05
それは薄々と分かっていたことだけど、突然だった。
「・・・え?」
「もう、ちゃんと聞いててよー、恥ずかしいじゃん」
私の机の前に座り、かわいらしく頬杖ついてはにかむ美遊は色彩良く頬を赤らめて両手で口を覆った。
こんな距離で話しているのだから美遊の話は間違いなく聞こえた。それでも聞き返してしまったのは、反射的というか、間を作るためだった。
「だからね、あたし、三上君好きかも」
「・・・へぇ」
そろそろ梅雨で天気が悪く薄暗い教室、休み時間で人も少なく小さなざわつきしか広がっていなかった。私がここに座っているということはもちろん後ろにあいつはいない。それが良いことか残念なことかは分からないが、美遊は当事者不在の机を見ながらふふと笑い続けていた。
「言わないでよ、絶対に」
「誰によ」
「三上君」
「言うわけないよ」
友達に聞いた好きな人を、その相手に言ってしまうなんて、どれだけ最低なんだ。
それはさておき、今までなんとなく言わずにきた私とあいつのことが、これでさらに言いづらくなってしまった。もうこれを期に言ってしまったほうがいいのだろうか。私があいつと付き合ってたことなんて、中等部から武蔵森にいる子ならほとんど知ってるからどこから漏れてしまうかもしれない。美遊があいつが好きと公言するようになってしまったのなら、なおさらだ。
「!」
「たっ・・」
ぺしんっと軽く頭を叩かれて、振り返るときらりと眩しい笑顔を見せる高城君がいた。クラスメートである高城君は美遊と同じく高等部から編入してきた人で、明るくていつでも教室に大きな笑い声を起こしてるような人だ。人気がサッカー部員に集中してる我が校で、弱小野球部に所属しながら彼らに劣らぬ支持を得ている稀な存在でもある。
「ちょい来て」
「なに?」
「虹出てんだよ、ちょっとだけどな」
ほれほれ、と高城くんは廊下へと私たちを急かす。
廊下に出て窓の外を見ると、どんよりした灰色の雲の裂け目から漏れている光の傍にほんの欠片の虹が光っていた。よっぽどいつも空を見てなきゃ気づかないような虹なのに、高城君は綺麗な石ころを見つけた子供のように自慢げに誇らしく笑っている。さしづめ私は見つけた宝物をすごいねーと褒めてあげるお母さんといったところか。
「俺小学校のとき1回だけ完璧な虹見たことあるよ」
「へーいいなぁ、そんな綺麗なの見たことない」
「野球の帰りだったんだけど、雨で試合中止になった日でさ、めっちゃきれーだったよ。まぁ負けて泣きながら歩いてたってのは内緒だけどな」
「はは、言っちゃってる言っちゃってる」
「おっと!なんだよカッコわりーなー」
なんでも楽しくリメイクしてしまうのは一種の才能じゃないかと思う。高城君は一緒にいると笑いが耐えないし、彼の笑顔には嫌なことも吹き飛す力がある。
「あ、三上君だ」
窓から一緒に空を見上げてた美遊が敏感に廊下の先にあいつを見つけて、歩いてくるあいつに寄っていった。
私はその名前をどうしても耳に入れてはしまうけど、もう気分が沈んだり、表情がなくなることはなくなって、高城君が隣で笑い話をしてるのに笑いながら変わらず空を見ていることが出来ていた。
「虹の七色って全部いえる?」
「赤橙黄緑青藍紫?」
「藍ってどんな色?」
「青のもっと深い感じ?」
「ええー、深い青と青を分けんのかよー」
窓にぐでっとうなだれる高城君に笑ってると、後ろの情景なんて見えてこない。美遊はあいつに「見て見てー」と空を指差してるようだけど、自分の笑い声で聞こえない。
「ほらあそこ、虹が見えてんのー」
「あっそ」
「うわ、素っ気なーい」
質素な一言だけを落として、あいつはそのまま友達と教室に入っていってしまった。
「なんかあたし三上君に嫌われてる気がするー」
「美遊ちゃんは直球だからねー、直球過ぎて痛いからねー」
「だまれタカシロ!」
「タカ、ギ!」
「ねぇー、三上君あたしにだけやたら冷たくない?なんでかなぁ」
高城君の言葉をまるっきり無視する美遊の頭の中は、ほんとにもうあいつしかいないようだ。私はそんなことないよと空を見ながら言うけど、美遊は絶対嫌われてるよ、と泣き出しそうな声を出す。
「まぁ確かに三上って近寄りがたいってゆーか、仲いいヤツ以外とはしゃべらないって感じするよな」
「結構しゃべってるのになぁ。どうしたら仲良くなれるのかな、」
「さぁー」
仲良くなろうにも、あいつは付き合う相手はものすごく選ぶやつで、仲のいい人がいないなら誰もいなくていいというくらい潔癖なところがある。特定の人以外とは関わりたがらないから、あいつをよく理解する友達はそう多くない。
そもそもあいつは何でも自分の思い通りになると思ってるおぼっちゃま体質だから、がんばって仲良くなろうとするとあいつは付け上がる一方なのだ。あまりくっついていっても、逆効果な気がする。
「男ってやっぱ隣でニコニコしてる女の子がかわいいなぁって思うからさ、たまに気の利く素振りとか見せて、もっと話しかけちゃえばいーんだよ」
「そうかなぁ」
「そうそう、明るく話しかけて、でも向こうの話もちゃんと聞いて、何でも共感してうんうんって頷いてやんの」
「そっか、じゃあもっと話してくるっ」
教室に入っていく美遊をがんばれー!なんて励まして、見えなくなった背中に高城君は手を振っていた。
「美遊は美遊のままでいいのになぁ」
「好きなヤツのためなら変わりたいっていうのがオトメゴコロなんじゃないの? 美遊ちゃんのあの態度じゃ三上にだってバレてそーだけど」
「・・・だよねぇ」
猪突猛進というか、好きになったらその人しか見えなくなるタイプのようだ。美遊は。
「でもま、三上みたいなモテるタイプには、美遊ちゃんのあの態度は逆効果な気もするけどね」
「ええー、自分でさせといてそんなこというの?」
「俺は一般的にそーゆー子に男はホレちゃうよって言っただけ。俺はキャンキャン寄ってくる子より、猫みたいにふいっと顔背けちゃうよーな子のほうが好きだけどね」
「へぇ」
意外だなぁ。高城君には一緒になってケラケラ笑ってるような子が似合うと思うのに。
「は?どんなヤツが好き?」
「あたし?あたしはべつに、タイプとかないかなぁ」
「ないの?カッコいーヤツが好きとか、スポーツできるヤツが好きとか」
「んー、」
「じゃあ三上のどこが好きだったの?」
今の私にこの手の話はなんだか困るなぁと思って、適当にんーと返事をしていた。そのせいで、あまり高城君の話を頭に入れていなかったかもしれない。
「・・・」
「・・・」
「・・・え?」
今になってようやく、高城君の方を見た。
隣で私を見下ろす高城君の、背丈の割りにかわいい子犬のような丸い目がそこにあった。
「三上。どこが好きだったの?」
「え、なんで、」
「美遊ちゃんには言ってないの?なんで?」
「・・・えー・・・」
ビックリした。急に、でもあんまりにも自然に話を変えてくるから、聞き間違いかと思った。でもそのことを知ってる人はいくらでもいるから、それを高城君が知っていても不思議ではない、か。
「えーと、まず、美遊には言いそびれただけで隠してるわけじゃないの。言わなきゃなって思ってるし」
「うん、言ったほうがいいね。もし美遊ちゃんが以外の口から知ったらそーとーショックだと思うよ」
「・・・うん、だよね。分かってる」
やっぱり、そうだよね。話す機会はいくらでもあった。
ただあのことは私の中で、もう消してしまいたいことだから、もう口に出したくもないことだから、忘れてしまいたいことだから、話さなくていいなら、話したくないだけで。
「まぁそれはそれとして、では三上のどこが好きだったの?」
「どこって、言われても」
「告ったのってどっち?三上?」
「・・・」
告白・・・なんてありましたっけ・・・。
「あの、出来ればその話はもうやめて欲しい」
「あ、あんまいい思い出じゃないんだ。嫌な別れ方したんだ」
「・・・」
「たとえば三上が浮気したとか」
「・・・高城君、知ってて言ってるでしょ」
「あ、バレた?」
「・・・」
明るく無邪気に見えた高城君が、実はこんなにも狡猾で笑顔でさらりと人の地雷を踏み込むような性格だったとは。人は見かけによらないということか。見た目からして性格悪そーなあいつのほうがよっぽど単純で素直に見える。
「まぁー年頃の男なら誰だって、チャンスがあれば割と誰でもいいってなっちゃうとこあるよ。中学ん時の三上は知らないけどさ、今みたくやたらモテてたんだしょ?」
「もういーから、その話は」
「でもは初めてで、踏みにじられた気分なんだよね、自分の初恋を。だから思い出にも出来なくて、全部消したいんだよね」
「・・・」
なんのためか、わざと余計な部分を掘り起こそうとする。よっぽど性格が悪いのか私を困らせたいのか、この人の言葉はいちいち鼻につき、・・・それは同じくして、私の傷がちっとも癒えていないことを意味するようで、さらにじわりと淀みを広がせる。
じめっとした空気を滲ませる梅雨前の廊下は湿気臭い。
しとしとと静かに降り出した雨が窓を叩き、私は高城君の隣から歩き出し教室に入っていった。
電気がついていても薄暗い教室は人のざわつきすら気持ち悪く感じる。窓際で床に座り込んでたまってる中のあいつと、その前でしゃがみこんでる美遊の笑い声も、肌触り悪くべとべとと纏わりつくようで、その景色を視界にも入れずに目を伏せた。
「っ」
教室のドア口から私を呼ぶ高城君の声は、湿気た空気を一掃する風のようだった。不機嫌に伏せていた目を向けると、その先で高城君は、灰色の雲間から差し込む陽の光のような笑顔をしていた。
「俺ら、付き合おっか」
しんと、教室は水を打ったように静かになる。
周りの人たちと同様に私も驚いて、この教室にいて今ほどあいつの存在を忘れたのは初めてだった。
ほんの一瞬、高城君はちらりと奥のあいつに目線を変えて交じらせる。
けどすぐにまた私に目線を戻して人懐こい笑顔を見せた。
こんな晴れ晴れと、すくい上げるような眩しい笑顔は絶対に、あいつには出来ない。
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