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夏の終りにそよぐ風詩

弓月昇る空高々に ふと 逢いたくなるの ホイッスル! 三上亮連載
武蔵森学園高等部で、共学設定です。
シナリオ上、ヒロインの苗字は「三浦」で固定しています。

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番外編

09

眩しいほどの陽光にセミの声が聞こえる昇降口は、なんて夏なんだろうと思うけど、今はとてもそんな季節の移り変わりを眺めている余裕なんてなくて、傘立てに腰を下ろす高城君がいて!と顔をしかめ痛がるのに謝りながら濡らしたハンカチを腫れた目元にそっとあてた。


「やっぱ、保健室行ったほうがいいかな」
「いーよ。こんなの殴られた傷にしか見えないし、学校で殴った殴られたなんかになったらあいつ、ヤバイだろ」
「・・・ん」


例え本人たちがもういいと言おうと、学校内でそんなことがあったと知れたらそれはもう暴力沙汰となってしまう。そしてもしそんなことになったら、あいつはきっと部活には出られないだろうし、最悪、もうすぐ始まる夏の大会自体が危なくなってしまうかもしれない。
なのに、なんであいつはああも簡単に手を出してしまったんだろう。機嫌が悪くなることや苛立つことなんて普段からいくらでもあるのに、でもこんな馬鹿なことは絶対にしなかったのに・・・



「・・・」
?」
「え、あ、なに?」
「気にすんなよ、俺らが勝手にもめたことなんだからさ」
「うん・・・」


目の前の私の表情があまりに沈んで見えたのか、ハンカチを持つ手が小刻みに震えてしまっているせいか、高城君は私を安心させようと笑って見せてくれるのに、私は上手く平静を装うことも出来ずに震えた口でギリギリ笑って見せた。

自分でもおかしいくらいに動揺している。

何に?


「みんな練習してっかなー。俺らがこないから待ってるかな。でもこんな顔で行くわけいかねーしなぁ」
「あ、わたし、行こうか」
「いーよ、そんな青い顔でみんなのとこ行ったら余計に不思議がられるって」
「・・・ごめん」


だけど、胸が苦しくて、上手く呼吸すら喉を通らないくらいに、上手く心臓も打てないくらいに、私は居場所をなくした子供みたいに落ち着かなくなってしまって。


「あー、今日部活どうしようかなぁ。転びましたで通じるかな」
「・・・あ、ごめん、そうだよね」


そうだ、高城君だって部活がある。大変なのはあいつだけじゃない。

どうしよう、どうしよう、


「ま、どーせうちは1回戦すら抜けるかどーかも怪しい弱小部だからいーんだけど」
「そんなの、関係ないよ。ごめん、ほんとにごめん」
「・・・」


高城君だってずっとやってきた野球なんだから、もしこれで部活停止になんかになっていいわけがない。そうでなくても立場の弱い野球部で肩身の狭い思いをしながらも今年こそは1回戦を勝ち抜こうとがんばってると高城君は言っていた。それを、あいつの身勝手さで壊してしまうなんて、


「ほんとごめん・・・」


こみ上げる苦しさはついに胸から喉から湧き上がりぼろりと熱く涙となって毀れ出てしまった。ここで私が泣いて、どうなるわけでもない。むしろ優しい高城君は泣き出してしまった私に何を言えるわけがないんだから、卑怯だ、こんな涙は。


、さっきからなんで謝ってんの?」
「・・・え・・・」


なんで・・・?


「なんで俺に謝られなきゃいけないの。お前が何かしたの?」
「・・・」


あ・・・


「やっぱは、三上のことしか考えてないんだよな」
「そんなこと・・」
「そういうことだろ。あいつのことしか頭にないから俺よりあいつの心配するし、あいつの部活のことで頭いっぱいになるし、目の前にいる俺より今あいつがどうしてるかのほうが気になるんだよ」
「・・・」


違う。

そう真っ先に言い返す自分が簡単に思い描けた。

でもその言葉は喉を通ろうともせずにとどまって、この世に生まれることはなかった。

事実、今の私の頭の中に在るものが、あいつ以外になかったからだ。


「・・・」
「なんか言ってよ」
「・・・」
「そんなんじゃないって言ってよ」


ああ、わたしはどうして、たくさんの大事なものを見過ごし過ぎていた。


「違うって言ってよっ・・・」


思いを精一杯押さえつけたような、それでも張り裂けるように小さな口から漏れた言葉は余計に私を責めたてた。深く落とした視線は何色をしているかも分からない。けれど私は確実にこの人を、私を好きだと恥じも感じずに言ってくれたこの人を、流されるままに見過ごして、あやふやに誤魔化して、無視したんだ。


「・・・ごめん・・・」


この狭く小さな頭には、そんなくだらない言葉しか浮かばない。

堅く口を閉ざし地面に俯く高城君は静かに静かに、それからぎゅと拳を握って突然立ち上がると、私の肩を掴みぐいと引き寄せ顔を近づけた。

突然のことに頭はついていかなかったけど、私は反射的に顔を背けた。咄嗟に拒絶した。

力を込めて押し離した高城君の胸は、熱く焦がれそうだった。まだ私をぎゅと掴んでる強いはずの手は小さく震えて、いつだってみんなを楽しませようと笑っていたはずの口は痛いくらいに噛み締められて、


「なんで、あいつなんだよ・・・」


この眩しい季節に似つかわしくなく、眩しい彼に似つかわしくなく、かすんで漂った。


ゆっくり少しずつ目が覚めるように高城君は私から離れて、痛いほどに掴んでいた手の力も抜いて、小さく小さく、溺れるような声でごめんと呟いた。結局は優しさを捨て切れなかった彼の優しさが、痛かった。

淀んだ夏の気だるい空気。
遠くでは明るく高い声が飛び交って、体育館でボールをつく音も響いてくる。どこかの教室で椅子を引きずる音。先生の声。それら全てを包む学校の壮大な静けさ。

そんな生ぬるい空気の中心を、細い針が突き抜けるように冷たい空気を感じ、私は静かに視線を左へ向けた。


「・・・亮・・・」


驚くほど自然にその名前は喉を通った。
封印したはずの言葉。

そこには静かにそっと私たちを見ていたあいつがいて、さっきまでの尖った目よりもっと深いところから見るような暗い目で私たちを見ていた。

私はさっきのことを思い出して、ひとつ歩き出しまっすぐこちらへ向かってくるあいつにひやりと寒気を感じた。見たこともない暗いあいつの瞳は高城君だけを睨み見据えつかつかと距離を詰めてくる。


「亮、・・」


また突然に殴りかかってしまうんじゃないかと危険を感じ止めようとすると、あいつは高城君からすと私に視線を変えて私はビクリと動きを止めた。

そんな私の腕をあいつはぐと掴み、力任せに引き寄せるとそのまま私を引っ張って廊下の先へとどんどん歩いていった。


「ちょっと、なにっ・・」
「・・・」
「離してよ、ねぇっ」


痛いほど掴む手は優しさの欠片もなく、勝手に突き進む足は私の意志など気にするつもりもなく引っ張っていって、廊下の角を曲がり階段下まで来ると、瞳に篭った憤り全てを私ごと壁に押し付けた。


「いった・・」


そう目を上げ口を開いたとき、私の視界に入ってきたものはもう見ないと決めた顔ではなく、怒りを込めた瞳でもなく、揺れる長い睫だった。
いや、睫すらもよくは見えていない。一番はっきりと見えていたのは、ぼんやりしたあいつの黒い髪先の向こう側の、長く長く続いている廊下。


「・・・」


髪と顔を掴む手はその行為の意味をかき消すほどにきつくて、それがキスだと理解するまでに私の脳は果てしない遠回りをしていた。そう理解しても、それがどうして今こうなっているのか、なぜ目の前にこいつがいるのか、私の頭は何一つ理解できないままただもがくようにあいつの腕の中から出ようとしていた。


「っ・・、ちょ、・・」
「・・・」
「や、あき・・、っ・・」


その体を押し離そうとしようが叩こうが、ただ押し付けるばかりのあいつの口は離れずにそれだけを続けた。何を思ってか分からない。何も考えていないかもしれない。ただ不躾にあいつは少しの隙間も時間も与えずに私に口を押し付け続けた。

私の押し離そうとする力が消えるまで、私の文句が止まるまで、私の抗う気持ちが殺げるまで、・・・それら全てが尽き果ててもずっと、自分の気持ちばかりを押し付け、あいつは空気より近くに居続けた。

いつも身勝手に我侭で自己中心的で、何を考えてるのかちっとも分からない。気まぐれに構って、花に水を注ぐように優しさをかけて、紙くずを捨てるように手放して、押し付けるように愛して、気まぐれに爆発して、

だから、


「っ・・・」


あんたを手放したのは私のほう。
それが私の唯一の誇りだった。

あんたなんて好きじゃない。
それがもう二度と想わない唯一の方法だった。


「・・・・・・」


・・・懐かしむような、熱にうなされるような声で、想いを吐き出さないで。

初めてキスをした日からのこと、全部嘘にさせたのはあんたなのに、

私にもう一度、この腕の中から抜け出す力を振り絞れと言うの。



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