていくと、一本の松明を取り奥へと入っていった。怒る班長を押さえ、ハンジ班も松明を手に取りリヴァイに続いた。
 鈍い足音は響く前に大気に吸収される。奥から吹き抜けてくる風は松明の炎を大きく揺るがし、風に乗って何か異様な匂いが鼻を突く。昼間でも暗い通路をリヴァイとハンジ班は警戒しながら奥へと進んでいった。途中いくつか部屋があり、ハンジらはそれを一つずつ覗いていくが、誰かがいた痕跡はあるものの人影はない。

「私たちだけでこの中をすべて見て回るのは大変だな。はどこにいるんだろう、叫んでみる?」

 寒さに声を震わせながらハンジは首元をぎゅっと締めつける。
 その傍でリヴァイはレイズの言葉を思い出していた。先日の調査の後、が酷く取り乱していたこと。

「リヴァイ兵長?」

 暗い中で名を呼ばれ、警戒を強めるハンジ班達の先頭でリヴァイはその方へ松明を向けた。前方に人の気配は伺えない。前ではなく足下からゴトゴトと重い石が動く音がした。床の石畳の一片が開きその中から黒い影がもそりと頭を出した。

「ハンジ分隊長まで、どうしてここに?」
「ガイか」

 床から上半身を出した人とも判別の付かないそれは、頭の先まで分厚い防護服に身を包んでおり、暗闇の中でその姿はまるで未確認生物や物の怪の類だった。頭から被ったマスクを外し敬礼をするガイは格好と姿勢が噛みあわず、恐怖を煽るこの暗闇の中ではこれを巨人と誤解しても仕方ないと思った。

「巨人がいる可能性があると聞いてきた。お前は見たか?」
「巨人? いいえ、ここにはいないと思いますが」
「えっ、いないの!? なぁーんだぁー……」
はどこだ」
はもっと地下の奥にいます。セルゲイ先生の研究室に」
「セルゲイ?」
「ああ、このセンターの総責任者のセルゲイ医師だね。憲兵の話だと、今回の暴動の元凶だとか。ああ、実験したかったなぁ……」
「分隊長、落胆しすぎです」
「セルゲイ先生には自分も会ったことがないんです。セルゲイ先生は薬学の権威で、ずっと地下に籠って研究していて、ここの職員でさえほとんどの人間がもう何年も姿を見ていないくらいです」
「お前みたいなヤツだな」
「私は地下に籠ったりしない。巨人がいないじゃないか」
「けどリヴァイ兵長が来てくれるなんて、も安心します。に報せてきます」
「私達は地下へ行けないの?」
「ここの地下は危険なんです。いろんな薬品が気化してて、マスクがないと匂いで鼻がもげそうになります。この先をずっと行くと大きな扉があります。そこまで進んで待っていてください」
「ええ、残念だなぁ。色々見てみたいのに。マスクしたら中に入れる? 私のマスクを用意してよ」

 頷くとガイはマスクを被り、地下に潜ると石畳の床を閉ざした。
 まるで建物全体が外敵を警戒した迷宮のよう。ハンジは愉快気に目を輝かせ先へと進んだ。
 通路を奥へと進んでいく途中、リヴァイは背後に気配を感じ振り向いた。明かりや姿は見えないが、誰かいる。

「リヴァイはこんな暗い中でも感覚がよく利くね」
「俺もこんなような所にいたからな」
「けど貴方のいたところは地下でも街だったんだからもっと明かりがあったでしょう。君、明かりが無くてもこんな道歩けちゃうんじゃない? あんな格好のガイだって声を聞いただけで分かってたし」
「何が言いたい」
「いや、貴方も光を見てもう何年も経つのに、感覚ってのは無くならないものなんだね」
「……」

 奥へ奥へと歩いていくと天井までの大きな扉に行き着き、リヴァイ達は足を止めた。入ってきた所よりずっと温度は上がっていて、床や壁の石畳の隙間がぼんやりと緑色に光っている。これはなんだろうとハンジが光に近づいていくと、それはコケだった。発光するコケとは。ハンジは腰のカバンから小瓶を取り出すと中にコケを落としキュッと蓋をした。
 しばらくすると向こう側から扉が開けられ、暗い通路に光が差し込んだ。隙間からかんぬきを外したガイが見え、招き入れられると中にはの姿があった。

! 無事で何よりだよ」
「こんな所までわざわざ……。すみません、巨人などと、誰かが憲兵の進行を阻もうと咄嗟に口にしたんだと思います」
「まぁこうして君の無事を確認できたんだからよかったよ。それにしても、このあたりだけ随分温かいね。湿度もかなりある。上着も要らないくらいだ」
「火山が近く、ちょうどこの真下から地熱で熱された水が沸いてるのでそのせいだとか」
「それならこんな極寒の地でも研究に没頭できるわけだよ」

 は白衣の下に着込んでいるものの、憲兵や自分たちのような分厚い防寒具はない。それでも問題ない程この中心部は温かかく、ハンジは上着の前を開けながら羨ましげに温度を持つ床の石畳に触れた。
 は暖炉の上のポットからティーポットに湯を注ぎ、テーブルにカップを配る。通路の奥を見つめながら扉を閉めるリヴァイにもはテーブルに誘う。マスクの中で変わらず瞳を和らげるにレイズが言ったような不穏の様子などなく、普段通り。けれどもそれはそれでリヴァイには気になった。異変という程でもない微弱な違和感だが、その顔は落ちつき過ぎているように思え、この状況でここまで来た自分達に見せる顔はこれではないのではないかと。

「けど暴動だなんて、よく起こることなの?」
「いいえ、普段は周囲の住民も近寄りませんしとても静かなものです。私達もここに到着してすぐにこんな事になってしまったものだから、驚いてしまって」
「すぐに憲兵が駆けつけたんだろ? どうして出ていかなかったの?」
「ここの先生方はご自分の研究に頭がいっぱいで、外の事にはどうも……」
「なら何故お前はここにいる?」
「え?」
「暴動が起こり、暴徒と一緒にここの者も数名連れて行かれたが、他の研究者達は研究の為に中にとどまっている。ならお前はここで何をしてる。憲兵にも話を通さず暴動を放置したまま、お前はここで何をしてるんだ」
「……」

 テーブルで話す二人の会話にリヴァイはハンジの背後から口を挟む。
 はその方へ目線を上げるも、リヴァイの眼には重なりきらずにいた。

「あの、は、セルゲイ先生の手伝いを。先生は気難しい方で、助手さえ滅多に取らないものだから手が足らなくて、それで」
「それで、その研究とやらが終わるまでお前も一緒にここに籠ると?」
「いえ……」
「この暴動は、暴徒が鎮圧されて終わりという問題ではないんです」
「え、どういうこと?」
「このセンター内は、今も地下で研究をしているセルゲイ先生と、副長のロブ先生とで派閥が分かれています。ロブ先生は医研とも理解を深め、近隣の方にも誤解のない医療研究をするように、このセンターをもっと世間に認められるものにしようと善処なさっておられる方です」
「いいことじゃない」
「ええ。総責任者であるセルゲイ先生は、どうにもそういう……人道がおろそかになる方で、これまで何度も問題視されてきた、人体実験や、遺体の廃棄などについての指摘が止まず、お二方は次第に立場を二分していきました。セルゲイ先生はこれまでの研究や医療発展の功績でこのセンターを建設なさったほどの方なので、以前は支持する者も多くいたんですが、近年は研究結果の発表も無く姿を見せることも少なくなり、先生を支持する医師の数は激減していると思います」
「つまりこれは暴動ではなく革命だということ? そのロブという医師派の」
「ロブ先生はこの暴動が起きた時に真っ先に外に出ていったので、暴徒と一緒に憲兵の方に連れていかれました。その後ロブ先生の身を案じて多くの方が続々とセンターを出ていっています」
「今も中にいるのはセルゲイ派か、誰にも属さず研究を続けている者か」
「定かではありません。以前、セルゲイ先生の助手が研究結果を持ち出し別の研究チームに流したということもあったそうで、それ以来セルゲイ先生は本当に信頼のある者以外、誰も助手を取らなくなってしまいました。この地下奥の、先生の研究室にいる者だけが、先生を本当に支持し先生も信頼なさっている方達です」
「ま、中の様子を探るために分子を残しておくのは当然か」

 カップに手を伸ばすハンジだったが、それはリヴァイ兵長のお茶ですと隣のモブリットが止めた。どうするリヴァイ? ハンジが椅子の上でクルリと背後のリヴァイに問う。

「俺達には関係のない話だ。余所者が突いていい問題でもない」
「そうは言ってもに何かあったら困るだろ? この件でセンターが審議にかけられたらだってそうすぐに戻ってこないだろうし。とにかく私は憲兵に現状を聞きに行ってくるよ」
「自分も残ります」
「じゃあモブリット以外は帰還してエルヴィンに報告してくれ。巨人はやはり誤報だったとね」

 ハンジの指示に呼応して班員達は部屋を出る。ハンジとモブリットも立ち上がり再び上着を着込むが、その傍に座るのマスクの中の口は静かで、その目もいまだはっきりとリヴァイに向くことはない。

、お前はどう思ってるんだ。この暴動の終着点はどこにある? お前はどうなるべきだと思っているんだ」
「……」

 リヴァイの問いかけに周囲の目がに集まる。
 すると、コンコン、コンコン、と部屋の中にノック音が響いた。

「中に誰かいるか? 私だ、ロブだ。開けてくれ」
「ロブ先生……!?」

 椅子から立ち上がり、ガイはを見る。
 に促されガイは扉に駆け寄り扉を開けると、開く扉の向こうから髪を後ろで束ねた体格の良い男が室内に踏み入った。調査兵と奥のを見渡すロブには立ち上がり一礼した。

「ロブ先生、解放されたのですか?」
、来ていたのか。いつ着いたんだ?」
「暴動が起こる前に到着していました。ご挨拶もせずにすみません」
「いや、それどころではなかったからな。それより、憲兵団からセンターを審議にかけると通達がきた。セルゲイに出頭命令が出ている。私も同行する」
「審議とは……」
「内容は先日セルゲイが行った病の患者への処置について。他にも兼ねてから問題視されていた事柄についてもセルゲイにはここの責任者としてこの問題を直視し、暴徒となってしまった者たちへの説明と相互理解を図る義務がある。そもそもあの若者への治療内容もセルゲイでなければ説明ができない。他の者はそれに携わってはいないからな」
「処置方法についてはセルゲイ先生のご意思と共に私が把握しています。審議には私が出頭いたします」
「君が? 君は昨日ここに来たばかりだろう。ここにいたのもほんの一・二年足らずだ。そんな君に託すセルゲイの、この件に対する重要性と危機感の薄さが問題だ。下がっていなさい」
「先生は研究が終わるまで研究室を離れることは出来ません。私が承ります」

 地下への道へ通じる扉の前に立ち、は傍まで歩み寄るロブを見上げる。

「君は、医師としてセルゲイの罪を許せるのか」
「……」
「医療研究は何を犠牲にしても進めるものだ。それが人類の確かな救いとなる。だが、セルゲイはもはや医師として患者を診ているとはいえない。説明もおろそかに患者に新薬を投与し死に至らせる。それはもはや治療ではなく暴力。医療ではなく、試したいという欲求に侵された狂人だ。もう彼に人の心はない」

 どきなさい。の肩にロブが手を置くと、静かな部屋に荒々しい足音が近づいて憲兵が乗り込んできた。その袂にはサーベルが所持されており、参考人を連行するにはあまりに仰々しい。けれどもはロブの手を掴み、地下へ向かおうとする足を止めさせた。

「私が承ります」

 確固たる意思に満ちるロブの進行を止め、はマスクの中で淀む口唇を噛み締めた。

「セルゲイだけでなく、このセンターの存続をも背負おう審議だぞ」
「はい」
「……いいだろう。君が医師としてセルゲイを支持するというのなら、審議でセルゲイの潔白を証明してみろ。我々はこの世界に生きる民達の為にあるべき存在、それを民達がどう受け止めるのか。君が使命を果たせなければ、分かるな」
「はい」

 ロブは引き返し憲兵と共に部屋を出ていく。
 ガイの手から上着を取り袖を通すも憲兵に連れられていった。

「いや、驚いたな。急にどうしたんだは」
「彼女なら、医師としての意見はあのロブ医師と似通っていると思うんですが……」
「とにかく審議に行こう。リヴァイとガイも行くだろ?」

 出ていったをハンジは追いかけようとするが、歩きだそうとしないリヴァイに振り向き足を止めた。

「ガイ、あいつは何を言っていった」
「え……はい、誰も地下へは行かせるなと。自分はここに残ります」
「……」

 リヴァイは気付いた。
 が上着を着ている間、ガイに何かを託ていった気配を。

「ハンジ、審議は任せる。俺は残る」
「え、なんで? いいけどさ」

 上着を着込みハンジとモブリットが出ていくと、リヴァイは今さら椅子に座りカップを手にした。
 もう湯気も失せぬるくなってしまったお茶。普段が淹れるものとは違う味。
 あの扉の奥、地下深くにいる人間は、こんな味わいを好むのだろう。

 

未知らぬ夜に

Merry X'mas & Happy Birthday 2014