16
まさか無意識とは言わないけど。
キスした瞬間は、ほんとに何も考えてなかった。
「えええーっ」
「バッカ関川!」
重なった感触を自覚するより先に、うしろでそんな声がしてすぐ離れ振り返った。
見るとそこには、物陰から飛び出て床に転がってる関川と、それを引っ張ってる若菜と岡田、さらにその二人の上から湯舟が目をきらめかせてた。
「お前らっ・・・」
「うわー!うわ、うわーっ」
俺自身も、あいつらにもあまりに衝撃だった俺の行動に、あいつらは茶化す言葉もうまく見つからず叫びながら逃げてった。よくよく考えてみりゃあいつらがつけてくるのも想像ついたことなのに、まさか、まさか俺自身こんなことするとは思いもしなかったから・・・
「いー加減にしやがれテメーら!」
掴んでたの手もいつの間にか離して、恥ずかし紛れにあいつらを追いかけ走った。
バタバタ足音と声が騒がしく遠ざかっていく、そこにはひとり置いてきぼり。
ポカンと、状況についていけないような顔で。
「大丈夫?」
「え・・・、あ・・・?」
関川たちが大騒ぎで去っていくからつい見落としていた、静かな岡田がひとりそこに残ってて、立ちつくしてるに声をかけた。その岡田の声ではやっと、丸くしてた目を岡田に焦点合わせて、ぽかりと開いたままだった口で声を発して。
「まーなんつーか、いろいろ足りてないけどさ」
「・・・」
「あれはあれで桧山なりに考えてっつーか、いや、考えてかはわかんねーけど」
「・・・」
やらかした俺より、外から見てた岡田たちより、ずっと突然だった。
話しかける岡田の声も聞いているのかいないのか、はどこか一点だけを見つめて、だんだん難しい顔をして。
「どういう意味なんだろう・・・?」
「・・・」
難しい顔をしたまま、岡田に問いかけた。
まるで意味合いを悟れてないに、岡田は思わず苦笑う。
「どーゆーって、そのままじゃね?」
「そのまま・・・?」
「って、桧山のことどんなヤツに見えてんの?」
「どんなって・・・、やさしくて、いろいろ助けてくれて、友達思いで」
「まーからじゃそう見えてもしょうがないんだけど。でも桧山ってべつにやさしーヤツじゃないよ」
「やさしいよ、桧山君は」
「ないない。気のきくタイプでもないし、器用でもないし、まぁ世話焼きなとこはあるけど、誰にでもってわけじゃないし」
「うん・・・?」
「あと、好きでもないヤツにキスなんかぜったいしない」
「・・・」
そういうつもりで考えてやって。
難しい顔してたの表情を晴らして、岡田もその場を後にした。
俺はといえば、岡田がそこに残ってたことも知らないまま、ホテルの廊下を逃げたくる関川や若菜を追いかけまわし、抱きついてくる湯舟を蹴散らして、静かにしろと教師に怒鳴られながらも恥ずかしさ紛れに叫びたくっていた。
そうでもしてないと、夜は更けなかった。
今じゃもうまるで覚えてない感触に心臓を食われそうで。
最後の夜はいつまでも騒がしかった。
修学旅行、最終日。
結局深夜まで部屋で騒ぎ続け、そのクセ朝はきっちり目が覚めて、ロクに睡眠も取れないまま朝メシに行く。するとどうしても気になるのが、あいつだけど、と同じグループの女子たちが朝メシを食いに来ても、あいつはいなかった。
「なーなー、は?」
視界の端でそれを気にする俺より、湯舟がまっすぐそいつらに寄っていってナチュラルに問いかける。
「ああ、?ダメ、起こしたんだけどぜんぜん起きないの」
「まだ寝てんの?」
「あの子朝ダメなんだよ。でも今日はいつも以上の起きないっぷりだったよね」
「無理やり体起こしても目開けなかったからね」
フーンと答えながら湯舟が俺に振り返るけど、無視した。
たしかに、よくよく考えれば、きのうのあの行動はかなり非常識に思える。
顔を合わせづらいのは俺よりむしろのほうかもしれない。
てことは、なんだ。
避けられてんのか・・・?
結局朝食のレストランに姿を見せなかったは、集合時間になって初めて現れた。
ちゃんとセットもされてないような長い髪と、顔を隠すように巻いた白いストール。
全生徒が大きな荷物を担いで出てくる中、同じようにカバンを持ってフラフラ歩くは、しきりに目をこすってあくびをかみ殺して、たしかに寝むそう。重そうにカバンを持って、バスに荷物を積み込むけどちゃんと持ち上げられず。
「貸せ」
「わっ・・・、あ・・・」
自分のを積み込むついでに、もたもたしてるのカバンを取って一緒にバスの中へ放り込んだ。まっすぐな前髪の下から丸い目を覗かせるは俺を見上げて、ストールの中でありがとうと小さくこぼすけど、返事も目を合わすこともせずに俺はそのまま一番奥のシートに座った。
朝靄で白く曇った景色の中、何台も連なったバスが動き出す。
温度が上がりきらない北の大地をさらに北上し、ペンギンやら白クマやらの看板が目につきだすと、静かだったバスの中はだんだんテンションが上がっていって、最後の目的地にバスは吸いこまれていった。
入り口ゲート前で集合時間が告げられると、解散となり園内に生徒が散っていく。
今さら動物園なんて歳でもガラでもないに関わらず、周りの足取りは軽い。
「」
そんな周囲の騒々しさの中を縫うように、その名を聞き取った。
先へ先へ歩いていく生徒たちの間から見つけたと、その目の前に里中。
「一緒に、回らない?」
そう大きくもないはずの里中の声なのに、その言葉はなぜか聞き取れた。
きのうのようにみんなで一緒に、という意味合いでない空気を感じ取って、の周りの女子たちも先に行くねと歩いていってしまい、はひとりその場に取り残される。それに戸惑うは、さすがにもうはっきり覚めてる目で里中を見上げ、どう返事をすればいいのか口をこもらせて。
焦ってるようなは、困って視線を散らして、うつむいて。
そのまま、ふと、左側を見た。
遠くも近くもない距離で、と目があった。
「先行ってんぞ桧山」
「ああ」
若菜たちが先にぞろぞろと歩いていく。湯舟が笑顔満面にこぶしを握ってみせて、関川がニヤニヤ嫌な目をよこして。
俺ひとりそこにとどまるけど、だからって、何もしなかった。
あいつが里中を選ぶなら、俺がどうこうしたって意味はない。
「、」
「あの・・・、ごめんなさい」
「・・・」
「ごめんなさい」
の視線を辿って里中も俺を見る。
里中はもう一度、の気を引き戻そうとするけど、それより先には里中の目の前で長い髪を垂らしながら深く頭を下げた。
もうどうすることも、何を言うこともできなくなって、里中はから離れていった。
その場に、今度こそひとりで残されて、うつむくは長い髪を耳にかけなおす。
心臓あたりでずっとざわざわしてた感情はそのときやっと消え去って、俺はフーと、長く息を吐きだした。
「あの、桧山君」
いつになく近くでその声を聞き取る。
距離はまだ少しあるけど、周りに誰もいないせいか、不安がなくなったせいか、ずっと近くに感じた。
「一緒にいてもいい?」
「・・・」
ビビってるみたいなが俯いたままに言う。
なんでお前がビビるんだ。
そんなを横目で見て、そのまま歩きだした。
「・・・」
ビビってたのは俺のほうだ。
今度は深く短い息を吐いて、口引き締め直して、ついてこないに振り返った。
「早く来いよ」
言うと、は髪を揺らして顔を上げ、涙をためた目で俺を見た。
不安に駆られ泣きそうだったが駆け寄ってきて、また歩き出す。
「もう、先に言ってくれても・・・」
「何を」
「いいよとか、行こうとか」
「俺は里中みたいにやさしくねーんだよ」
「・・・」
「ぐずぐず歩くな、おいてくぞ」
「もー歩くの早い!」
ぐずりと鼻を鳴らすがうしろを必死についてくる。
今まで散々イラついたり気に病んだりさせてもらったんだから、このくらいかわいいもんだろう。
ヒゲいじったら、またやけに自分が笑ってるのが分かって、隣なんて絶対歩けないと思った。
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