07
悲しみに溺れる悲劇のヒロインぶって涙をしみこませ続ける。
誰よりも早くに寮に戻ってきて、部屋に閉じこもるなりベッドにもぐりこむ姿は自分でもじめじめとしてて恥ずかしい。しばらくするとドアの向こうに足音や声が響くようになり、みんなが帰ってくる時間になったと気づく。
誰かの大きな笑い声や走る足音が部屋を通り過ぎ行きかうと、また私は勝手に寂しがり、自分の存在を見失う。
そうしてまた過ぎ去っていくんだろうと思っていた大きな足音がひとつ、一番部屋に近づいたところで止まりドアがコンコンと軽快にノックされた。ふとんの中でパチリと目を開け、誰だろうと耳を澄ますとドアの向こうから「ー?」と声が聞こえ、美遊だと分かる。先に音楽室に行ったはずが私はいなく、授業にも出なかったのだから心配してくれたんだろう。
でも私はどうしてもその声に返事が出来なくて、起き上がってドアを開ける気にならなくて、またそんな自分が嫌で、涙を零しながらふとんにぎゅと包まった。
「ユウちゃーん、いないよー?」
一枚ドアを隔てた向こう側の声にまたパチリと目を開ける。
「どっか行ったんじゃない?」
「どこ行ったんだろ、が授業サボるとか絶対ないし」
「そうでもないよ」
「えーそうなの?」
「ごはんの時間には帰ってくるんじゃない?ほっとけばいいよ」
「んー」
ユウちゃんの声にばかり耳を傾けていた。ユウちゃんの声がどんなトーンなのか、ユウちゃんが私のことをどう話すのか、狭めた世界の中でドクドク煩い胸をギュッと抱きしめ聞いていた。
美遊が自分の部屋に帰っていったようで、また軽快な足音が離れていく。ユウちゃんも帰っていったのかな、ユウちゃんは美遊よりずっと静かに歩くから分からない。
「」
「・・・」
静かに小さくドアをトン、と叩いて、ユウちゃんの声がした。
「、いるの?」
目が熱くなって、しつこく涙は滲んで毀れる。胸が痛くて、頭が痛くて、ふとんを引きずったまま私は起き上がりドアに急いで鍵を開けた。
そっと、恐々開いた隙間の向こうに、ユウちゃんがいた。
泣き腫らした目の私の不恰好さにあーあとため息つくように零して、私の頬をぐいと拭った。
「ゴメン、言い方きつかったね」
ユウちゃんの言葉に私はぐちゃぐちゃに泣きながら首を振るしか出来なかった。
ユウちゃんは私を慰めない甘やかさないというけど、ユウちゃんはいつだって私の支えで、周りに誰もいないだけですぐに自分はひとりだと思ってしまう私は弱くて、単純で、情けないけど私はユウちゃんに全身で慰められている。
鍵を閉めた部屋の中そう泣き声で零す私に、ユウちゃんはティッシュを差し出しながら、「私だってさ、」と口を開いた。
「私だってべつに、何も怖くないわけじゃないし、誰もいないなって思うときだってあるよ」
「・・・、ユウちゃんも?」
ユウちゃんはいつも潔くて強くて、それは羨ましいほどに恰好良いと思ってた。
「でも今はあんまりひとりだとは思わないよ。あんたがいるからさ」
「・・・」
・・・息が詰まって、涙を落とすことも忘れた。
ユウちゃんは普段、絶対にそういうことは言わなくて、私はユウちゃんといつも一緒にいながらも、ユウちゃんは本当に私といて楽しいのかなとか、友達と思ってくれてるのかなって、心のどっかで不安を持ってた。
嬉しくて感激して、また私は泣き出してしまって、そんなぐずぐずの私にユウちゃんはいつものようにティッシュを押し当てて涙を拭う。強いユウちゃんは涙が出る前に拭った。
「でもゴメン、三上のことは余計なこと言いすぎた」
「・・ううん、そんなことない、」
「あんたのことだもん、あんたが決めればいいんだよね。好きとか嫌いとか、どっちも思い込むことじゃないじゃん。どっちかじゃなきゃいけないことなんてないんだからさ」
「ん・・」
好きも嫌いも、思い込むことじゃない。
好きになる必要も、嫌いになる必要もないんだ。
ただそこにある感情をとき解いて、そのまま受け止めればいい。
受け入れて認めてしまえばきっと苦しさはなくなって、もっと視界が広くなる。
「あの子も心配してたよ。後でちゃんと話しにいきなよ」
「うん」
ぐずつく梅雨の空のように、揺れては晴れて、乾いては濡れて、私たちは本当に疲れる生き物だ。それでも私たちは、沈んでも沈んでも、浮き上がる力をきっと持ってるから、こうしてまた笑うことが出来る。
大丈夫、私はひとりじゃないと信じることが出来る。
夕食の時間になりユウちゃんと食堂へ行くと、やってきた美遊がどこ行ってたのー?と一目散に駆け寄ってきた。私はゴメンと謝って、後で話したいことがあると、美遊の部屋に行く約束をした。
「え?うそ!」
「・・ごめん、言おう言おうって思ってたんだけど、なんか、言いにくくて」
食事の後、私は美遊の部屋で、ずっと言えなかった事を話した。それによって美遊がどう返してこようと、私はそれをそのまま受け止めればいい。
「・・・あー、そっか、中学のとき付き合ってた人いたって言ってたよね。あれが三上君なんだ」
「うん・・・」
「そっかー、えー・・・、じゃああたし、けっこうウザかった?」
「ううん、そんなことないよ、」
「ほんとに?」
「・・・ちょっと、きついなって時は、あったかな」
「だよねー。全然三上君としゃべんないじゃん。それって、あんまいい別れ方しなかったってことでしょ?」
「ん・・」
「じゃあほんとあたしウザかったよね。あたしよく言われるんだよね、ウザイとか空気読めないとか。すぐ調子乗っちゃうからさ、あたし」
今まで美遊と一緒にいた数ヶ月で私が美遊に抱いた印象で、美遊は私があいつとのことを話したら怒るんじゃないかと思っていた。なんで黙ってたの、裏切られたと言われても仕方ないとまで思っていた。
でも美遊は意外にも落ち着いて受け止めてくれたし、私を責めることもなかった。別れ方って大事だよねと共感するようなことを言って、自分の行いの反省までして、今まで私、どれだけ美遊を表面的にしか見てこなかったんだろう。
「じゃああんま三上君の話とかしたくないよね」
「ううん、大丈夫。私もいい加減忘れようって思ってるし」
「ほんと?」
「うん、忘れるっていうか、今までは頭ごなしに二度と関わらないって思ってたんだけど、もうそれやめようと思って。嫌いって、どんなに強く思ってても、意味のないことだし」
「んー、うん」
「避けたり無視したりするんじゃなくて、普通にしようと思って。そのほうがきっと楽だし、早く忘れられると思う」
頭の中の塊、胸の中のわだかまり、堅くなった心の力を抜いて、すべて自然と消えていくように手放せるよう。いつまでも立ち止まっていても何も生まれないから、もういい加減、曇った空の向こうを見るんだ。
重い雲の向こうにはきっと眩しい季節が待ってる。
ザーザーと雨が地面を強く叩き、グラウンドの土も波うって、広い敷地が寂しい毎日が続く。それでも生徒たちは同じように沈むことはなく、じきに迎える1学期末考査と夏休み前の球技大会に向けて明るく学校を賑わせていた。
傘の雫を払って傘たてに収め靴を履き替えると、後ろから髪を濡らした高城君が「おーっす!」と雨雲も吹き飛ばす勢いで駆け寄ってくる。どうしてまともに傘がさせないんだと聞くと、水も滴るいい男だからだと意味の分からない答えが返ってきた。高城君とは普通に話が出来ている。それは全部彼が、気を負わせない対応をしてくれるおかげだ。
「球技大会、どっちに出るか決めた?」
「バレーかなぁ。バスケは完全に足手まといだと思う」
「お、バレーなら出来んの?」
「いや、バスケよりはマシかなってだけだけど」
「はは、なぁーんだ。俺はキックベースとバスケ」
「ふたつも出るの?」
「だって勝ちたいもん!うちのクラスけっこーウンチが多いんだよ。あ、がそーだとは言ってないよ?」
「そんなのあたしも言ってないから」
小さなざわめきくらいなら雨に吸収されてしまう廊下に、高城君の笑い声は淀まずに響いた。もう夏用のシャツで弾むように廊下を歩く高城君はひとり夏を先取りしてるような印象を受ける。眩しい人だ、彼は。
高城君と一緒に教室まで来て、ドアをくぐろうとしたときに中から出てきた人とぶつかりそうになり慌てて足を止めた。間近に見上げ見たその顔は、瞬時にあいつだと分かってすぐに身を引くけど、わざとらしく目を逸らすことは、我慢した。
「お、おっはー三上。三上はもちろんキックベースだよな」
「は?」
「そーいやサッカー部の新人戦に1年で渋沢とふたりだけメンバー入りしたんだって?サッカー部のエース三上と野球部のエースの俺がいればキックベースなんてもらったよーなもんだよ、優勝しちゃうかもな!応援しに来いよ!」
興味なさ気に無言な目の前の人と学校行事ひとつに熱くなる高城君の温度差は明らかに激しくて、このふたりは一生気が合わない気がした。高城君は球技大会の前に期末テストがあることなんてすっかり忘れひとり大盛り上がりで教室に入っていく。
そんな高城君を冷めた目で見送るあいつは、歩き出そうとこちらに振り向き、静かに私に視線を寄越す。私はその視線をまっすぐ返すことは、やっぱり出来なかったけど、
「・・、おめでとう」
「・・・」
耳に入ってきていたメンバー入りの噂に祝福を残し通り過ぎる、進歩を、得た。
「おはよー、朝っぱらからあいつのお世話お疲れ!」
「おはよ」
席に着くと美遊が寄ってきて、私はまだ胸がドキドキいってるけど、穏やかに返事が出来た。
ずっと背中が痛かったこの席でホッと息を吐いたのは、初めてだった。
【 PREV 】【 NEXT 】