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夏の終りにそよぐ風詩

弓月昇る空高々に ふと 逢いたくなるの ホイッスル! 三上亮連載
武蔵森学園高等部で、共学設定です。
シナリオ上、ヒロインの苗字は「三浦」で固定しています。

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番外編

02

去年のこの頃も、私とあいつはこうして前と後ろに並んで座っていた。
それは私の苗字が三浦で、ヤツの苗字が三上なせいだ。
だから私たちは「同じクラスになる」=「必ず前後ろの席になる」のだ。


「どうだった?」
「疲れた。5年くらい生きた気がする」
「っはは、年とったねー」


高等部に進んで校舎も寮も変わった。
中等部の卒業式が終わった後で高等部の寮に荷物を移動させておいて、春休みが明けた時に高等部の寮に移り住む。入学当初は教材と生活用品と多少の衣服だけだったのに、中学3年間で荷物は莫大に増えていたから移動は楽ではなかった。
その際、女生徒の多くがうらやむことが、男子生徒の手伝いだったりする。仲のいい男の子に荷物運びを手伝ってもらったり、彼氏に部屋の片づけを手伝ってもらったりする光景があちらこちらで見られるのだ。男子が女子寮に入れるのはこんな時だけなので、きのうはハイテンションな男の子たちが堂々と女子寮を闊歩していた。

……私は、自力で全部運びきりましたとも。

入学式とホームルームだけの学校が終わって寮に帰ってきた自室、恐ろしく疲労しきった私はベッドに倒れこんだ。そのすぐ後にドアをノックする音がして、返事をするとユウちゃんが顔を覗かせ入ってくる。ユウちゃんは購買で買ってきたらしい両手のお菓子を床に置いて座りジュースをひとつ渡してくれる。ユウちゃんなりに気にしてくれているらしかった。


「もう仲良くしゃべっちゃえば? どーせまた1年同じクラスならそのほうが楽じゃん」
「絶対に嫌。もう顔も見ない口も利かないって決めたの。何があったってムシしきってやる」
「今日は? なんかあった?」
「べつに。ずーっと後ろの席に座ってて入学式の間もずーっと隣に座ってただけ」
「うわぁ、生き地獄だね」
「ほんと、もうヤダよー。春になればさ、クラスも別れて話すことも会うこともなくなって、ちゃんと忘れて別に好きな人とか作って明るく楽しく過ごせると思ったのに、なんでまた同じクラスでしかもまた後ろの席なのよっ!」
「そりゃアンタ三浦と三上で間に誰か入るほーがなかなかないっての」
「なんで8クラスもあって同じクラスなんだ!」
「縁があるんだね」
「やめてよっ」


バンッと床を叩いた力があまりに強くてユウちゃんはゴメンと謝った。これは冗談でも笑い話でもない。私は本気で同じクラスにした先生の誰かとこんな苗字の人に嫁いだお母さんを恨んだ。

でも誰より何より、この胃を蝕むようなストレスの発端はあいつだ。あいつがいる限り私に平穏はやってこないし、ましてや楽しい高校生活なんて遠い夢物語だ。もう、あいつが同じクラスでさえなければ他の何が運悪くったって構わないのに、面倒な役だろうと責務だろうと背負ってやるのに、どうしてお願いだからそれだけは避けてくれと願ったことが起きてしまうのだろう。この世に神はいないと真剣に思った。


「そりゃ浮気なんて最低だと思うけどさ、世の中結構いるんだよ、フツーにそういうこと出来ちゃうやつって」
「最低。世の男はみんな最低」
「もうさっさと忘れて次いけばいーじゃん。誰かと付き合いなよ。そしたら三上なんてあっという間に忘れるよ」
「もういい。彼氏とか、いらない」
「そー言ってもさ、あの三上だよ? 高校上がってさらにモテまくるよー? アンタがそんな意地になって恨んでる間にもあいつはさらっと別の誰かと付き合っちゃったりするんだよ。そしたら不幸なのアンタだけじゃん」
「……」
「忘れなって。別の誰か好きになって付き合ったらもっと楽になるしもうあんなのどーでもいーやって思えるからさ」
「ん……」
「アンタはもう十分傷ついたんだから、これ以上苦しむ必要ないよ」


開け放した窓の向こうから誰かの部屋の音楽が流れ込んでくる。ユウちゃんが私の顔にティッシュをあてて、床にぽたぽた落ちた雫も拭いてくれた。

今日一日、久々に見たあいつは私のことなんてまるで気にしてる様子は見られなかった。そりゃ私が目を合わさないから向こうがどんな顔をしてるかなんて分からないけど、教室にいる間はずっと友達と笑ってたし入学式の間もずっと寝てたし、たぶんきっと、あいつは私と同じクラスで面倒だなくらいに思ってるだけで、何も気にしちゃいないんだろう。
涙を流しすぎて苦しくて寝れないことなんてないだろうし、やっと眠れても見る夢全部にうなされることだってないんだろうし、1ヶ月近くごはんが上手く喉を通らないことだってなかっただろうし、ストレスで倒れて病院にまで行くこともなかったんだろう。

私だってこんな思いを経験するなんて、武蔵森に入学したときも、あいつと出会って付き合った時だってまったく思わなかった。
何かと目立つあいつはもちろん知ってたしカッコいいとも思ってたけど、べつにずっと想っていたわけじゃなく、中3で初めて同じクラスになって席が前後で話すようになって、仲良くなって、でもあいつはあの容姿でサッカー部のエースだから上下同級生わけ隔てなくとにかくモテまくってて、だから、好きにはならないでおこう、友達のままでいようって思ってた。

あいつが私に話しかけるたび、笑顔を向けるたび、触れるたびに私の中であいつの存在がどんどん大きくなっていっても、私は他のたくさんの、あいつを好きな女の子のひとり、にはなりたくなかったから、何もないように、何も思ってないようにしてた。私はまだ、はっきりと恋なんてしたことがなかったから、その気持ちを分からないままにしておくのはそう難しいことじゃなかった。

私がはっきりとあいつが好きなんだって思ったのは、中3の夏休みだった。
1学期が終わって夏休みに入ってもサッカー部は試合があるから全員学校に残っていて、一般生徒だけが次々家に帰っていって、私も同じように帰ろうと寮を出て、そしたら寮の前であいつにバッタリ会って、バイバイ、試合がんばれよって手を振ったらあいつは振り返しもせずに私の手を掴んで、不躾にマジックを取り出し何かを書きつけた。


『うわ、ちょっと! 何すんの!』
『お前言ってもどーせ忘れるだろーから書いてやってんだよ』
『はっ?何を、てかマジックだし! サイテーやめてよー!』


ぎゃあぎゃあ騒ぐ私の手をあいつは放さずに何かを書き付けて、書き終わると満足気にぽいと私の腕を放した。太い黒字で掌から手首にかけてでかでかと何かを書かれ、半泣き状態で何を書かれたのかと見てみると、そこには数字が並んでて、どうやらあいつの携帯番号らしかった。


『俺のに番号残しとけよ、じゃーな』


そのままグラウンドのほうへ行ってしまったあいつの足取りは軽かった。いつも暑い暑いと太陽に文句言っていても、夏の陽ざしはあいつの味方のようだった。

そうして、心の中に隠したものは、押さえる術をなくして流れ出た。あいつが私を周りの子同様に友達として見て友達として接しているうちは私もそれを返すことが出来ていた。でもあいつが、会うたびに私を見るから、いくつかある席の中で私の隣を選ぶから、事あるごとに私を構うから、私のうぶな心はすっかりとあいつの手中へ落とされてしまった。

夏休みは嫌になるほど長かった。外じゃセミがみんみん煩く、テレビじゃ高校野球が大騒ぎで、目の前の宿題は減らないいつも通りの夏休みなのに、あんなにも夏休みが長く感じたのは、さっさと終わってしまえばいいと思ったのは初めてだった。

会いたくて会いたくて、たまらなかった。
でもあいつがくれた番号にかけることは、どうしても出来なくて、したいけど出来ない、終わって欲しいけど会いにくい、今まで15年生きてきた中で一番長く感じ苦しんだ夏休みだった。

そして、夏が終わろうとした2学期の始まりの前日。
結局貰った番号は活用出来ないまま寮に戻って、若干涼しくなった夏の夜、会いたいけど会いにくい、でも明日になれば確実に学校で会う、でもそれが嬉しいような怖いような、なんて。……恋をするということは、本当に疲れる。

とにかく電話出来なかったことをどう説明しようかと悶々悩みながら食堂へ向かっていたら、突然うしろからバコっと殴られて、なかなか痛かった頭を押さえながらバッと振り返ったそこに、


『男でも出来たか』
『みっ……、はっ? なにいってんのっ?』


そりゃあ怒った顔で私を見下ろすあいつがいた。あいつは普段から怒りっぽいけど、その時は無駄に落ち着き払っててそれが逆に怖かった。


『男出来たのかってきーてんの』
『だから、なんで、そんなの出来るわけないじゃん』
『……じゃー聞かせてもらおーじゃねーか』
『な、なにを?』


私を殴ったお盆を片手に、あいつはまた私の手をぐいと掴んで、夏休み前に番号を書きつけた掌を見た。


『まさかかける前に洗い流しちゃいましたなんてこたぁねーだろーな』
『……あー、あれ、あれね、うん』
『なんだよ』
『えーと、べつに、忘れてたわけじゃなく……』
『うん?』
『ほら、とくに用もないのにかけても、何を話したらよいのやらと、ね、いろいろ、考えてるうちに、こー……』
『……』


まだ頭の中が整理しきれてないうちに会ってしまって、まったく纏まってない言い訳を途切れ途切れに毀していると、あいつはそんな私の話を聞いているのかいないのか、急に私に背を向け持っていたお盆の上にお箸やらおかずやらを取り出した。こいつまさかここでごはんを食べる気か? サッカー部には立派な専用食堂があるというのに? そんなツッコミは口に出さずに私もお盆を取って箸を取ると、前を歩くあいつが振り返って唐突にバカと罵った。


『これお前んだよ。俺がこんなとこでメシ食うか』
『こんなとこって失礼な……、ていうかそれあたしの? いやそんな食べないし』
『食えんだろこんくらい』


無理無理! あんた、食べ盛り成長期で運動部な自分と一緒にするんじゃないよ! という私の意見はもちろん聞き流し、あいつはごはんと味噌汁も十分によそって自分勝手にどんどん歩いていく。なす術もなくその後ろをついて歩いていると、あいつはテーブルにつかずに窓を開けて外に出て、芝生の上にお盆を置いて自分もそこに座った。そして私に振り返り、私が座るのを待った。


『つまるところ、べつに用がなかったからかけなかったと』
『いや、あー、まぁ、んー……』
『はっきり言えよ』
『ハイソウデス』
『地元で男が出来たわけでもなく、俺が汗水たらして部活にいそしんでる間もノンキにクーラーの中でヒマぁな夏休みを1ヵ月半も過ごしておいて、電話1本寄越す出来事もなかったと』
『えー……』
『お前俺と話す時いっつも何話すか考えてたわけ?』
『や、そんなことないけど』


だから、そんな言い方をされると、期待してしまうから


『お前、バカ』
『は?』
『バーカ、バカ、大バカ』
『なん、そんなバカバカ言われること?』
『ちげーよ、いい加減分かれバーカ』
『は……』


あいつが粗野にお盆をどけたから、お味噌汁はおわんから毀れてお盆の上で波打った。カーテンが引かれているから食堂の中にいる人からは見られてないだろうけど、明かりが漏れているから両脇に建つ寮のどこかの部屋からは見えていたかもしれない。

そんな心配がよぎった私は、落ち着いてるのか、錯乱してるのか。

とにかく、言葉を飛び越えてその口を私に押し付けたあいつに、そんな心配は微塵もないようだった。

夏中会いたい会いたいと想い続けたあいつが、空気より近くにいた。



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