08
雨は降り続けることなく降ってはやんでの梅雨らしくない中で、1学期の期末考査は始まり、山のような科目と出題に頭を抱える日々を何とか乗り越え、気分晴れ晴れに空を見上げたときには大きな太陽と抜ける青空が相重なった綺麗な夏を見せていた。
「じゃーバスケチームは体育館、キックベースはグラウンド集合な」
「女子はみんな体育館集合ねー」
テストが終わり、緊迫していた学校中がため息つくように堅い空気を解いていくと、次は息着く間もなく夏休み前の球技大会が待っていた。テストで疲れたみんなはこんな時期の球技大会を少々鬱陶しがっているようだったけど、高城君が明るくみんなに声をかけ盛り上げようとがんばっていたから、みんなも少しずつ楽しもうとしていた。
「ー、しっかり練習しろよ。せめて飛んできたボール落とさないよーにな」
「うるさいなぁ、早く行きなさいよグラウンド」
「俺キックベースだけになっちゃったから見守ってやれないけどがんばれよ!」
「見なくていい!」
「大丈夫!ウンチなんて気にスンナ!」
「だまれっ」
何かと人の運動神経を馬鹿にする高城君にいい加減頭にきて手を振り上げると、高城君は跳ねるように逃げてケラケラ夏のせみのように大きな笑い声をあげた。
高城君は結局、あの時急につきあおっかなんて言ったっきりその返事を求めることはなく、そんな雰囲気を感じさせることもなく仲良くなり続けていて、私はどうすべきなんだろうと気になりつつも、彼が運んでくれるペースに任せ一緒に笑っていた。
今でもまだ時々周りの子に付き合ってるの?とか聞かれるけど、こうして話してても周りからチラチラ見られることはなくなったし(みんなテストでそれどころじゃなかっただろう)、私の穏やかな生活は、戻りつつあるのだ。
「三上ー、いこーぜー」
遠くから聞こえた声は、チーム分けのホームルームの間中ずっと寝ていたらしい後ろの席にいるあいつへと注がれて、うしろで重くガタリと席から立ち上がる音がした。
あいつもキックベースだからグラウンド組だ。同じ空間にいないだけホッとする。いや、中学のときから球技大会やら体育祭やらで私の運動神経が途切れがちなことなんてあいつも十分に分かってるだろうから、今更何を言い訳することもないのだけど。
「俺フケるわ」
椅子がだるそうにゆっくりががーと机の中に納まる音の中、欠伸を噛みながらもっとだるそうな声がぼそりと聞こえた。まじ?じゃー俺もフケよーかなーなんて声に囲まれながら、後ろの声たちはドアへと歩いていく。
そんなあいつのヤル気ない小さな声は私だけじゃなく目の前の高城君にも聞こえたようで、高城君は歩いていく彼らに「こら待てー」と呼び止めた。
「フケるなんて許さんぞー。それに三上、お前は大事な戦力なんだからなー?」
「知るかよ」
「そりゃテストとかサッカーとかで疲れてんのは分かるけどさ、そーゆー時だからこそ誰かがヤル気なくすとみんなまでヤル気なくなっちゃうじゃん。お前影響力あるんだからさー」
高城君はあいつに近づいていき、今までよりずっと声を小さくしてみんなに聞こえないようにしていた。高城君の言うことはもっともだ。実際今もあいつがサボると言い出したことでグラウンドに行こうとしていた他の男子たちまでサボろうとしているのだから。クラス行事だからこそ高城君はみんなでやりたいんだ。高城君はずっとみんなに気を使いながらも盛り上げてきたから。
それでもあいつは本当に気が乗らないというか、機嫌が悪そうで、何も言い返さずに見限って教室を出て行こうとした。そんなあいつを高城君はまた呼び止めるんだけど、それはだんだんとクラスのみんなの目を集めることになっていってしまって。
「みんなでやろーって言ってんだからさ、空気悪くするなよ」
「やりたいヤツだけで勝手にやってりゃいーだろ」
「あのなぁ、これはクラス行事なの。チームプレーなんだからさ、協力しろよ。お前がいればみんな楽しくやるしヤル気なんじゃん。人気者なんだからさ三上君は」
高城君はいつでもみんなの気分を明るく持ち上げようとおどけてみたりフザけてみたりするんだけど、今のこの高城君には、言葉の端々にどこか引っかかる感じが含まれていて、それはもちろんあいつにも伝わって、あいつの眉間の深さは増す一方だった。
あいつはこんな風に、一度機嫌をそこねるとなかなか戻ってこないし人の話なんてまるで聞かなくなるけど、でも中等部のときはこういうクラス行事だってみんなと一緒に楽しんでいたし盛り上がったりもしてたんだ。なのに、今のあの顔は、本当に機嫌が悪そう。
教室の中はどんどん人が出て行って少なくなっていくけど、少しずつ険悪そうな空気をかもし出す二人に通り過ぎる子たちも気づきだして不安そうな視線を送ってくる。ふたりが交わす言葉もなくなったのに不安は増すばかりで、高城君もだんだんトーンが低くなって、これは本当に、まずいかもしれない。
「テメーだけ勝手に熱くなってるだけだろ。押しつけんじゃねーよ鬱陶しい」
「勝手なのはどっちだよ。もっと空気読めよ」
ひやりと、背筋に寒気が抜けた。
そんな台詞、あいつが大人しく聞き入れられるわけがない。
不機嫌な目をさらにじわりと細めた顔で、あいつは机を蹴飛ばして高城君に詰め寄った。そんなあいつに、私は咄嗟に高城君の背に駆け寄って間に入ろうとしたんだけど、それより先にあいつの手は高城君のシャツに掴みかかりぎゅと手を握った。
止めようとした私の声が届く前にあいつの手は高城君の顔目がけて襲いかかって、二人は机を押しのけながらもみ合う。教室に残っていた少ない女生徒から小さな悲鳴が飛んで、静寂と喧騒が凝縮された教室にぴんと空気が張り詰めた。
「やめなよ、ねぇ、高城君!」
血相変えて掴み殴り合う二人にはもう誰の声も届かなくて、高城君も普段の優しさなんて消えてしまっていた。どうしてこんなことになってしまったのか、周りの男の子たちも止めようとするんだけど、二人の力は本気すぎて誰も止められないまま二人の手は相手目がけて痛く飛び交う。
でも、教室でケンカなんて・・・
「だめ、亮っ」
思わずその名が飛び出るとあいつの硬く握った拳は一瞬ビタリと止まり、でもその些細な間に高城君の右手があいつの顔に当たりその勢いのままガタン!と机に手をついた。
少し離れたふたりの間に割り入ってもうやめてと興奮してる高城君の前に立つと、高城君は私に目を留めてつり上げてた目を息吐くほどに少しずつ平常へ戻していった。逆立っていた空気を解いて、握っていた手の力を抜いて、痛んだ口元をぎゅと拭う。
「大丈夫?血、出てる」
「ん・・」
「保健室、は、まずいよね・・・、絆創膏貰ってくるから、水道かどこか・・」
高城君の手数よりずっと多かったあいつのせいで、高城君の目元は腫れて口端は切れ血が滲みだしていた。まさかこんな顔でみんなのところになんていけないし、保健室にだって行けない。先生に見つかったら大変だし、私は高城君を連れてとにかく手当てが出来そうなところへと教室を出ていった。
あいつの元へと集まる男子たちの隣を通り過ぎる間に、そっと目をやると、彼らの間から穏やかさを取り戻せないままの暗い目と視が合って、冷たい寒気と、胸の痛みを感じた。
「口、切れてる?」
「ん、血がまずい」
「・・・」
私は上手く頭が回らず、何を言っていいか分からず、ただ「大丈夫?」と同じことをロボットみたく繰り返していたかもしれない。ただあの張り詰めた空気から離れることで平静を保とうとしていた。
きっと本人たちと同じくらい高鳴っている心臓を落ち着けようとぎゅっと手を握って、動揺を表に出さないようにと密やかに呼吸を繰り返した。
人気の少ない廊下、高城君の少し後ろを、目に熱く集まる涙を堪えるためにぐっと息を潜め歩いていた。
【 PREV 】【 NEXT 】