01
すっかり太陽が高く昇ってる空の下、大きな欠伸を放ち目尻に涙が溜まった。
10分ほど前ならこの道も生徒で溢れてただろうけど、こんな時間にこんなとこをタラタラ歩いてるようじゃ遅刻は確実だから、案の定周りには犬を連れた散歩のおっさんくらいしか見えない。(いや、おっさんだってこんな時間に散歩してちゃ・・。リストラか?)(世知辛いねぇ)
目の前の学校からチャイムの音が鳴り響いて、ちらほらと開け放された窓に見えてた生徒たちがいなくなっていく。ざわついてた校舎はぴたりと静かになって、じきにホームルームが始まるだろう。チャイムが鳴ったといえど急ぎやしない歩調のまま、なんだかメンドくせぇなぁと思って昇降口の手前で足を止め、授業開始までヒマ潰すかと部室へ向かった。
部室までの道を歩いていきながらポケットに手を突っ込み中のものを取ろうとするけど、目的のものはそこにはなくて、そうだったと思いだし手を抜いた。
やめたんだった、タバコは。
やめなきゃなんねー理由が出来たから。
そうなると手も口もなんだか手持無沙汰で、気を紛らわせるようにあーあー鼻唄を歌いながら校舎の角を曲がった。
その時だった。
角を曲がった直後、向かい側から突然現れた誰かとぶつかりそうになった。
「・・きゃあッ!」
「うおっ、ビビッたぁー」
ぶつかりそうになってお互い足を止め身を引いた。
俺も多少ビビッたが、前の女は表情を崩してふらりとよろめき、胸に抱いてるカバンを震えた腕でギュッと抱きしめて息荒く、普通じゃないくらいに驚いていた。俺はぶつかりそうになってというより、むしろこの女の張り上げた声にビビッたくらいだ。
「んだよ、そんなビビることねーだろ」
「・・・あ、あの、ごめんなさいっ」
「・・や、べつに、いいけどよぉ」
まだ肩で息をしてるその女は、ガバリと深く腰を折って謝り、そこまでされるとさすがにこっちも悪い気がしてきて怒る気も萎えた。頭を上げたそいつは乱れた髪を耳にかけ、ほんとにごめんなさいと小さく頭を下げながら俺の横を通り過ぎ走って行った。
「たく、とんだ慌てもんだぜ」
大方、遅刻しそうになって裏口から駆けこんできたってとこか。
遅刻くらいであんな息切れるほど走るなんて、優等生だねぇ。
「・・・でもけっこうかわいかったな」
もう一度うしろを振り返ってみたけど、そいつはもう見えなくなってた。
「おーっす桧山、お前も遅刻かぁ?」
「おーお前らもか」
そうこうしてると学校に2度目のチャイムが鳴り響き、すぐそこの部室から関川たちがぞろぞろ出てきた。なんだなんだ、結局みんな遅刻かよ。
「お、パン1個くれ、朝メシ食ってねーんだよ」
「やだよ俺の朝メシ!」
「タバコ2本やるからよ」
「いらねーよバカ」
今まで誰も禁煙なんて出来なかったのに(しようとも思わなかったけど)、また野球をすることになった途端、全員がタバコを捨てるとは思わなかった。時々心が折れて吸いたくなっても誰も持ってないから不便この上ない。
1時間目なんだっけーと話しながら下駄箱に入っていくと、隣のクラスの下駄箱で靴を履き替えているやつに関川が目を止め声をかけていた。
「お、里中。お前も遅刻か?めずらしーな」
「うん、ちょっとね」
「さてはお前もオナりすぎたな?」
「やめてよ」
関川が何やら親しげに話すそいつは、同じ学年ではあるけど俺は喋ったことはなかった。俺たちは普段仲間内でしかつるまないけど、関川はわりと広くに交友関係を持つから誰とでも仲良くしゃべってる気がする。
里中は怒られない程度に髪を染めてるけど、制服もちゃんと着て一見優等生っぽいタイプに見えた。確か毎回テストの上位者の名を上げる厭味な数学教師にいつも名前を呼ばれてて、だけどそれを鼻にかけることもなく、俺たちにも物おじせずに笑ってるようなやつだから話しやすい、と関川が言った。
「あーダリー、1時間目えーごだってよ」
「どーせなら1時間目もフケりゃよかったなー」
授業が始まる手前、みんなでぞろぞろ教室に入っていくとクラスの連中が俺たちに目を向けて、だけどまた元の話し声が教室をざわつかせた。ちょっと前なら俺たちが教室にやってくると全員がしんと静まって、俺たちに萎縮するような空気になってたのに。
最近は一人で教室にいても居心地悪い空気はないし、廊下を歩いてても時々野球部どーなの?と声をかけられることもあるくらいだ。俺はそれもちょっとどーなんだと思っている。
「あ、やっときた。また遅刻ー?」
2年になってだいぶ経つというのに新品同様な英語の教科書を机の上に出していると、廊下側のほうで聞こえた声の「遅刻」という単語に耳を取られそっちに振り向いた。教室に入ってきた一人の女が長い髪を耳にかけながら笑って答えてるのが見えた。
「・・・あっ」
その髪を耳にかける仕草を見て、さっきのことを思い出した。
俺が発した声を隣の若菜が聞きつけてなんだよと聞き返してくるけど、俺は聞いてなかった。
朝のやつだ。同じクラスだったよ。
俺たちは席替えなんて無視して窓際うしろの席をいつでも陣取っているし、クラスのヤツと関わることもそうそうないから未だに名前も顔も分からないやつは何人もいるんだ。
・・・と呼ばれたそいつは、友達と話し終えて窓際の前のほうへ歩いていく。自分の席にカバンを置きながらすとんとイスに座って、肩から毀れる長い髪を耳にかける。
あんな席で。
いつでも視界に入ってたはずなのにまるで気付かなかった。
「おはよ」
「おはよう」
「今日もだった?」
「うん・・」
遠くの席から寄ってきたまた別の女が、あの女に話しかけていた。こいつは知ってる。確か、高嶋だったか。
何を話してるのかまでは聞こえなかったけど、教室に入ってきた直後に声をかけられた時に見せてた顔より、何やらずっと深刻そうに見えた。
もう授業が始まるからと高嶋はすぐに離れていった。その高嶋を見送って廊下のほうを見てる前の席のあいつは、手を振りながら教室のドアの外にふと目を止めて、ほのかに笑っていた顔と、振っていた手を静かに止めた。
教室の後ろのドアには、さっきの、里中というやつがいた。
里中はニコリと笑って、窓際のあいつに手を振っていた。
「・・・」
チャイムが鳴って、里中はドアから離れて見えなくなった。
という、前の席のあいつも、静かに前を向いた。
今度は落ちた髪を、かけ直す仕草はしなかった。
「・・・あ?」
ふと気付くと、周りのやつらが俺に目を集めているのに気づいた。
なんだよと言い散らすと若菜たちは何も言わずに俺から目を離した。
「なんなんだよ!」
怒鳴ってみても誰も何も言わず、振り返りもせず。
そっぽ向くこいつらにまた叫んだ。
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