15
修学旅行の3日目はさすが北海道というくらいの寒さが襲い、ホテルを出た途端全員北風に煽られ凍りついた。東京なら10月なんてまだ半袖でもいけるくらいで、事前に防寒具を忘れずにと言われた時は荷物になるしジャマだくらいに思っていたのに、今はそれに大いに助けられている。
「ラーメン食おうぜ、北海道といえばミソラーメン!」
「もう?さっき朝ごはん食べたばっかりじゃん。先にドームにしたら?」
「あ、そーじゃん札幌ドーム!ダルビッシュ見に行こーぜ!」
食うか野球かしか選択肢のないバラエティに乏しい俺たちは、相変わらずナビ御子柴の後を騒がしくついていくだけ。その一番うしろを、寝むそうにあくびを噛む岡田と俺はヤル気なく歩く。なかなかハードな旅行も3日目だというのに、札幌の街に散っていく大勢のニコガク生徒は明るく騒がしい。
その中には当たり前に、もいる。今日はちゃんと同じグループの女子と一緒に。
けどその女子の集団にはA組の男子グループも混ざってて、そこには里中もいる。
きのうが傷を負った左手を心配して絆創膏を差し出してる。
「舐めときゃ治るとか言わねーよな、普通」
俺の小さなつぶやきを聞きつけて、隣の岡田が「ハ?」と聞き返した。
よくよく考えれば、それって今までなら、普通に分かっていたことだ。
ああいうタイプの女に、ああいうタイプの男。
自然と周りはあいつらをはやし立ててくっつけようとする。似合うから。
あの女には、ああいうヤツが似合うから。
タバコやめよーが、ケンカやめよーが。
ちょっとマジに野球やろーが。
結局。
「桧山、岡田!早く、電車乗るよ!」
「おおー」
ダラダラ歩く俺たちを急かす御子柴に連れられ、目の前の集団とは別方向へ歩いていった。
「なんかあの学ラン多くね?」
「どっかの修学旅行生じゃねーの」
昼間でも少しずつ陰っていく雲が、広い大地の気温を下げる北国。
観光名所らしきところやまだ誰もいない札幌ドームなんかを回り、ラーメン屋ハシゴしたりしてそれなりに札幌を楽しんでいた。
そんな中、平日の昼間だというのにやけに目につく、真っ黒い学ラン。
周りを見渡してるあたりよそ者に見えなくもないが、俺たちと同じくどこかの学校の修学旅行生だとしたら数は少ないように思える。
「あ?なんだテメェら」
余所を向いていた俺たちの前のほうで、安仁屋の不機嫌そうな声が聞こえてきた。
覗くと、安仁屋たちの前にはあの、学ランを着た連中が数人立ちはだかっていた。
「お前ら東京モンか」
「だったらなんだっつーんだよ」
「って女知ってるか」
「あ?」
俺たちの前で道を阻む男たちからその名前が出ると、隣の岡田が俺に目を寄こした。
なんで、こんなやつらからの名前が出るんだ?
そんなことを思っていると、そいつらのうしろから歩いてきたひとりの男が、先頭にいる安仁屋の横を通り過ぎて、俺の前まで歩いてきた。
「お前、きのうと一緒にいたヤツだな」
「・・・あ?」
「どこにいんだよ」
「・・・」
「きのう」、そして「」。
そのふたつで、そいつがきのう電車の中で会ったやつだと思い出した。
「知らねぇな」
「じゃあケータイとか知ってんだろ」
「知らねぇ」
「出せ、ケータイ」
「持ってねぇ」
「ナメてんのか」
さらに詰め寄り、そいつが俺の胸倉を掴むと慌てて御子柴が俺たちの間に割り込んできた。
「あの、よく分からないけど、もめ事は・・・」
「邪魔すんじゃねーよ」
止めようとする御子柴に目を変えるそいつは、今度は御子柴のシャツを掴み上げたから、俺はそいつの腕を掴み御子柴から手を離させた。
「お前、のなんなんだよ」
「お前に関係ねーよ」
「あるんだよ」
「わざわざ札幌まで来て手当たり次第探し回らなきゃ会えもしねーヤツにどんな関係があんだよ」
睨んでくるそいつの目の前で笑ってやると、ブチギレたそいつはいきなり殴りかかってきた。
顔面に拳をくらい勢いに押される俺を岡田が受け止めて、御子柴が駆け寄ってくる。
「のヤロぉ」
「駄目だよ、桧山!」
止めようとする御子柴を突き飛ばしそいつを殴り返す。
それを皮切りに他の学ランの連中も全員押しかけ、結局全員もみ合い乱闘騒ぎになった。
ケンカはダメだとか、旅行中だとか。
今ならもう当たり前に分かってたことが、そのときは全部吹っ飛んでた。
あいつらだって、俺がキレてなきゃケンカなんてしなかっただろう。
でも俺は、最後まで止めようとしてた御子柴の声も届いていなかった。
旅行者と地元学生の乱闘は駆け付けた警察に抑えられ、俺たちはホテルに連れ戻された。
俺以外誰も”殴り”はしなかったから、いざとなりゃ俺だけ野球部をやめればいいと思っていたけど、俺たちの乱闘を周りで見ていた誰かが先に手を出したのは相手のほうと警察に説明してくれたおかげで大げさな処分は何もなかった。けど俺はホテルで教師たちに散々説教された挙句、ひとり部屋に戻され外出禁止を言い渡された。
「桧山ー、メシだにゃー」
ただ陽が傾いていくのを見てるだけだった部屋に、湯舟の足音と呼び声が入ってくる。
とにかく怒っていたのは御子柴だけど、他のヤツらは久々のケンカだったなーと笑っていた。
エレベーターで降りて2階のレストランに行き着くと、中ではすでに種類豊富な料理にたかってる他の生徒たちでにぎわっていて、俺たちもその中に混ざってそれぞれに好きなものを取り合った。
「あ、桧山君」
そんな中であの長い髪のうしろ姿が目につき、それとなく目を離すけど、まんまと気付かれ足を止めさせられた。
「・・・」
はたぶん、今日どこに行った?とでも気軽に言いかけたんだろう。
けど俺の口元のあざを目にして、俺を見上げたままその口だけをピタリと止めた。
「え、なに、どうしたの、それ」
「なんでもねーよ」
急に青い顔をするは、皿を持った左手に絆創膏を貼っている。
今朝、里中が渡してたやつだろう。
「桧山はまたを守って名誉のふしょーをしたんだにゃー」
「ゆふねっ」
「え?なに、私を守ってって」
「なんでもねーよ」
まるで何のことか分からないはきょとんと俺を見上げて、けど俺はそれ以上話が深くなる前に湯舟の首根っこをひっつかんでから離れていった。
「今日、のこと探してるヤツに絡まれたんだよ、あいつ」
「え?」
俺と湯舟がいなくなったそこで、岡田は構わず皿におかずを取った。
散々山もりにおかずを取って食べ散らかす奥のテーブルで、けど俺はずっと部屋で寝てたせいかあんまり腹も減ってなくて、みんながおかわりに席を立つのにひとり先に部屋に戻った。
暗い部屋に明かりをつけて、一番奥のベッドに寝転がる。
旅行も明日で終わるというのに、冴えない気分を引きずって暗い窓の外を見てた。
何かを深く考えているような、けれども何も考えてないような。
辿っては見失って、また一から考えてみるけどまた彷徨って。
真っ暗な夜の中に迷い込んで、前も後ろも分からなくなる、感じ。
「桧山」
「ん?」
しばらくして帰ってきたやつらが、デカイ腹を抱えてベッドに雪崩込んでくる。
そん中から岡田が、俺のそばまで近づいてきて静かに、手を差し出した。
「なんだそれ」
「から」
「・・・は?」
岡田の手の先に握られてたのは、絆創膏。
「お前、なんか言ったのか」
「とりあえず今日あったこと」
「ふざけんなよ、お前も湯舟もベラベラしゃべんじゃねーよ」
「言ったら、どんな顔するかなーと思ってさ」
バカかと吐き捨てて、背を向けてまた寝転がる。
「コレいらねーの?」
「・・・」
「自分で渡せばって言ったんだけど、また怒らせちゃうからってさ」
「・・・」
「ていうか、レストランのとこで待たせてんだけど。」
「・・・」
「行かねーなら俺行くけど」
「・・・」
また怒らせちゃうって、なんだ。
起き上がり、岡田の手から絆創膏を取って部屋を出た。
エレベーター乗って、ゆっくり下がってくの感じて、チンと扉が開く。
降りた先でレストランのほうを見ると、ガラス戸の向こうは明かりが落ちて片づけられていた。
反対側を見渡すと、1階のロビーを見下ろせる狭いバルコニーみたいなスペースに、柱を背に座りこんでるやつを見つけた。そいつは俺に気づくと「あ」と口を開いて、立ち上がり近づいてくる。ずっと俺を見上げて。ていうか、口元のアザを見つめて。
「あの・・・、大丈夫?」
「なんともねーっつっただろ」
「でもそれ、ユキちゃん・・・あ、きのう電車で会った人と、ケンカになって殴られたって・・・」
「ああ」
「あの、ごめんなさい、よく分からないんだけど・・・、でも、ごめんね」
「お前に謝られる義理ねーよ」
「だけど、最近ずっと桧山君には迷惑かけてるなって思って・・・。きのうだって、よく考えたら、せっかくの旅行なのに、桧山君の時間無駄にさせちゃったし・・・」
「・・・」
「それに私、前にいろいろ桧山君に助けてもらったこと、ちゃんとお礼も言ってないなって、思って・・・。本当に、ごめんなさい、いろいろ抜けてて・・・自分のことばっかりで・・・」
お礼と言いながら謝罪を繰り返すの表情はどんどん落ちてく。
だからってべつに、怒ってない。
こいつに腹を立てたことなんて、ない。
突然襲う苛立ちも、消えない胸くそ悪さも、戸惑いも。
「手、出せ」
「え?」
また俺を見上げるの、不安そうに胸の前で握ってる左手を取った。
ほんのかすり傷に貼られた、絆創膏。
あいつの。
それを勢いよく剥がして、持ってた新しい絆創膏を貼り付けた。
俺のケガを癒すはずだった絆創膏。
がよく分からない顔でまた俺を見上げる。
俺だってよく分からないんだから当然だ。
でも、なんか気に入らなかった。
こいつの傷を他の誰かが癒すのも。こいつに誰かのものが貼り付いてんのも。
「・・・」
それが、好きとか、そういうものだっていうんなら。
俺はこいつが、相当好きなんだと思う。
いつからとか、どんくらいとか、何ひとつ自信持って言えねーけど。
傷を癒すだけでも、手を取ってるだけでも、満足しないほどに。
言葉より先に口唇が届く、ほどに。
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